生き物、すべて友達――『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』(4)

小松貴は、生き物と交感する不思議な力がある。たとえば、二ホンリスを観察するときは、追ってはダメだという。リスが頻繁にやってくる場所を見定めたうえで、あらかじめそこで待っていればいい。なるほど。
 
小松先生が、かつてオサムシを観察していたときのことであった。

「ふと何か後ろで気配を感じて、何となく振り向いた。そうしたら、私の尻のすぐ後ろに、二ホンリスが座ってこちらをじっと見つめているではないか。
 ……
 私も驚いたがあちら様もかなり驚いたようで、しかしとっさの事態に何をどうしたらいいのか分からなかったらしい。バツの悪いそぶりを見せつつも、リスはゆっくりそこから歩いて離れ、道脇の草むらに消えていった。」
 
この話はたしか前著にも、詳しく出ていた。
 
リスは追うのではなくて、近づいてくるのを待てばいい、という小松先生の話だが、普通はそんなことをしても、一生近づいては来ないって。
 
リスの「バツの悪いそぶりを見せつつも」というところが、何とも言えない。
 
ほかにもアリの写真が、1ページに3枚入っており、1枚はクロオオアリで、九州以北の日本各地で普通に見られるものだ。
 
次の写真も、同じようにアリと見えるものだが、これはアリそっくりなハエトリグモである。
 
3枚目もアリ以外の何ものでもないが、これはアリそっくりなカマキリの幼虫である。
 
こういうのを見ると、もう本当に、ただただ息をのむ。
 
最終章の末尾に、昆虫学者は如何にして「新種」を発見するか、という話が載っている。これは実際のところを知れば、ちょっとため息が出る。

「今までその分類群の中にどんな種が発見されているのかを知るために、その分類群内でこれまで知られている種の記載論文をすべて入手して、読み込む。そうして、この分類群においてはこういう形態的特徴を持った奴だけが知られているのだ、ということを頭に入れておけば、もしどこかで明らかに自分の専門とする分類群の種なのに、その特徴に合致しないような種を見つけた時に『これは新種だな?』と察知できるのである。」
 
これだけでも気が遠くなるが、実はすべてを読むだけではすまない。
 
読んだ上で、実物の「タイプ標本」を見ておく必要があるが、じつはこの「タイプ標本」が、世界中に散らばっているのだ。
 
著者はここでは、アリヅカコオロギの「タイプ標本」を求めて、パリの自然史博物館に通ったときのことを語る。

「もちろん、夕食は明るいうちにその辺のスーパーで買い込んだ粗末なパンのみ。フランス料理など一口だに味わう機会はなかった。
 そして陰鬱な夜が明ければ、私は博物館へとまた向かう。あの、防腐剤の臭気に満ちた部屋の片隅で、コオロギの干物が私を待っているのであった。」
 
とにかく著者は、「タイプ標本」の写真を撮りまくるのだ。

目くるめく昆虫の世界に分け入って、案内していく小松先生は、また人知れず、超人的な努力をする人だったのだ。

(『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』
 小松貴、新潮社、2018年4月25日初刷)
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生き物、すべて友達――『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』(3)

「ダマしたい虫、ダマされたい人 Ⅰ」の章では、「私の行きつけの裏山」で、擬態して越冬中の、ホソミオツネントンボを観察する。これは、広大な枯れ野で見つけることは、困難を極める。枯れ枝に擬態して、まったく動かないからだ。
 
もちろん小松先生は、それを見破る。

「私はトンボをじっくり観察してみた。奴は枝をしっかりと脚で摑んだまま、その場から一歩も動かなかった。一見、生命の覇気が全く感じられず、死んでいるようにも見えた。しかし、こちらが顔を近づけると、トンボはその場から逃げない代わりに体を僅かに斜めに傾けて見せた。敵が寄ってきた時、彼らはこのように相手側から見た時に少しでも自分がトンボの姿に見えないような角度に体を倒すのだ。」
 
