最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(6)

「翻訳が原文と少しくらい違っていてもかまわないんじゃないか」という考えは、小説の文章については、さらに先まで行く。

「村上 小説に関しては、とにかく何か文句をつけられたら、その文句をつけられた部分はなんらかのかたちで書き直してやろうと、最初から決めています。どんな文章にも必ず改良の余地はあるというのが、僕の基本的な考え方ですから。」
 
これは恐ろしい話だ。
 
僕は現役の編集者のころ、鉛筆で疑問を描きこむときに、「考え直してください」という強い疑問と、「一応念のために、ここはこういう考え方もあります」という弱い疑問の、2種類を用意していた。
 
著者もプライドがあるから、疑問を出したところを、全部考え直すというのでは、面白くないだろうと思ったのだ。
 
もちろんそれは著者によって違う。たとえば養老孟司先生であれば、ほとんど完璧に近い原稿が入るので、疑問出しは強いのだけで構わない。

しかしそういう著者は少ない。たいていは弱い疑問も必要だった。
 
村上春樹と仕事をするときには事前に、よほど綿密な打ち合わせが必要だと思う。
 
さらにここでは訳文を決める、柴田元幸とのセッションについて話している。

「村上 柴田さんとやっていていつも思うんだけど、どのへんまで指摘するかという選択も難しいですよね。やりだすときりないだろうし。
柴田 そうですね。それ以上に、訳文の声が定まっていないと、どう直したらいいのかわからない。どういう間違いかはわかっても、それをどういう日本語に直したらいいかという方向性が決まらない。トーンがないから、そういう場合はやっていてつらいですね。」
 
だから同じ人といくつも翻訳するのは、村上春樹とだけである。
 
柴田はここで、大事なのはトーンが確立されていることだと言う。

たしかに自分の編集仕事を考えても、下手な翻訳で頭に入って来ないのは、トーンに問題があったのか、と分かる。まあたしかにその時それが分かっても、簡単に訳者を変えるわけにもいかず、たいていの場合、どうしようもなかったのだが。
 
ここではもう一つ、柴田元幸が、村上春樹の大事な特性について語っている。

「柴田 セッション〔=共同の翻訳作業〕が速く進むのは、やっぱり村上さんが、直されていちいち傷つかないから、自己愛回復のための余計な時間が要らないおかげですね。」
 
そうか、村上春樹は直されても傷つかないのか。

しかしそうすると、僕の先の例でいうと、強い疑問に限って提出しなければならず、これはこれで真剣勝負だ。ああ、そういうの、村上春樹と、あるいはそのランクの著者と、やってみたいものだ。
 
実際の2人の現場については、村上春樹が語っている。

「村上 僕と柴田さんの作業はだいたい朝の十時とか十一時から始めて、夕方までずーっとぶっ続けでやってます。十時間くらいやっていたこともありました。〔中略〕やっぱりじっくり時間をかけて、実際に顔をつき合わせてやらないと、お互いの細かなニュアンスが伝わらないです。僕が『でも、ここはこうじゃないんですか』と言うと、『いや、これはこうですから』と柴田さんが説明して、そういうやりとりがあって、そこで『なるほど』と話が決まっていく場合が多いですからね。」
 
これが村上春樹と柴田元幸の、翻訳原稿を作っていく過程なのだ。
 
次はカーヴァーについて。

「村上 カーヴァーは、僕にとってはある部分、小説の師みたいなものです。彼の六十三作か六十四作の短篇を僕はぜんぶ訳しちゃったわけだけど、ああいうシンプルでぶった切ったような文章で、しかもあれだけの確固として豊かな文学世界を築き上げていけるというのは、ほとんど信じがたいことです。」
 
カーヴァーの世界は、確かに確固たるものだけれど、村上春樹の言うように「豊かな文学世界を築き上げていける」というのは、僕はちょっと首をかしげる。
 
前にも書いたが、村上春樹はカーヴァーの、「足もとに流れる深い川」を最初に読んで、これは本当にすごいと思った。

「まるで野原の真ん中で雷に打たれたような感じでしたね。〔中略〕文章は短く、どちらかといえばぶっきらぼうなんだけど、それでいて読むものの心のひだにぐいぐい食い込んでくる。文章はリアリスティックなんだけど、それと同時に物語の運びにはシュールレアルな印象もある。」
 
カーヴァーの文章は、その通りだと思うけど、だからと言って、「まるで野原の真ん中で雷に打たれたような感じ」とは思わないのだ。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(5)

