藤井聡太はどこから来たのか?――「藤井聡太と将棋の天才。――Number9/17」(3)

「渡辺明、敗北の夜を越えて」と、先崎学のエッセイだけを、優れたものとして取り上げたが、ほかにも愉しい記事はいくつもある。
 
まず巻頭の、「藤井聡太、天翔ける18歳」。
 
藤井は、棋士のデビュー戦で、加藤一二三に勝った。

「直後から29連勝への狂騒が始まる。望外、僥倖、茫洋、奏功、幾年、白眉、拘泥。語られる言葉はメディアの標的となった。」
 
そうだよなあ。それで、大山15世名人の生まれ変わりだ、という説が、有力になったのだ。
 
今は大山名人ではなくて、江戸時代の天野宗歩の生まれ変わりだ、と言われている。大山康晴よりも、スケールが大きいのだ、よくわからないけど。
 
天野宗歩は、「実力十三段」と言われ、後に棋聖と呼ばれるようになる。現在の棋聖戦のタイトルは、ここに由来する。
 
記事の最後の方は、藤井について、こんなふうに締め括られている。

「頂点に立ってなお、誰よりも謙虚だった。どんな時も笑みを絶やさず、負の感情を示さない態度は世界や人間への根源的な肯定とも思えた。」
 
そうなのである。棋聖戦で、3勝1敗で渡辺明に勝ったときも、王位戦で、4勝0敗で木村一基に勝ったときも、ただひたすら謙虚なのである。
 
自分が気づいてない手を指されました、と言うだけではない、所作のいちいちが参考になりました、という(袴を着た姿が、何よりも似合っているのは、藤井聡太だというのに)。
 
それにしても、いちいちの所作が、参考になったというのは、これはどうも変である。
 
そこで、藤井は地球星人ではないのではないか、という疑惑が浮上してくる。そうではなくて、別の惑星からやってきた、将棋星人なのではないか。
 
将棋星人の王子、藤井聡太が、地球上にある八つの宝(八大タイトル)をかっさらって、地球から去ってゆく、という話である。
 
だから、地球防衛軍も渡辺明・豊島将之を総大将に、総力戦で頑張らなければ。

これはつまり、そのくらい藤井とほかの棋士が、実力でかけ離れている、ということなのだ、信じられないことだけれど。

インタビュー記事、「木村一基、受け師は何度でも蘇る」(北野新太・文)では、木村の印象に残る一言がある。

「まだ整理はついてないです。藤井さんに4発も食ったことは。一生懸命やったつもりですけど、相手に比べると取り組む姿勢も何か甘かったのかもしれない。」
 
10代の挑戦者に向かい、完膚なきまでに倒されておいて、なおこの謙虚さ。

ここではもちろん、木村の人格の高さを誉めるべきなのだが、ただ藤井聡太とやると、みな謙虚になり、将棋に対して今一度、必死で精進することを誓うのである。
 
対局が終わり、報道陣がなだれ込んでくる。何人かの記者が質問する。それはおおむね、答えにくく、またはつまらないことだ。
 
それに対して藤井は、できる限り誠実に、相手との対話が成り立つように、深いところから考えて話す。
 
それは、普通の日本人の話し方とは、まったく違う。昨今の政治家の、木で鼻をくくったような話し方とは、真逆である。
 
あるいは、上辺だけの話し方上手の実用書や、人は見た目が9割という下らない教え、そういうものとは正反対のところに、藤井はいる。
 
これはいったい、どういうことなのだろう。
 
そこで私は、大胆極まりない説を立てることにする。それは、藤井聡太は今よりも文明の進歩した、未来の国からやってきた、というものである。
 
藤井は、天野宗歩の生まれ変わりでもなければ、将棋星人でもない。遠い未来からやってきた、この世界への贈り物なのだ。
 
だから将棋を知らない人たちにも、たちまち興奮は伝わり、その真価は、はっきりと分かるのである。

(「藤井聡太と将棋の天才。――Number9/17」、文藝春秋、2020年9月3日発売)
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藤井聡太はどこから来たのか?――「藤井聡太と将棋の天才。――Number9/17」(2)