実に微細な擬態だが、しかし著者は、そのわずかな間合いを感知する。

「こうして越冬昆虫達を相手に鍛錬し、向上させた『隠蔽解除能力』は、フィールドから『左右対称のもの』『明らかにその場の景色になじまないもの』を見抜くのに抜群の威力を発揮する。それゆえ、私は擬態昆虫の総本山たる熱帯のジャングルなどへ行っても、枝そっくりなナナフシや樹皮そっくりなウンカなど並み居る刺客どもの擬態技を、次々に見破ることが出来るのだ。」
 
こういうことをやるのは、ほかの昆虫学者にはいるのかね。

もし何人か、こういうことに長けた人がいるのであれば、ぜひテレビチャンピオンとして出てほしいものだ、というのは半分は冗談だが、最後に著者はこういうふうに言うのだった。

「私に見破れぬ擬態はない。」
 
とはいうものの、擬態する虫は多くの場合、自分が何に擬態しているか、よくわかってはいないという。

「ダマしたい虫、ダマされたい人 Ⅱ」では、その問題を扱う。
 
擬態は、僕のような素人にはたまらなく面白い。でも、ちょっと待ってよ。

「ここまで私は文章中において、軽々しく擬態擬態と連呼してきた。しかし実のところ、人間の目から見てある生物が何かに似せているように思えても、それが本当に擬態している(つまり自然下でそれを捕食している立場の天敵をちゃんと騙せている)ことを実験的に証明するのはとても難しいのである。」
 
なるほど、言われてみれば、これはコロンブスの卵だ。

素人は、というのは僕のようなのは、擬態と言われれば、なるほど自然は精妙なものだと、簡単にコロリと感動してしまう。
 
しかし、理屈を立てて考えていけば、一筋縄ではいかなくなる。

「巨大ガとして有名なヨナグニサンの前翅の縁には、黄色い部分があり、これがヘビの横顔そっくりだとも言われる。このヘビを見せ付けて、天敵の鳥を追い払うのだという俗説が、しばしば蘊蓄本の類にも書かれている。しかし、この話に関しても誰かが実際に本物の鳥を使い、統計にかけられる程の例数を観察の上検証したことではない。個人的には、これも人間が単に擬態していると思い込みたい故の『作られた擬態』に過ぎないと思う。そうであった方が、物語として面白いからだ。」
 
こうなると素人には、わからないというほかはない。
 
しかしこの擬態については、人間の自然観を変えるほど、面白い問題だと思う。
posted by 中嶋 廣 at 17:45Comment(0)日記

生き物、すべて友達――『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』(2)

小松貴の生き物の本は、僕にはすべて、あっと驚く初見だから、紹介するとすれば、丸まる一冊、引用するほかなくなる。
 
それではしようがないので、ともかくアトランダムにいくつか紹介したい。
 
小松先生には、好きな虫がいて、一つは眼の退化した虫、もう一つは翅(はね)の退化した虫だ。これは理由などなくて、どうしようもなく惹きつけられるという(なんというヘンな趣味!)。
 
眼のない虫、翅の退化した虫、といわれても、普通は何も浮かばないだろう。少なくとも、僕は何にも思い浮かばない。
 
小松貴はここでは、シャクガ科のうち、フユシャクと呼ばれるものを取り上げる。
 
シャクガ科のガは、幼虫が尺取虫として知られ、そのうち一部の種は、寒冷期に限って活動する。それで俗にフユシャクと呼ばれ、日本には30種前後がいる。
 
このフユシャクは、メスに限り翅が退化(!)している。
 
ここには写真が載せられていて、チャバネフユエダシャクのオスとメスが出ている。
 
オスの方は、翅を広げてとまる、いかにも黄色っぽいガであるのに対し、メスの方は、メリハリのある白地に黒のまだら模様、そしてメスには、翅が全くない。
 
このメスは、「まるでミニチュアのホルスタインだ。何も知らない人がこの2匹の昆虫を見たら、間違っても同種の夫婦だなんて思う訳がない。」
 
この辺はぜひ写真を見てほしい。あっと驚くこと、疑いなしである。

言い忘れたが本書には、痒い所に手が届くように、実にふんだんに貴重な写真が入っている。
 
小松先生はまた、昆虫の匂いの点でも、独特の偏った好みがある。

「ゴミムシの仲間は危険を感じると異臭を放って敵を遠ざけるが、アオゴミムシ類は俗に『クレゾール臭』と称される、まるで正露丸のような薬品臭を出す。幼い頃、私はこの特徴的な異臭を放つアオゴミムシ類を好まなかった。しかし、今はむしろこの臭いが嗅ぎたくて仕方なく、しばらく嗅がないでいると禁断症状が現れるまでに至っている。」
 