ノルウェーのオスロの空港の本屋でその本を買って、飛行機に乗って読み始めたら、あまりの面白さに止まらなくなった。そう村上春樹は言う。

Novel 11,book 18 (『ノヴェル・イレブン、ブック・エイティーン』)は、ノルウェーを代表する作家、ダーグ・ソールスターの11冊目の小説で、18冊目の著書という意味である。

「ソールスターという作家の面白さは、スタイルが古いとか新しいとか、前衛か後衛か、そういう価値基準を越えて(というかそんなものをあっさり取っ払って)作品が成立しているところだと思う。とても痛快で、そしてとてもミステリアスだ。こんな小説を書ける人は世界中探しても、あまりいない。」
 
村上春樹にとっては「超発見もの」の小説で、「こういう作品にめぐり合うと、生きていてよかったとまでは言わないにしても、本当にうれしくなってしまう。」
 
こうまで言われて、読まずに素通りできる人はいないだろう。本のタイトルも、人を食っている。
 
以上で「翻訳作品クロニクル 一九八一―二〇一七」を終え、柴田元幸との対談、「翻訳について語るときに僕たちの語ること」〈前編〉に移る。

「村上 高校時代は、英文和訳のいろんな参考書を買ってきて、そればっかりやっていましたね。受験英語みたいなことはそっちのけで。だから学校の英語の成績はあまりよくなかった。とにかく英文和訳が好きで、そればっかりやってたから。」
 
万人が認める小説家の才能を掘り進んでいくと、村上春樹はその底に、翻訳家の古層が現われてくる。

「村上 高校生のときにやったので覚えているのは、モームの『密林の足跡』だったかな。南雲堂なんかが出しているテキストを買ってきて、一生懸命訳しました。だれに頼まれたわけでもなくね。楽しかったな。」
 
高校時代なんて、およそ面白くない時代に、英語の勉強とは別に、かってに翻訳をやって楽しむ。『風の歌を聴け』で群像新人文学賞をとっていなくとも、村上春樹は翻訳家として名を成していたに違いない。
 
この対談は、初めて翻訳をやるところから始まって、丁寧に順を追って回想しているが、ここでも重要なことを、絞り込んで書いておく。
 
初めに誤訳のチェックについて。

「村上 とにかく翻訳というのはもともとが『誤訳の温床』みたいなものだから、クロスチェックというのはものすごく大事ですよね。誰だって間違いをおかすし、誰にも盲点みたいなものがあります。
柴田 じつはすべての翻訳でそれをやるべきなんですよね。翻訳者Aがやったものを翻訳者Bがチェックして、ここはこうじゃないですか、と指摘するということを。」
 
しかしこれでは、たぶん商売にはならない。
 
村上春樹は、でき上った原稿を柴田元幸に見せて、そこでチェックして合議する、という方式を作りあげた。
 
そもそも小説と翻訳仕事は、1人のなかでどういうふうになっているのか。

「村上 翻訳は、小説を書くときとは、脳みその違う部位を使っているんですよね。小説を書くときはこっちのほうを主に使って、翻訳やるときはこっちのほうを主に使う、と言う感じ。だから、かわりばんこにやっていると、頭脳のバランスがよくなって、すごくいいですね。」
 
そういうことらしい。
 
昔、高校時代に教室で、南部先生という漢文の教師が、勉強のコツを教えてくれたことがある。「数学を2時間やったら、頭が疲れるので、その場合、全然関係のない漢文を2時間やりなさい。それでまた2時間やって疲れたら、物理をやりなさい。そしてまた……、そういうふうにすれば、1日中勉強しても疲れないわけだね。」
 
僕たちはみんな空想物語として聞いていたが、村上春樹はそれを実践したのだ。
 
作家が翻訳者だということで、テキストに対しては、微妙な位置取りをする、という問題がある。

「村上 僕は自分が小説家だからわかるんだけど、小説家は決して完璧じゃないんですよね、どう考えたって。だから、そこにある文章は、完璧な不動のテキストというわけではない、というのが僕の考え方です。だとしたら必要に応じて、ぜんたいのバランスを崩さない程度に、翻訳が原文と少しくらい違っていてもかまわないんじゃないかという考えは、心の隅の方にあります。」
 
けっこうきわどいことを言ってますね。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(4)

村上春樹はスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を、高校時代から何度も読んでいた。それでどのように訳すか、というイメージは大体できていた。
 
恐ろしい高校生がいるものだ。
 
しかし翻訳の技術と英語の知識が不足しており、50代半ば過ぎまで手を出すことはなかった。

「いったん取りかかってみると、フィッツジェラルドの書く精緻な文章は、本当に難物だった。文章が渦を巻くというか、あちこちでくるくると美しく複雑な図形を描き、最後に華麗な尾を引く。その尾の引き方を訳すのはすごく難しいんです。でもそのくねり感覚とリズム感覚さえいったんつかんでしまうと、コツみたいなのが見えてくる。」
 