先崎学の特別エッセイ、「22時の少年。――羽生と藤井が交錯した夜」は、4段組でわずかに1ページ。しかしこれが、限りなく深い余韻を残す。
 
あれはたしか、藤井聡太が棋士になって、半年くらいたった頃のことだ。

「『3月のライオン』の刊行元である白泉社が、加藤一二三、羽生善治、先崎学、藤井聡太の四人によるトーナメントという、ミニ企画を組んだ。放送はニコニコ生放送で作られ、こぢんまりしつつも華やかなイベントだった。」
 
これは将棋ファンなら目が離せない。
 
トーナメントの決勝は、羽生vs.藤井になった。これも将棋ファンなら、こういうふうになるだろうという、予想通りの組み合わせである。
 
事件は、対局の終盤に起こった。2人の指し手が、千日手の形をとったのである。つまり同じ局面を4回繰り返せば、無勝負になり、もう一度、今度は先後を入れ替えて、対局することになる。
 
普通の対局ならば、ルールにのっとって、そうなる。
 
しかしこの時は、違った。藤井はまだ現役の中学生であり、午後10時をすぎて、初手からの対局というのは、労働基準法に違反するのだ(対局中に10時を超えるのは、かまわないという)。
 
みんな、さあどうするか、頭を抱えた。このままいけば、生放送だから、優勝者は決められないことになる。

「その時だった。藤井君が手を変えた。要は指し直し局になることを避け、自ら負けになる順に飛び込んだのである。
 すぐに羽生勝ちで終った。」
 
スタッフたちは、藤井が間違えたとか、まだまだ若いなあとか、あれこれ喋っていたが、先崎はそうは思わなかった。
 
藤井は、負けになることを承知で、手を変えたのである。

「私は確信を持って分った。そして羽生が分ったということも。将棋指しは将棋のことならたいがいのことは分るのである。」
 
羽生は楽屋に戻ったが、あきらかに不機嫌だったという。本来は、30年も歳が離れていれば、いわば「花相撲」なんだから、羽生の方が、勝ちを譲ってもよかったはずなのである。
 
それが口惜しいことに、藤井聡太に気を遣われてしまった。
 
先崎は、水面下に広がる、幻のドラマを活写する。

「真実は永遠に分らないだろう。羽生先輩に勝ちをゆずったなどということを、藤井君がいうわけがない。羽生だって何も語るまい。〔中略〕
 ただ、もし私の棋士としての読み筋が正しければ、ふたりは一生忘れることがないだろう。」
 
藤井がタイトル戦に出てくれば、それはいつも華々しい活躍で、初心者から高段者まで、あらゆる観客を魅了する。
 
けれども、ささやかな片隅の対局でさえも、藤井聡太は、注目する人を感動させる魅力を、持っているのである。
 
人しれないところで、それを掬い上げた先崎学の、筆の冴えにも感謝である。
posted by 中嶋 廣 at 10:24Comment(0)日記

藤井聡太はどこから来たのか?――「藤井聡太と将棋の天才。――Number9/17」(1)