だいたい僕なんか、昆虫の臭いというものに、はっきりしたイメージを持っていない。そうか、「クレゾール臭」か。なんとなく、臭ってきたぞ。だんだん気持ちが悪くなってきた。                
posted by 中嶋 廣 at 09:43Comment(0)日記

生き物、すべて友達――『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』(1)

これは抜群に面白い本だ。
 
小松貴の本は『裏山の奇人ー野にたゆたう博物学ー』を、2014年に書評したことがある。これもとても面白い本だった。
 
僕はこの年の11月に、脳出血で倒れたので、ひょっとすると〝前世〟における、最後の書評本かもしれない。
 
それはともかく、のっけから人を食った話が出てくる。

「フィールドにおいてカエルは、虫と違って知的な駆け引きが出来る格好の遊び相手となる(虫も虫で面白い観察対象だが)。虫に比べて外見が人に似ていて親しみを持ちやすい、というのもあるかもしれない。」

「虫に比べて外見が人に似ていて」というところ、何とも言えません。著者の頭の中では、こういうふうになっているのだろう。
 
たしかに「あらゆる脊椎動物を骨格標本にした時、骨の通った尾がないのは人を含む高等なサル、鳥類、そしてカエルだけなのだ」、ということらしい。骨格標本にしたとき、人とカエルは近いところにある、らしい。

小松先生の本は、ほとんど聞いたこともないような生き物ばかりが出てくる。たとえば、チビゴミムシの仲間。

「これらは共通して、体色が薄くて赤っぽい、そして複眼が退化して視力を持たないという形態的特徴を持つため、『メクラチビゴミムシ』と呼ばれている。彼らは目が機能しない代わりに、長い触角と数本の細長い体毛を持っており、これで周りの物体の存在を感知しながら暗闇を疾走する。」
 
地下に潜んで、闇の中を疾駆する、とはいえ「メクラ」で「チビ」の「ゴミムシ」。名づけのときに、もう少し何とかならんかったんかい。

「たまたまゴミムシという甲虫の分類群の中に、小型種からなるチビゴミムシというサブ分類群があり、さらにその内訳に眼のないメクラチビゴミムシという仲間がいるというだけの話に過ぎない。」
 
なるほど、よくわかりました。要するに、人と交わって社会生活をする上で、忖度したり遠慮したりするということは、昆虫を相手にしている限りは、必要ないということですね。それはそれで、かえって気持ちのいいことなのかも。

でも日本だけで、400種くらいいるチビゴミムシのうち、眼のないメクラチビゴミムシ類は、おそらく300種以上はいて、しかもその全種が、なんと日本にしかいない。
 
おお、これは国花や国鳥に倣って言えば、まるで日本の「国虫」ではないか、とこれは僕の独断。
 
しかもメクラチビゴミムシは、「1地域・1メクラチビゴミムシ」を原則にしている。

「おそらく、遠い昔には日本の地下水脈はもっと単純な流れで、この流れに沿って今日よりずっと少ない種数のメクラチビゴミムシが広域に住んでいたのだと思う。それが、その後の地殻変動に伴い、地下水脈が重ねて分断され、メクラチビゴミムシともども孤立化していった。」
 
そうして各地域で代替わりし、それぞれの地域で、独自の種へと分かれていったのだ。
 
だからこういうことが言える。

「ウスケメクラチビゴミムシという(他意がないとはいえ、メクラチビゴミの上に、さらに薄毛とは!)種が大分県の東海岸沿いにいるが、これに極めてよく似た近縁種が、豊後水道を挟んだ対岸たる愛媛県の海岸沿いにいる。そのため、かつて九州の北東部と四国の西部が地続きだったということが明瞭に理解できる。」
 