それは全ての苦労が、そのまま楽しい作業になった。
 
それにしても「華麗な尾の引き方」と「くねり感覚とリズム感覚」、翻訳の究極の秘密であろうか。もちろん僕には、まったく分からない。
 
大学時代、角川文庫の『華麗なるギャツビー』を読んだことがある。でも全然覚えていない。あるいは読み始めたけれど、途中で投げ出したのか。よほどのことがない限り、そんなことはしないはずだが。

『グレート・ギャツビー』は、村上春樹の芯を作ったというのだから、とにかく読もう。

レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』は、『長いお別れ』という題で、清水俊二の訳で読んだ。これは評判とは逆で、あまり面白くなかった。
 
チャンドラーの他のものも大体読んだが、面白いというところまでは行かず、何というかヌケが悪かった。僕はかってに翻訳のせいにしていた。
 
村上春樹にとって、チャンドラーはこんな位置を占める。

「僕は作家として、チャンドラーの文章からたくさんのことを学んできたから、彼の文章を訳していると、なつかしい場所に帰ってきたみたいで、それがすごく嬉しかった。」
 
村上春樹の文体の原点は、チャンドラーなのだ。

「僕が、チャンドラーの文体をモデルみたいにして、その語法をいわゆる純文学的な世界に持ち込むということをしたのは、『羊をめぐる冒険』が最初だった。あの小説は、主人公が何かを探しにいくという、ハードボイルド・ミステリーの基本的なストラクチャーを採用している。」
 
そこから『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の幻想的な世界へ進み、『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』『海辺のカフカ』と、言うなれば自分自身の世界に踏み込んでいった。

「そういう意味では、チャンドラーの文体は僕の原点でもある。そういう小説を自分の手で翻訳できるというのは、実に小説家(翻訳家)冥利につきるというか。あまりに楽しいので訳者あとがきを百枚も書いたら、本が分厚くなって定価が高くなると文句を言われてしまった。」
 
その「あとがき」を読むためにも、村上訳の『ロング・グッドバイ』を読まなければ。
 
トルーマン・カポーティは、『冷血』が大して面白くなかったので、それ以来読んだことはない。

『ティファニーで朝食を』は、村上さんが「個人的にとても好きな作品」だという。

「実際に取りかかってみると、この小説を翻訳するのは本当に楽しかった。とてもすんなりとその小説世界に入っていくことができた。至福、と言っていいかもしれない。」

『ティファニーで朝食を』は映画化されて大ヒットし、挿入曲の「ムーンリバー」も、誰もが口ずさんだ歌だ。僕は中学生のとき、アンディ・ウィリアムスのレコードで歌を覚えた。
 
しかし映画と小説はずいぶん内容が違う、と村上春樹は言う。

「できれば、映画のイメージからは離れたところでこの小説を味わっていただきたいのだが、今となってはそれは難しいことかもしれない。」
 
そういうことなのか。
 
映画の『ティファニーで朝食を』は、オードリー・ヘップバーンの可愛らしさに頼るばかりで、はっきり言って面白くない。主題曲だけの映画だ。それとは大きく違っているなら、読んでみる価値はある。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(3)

村上春樹は、カーヴァーの作品を全部訳しているのだから、機会に応じて何度も取り上げることになる。

『頼むから静かにしてくれ』(短篇集)に付されたコメント。

「カーヴァーの小説が面白いのは、どう進んでいくかわからないところ。何かとてつもないことが起きて、とんでもないものが現われ出てきたりする。その動きの中でひとつひとつの言葉が生命を持っていく。あのストーリーや言葉の動かし方は、〔中略〕本当に自然で、自発的で、わくわくさせられる。何か他のものに似ているということがない。」
 
ただただ絶賛である。
 
でも、と僕は思う。僕がカーヴァーを読んだとき、目の前に現れるカーヴァーと、村上春樹のカーヴァーには、距離がある。カーヴァーに惚れ込むということは、そういうことなのだろう。あるいは単に、僕の読みが浅いのかもしれない。
 
しかしそれにしても、「何かとてつもないことが起きて、とんでもないものが現われ出てきたりする」というのとは、違うような気がする。そういうものが現われてくるときの、現われ方についてはそうだとしても。
 
カーヴァーの『ファイアズ(炎)』(短篇、詩、エッセイ)のところでは、一人称の問題を論じる。「『俺』『僕』『私』の選び方は、とても難しい」ということだ。
 
ここではまた、カーヴァーの自宅を訪ねたときのことを書いている。

「カーヴァーの家に行って、カーヴァーの机の前に座って、いっしょにお茶を飲んだという記憶が残っている。そういうのはカーヴァー作品を訳すうえで大事なことだったかもしれない。」