藤井聡太が二冠を取った。棋聖と王位である。そこで文藝春秋の「Number」が、将棋を特集することにした。もちろん初めてである。
 
表紙に藤井聡太の全身写真を入れて、初刷12万部。発売したその日に3万部増刷し、翌日、5万部を増刷した。これで計20万部。
 
編集長は、「読みが間違っていた」と、将棋に引っ掛けて、嬉しい誤算を報告した。
 
あーあ、まだ分かってないのだ。少なくとも50万部、上手に宣伝を打てば、80万を超えるところまでは行くはずだ。
 
それはともかく、中身を見てみよう。
 
まず巻頭に、「藤井聡太、天翔ける18歳」とあって、インタビューを交え、最近の活躍が描かれている。
 
続けて、「記録で辿る異次元の歩み」、「板谷一門の偶然と必然」があって、直接の藤井関連の記事はここまで。
 
以下は、佐藤天彦×中村太地の対談、「中原誠が語る18歳の羽生と藤井」、先崎学のエッセイ「22時の少年。――羽生と藤井が交錯した夜」、「渡辺明、敗北の夜を越えて」、「木村一基、受け師は何度でも蘇る」、「豊島将之、仲間から遠く離れて」、「谷川浩司、光速は終わらない」など、ほかもたいへん盛りだくさんである。
 
ここで特筆大書されるのは、大川慎太郎の描いた「渡辺明、敗北の夜を越えて」と、先崎学のエッセイである。
 
渡辺は棋聖戦の番勝負を、1勝3敗で敗れ去っている。

じつに、その夜のことだ。一緒になった新幹線の中で、渡辺は言う。

「『過去にもタイトル戦で負けたことはあるけど、この人にはどうやってもかなわない、という負け方をしたことはありません。でも今回はそれに近かった』
 白旗を掲げたようにも聞こえた。」
 
負けた夜に、新幹線の中で、翌日の昼がライターにとっての締切りなので、渡辺が解説をする。負けた方にとっては、酷なことだ。しかし渡辺は、それをやる。

「藤井の登場によって自分の将来の立ち位置が見えてしまったということはないのか。緊張しながらそう尋ねた。
『それは今日、棋士全員が思わされたことでしょう』
 穏やかな声色で渡辺は答えた。そこには自嘲も謙遜も悲嘆も感じられなかった。」
 
つまり渡辺は、どうしたら勝てるかを、真剣に考えているのだ。

「今後、彼とどう戦っていくのか。
『現状では藤井さんに勝つプランがありません。だっていまから藤井さんのような終盤力を身につけようとしても無理だから』」
 
今は勝つプランはないけれど、いずれ考える、考えずにはおかない、そう言っているのだ。
 
ほかの棋士が、藤井の将棋は見ていて楽しい、ワクワクする、と言うのとは、まったく違った視点に立っている。
 
いま藤井と当たる大半の棋士は、もう二度と当たることはない。なぜなら、藤井はいずれ他のタイトルも取るだろうし、もう各棋戦の予選も、出る必要はなくなるだろう。つまり相手にとっては、たった一度の記念対局、というわけである。
 
しかし渡辺は違う。違うどころか、複数のタイトルを巡って、ここから数年、藤井と死闘を繰り広げなければならない。
 
しかもその繰り広げられる闘いによっては、日本の将棋の行く末が決まるのだ。そういうことが渡辺には見えている。だから苦悩は深いのだ。
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時事ネタの批評は難しい――『コミュニケーション不全症候群』(3)

ここから中島梓は、彼女自身が創設した「JUNE(ジュネ)小説」、といったジャンルを経由して、まとめに入る。

「JUNE(ジュネ)小説」とは、と言っても、男の子が出てくるホモ小説、という程度のことで、僕にはよくわかりません。
 
こういうホモ小説は、拒食症の少女たちには、現実を拒否するという意味で、親しいものだという。

「JUNE世界のなかでは、不器量であること、肥満、もてないこと、は最大のおそるべき罪である。」
 
なるほど。でもこれは、現実の表層を撫でてみることすらしない、実にくだらない嗜好だ、とは思わないだろうか。

「彼女たちが拒否しているのは、彼女たちがあいそをつかしてしまったこの現実でしかありえないのだ。そしてその、理想化され、清潔に、生活のみにくい側面ややっかいごともなく、老いることも中年のいぎたないオバン、オジンになることもない、時の止間ってしまった宇宙こそ、おタク、拒食症、モラトリアム青年、そういったコミュニケーション不全症候群の男女すべてが共通して恋いもとめる――その方法がさまざまに異なると言うだけで――究極の世界なのである。」
 