なるほど、そういう推理が成り立つわけか。

そして著者は、結論としてこういうふうに言う。

「地下性生物は、生ける歴史書と呼んでも過言ではなかろう。」

「メクラ」で「チビ」の「ゴミムシ」は、「生ける歴史書」でもあったのだ。ま、参りました。
posted by 中嶋 廣 at 09:44Comment(0)日記

自由の風――『そばですよー立ちそばの世界ー』(3)

「港屋」のそばは開店以来16年間、味もメニューも不変である。
 
もり600円/海苔もり700円/胡麻もり700円/海苔胡麻もり800円/冷たい肉そば870円/温かい鶏そば870円
 
この六種類のみ、すべてつけそばである。

それにしても、立ち食いそばにしてはちょっと高い。これがどんな具合かというと。

「一杯のビジュアルにも、あっと驚く。頼んだ冷たい肉そばは、黒みがちの、見るからにぴんぴんの手強い麺。その上に刻み海苔のエベレストがそびえ立つ。丼いちめん、大量の白ごま、刻みねぎ、薄切りバラ肉の雲海。惜しげのなさを愛でていいのか、呆れていいのか、どっちにしても有無を言わさぬ迫力だ。」
 
それで結局、著者は思いあまってこう呟く。

「ええと、そばってこういう食べ物だったっけ?」
 
まあ、はっきり言って、こういうそばは食いたくない。でも、試しに一度は食してみたくもある。
 
というのは、店主の菊地剛志が、こういうことを言うからだ。

「ものづくりの一番大事なところは、売れる売れない、成功するしないじゃなくて、タマシイの入り方だと思う。ひとりの人間がつくったものにはタマシイの入り方においてかなわない」。
 
だから店主の菊地剛志は、ひとりで厨房に立って、「注文が入るたび、そばをゆで、冷水で締め、丼に盛り、刻み海苔をどかっとのせ、白ごまを振り……店主みずから完全ワンオペレーション。出来上がったそばをのせ、にこやかにトレイをお客に手渡すのも、店主みずから。」
 
ものづくりで一番大事なこと、それは売れるとか、成功するとかじゃなくて、タマシイの入り方じゃないか、という一言には、まったく痺れてしまう、特に本を作っている連中はそうだろう。
 
そしてさらに、追い打ちをかける。

「『そばをつくっているんじゃないと思っています。僕はそば屋ですが、そばを売ってるつもりはない』
 ほう。
『じゃあなにを売っているかというと、文化を売っている。』」

うーん、一度でいいから、「港屋」のそばを食べてみたい。と、こういうふうに思うわけですよ。
 
この本には、全部で25軒の立ち食いそばやが載っており、それぞれの最終ページに、店の外側の写真と、簡単な地図、そしてメニューが料金も合わせて載っている。

「各店末尾の情報ページについては、2018年11月現在のものに改定しています」とあるから、担当編集者は足で歩き尽くしたことだろう。
 
でもそのおかげで、各篇の最後のページで、つくづくメニューを眺めて、しばし舌なめずりしたのであった。

(『そばですよー立ちそばの世界ー』
 平松洋子、本の雑誌社、2018年11月20日初刷)
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自由の風――『そばですよー立ちそばの世界ー』(2)

とはいえ立ち食いそばである。そう波乱にとんだ誌面が、構成できるわけもない。
 
そこで一つは、誰かと連れ立って食べに行く、という手がある。そこで対談までやっている。
 
そのうちの一人が、坪内祐三さんである。題して「坪内祐三さんと早稲田界隈」。
 
こうなると、平松洋子の『そばですよ』の枠をはみ出してしまう。

「坪内祐三さんは一九五八年東京・世田谷生まれ、半ズボンの頃から街歩きに耽溺した筋金入りの東京逍遥者。プロレスや野球観戦、映画館に出かける道すがら、立ちそばの暖簾をくぐった。小銭を数枚渡せば一杯のそばが黙って手渡される。さっぱりとしたやりとり。他人と群れることなく街との関係を培った坪内さんは、少年時代から立ちそばの本質を鋭く嗅ぎ分けていた。」
 