「かもしれない」どころではない。それは作者と、書かれる対象との距離を測るうえで、訳者が経験しておくべき決定的なことではないか、僕はそう思う(もちろん、それがかなわないことも多いけれど)。
 
トルーマン・カポーティの『誕生日の子どもたち』(短編集)は、少年少女の無垢な世界を描いた、「イノセント・ストーリーズ」を一冊にまとめたもの。
 
ここで村上春樹は、自分の小説の文体と、翻訳の文体について、大事なことを語っている。

「高校生のときに初めてこの作品〔=「無頭の鷹」〕を読んで、こんなすばらしい文章が世の中にあるのかと思った。でも小説家である僕が、こういう文章を使って小説を書くかというと、それはない。読んで好きな文章と、自分で書く文章というのはまた違うものだ。フィッツジェラルドについても同じことは言える。」
 
作家がどこまで自分のオリジナリティーを大事にするか、という問題なのだろう。村上春樹は、そこをしっかり自覚しているから、カポーティやフィッツジェラルドを訳しても、その文体に左右されないと言っているのだ。

『バースデイ・ストーリーズ』は、誕生日をテーマにした短篇小説を、いろんなところから集めてきて、最後に自分の短篇小説を、書き下ろしで入れたもの、つまりオリジナル・セレクションのアンソロジーというわけである。
 
これについては微笑ましい話がある。

「ちなみに『バースデイ・ガール』〔=村上さんの書き下ろしの一篇〕は日本の教科書にも入っている。以前、高校生の姪が『おじさんの書いた小説、学校で読まされたよ』と言っていた。」
 
微笑ましい話、というのは僕の感想です。

次の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、野崎孝の『ライ麦畑でつかまえて』というタイトルで、高校生のときに読んだ。
 
面白かったけれど、僕は超のつくほど真面目な高校生だったから、「ホールデン・コールフィールド」の方に身を寄せてはいけない、それは大学に入ってからでいいと、およそ小説読みの風上にも置けない、凡庸な読み方をしていた。
 
今度、新訳にあたって、村上春樹が次のような読み方をしていたので、仰天した。

「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、ジョン・レノンを殺害した犯人が主人公のホールデン・コールフィールドにのめり込んでいたといわれるように、その刷り込まれ方が無意識の領域まで達してしまうような、危険性を含んだ物語でもある。」
 
一晩か二晩の話だということは、記憶にあったが、そういう恐ろしい話だとは、全然気づかなかった。

「小説としての強い説得力、その魔術的なまでの巧妙な語り口は、人の心を暗がりに誘い込むような陥穽とまさに表裏をなしている。」
 
こりゃあ絶対読み返さなきゃ。
 
ところで村上春樹は、何のために新訳をしたのか。

「野崎さんの訳はあらためて読み直してみて、とても正確な優れた訳だった。ただ翻訳の文体というのは、年月がたつとどうしても古びていくものだ。これくらいの名作には、いくつかの翻訳の選択肢があった方が良いと思う。」
 
そういうことである。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(2)

最初に「翻訳作品クロニクル 一九八一―二〇一七」から、目についたものを挙げる。
 
初めてフイッツジェラルド作品を訳したものが、中央公論の雑誌『海』に出た後、安原顕に催促されて、レイモンド・カーヴァーはどうかと言った。

「きっかけは、あるアンソロジーで『足もとに流れる深い川』というカーヴァーの短篇に出会って感銘を受けたことだった。」
 
そうか、これが最初だったのか。

これは『愛について語るときに我々の語ること』に入っている。初出とその後が、あまりに変わっているので、村上春樹も「解題」で、かなりとまどった書き方をしていた。

これは最後の場面で、妻が夫を拒絶して体も触らせない、という初出がよいと思うが、日本語のカーヴァー全集では、妻が夫に身を任せるという、最終形式をとっている。

「カーヴァーの書く文章自体は、英語として決して難しいものではない。でもそれを日本語に訳していくのはなかなか骨が折れる。流れの勢いみたいなものが必要になってくる。だからかえって、僕には向いていたかもしれない。」
 
このあたりは、やはり僕には分からない。カーヴァーと村上春樹の、言葉を介さない、いや言葉だけを介する、通底音があるのだろう。

『熊を放つ』は、村上春樹が最初に読んだアーヴィングの小説で、じつはアーヴィングの処女作である。その後は『ガープの世界』や『ホテル・ニューハンプシャー』など、出す本はみなベストセラーになった。ベストセラーになったものは、村上さんはやりたくない。
 