言葉で描くと、もっともらしく聞こえるが、そんな世界は、実に退屈だ。しかし30年前、僕はこの文章に、共感していたに違いない。きっとまだ、現実の世界のかけらも、味わってはいないころだ。
 
ただこれに続く文章は、大事なことを言おうとしている。

「彼女たち、彼らの本当に欲しているのは、失われた母の胎内の全能感であるのだということができる。」
 
この「母」は、文字通りの母であって、中島梓は母との関係で、抜き差しならない関係を抱えていた、ということが今岡清の本に出てくる。
 
しかし、それがどういう関係であるのかは、今岡清の本でも、中島梓の本でも、書いてないので分からない。
 
この本の終わりは、こういう一節である。

「大切なのは勇気だけである。――コミュニケーション不全症候群のための処方箋はただそれだけだ。自分を直視すること、自分の苦しみを認識すること。そしてそうするだけの勇気を持ち続けることである。我々がどうやら二十一世紀を迎えることができるためには、我々はただ、ほんのちょっとだけ勇気があればいいのである。」
 
これは、中島梓の自戒の言葉、自分を励ます、ささやかな言葉なのだが、今となってみると、最初の一歩がなかなか踏み出せなくて、必死で自分を鼓舞している若い女性を思い浮かべて、あまりにもいじらしいのである。

(『コミュニケーション不全症候群』中島梓、ちくま文庫、1995年12月4日初刷)
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時事ネタの批評は難しい――『コミュニケーション不全症候群』(2)

おタクの次は、ダイエットである。中島梓は最初この本を、「ダイエット症候群」というタイトルで構想した。

「自分自身かつてはたしかにダイエット症候群であったし、そこからどうにか脱出するのに多大の苦労と年月を要しもし、またいまなお何かの誘因さえあればたちまちもとの木阿弥に戻って発症しかねない私」――しかし、夫の今岡清によれば、これは終生、克服できなかった。
 
だからこの章は、実は欺瞞に基づいて書かれている。それを前提として読んでいくと、相当に痛々しい。

「ダイエットが女性たちに約束している手形はこうである――あなたももし、この社会の『いい子』のメンバーでいたい、社会からかわいがられる優等生でいたいのならば、私のいうことをきいて、私の価値を信じる事だ。体重は軽ければ軽いほど偉いのだ。そしてその唯一絶対の価値のためにはどんな努力でも払わなくてはならない。」
 
こんなことを信じる多数の人が、いるんだろうか。これは、異性にモテる、モテない、という範疇のことではない。

「もしその努力が成功したあかつきには、お前はすべてを手に入れられるだろう。すべての愛情と崇拝と永遠に勝者として社会のもっとも成功したメンバーとして、エリートとしてお前は社会に迎えられるだろう。〔中略〕お前のもっともほしがってやまなかったもののすべてが、ただ『ダイエット』をするだけで。
 このような手形を信じないでいられる少女がいるだろうか。」
 
もちろんいる。というより、こんなことを、信じる人の方がおかしい、と思わないだろうか。
 
10代後半の思春期は、頭でっかちになりすぎていて、どのみちどこかが、いびつなのだ。自分のことを考えたって分かる。それはしょうがない。
 
それを、人生全般に敷衍して説きおこし、そんなことをしていては大変だぞ、というのは、体のいい脅しである。
 
それが、たんなる脅しではないのは、中島梓自身が、それを信じていたからだ。

「現代社会の選別は私たちをガス室に送りこそしないが、しかし精神的にはまったく変わらない状況に女性たちを置く。〔中略〕
女性、いや、もはや女性だけではない、男性も、この社会の基本原理に従い、この共同幻想に与している個人はすべて、もはや人間であるのではなく、商品として存在しているのにすぎない。それがこの社会に続出しているさまざまな異変、異常の真の原因であるのは、すでに明らかである。」
 