一応、そばにかこつけてはいるが、力点は移って、「坪内祐三の世界」である。
 
で、その頃の「早稲田界隈」はと言えば。

「『僕が通ってた文学部には生協の食堂がなくて、すごくしょぼかった。とんかつが二百五十円で安いんだけど、「まずい」ってことを口にしない俺でも、本当にまずくて。上カツレツっていうのがあるから「これだ」と思って頼むと、そのまずいとんかつが二枚のっかってた(笑)』」。
 
こうなると坪内さんの独壇場である。

僕はもう、坪内さんは読まないことにしていたのだが、こうなると、激しい禁断症状が起きてくる。だいたい、なぜ読まないことにしたかが分からない。

というわけで、さっそく「昼夜日記」を注文する。

『そばですよ』は「本の雑誌」に掲載されたものだが(そして今も掲載されているが)、単行本にするとき、掲載順に収録したわけではない。
 
どうしてそうしたかというと、この本には中心がある。虎ノ門の「港屋」の章がそれだ。
 
その中心を、真ん中よりも少し後ろにずらし、本としていい具合に持ってくるために、そういうふうにしてある、と僕は思う。
 
その虎ノ門「港屋」は、

「立ちそばのニューウェーブの源流。
〝港屋インスパイア系〟を生んだ革新的存在。」

だそうである。
 
うーん、どういうもんかね、これは。

「看板がない。探さなければ店の名前もわからない。店内はやたら黒っぽく、間接照明のライトは灯っていてもうす暗く、だからそばもよく見えません昼間でも。カウンターはでっかい黒大理石の直方体で、お客は四辺を取り囲むかっこうで立つ。大理石の平面のセンターは水をゆらゆら湛えた水盤、洒落た花が活けてある。BGMはジャズだったか、クラシックのピアノ曲だったか。」
 
こういう店、本当に嫌ですね。立ち食いそばは、もっと自由に食べられなければ。
 
そこは実は、平松洋子さんも同意する。

「どうしたって西麻布あたりのバーなんか思い出すわけだが、いや、いまそれはぜんぜん求めていないんですけど。そばが食べたいだけなんですけど。」
 
最初は、こういうふうになっていたはずなのに、途中で恐るべき逆転が起こる。
posted by 中嶋 廣 at 08:51Comment(0)日記

自由の風――『そばですよー立ちそばの世界ー』(1)

ご存じ、平松洋子の世界。今度は「立ち食いそば」である。

それを「立ちそば」と名付けたところが、まず秀逸である。立ち食いそばに、敬意を表してあることが分かる。
 
これを読んでいくと、僕はもうつくづく、立ち食いそばには、入れないと思う。半身不随のまま、立ち食いそばを食することは、女房がいれば、なんとかできるかもしれない。でもそれは、ふらっと入って、「天玉一丁!」と注文し、十分ほどで食べて店を出る、というのとは違う。
 
大げさに言えば、そこには自由の風に似たものが吹いていた。

でもそれはなくなった。ほんとうにもう、「一身にして二生を経る」だなあ。
 
その頃僕は週に1回、午後6時半から8時まで、東大の情報学環で、出版のあれこれを教えていた。もちろんトランスビューの仕事は、通常通りにこなしながら。
 
6時前に本業を終え、東大へ向かう途中、本郷三丁目の駅を出たばかりのところで、立ち食いそばを、よく食べた。
 
考えてみれば、あの隙間の時間に、他に何を食べられたろう。
 
そのとき立ちそばは、小腹を満たしただけでなく、本業ともう一つの仕事をつなぐ役目も、してくれたのだ。僕はそのとき、何というか、小さな自由も味わっていたのだ。
 
平松洋子の取り上げる立ちそばは、チェーン店ではなく、個人や一家でやっている独立系の店である。富士そばや小諸そば、ゆで太郎は取り上げない。インディペンデント系でないと、一店ずつ違うそばの特徴が、摑みにくいということだ(でも僕は、チェーン店のそばも好きだけどね)。
 
著者の文章は、例によって躍動している。たとえば、本郷三丁目の「はるな」の場合。

「さあ、そばですよ。お膳を持って細長いカウンターに席を取る。ふんわり、だしのいい香り。丼を持ち上げ、まず熱い汁をちゅっと啜ると上品なつゆが喉をつたい、はあぁ~とおいしい息が洩れた。角がきりりと立った柳腰の細いそば。きれいなそばだなあ。間を置いてのせたかき揚げからじわ~んとうまみが汁に浸み出て、こくが深まってゆく。」
 