ここのコメントは、最後のところが面白い。

「その後、ニューヨークに行ったときに、インタビューをしたいとアーヴィングに申し入れたら、セントラルパークでジョギングをするから、そのときにしようと言われた。いっしょに走っているときに、‟Horse shit! Horse shit!(馬糞に気をつけて!)″と彼が叫んでいたことしか覚えてなくて、インタビューでどんなことを話したか今となってはほとんど記憶にない。親切な人でした。」

『ガープの世界』の作家が、走りながら「馬糞に気をつけて!」と言う。
 
村上春樹は、そのことしか覚えていないと言うが、さもありなん。しかし走りながらインタビューするのは、無理ではないかな。
 
次は『偉大なるデスリフ』。これはC.D.B.ブライアンがフィッツジェラルドと『グレート・ギャツビー』に捧げたオマージュで、その意味で、ぜひとも訳してみたかった。

「一般的評価とはべつに、個人的にどうしても好きな小説ってある。だれがなんと言おうと好きなものは好きだというものを訳すのは、やはりすごく楽しい。それこそ翻訳の醍醐味と言っていいかもしれない。」
 
こうまで言われては、読まないわけにはいかない。
 
村上春樹のコメントは、どれもみな紹介したい。出版社からの依頼ではなく、村上さん自身が惚れ込んで翻訳しているのだから、当たり前だ。

でもそうすると、全部を紹介することになり大変である。ここからは、本当に最小限のところをピックアップして紹介しよう。
 
ティム・オブライエンは、村上春樹が発見した作家だ。だから『ニュークリア・エイジ』は、少しでも多くの人に読んでほしい、という願いで、情熱を込めて翻訳した。
 
しかし内容的に言えば、そうとう荒っぽい小説で、「瀬戸物屋の中で牛が暴れているみたい」だ、と村上春樹は言う。

「ティム・オブライエンというのは、何よりもまず自分の心を直視しようとする作家です。〔中略〕物語を武器として、まっすぐものごとの核心に切り込んでいく。そのまっすぐさがすごく好きだった。彼の姿勢がまっすぐであればあるほど、物語が不思議なよれ方をしていくんです。そこが小説として面白い。」
 
ティム・オブライエンはベトナム戦争に従軍しているが、従来の戦争小説とは、まったく違うアプローチをしているのだという。

「瀬戸物屋の中で牛が暴れているみたい」、「従来の戦争小説とはまったく違うアプローチ」、こうまで言われては読まざるを得ない。

最良の読書案内――『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』(村上春樹)(1)

村上春樹の翻訳した、レイモンド・カーヴァーの本を2冊読んで、堪能するほど面白かったのだが、考えてみると、村上さんの小説の世界とはかなり隔たりがある。
 
カーヴァーの基本的人物像は、飲んだくれで、いずれ妻子も去っていく中年男だ。村上春樹との接点は、どう考えてもない。
 
そんなことを考えていると、『村上春樹 翻訳(ほとんど)全仕事』が出ていることに気がついた。ここで、カーヴァーを訳した理由を語っているに違いない。
 
ちなみにこの本は、2017年3月の刊行だから、それ以後の翻訳の仕事は入っていない。
 
そこで読んでみたが、いやあ参ったね。翻訳の仕事の面白さと、同時に自分の訳した本がどのくらい面白いかを、これでもか、これでもかと語っている。僕はすっかり当てられて、翻訳した70点余を全部欲しくなった。
 
目次は次の通り。

  翻訳作品クロニクル 一九八一―二〇一七

    対談 村上春樹×柴田元幸
  翻訳について語るときに僕たちの語ること〈前編〉

  サヴォイでストンプ   オーティス・ファーガソン 村上春樹訳

  翻訳について語るときに僕たちの語ること〈後編〉

     寄稿 都甲幸治
  村上春樹の翻訳―教養主義の終りとハルキムラカミ・ワンダーランド― 

最初の「翻訳作品クロニクル」は本文とは別紙で、ページごと、または見開きページで主題をまとめ、訳した書影をすべてカラーで見せ、そこに的確なコメント、その著者の本はなぜ面白いのか、を述べていくものだ。これが唸るくらい面白い。
 
柴田元幸との対談は、長く共同で翻訳仕事をしてきたので、翻訳だけでなく小説についても、腹蔵なく語っている。
 
その前に「まえがき」がついていて、そこでもう作家の秘密を率直に話している。

「ネタ――翻訳したいテキスト――はそれこそ山のようにあるし、自分のつたない世界観や考え方をいちいちパッケージして商品化するような必要もないし(とても面倒だ)、それにだいいち文章の勉強になる。人に会う必要もなく、一人で自分のペースで仕事を片付けていくことができる。」
 