素晴らしい構想力と文章力で、読んだ当座は、まったくその通りと思ったが、30年も経って、憑きものが落ちてしまえば、後には、中島梓の震えて萎れる肩を、遠くに望むばかりだ。
posted by 中嶋 廣 at 15:57Comment(0)日記

時事ネタの批評は難しい――『コミュニケーション不全症候群』(1)

続いて中島梓の『コミュニケーション不全症候群』を読む。これも出た当初は、大変な評判になった。
 
帯の文章が 簡にして要を得ている。

「おタク、ダイエット、少女たちの少年愛趣味、そしてオウム、……すべては一本の糸でつながっている/私の居場所はどこにあるの?」
 
今岡清による、栗本薫/中島梓の追悼、『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』を読んだいまは、そこに書かれた症例が、全部彼女のものであり、最後の「私の居場所はどこにあるの?」が、最終的に彼女のいちばん深いところからの、叫びであったことがわかる。
 
しかし先を急がずに、まずは読んでいこう。

「私がこの本を書きたいと思ったのは、なんといっても、実は私自身が、〔中略〕私がかりそめに『コミュニケーション不全症候群』と名付けてみたようなさまざまな兆候の、いわば代表者のようなものであって、事実このなかに私がこれからいろいろと書いて分析したり考察してみようと思っているいろいろな症状は、ほとんどすべて私自身を見つめていて出てきたものなのである。」
 
実はこの本は、出てすぐの頃に読んでいる。そのときは、非常に面白いけれども、途中がしつこいというか、なかだるみというか、ちょっと辟易した印象が残っている。
 
中島梓が、自分を症例にして、「コミュニケーション不全症候群」を描いたところまではいい。問題は、自分でそれを克服したのかどうか、という点だ。
 
これをすべからく「適応」の問題と考えれば、今岡清によれば、あるところは克服し、あるところは克服できなかった、ということらしい。

それを具体的に、読み込んでいこう。
 
まず最初は「おタク」。

「おタク族は要するに『自分の場所』を現実の物質世界に見出せなかった疎外されそうな個体が、形而上世界のなかに自分のテリトリーを作り上げる事で現実世界の適応のなかにとどまったのである。」
 
これはいかにも、その通りと言っていい。これだけなら、そんなに問題になるはずのことではない。

この時期、「おタク」が急浮上してきたのは、連続幼女殺害犯人の宮﨑勤が、いかにも「おタク」っぽかったからである。
 
一人ぼっちで離れに住み、マンガ、アニメ、TVゲーム、ファミコンなどに囲まれて、現実を忘れ、外へ出れは、四人の幼女を、猟奇的な仕方で殺害した。

「おタク」の行きつく先は、猟奇的な変態殺人者、という道筋を描いて見せたのだ。

「つまりおタクはほんとうの自分の場所を見つけられないという事実から逃避して、かわりに自我を形而上に仮託する構造をつくりあげた人々なのだ。」
 
仮におタクを、そういうふうに規定したとしても、それと「猟奇的な変態殺人者」との距離は、無限に遠い。それは関係ないといってもいいのだ。

今になってみれば、それははっきりとわかる。
posted by 中嶋 廣 at 00:22Comment(0)日記

あの時は、遠く流れて――『ぼくらの時代』

続いて栗本薫の出世作、『ぼくらの時代』を読む。

自称、「《書キタイ》妄執」が、書いたのだが、如何せん、あまりに古すぎる。
 
昭和53年度の江戸川乱歩賞受賞作なのだが、どこをどう読めば面白くなるのか、分からない。
 
学生3人組が、テレビ局を舞台にした、女子高生連続殺人事件を追う、というのは、まあいい。
 
いけないのは、いかにも安手の密室トリックと、連続殺人事件が、実は連続自殺事件だった、というところだ。
 
叙述の仕方も、発表当時は新鮮だったらしい。権田萬治が「解説」に書いている。

「実は、『ぼくらの時代』の面白さの一つは、この独特のさり気ない、ある意味ではユーモラスな語り口にあるのだし、また、通して読むとこの語り口が、一種の叙述のトリックともいうべきものになっていることに気付くはずである。連続殺人事件が一転して予想外の方向に展開して行く意外性はこの叙述のトリックに支えられているといっていいだろう。」
 