思わず舌なめずりする。
 
この本には、中ほどに2箇所、8頁ずつのカラー写真が入っている。客が並ぶ店の外とか、中で店の人がそばを用意するところとか、てんぷらとか、いなりとか。それは、湯気が立つような、絶妙のカラー写真だ。まるで、本の中から匂ってくるような。
posted by 中嶋 廣 at 15:52Comment(0)日記

労作をジャンピングボードにできるか――『日蓮主義とはなんだったのかー近代日本の思想水脈ー』

これは大変な労作である。本文600ページ、註160ページ。読み始めは、少し硬くてちょっと苦労するが、すぐに夢中になる。
 
実はこの著者、大谷栄一さんは、およそ20年前に、処女作を法蔵館の、東京事務所で出している。
 
題名は『近代日本の日蓮主義運動』(2001年)、直接の担当者は林美江さん、私は所長として最初の原稿と、最後の責了紙を読んだ。
 
今度の本のあとがきにも、林美江さんと私に、最初の本のことで礼が述べてある。これはあまり例がない。
 
最初の本では、明治中期の1880年代から、昭和初期の1920年代までを扱い、田中智学と本多日生を中心として、その思想と運動の全体を描いたものだった。
 
処女作は端的に言って、面白かった。日蓮主義というのが、中世の日蓮の主張を巡るものではなく、近代に成立したものであり、これは田中智学が、大きく関わっていることを解き明かしていた。
 
そもそも日蓮主義が、なぜ近代に、まるで噴火のごとく、いろいろな人を巻き込み、新たな運動を起こしていったのかが、初めて分かったような気がした。
 
そして19年経って、今度の本である。
 
今度は敗戦後まで、扱う範囲が広がっている。田中智学、本多日生に加えて、石原莞爾や妹尾義郎、宮沢賢治を中心に、多数の人物が入り混じって、日本近代史の一側面が、骨太に描き出されている。
 
それはそうなのだが、しかし戦後まで来ると、「日蓮主義」というものに、ある決着をつけなくてはいけない。私はそう思う。
 
著者の大谷栄一さんの、最後の一段はこういうものだ。

「田中智学の国立戒壇論は、現代にも伏流水のように存在しているのである。日蓮主義が戦前のような幅広い影響力をもつ日はふたたびくるのだろうか。」
 
これでは、きつい言い方をすれば、著者は距離をおいたところから、ただ見ているだけだ。
 
私は、妹尾義郎が戦後、近代的な日蓮主義の政党を作ろうとして、夢破れたところで、日蓮主義のある終焉が来ていたと思う。
 
もう一度、日蓮主義が、突然噴火のようなことを起こしても、たぶんそれはそれで、消し止めねばならないと思うのだ。
 
それよりも大谷栄一さんには、とりあえず終わった日蓮主義をスプリングボードに、新しい日本近代史を構想してもらいたいのだ。

(『日蓮主義とはなんだったのかー近代日本の思想水脈ー』
 大谷栄一、講談社、2019年8月20日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:12Comment(0)日記

最後に残る素朴な疑問――『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(3)

ブレディみかこはこの本で、息子の中学を舞台に、様々な問題を取り上げ、「地べたから」出発して、現代の大きな問題、イギリス全体やEUにかかわる問題、また日本に帰ったときは、日本の問題を、やはり「地べたから」論じている。
 
その筆致は躍動し、スケールの大きさは、読んでいるときは、テンポの速さもあって、心躍る鮮やかさだ。そして、そうでありながら、その文体は、襞の奥まで手触りがあり、しかも緻密だ。
 
息子が、白人労働者の子どもたちの中で、育っていく姿は、それを距離をおいて、見つめている著者の、ときに心の震えまでも感じられる(まるで日本の最良の私小説のようだ)。
 
しかしそうであれば、一点、どうにもよく分からないところがある。

「ユニフォーム・ブギ」と題する第7章で、著者はボランティアとして、制服のリサイクルを行なう女性教員と保護者たちを、手伝うことになる。
 
これは中古の制服を、保護者たちから集め、日本円でいえば、50円とか100円で販売するもので、その際にほつれていたり、破れていたりすれば、それを繕う人を募集していた。
 