そして、なぜ翻訳が好きなのか、という質問への回答は、

「うまく説明はできないけど、とにかく翻訳という作業が好きで、小説を書いている時期であっても、時間が余ればつい翻訳に手が伸びてしまう。好きな音楽を聴きながら、好きなテキストを翻訳をしていると、とても幸福な気持ちになれる。」
 
理想の翻訳家というのは、こういう人のことだ。というか、翻訳家でこういう人は、僕は初めてだ。たとえどんなに好きであっても、仕事となると、それだけではすまないものだ。
 
しかし小説家・村上春樹には、また別の動機もある。

「もうひとつ重要なことは、これまでの人生において、僕には小説の師もいなければ、文学仲間みたいなものもいなかったということだ。だから自分一人で、独力で小説の書き方を身につけてこなくてはならなかった。〔中略〕そして結果的に(あくまで結果的にだが)、優れたテキストを翻訳をすることが僕にとっての『文章修行』というか、『文学行脚』の意味あいを帯びることになった。翻訳の作業を通して、僕は文章の書き方を学び、小説の書き方を学んでいった。」
 
およそ作品上は村上春樹と縁のない、レイモンド・カーヴァーをなぜ訳したかは、ここに十全に語られている。いきなり核心を抉り出すカーヴァーの筆法は、村上さんにとっては驚異だったのだろう。

「翻訳を通して巡り会った様々な作家たちこそが僕の小説の師であり、文学仲間であった。」
 
こういうことを言える作家は稀れだと思う。

掛け値なしに面白い――『けんかえれじい』(上)鈴木隆(2)

その後、「麒六」は、学校教練の軍人と真っ向からぶつかり、岡山の中学を退学になる。そして父親の弟のいる会津に転校する。もちろん喧嘩道を究めるべく、他の学校と果たし合いは続く。
 
映画はおおよそ、ここまでを描く。上巻の半ばまでだ。
 
印象的な松尾嘉代の一句、「髪梳けば髪吹きゆけり木の芽風」も、最後に近い場面に出てくる。
 
よく考えてみると、この本を読みながら、映画のシーンをいちいち思い浮かべていた。だから本と映画のどちらが面白いかは、僕の場合、言えない。
 
ただ本の方には、軍人と天皇制を嫌う精神が横溢している。映画の方にもあったけれど、それほどとは思わなかった。

「麒六は武の道を尊んではいたが、高邁なる軍人精神なるものは充分理解することが出来なかった。嫌いであった。
 自分は天皇陛下のために、喧嘩修業などをしているのではないと思った。じぶんのため、あくまでもひ弱い自分の心身を鍛えあげること。ただそれだけの規模である。」
 
もちろん「麒六」には、カトリックの教えがある。しかしそういうことよりも、学校教練が大嫌いなのだ。

「蛔虫駆除薬の服用がさかんな学校であったが、その薬を大尉殿が服用すると、蛔虫よりも『軍人精神虫』が出るのではないかとさえ思われた。」
 
こうなると下巻の「軍隊編」も、読むことになりそうである。

「麒六」はこのあと、カトリックの縁で上智大学に入る。けれども上智は、やる気のない講師の群れがいて、「麒六」は方向を変え、早稲田大学に進む。

そこで「クラブ活動とでも称すべき童話会」と出会う。これが「麒六」にとって運命の出会いとなる。「麒六」は童話を書き、そして「童話会」の顧問をしている坪田譲治と出会う。

「『間違いはない。この先生こそは自分の師表である』
 と、彼はその時、はっきり心の中で叫んだ。
 そんな決心をさす何か不思議な力を先生は持っていた。」
 
こうして進むべき道を見出した「麒六」だが、そのときの早稲田の「童話会」は、ものを書く団体ということで、左翼がかってはいないかと、目をつけられていた。

「麒六」は案の定、その網に引っかかってしまう。こうして留置場で、何日も留め置かれるのだが、これが微に入り細を穿って実に面白い。これは著者の鈴木隆が、実際に経験したことに違いない。

上巻はこの留置場を出たところで終わっている。
 
巻末に「父のこと」と題して、鈴木隆のことを、息子の鈴木涼太が書いている。これを読むと『けんかえれじい』は、ほとんど事実に基づいて書かれていることが分かる。
 
たぶんに文体で誇張してあるから、私小説というわけにはいかないが、しかしそれに近い。
 
上巻の半ば、映画になったところまでは、痛快痛快ですむが、そこから先、映画はどうなったのだろうか。
 
鈴木清順が日活を馘になってなければ、続編のシナリオも出来ていたらしいので、残念至極である。
 
しかしともかく下巻も読まざるを得まい。

(『けんかえれじい』(上)鈴木隆、岩波現代文庫、2005年10月14日初刷)