ということなのだが、その叙述の一見軽やかな、またときには、軽薄といってもいいところが、いかにも古めかしい気がするのだ。

『ぼくらの時代』は、大江健三郎の『われらの時代』を受けて出てきた、と権田萬治は書いている。
 
大江の小説は、もうほとんど忘れてしまったが、政治的に希望のない世代を扱って、結構ずしんと来るものだった、ような気がする。
 
そういう大情況も、忘れられて久しい。

「新しい意識を持った若者を登場させた推理小説として栗本薫の『ぼくらの時代』の斬新さはやはり衝撃的である。」
 
斬新であった分、古びるのも早かったのである。

(『ぼくらの時代』栗本薫
 講談社文庫、1980年9月15日初刷、1985年5月10日第16刷)
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絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(6)

「私の奥さん」はまた、芝居の世界にも手を出した。栗本薫は、原稿を書きさえすればよかったが、中島梓は、そうではなかった。
 
初めは、脚本を提供するだけだった。
 
それが徐々に、脚本だけではなく、製作、演出、果ては音楽の担当もするようになった。

では、「奥さん」はどうして、芝居に取り憑かれていったのか。

「魅力のひとつは、自分のイメージの中にあった世界が劇場の舞台の上で現実のものとして視覚化され、動き出すことにあったようです。そしてもうひとつは、自分のいるべき場所が確保されること、にもあったのだと私は思います。
 いるべき場所の確保というのは、私の奥さんにとって、とても大きな問題であり続けました。」
 
ここが不思議なところだ。「私の奥さん」はどうしても、本来の居場所を見つけることができなかった。これは本当に不思議なことだ。
 
ベストセラー作家として、押しも押されもしない存在になっても、また子供を得ても、そんなことでは、確たる居場所は、確保できなかったのだ。

「ここは自分がいてよい場所なのか、ここは自分を疎外しているところなのではないか……その思いは絶えず奥さんにつきまとい、作品にもその影響は強く出ています。奥さんは芝居に出会い、自分のいる場所をそこに見つけたように感じたのです。」
 
しかし芝居にのめり込むと、大変である。
 
まず膨大な時間がとられる。最初は子供の世話を、ベビーシッターに任せていたのだが、それでは賄えず、著者が早川書房をやめて、家事を担当することになった。子供に朝ご飯を食べさせ、弁当を持たせて、学校に送り出したのである。
 
しかし「奥さん」の苦闘は、それだけではなかった。製作も担当したので、莫大な借金を背負うことにもなった。
 
そういう家庭環境の変化から、ストレスによって、家の中が次第に荒んでいく。

けれども著者が、「奥さん」から離れていくことはなかった。

「私が感じていた奥さんのイメージは、誰もいないがらんとした広い家のなかで、一人で泣いている赤ん坊でした。そして、私はその赤ん坊を助けなければいけないという強烈な気持ちを持つようになってしまいました。」

とはいえ、夫婦の危機は、かなりのところまで行った。「奥さん」は、真剣に離婚を考えたようだ。

「原因がなんであれ、すぐに泥酔してしまうような夫と、しかも絶えず怒りをかきたてられ平穏な日常を送ることも出来ない夫と暮らさなければいけない理由はないでしょう。奥さんのなかの成熟した大人は、それが正しい選択だと思っていたのではないかと思います。」
 