そういうことを実地にやってみると、実際にこれは今のイギリスのことだろうか、という事態に直面してしまうのだ。
 
生徒たちからは親しみを込めて、「ミセス・パープル」というあだ名で呼ばれている教員が語る。

「まったく、もう30年以上、中学の教員の仕事をしているけど、サッチャーの時代でもこんなにひどくはなかった」。
 
ミセス・パープルは、ブルネットの髪の一部に、紫のメッシュを入れているから、こう呼ばれる。

「制服を買えない生徒たちが大勢いるのよ。……ちょうど5,6年前になる。大きなサイズの制服が買えなかったり、制服が一着しかないから洗濯して乾いてなくても着て来なきゃいけない子たちが出てきて、いったいいつの時代の学校なんだと思った」。
 
これはどういうことだろう。

「でも本当は制服だけじゃ足りない。女性の教員の中には生理用品を大量に買って女生徒に配っている人もいる。私服を持ってないから私服参加の学校行事に必ず休む子もいて、スーパーでシャツとジーンズを買ってあげたこともあった」。
 
これ、教師のやることじゃないでしょう。
 
以前の労働党政権は、子どもの貧困をなくすべく、着実に手を打っていた。ところが、2010年に政権を奪回した保守党政権が、大規模な緊縮財政を敷くようになって以来、その影響がもろに貧しい層に現われた。

「2016~17年度では、平均収入の60%以下の所得の家庭で暮らす子どもの数が410万人に増えていた。これは英国の子どもの総人口の約3分の1になる。」
 
子どもの3人に1人は、貧困家庭……。これ、おかしいでしょう。
 
こんなことをしていて、なぜ保守党政権がずっと多数を取れるのか。

「昨日の夕食は食パン一枚だったって話している子の言葉を聞いちゃったらどうする? 朝から腹痛を訴えている子のお腹がぐうぐう鳴っていたらどうする? 昼食を買うお金がなくて、ランチタイムになったらひとりで校庭の隅に座っている子の存在に気づいたらどうする? 公営住宅地の中学に勤める教員たちは、週に最低でも10ポンドはそういう子たちに何か食べさせるために使っていると思う。」
 
教員は、政治運動をやらないのかね。
 
僕がブレディみかこの本を読んで、いつも疑問に思うのは、緊縮財政をそれほど目のかたきにするなら、そしてそれが、誰の目にも明らかであるなら、どうして保守党から労働党に、政権が移らないのか、ということだ。
 
大方この10年は、中流・上流階級が、多数を占めてきたからなのか(そんな馬鹿な)。子どもの貧困は、それが多ければ多いほど、最も争点になるはずだし、またそうしなければならない。

「バス代がなくて学校に来られなくなった遠方の子のために定期代を払った教員の話、素行不良の生徒を家庭訪問した教員がその家に全く食べ物がなかったことに気づいてスーパーで家族全員のための食料を買った話、ソファで寝ている生徒のために教員たちがカンパし合ってマットレスを買った話。」
 
もちろん現場では、常に待ったなしで、解決しなければいけないことだ。
 
でもそれだけでは、永遠に堂々巡りでしょう。民主主義の教科書・イギリスではこういうときは、どうするのかね。選挙はやらないのか。
 
それとも、保守党を支持しなければいけない、子ども以上の、もっと大事なことがあるのか。
 
ブレディみかこの本は、これまでは身に染みることが多かった。そうであればよけいに、その政治体制に関する記述は、一面の真実を、書いていないのではないか、と思わざるを得ない。僕のような、ヨーロッパの政治に疎い人間には、そんな気がしてならない。

(『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』
 ブレディみかこ、新潮社、2019年6月20日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 19:25Comment(0)日記

最後に残る素朴な疑問――『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(2)