掛け値なしに面白い――『けんかえれじい』(上)鈴木隆(1)

和田誠の『お楽しみはこれからだ PART2』に、こんなことが書いてある。

「ところが、あの面白い映画も原作には敵わない、と言えるほど原作(理論社)が面白い。上下二巻あり、映画は上巻の前半までを描いている。」

鈴木清順監督の『けんかえれじい』は、何度見ても本当に面白い。ところがその面白い映画も原作には敵わない、というのだから読まずにはおられない。
 
これは現在は岩波現代文庫で出ていて、やはり上下2巻本だ。下巻は「軍隊編」で、これは敬遠したい。まず上巻の「青春篇」を読んでみる。
 
所は岡山の漁師町、主人公の「南部麒六〔きろく〕」は、喧嘩好きの中学生である(これは高橋英樹が演じた)。早くに母を亡くし、父親は仕事で別のところに住み、「麒六」は今は、下宿住まいである。

その未亡人のやっている下宿に、「道子さん」という2つ年上の、清心女学校の生徒がおり、「麒六」は「道子さん」を崇拝している。そして「道子さん」と同じく、生まれたときからカトリックである。
 
さらに「麒六」は、喧嘩道を究める上で、「バック」となる師匠を見出す。そこは引用しよう。

「麒六の師匠は、鶴見橋の袂の自転車屋の息子だった。名にしおう関西中学を中退し、家業を手伝いながら、ひたすら武を磨いている青年だった。関中時代は、ラグビー部で勇名を馳せ、スッポンの別名を持った猛者である。一度くらいついたが最後、雷の鳴るまでは咬んだ指を離さないのが、スッポンの特徴だ。」

「スッポンさん」は川津祐介がやっていた。ドンピシャの役作りだった。

「麒六」は度胸をつけるために、進んで「組織」の一員となる。

「度胸に社会性を持たせるべく、思案の末、OSMS〔オスムス〕団に入団した。鷲に、OSMSと彫ったメキシコ銀のバッジを貰って、帽子の横につけた。大変なご満悦であった。」
 
懐かしいなあ、OSMS団。団長のニックネームは「タクアン」と言ったっけか。これは野呂圭介がやっていた。

「OSMS団」はOS(オッス)と言うと、MS(ムッス)と返す合言葉で、何となく秘密結社のようであるが、何のことはないオカヤマ・セカンド・ミドゥル・スクール(岡山二中)の頭文字だった。

「OSMS団」に入り、血気盛んな「麒六」は、校則を破って映画館へも出入りした。

「岡山クラブ、金馬館、若玉館……映画館にもどしどし入場だ。クレールの『自由を我等に』、ルピッチュの『私の殺した男』、ポール・ムニの『暗黒街の顔役』を鑑賞し、開悟するところがすくなくなかった。」
 
こういう風俗描写がしっかりしていて、文章にスキがない。
 
ところで、ルピッチュの『私の殺した男』とはどんな映画なのだろう。

竜頭蛇尾――『方舟を燃やす』(角田光代)

これは本当にがっかりした。
 
まずはオビ裏の梗概から。

「1967年生まれの飛馬が/育った時代は、みんな/ノストラダムスの大予言を/信じてUFOを待ち、/コックリさんに夢中になった/昭和のオカルトブーム/真っ最中だった。

戦後すぐ生まれの不三子は/文化的な生活を知らずに育ち、/マクロビオティックの食事で/子育てをしたのに、/娘や息子とうまくいっていない。

高度経済成長期の日本に育ち/昭和平成を生きたふたりが/コロナ禍の子ども食堂で/出会った時、そこに生まれた/ものは何だったのか――。」

ここを読めば、期待を抱かせるじゃないですか。

角田光代得意の、主人公が2人いて、その2人が出会ったとき、火花が散って、鮮やかに別の世界が広がる。

ところが今回は、みごとに何も生まれない。

別々に生きてきた2人が、子ども食堂で出会ったとき、家族と疎遠になった「不三子」は、自分が活躍できる場を見出したし、市役所に勤める「飛馬」は、子ども食堂の後方支援として大きな支えとなる。
 