けれども、別れるところまではいかなかった。

「たぶん私たちの生活はよるべのない赤ちゃんである奥さんと、それを拾い上げてしまった私という構図が基本にはあったのだといまでも私は思っています。」

「奥さん」は、一人ぼっちで、家の中で泣いている状態には、戻りたくなかったのだ。

「奥さん」を亡くして、時が経つうちに、著者は、「私はなんという人と一緒に暮らしていたのだろう」という思いが、強くなっていく。著者は「奥さん」を、不世出のクリエイターとして、再認識するようになっていく。

「私の奥さんという人は、四百点を超える著作を書き、二十本ものミュージカルに携わり、ミュージカルのための数百曲の曲を作詞・作曲し、没後に四百字詰め原稿用紙にして二万枚以上にものぼる未発表原稿を残した栗本薫・中島梓という存在」だったのだ。
 
その未発表原稿の中に、「ラザロの旅」という一篇があり、そこにこんな言葉が記されている。

「読者がいるから書くんじゃない。註文があるから書くんじゃない。書きたいことがあるから書くのでさえない。そんなつまらぬ理由で書くものか。〔中略〕節操なんかない。恥もない。そんなものがあるのは人間だ、だが私は人間でさえない。私は《書キタイ》という妄執、そのものだ。」
 
やっぱり栗本薫・中島梓のものを、何か続けて、読まないわけにはいかないな。

(『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』今岡清
 早川書房、2019年4月25日初刷)
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絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(5)

「私の奥さん」は、「痩せていなければ価値がない」という、メッセージに苦しめられていた。
 
たしか『コミュニケーション不全症候群』を読んだとき、中島梓は、ダイエット地獄を克服したと書いていた。
 
だから、おなじ地獄に直面しつつある、若い女を救うために、あの本を書いたのだということだった。
 
しかし著者によれば、「奥さん」はその後も、「太っていては価値がない」という強迫観念に、責め苛まれていたという。

「闘病生活が始まってからもというよりは、闘病生活が始まったからこそ、問題はより鮮明になってしまったようです。〈健康になって生きていたい〉という生へと向かうエロス、そして〈死ぬことになろうが痩せなければ〉という死へ誘うタナトスが奥さんの心のなかで激烈な闘争を繰り広げることになってしまいました。」
 
そしてその矛盾が、ひいては命取りとなる癌を、引き起こしたのではないか、とまで言う。
 
作家として、どれほど多くの称賛を浴びようと、そうしたプラスの面は、「痩せていなければ無価値」という囁きによって、一瞬のうちにゼロと化すのだ。

「栗本薫という存在が無価値であるなど、まさに狂気の沙汰としか言いようがありません。しかし、その狂気が私の奥さんの一生を苦しめつづけていました。」
 
これは本当に、僕なんかには、分からないことだ。つきあった女性にも、強度の強迫観念としてのダイエットという人は、いなかったと思う。
 
しかしダイエットというのは、言い方を変えれば、「奥さん」が目標に、一番しやすいものだったんじゃないか。
 
そんなことをいっては、いけないのだろうか。

「理性は論理的に物事を考えていたにもかかわらず、やみくもな衝動によって繰り返しそれが打ち砕かれてきたのを私は見つづけてきました。
 私が奥さんとの生活で共に戦って来た敵は、まさにこの狂気、人の理性を狂わせるやみくもな衝動だったのだと思います。」
 
これは、ダイエットだけの話ではないだろう。すべての過剰なものが、相手になっている。
 
そしてこの過剰なものは、それを克服したとすれば、おそらく彼女の創作は、激烈な打撃をこうむっていたに違いない。そこでは、因果は絡めとられ、どうにもならなくなっていたと思う。
posted by 中嶋 廣 at 09:33Comment(0)日記

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(4)