著者の子どもは、地元でナンバー1のカトリックの公立中学へは行かず、「元底辺中学」と著者が呼ぶところの公立中学へ行った。
 
これは著者が、その学校を気に入ってしまったことも大きい。息子と学校を見学に行ったとき、大変感じがよかったのだ。

「先生たちも、カトリック校と違ってフレンドリーで熱意が感じられた」
 
著者にとっては、そういう生の意見が大事なのだ。元底辺校は学力の点でも、真ん中あたりまで上昇していた。

「何よりも、楽しそうでいい。だから子どもたちも学校の外で悪さをしなくなったんだろうね。学校の中で自分が楽しいと思うことをやれるから」
 
イギリスの田舎町には今、「多様性格差」と呼ぶべき状況が生まれている。
 
近年、移民の生徒の割合は、上昇の一途をたどっており、その移民が、白人の労働者階級の学校へは、子どもを通わせなくなっている。白人労働者の学校は、レイシズムがひどくて荒れているという噂が、一般的になってきたのだ。そういう話は、育児サイトの掲示板に行けば、簡単に情報が得られる。

「人種の多様性があるのは優秀でリッチな学校、という奇妙な構図ができあがってしまっていて、元底辺中学校のようなところは見渡す限り白人英国人だらけだ。」
 
そういうところへ、「イエローでホワイト」の息子が、行くことになったのだから、ちょっとドキドキする。
 
しかしそれにしても、イギリスは階級社会だなあ。
 
元底辺中学の大講堂で、クリスマス・コンサートが開催されたときのこと。
 
ジェイソン・ステイサム(というアクションスター)に似た、全身が細長く、眉毛のない、爬虫類に似たコワモテの少年が、ステージに上がった。
 
楽器も持ってなくて、何をやるんだろうと思っていたら、ラップで、自分の書いたクリスマス・ソングをやるという。

「父ちゃん、団地の前で倒れてる/母ちゃん、泥酔でがなってる/姉ちゃん、インスタにアクセスできずに暴れてる/婆ちゃん、流しに差し歯を落として棒立ち

 七面鳥がオーブンの中で焦げてる/俺は野菜を刻み続ける/父ちゃん、金を使い果たして/母ちゃん、2・99ポンドのワインで潰れて/姉ちゃん、リベンジポルノを流出されて/婆ちゃん、差し歯なしのクリスマスを迎えて/どうやって七面鳥を食べればいいんだいってさめざめ泣いてる/俺は黙って野菜を刻み続ける」
 
これはなかなかのもんだ、と著者は思い、そして周りを見渡してみれば、保護者たちは、おかしそうに笑っている人と、すごく嫌そうにしている人に、完全に二分されていた。
 
ラップはまだ続く。

「姉ちゃん、新しい男を連れてきて/母ちゃん、七面鳥が小さすぎるって/婆ちゃん、あたしゃ歯がないから食べれないって/父ちゃん、ついに死んだんじゃねえかって/団地の下まで見に行ったら/犬糞を枕代わりにラリって寝てた」
 
中学校のクリスマス・コンサートでやるラップとしては、非常にハードで、エグくて、僕が活字で読んでも、ちょっと感動的だ。
 
ダークすぎるクリスマス・ソングの、ラップの終わりに来て、テンポが急にスローになる。眉毛のないコワモテのあんちゃんが、詩を朗読するようにゆっくりと言った。

「だが違う。来年はきっと違う。姉ちゃん、母ちゃん、婆ちゃん、父ちゃん、俺、友よ、すべての友よ。来年は違う。別の年になる。万国の万引きたちよ、団結せよ」
 
これを聞いた著者は、鳥肌が立った。

「万国の万引きたちよ、団結せよ」というのは、伝説のバンド、ザ・スミスの有名な曲だという。

もちろん僕は、そんなことは全く知らないけれど、でも著者の感動は十分に伝わる。

「何よりも強く記憶に残っているのは、講堂の両端や後部に立っていた教員たちの姿だ。校長も、副校長も、生徒指導担当も、数学の教員も、体育の教員も、全員が『うちの生徒、やるでしょ』と言いたげな誇らしい顔をしてジェイソンに拍手を贈っていたのである。」
 
ブレディみかこが、息子の後ろで手を引いて、この学校を選んだわけが、分かるというものだ。
 
しかしそれでも、半分の保護者は、しかめっ面をしていたのだった。
posted by 中嶋 廣 at 16:22Comment(0)日記