でもそれだけのことだ。よくあることで、作家が想像力を駆使することもない。
 
今回の小説では、色々な登場人物が出てくるが、誰一人として強い印象を持つ人がいない。みんな「不三子」と「飛馬」を通り過ぎてゆくだけなのだ。
 
角田光代は明らかに、そういうふうに人物を作っている。
 
それが何のためであるのか、僕には分からない。

小説作品であることを止めて、まるで昭和・平成・令和の人物風俗図鑑を見ているようで、途中からあまりに面白くなくて、啞然とした。

(『方舟を燃やす』角田光代、新潮社、2024年2月25日初刷)

昔の映画も面白い――『お楽しみはこれからだ PART 2』(和田誠)(7)

ハリウッドのシリーズものと言えば『ターザン』だ、和田誠はそう言う。
 
僕は全然観ていないのだが、ターザン役者も多いという。和田誠は、自分の世代ではジョニー・ワイズミュラーが一番であるという。
 
ワイズミュラーのターザンは、初期は片言しか喋らなかった。

「ミー・ターザン、ユー・ジェーン」(ゴチック表記)
 
ワイズミュラーは、もともとは水泳の選手で、演技は素人だったから、このくらいのセリフでよかったのだ。
 
もちろん後には、「ジャングルでは生きるために闘う。文明人、闘うために生きる」というような警句を吐いたりもする。
 
なお、ジェーン役をしばらくやったモーリン・オサリヴァンは、娘が、『ローズマリーの赤ちゃん』で名を挙げたミア・ファロウだ。この映画は、ホラーの傑作として名高いが、ミア・ファロウが全裸で、人びとの前で両手を縛られ犯される場面が、田舎の高校生には強烈だった。
 
と、これは閑話休題。
 
ワイズミュラーについては後日談がある。

「数年前にスーパーマーケットで万引きをして捕まったという記事を週刊誌で読み、そんなに落ちぶれてしまったのかと思ったが、最近では『ザッツ・エンタテインメント』のプレミアに元気な姿を見せていたようだ。」
 
僕は思う、ターザンはときどき、食物の対価として金を払うということを、忘れるのではないか。
 
ウィリアム・フリードキン監督の『フレンチ・コネクション』は、ジーン・ハックマン扮する刑事ポパイが大活躍をする、素晴らしい映画だった。
 
和田誠によれば、これは実録に基づいているとのことだ。
 
これが当たったので、続きのシナリオを創作で書き、ジョン・フランケンハイマー監督で『フレンチ・コネクション2』を作った。これも傑作だった。
 
今回の見開きテーマは、この続編の方である。
 
アメリカからフランスに派遣されたポパイは、敵に捕まって麻薬中毒にされてしまう。この治療を助けるのが、ベルナール・フレッソン扮するフランスの警部で、このやりとりが実におかしい。

「『ホワイティ・フォードはサウスポーだ』
『サウスポー?』
『左だよ』
『共産主義者か?』」
 
これは読売新聞の映画評で、『お楽しみはこれからだ』に入れてほしい、と書かれたくだり。

「ほかにも『ヤンキースって知ってるか?』『ヤンキー・ゴー・ホームだろ』とか、『ジーン・カイリーなら知ってるだろ』『ジーン・ケリー?』『違う。スキーをやる奴だ』『ジャン=クロード・キリーのことか』などの珍妙なやりとりが面白い。」
 
正編は電車で逃げる犯人を、ポパイがしつこく車で追いかけて射殺するが、続編は走って走って足で見せる。最後にボスが、洋上のヨットの上に出てくるのを、対岸にいるポパイが狙いすまして撃つ。その瞬間、映画の幕が閉じる。まったく鮮やかなものだ。
 
というふうに書いていてもキリがないので、最後に和田誠が活躍した、東映映画を挙げておく。
 
といっても映画に出たわけではなく、主題歌を作ったのだ。

「手前ミソを申しのべるならば、『親分〔ボス〕を倒せ』という映画の主題歌を、ぼくが作っているのである。石井輝男作品は、監督お気に入りの八木正生がほとんど音楽を担当しているが、ぼくの作った英語の歌詞を持つ唄(作詞作曲でありますぞ)を、八木正生はその映画の主題曲に使ってくれたのだ。」
 
まったくなんでも出来るんだねえ。やっぱり天才なのではないか。

「クラブの歌手という設定の三田佳子が唄い(吹き替え)そのメロディは主要なシーンにさまざまに編曲されて流れた。」
 
和田誠にとっては、忘れられない映画になった。

もっともこの見開きテーマは『十一人のギャング』で、鶴田浩二、高倉健、丹波哲郎ほかのオールスタア映画だった。

和田誠も、さすがにメインが『親分〔ボス〕を倒せ』では、気恥ずかしかったんだね。

(『お楽しみはこれからだ PART2』和田誠、
 文藝春秋、1976年4月5日初刷、1977年12月10日第6刷)