この追悼は、はじめ「奥さん」の手料理のこととか、飼っていたペットのことなどを、ゆるゆると語りながら、気がつくと核心に入っていく。
 
まずは料理の話から。

「奥さん」の癌が末期のころ、著者もまた悪性腫瘍のために、胃の全摘手術をした。
 
さらっと書いているけれど、夫婦そろって癌で手術は大変である。しかし、大変そうなところは、まったく書かない。文章の力点が違うのだ。
 
著者の入院中に、「奥さん」の病状が悪化したため、同じ病棟に入院することになる。その後、入れ替わりに、著者は家に戻った。

「奥さん」が不在の家で、一生懸命料理をした、「奥さん」のことを考える。

「私が入院する直前まで私と義母と息子のために、私が入院してからも義母と息子のために毎日料理をしていたのです。亡くなるひと月ほど前のことでしたから、病勢はかなり進行していました。いつも体のあちこちが痛み、足も腹水がたまってむくみ切っている状態でしたから料理をするのも大変だったはずです。それでも、家族のために料理することをやめようとはしませんでした。」
 
亡くなるひと月前であっても、台所に立ち、家族のために料理をする。これはすごいことだ。

と同時に、「奥さん」の一途な感じ、あるいは過剰な感じがして、料理といえども、ちょっと異様だ。

「奥さん」にとって、料理は小説や作曲と同じくらい、物を作ることであり、それによって、世界と自分が繫がれたのではないか、と著者は言う。
 
しかし、こういう通り一遍のことでは、栗本薫/中島梓の、料理の秘密は、よく分からない。
 
ペットの話も面白い。
 
イグアナ、アカアシガメを皮切りに、モリアオガエル、アカセスジカメ、肉食トカゲのナイルモニター、そのほか金魚、鯉、ザリガニまで、ちょっとした動物園状態である。

「私の奥さんはなんにつけても止め処ないところがあります。小説を書けば全百巻を遥かに超えてけっきょく完結することはありませんでしたし、作曲をすればミュージカルの挿入曲なども入れれば数百曲になります。日常生活でもおなじことで、着物も洋服もバッグもアクセサリーも、ともかくいつのまにか膨大な数になってしまいます。」
 
特にアヒルを飼ったときは、大変だった。「奥さん」のために買ったアヒルは、著者を親とみて、どこへ行くにもついてくる。

「今岡アヒルと名づけられたこのアヒルの可愛いことといったらありません。お風呂に水を張って入れてやると、ピヨピヨと鳴きながらまるでおもちゃのアヒルのような姿で泳いでいます。〔中略〕最初はいちおう反対していた私が、もうこのアヒルが可愛くてたまらなくなってしまいました。」
 
何のことはない、著者も、「奥さん」に負けず劣らず、ペット狂いなのである。

「雌だとわかったので今岡アヒルは今岡アヒ子と名前を改められ、近所の碑文谷公園の池でボートに乗った私たちのまわりをアヒ子が泳いでいるということもありました。」
 
普通は、こんな「散歩」はしない。公園の管理者からも、やめてくれと言われている。やっぱり夫婦そろって、過剰なのだ。

「奥さん」の最期の方で、慰めになったペットは、ストライプド・コーン・スネークというヘビだ。

目がクリクリとしたヘビは、たちまち一家の人気者になったという。まあ、目が切れ長になったヘビは、なかなかいないだろうけど。

「苦しくて体も思うように動かすことの出来なくなっていた奥さんは、ヘビ遊びと称してソファにすわってヘビを自分の体の上に這わせて遊んだりしていました。べつにヘビに向かって奥さんが話しかけるでもなく、もちろんヘビも何の愛想をするでもなくただ腕の上を這いまわり、それを奥さんがちょっと持ち上げたり肩の上に持っていったりして、ヘビは嫌がるでもなく逆らうでもなく静かに這いまわっていました。」
 
普通なら、晩年の作家とペットの、心温まる一場面なのだが、作家の上を静かに這いまわるヘビ、と言うのは、だいたいは怖気を震わせるのではないだろうか。
posted by 中嶋 廣 at 17:42Comment(0)日記