外岡の朝日新聞改革論のそれはそれとして、目の前の現実を見れば、どうにもしようがない。
著者の、朝日の記者が陥りやすい弱点とは、という質問に答えていわく。
「それはやはりエリート集団の、要するに内側しか見ないという、部益があって局益がないという官僚気質、これは抜きがたくあるし、若いときはそれに染まっていない記者も、長くなればなるほどそうなっていく。そういうふうになるか、幻滅するか、どっちかということですね。だって、酒を飲みに行って人事以外の話をしているのを聞いたことがない。」
疑似高級官僚というか、官僚体質そのものですな。
しかし僕が、トランスビューのとき付き合った朝日の記者は、そんなことは全然なかった。あるいは学芸部の記者は、政治部や社会部とは違って、出世から外れているから、そういうものなのだろうか。
トランスビューで最初の頃に出した、『昭和二十一年八月の絵日記』(山中和子・著、養老孟司・解説)は、あらゆる新聞が取り上げてくれたが、その記事を並べてみると、朝日が断然優れていた。
著者の山中和子さんも、新聞、雑誌、テレビと、いろんな人が取材に見えたけれど、取材されてみると、相手の記者の力量が露骨に分かって、こんなに媒体によって違うものなんですね、と仰っていた。
そして最初に見えた朝日新聞の記者が、何と言ってもいちばん鋭くて良かった、ということだった。
山中和子さんは岡山に住んでおり、取材は大阪の朝日新聞で、僕の知らない記者である。それでこの評価だった。
「酒を飲みに行って人事以外の話をしているのを聞いたことがない」というのとは、違う世界のようだが、社内で呑みに行くときは、そういうふうになるのだろうか。
外岡は編集局長を辞め、編集委員として香港に異動したのち、国際面のコラム「歴史を歩く」を始める。
「ずいぶん各国の歴史をたどって、『ああ、本当にアジアについては何も知らなかったな』と思いました。僕らは世界史、日本史を習った世代ですけれど、世界史はほとんど西洋史なんですよね。隣の国である韓国・中国についてもほとんど知らないし、ましてやベトナムとかどういう経過をたどって独立したのか、インドもそうですし。〔中略〕いかにアジアについて自分は知らないのかということを思い知った気がしますね。」
この人は本当に正直な人だ。こんなに信用できる人はいない。
そしてリーマンショックが起きる。そのときの感想。
「リーマンショックでデリバティブとかサブプライムがはじけちゃう。結局そこで財政出動とか、景気対策をやって膨大なお金をつぎ込んだ。中国もそうだけれども、それはいずれまたバブルではじける。そしてヨーロッパが債務危機になり、ギリシャ、アイルランドで現実化する。バブルがあってはじけて、その対策で金をつぎ込んでと、その繰り返しでずっと来ているわけですよね。行き場を失った過剰流動性はいずれ、はじけざるを得ない、中国も含めて。」
経済のことなので、僕には言う資格がないが、それでもこういうことに関しては、もううんざりだというのが、露骨に浮かび上がっている。
外岡は朝日を辞めてから、2014年10月に、朝日の組合で講演を行なった。従軍慰安婦問題、福島第一原発問題などで、朝日がボロカスに打たれていた時期だ。
「あのときに僕が言ったのは、とにかく『間違ったら即座に謝りましょう』ということで『謝ったり、訂正したり、おわびをしたりというのは何の問題もないんだ』と。そうやって初めてみんなに信頼されるんだから。それを頬かむりして隠したり、なかなか認めなかったりとなるから、マスコミ不信が出てくるので――」
これは、言うは易く行うは難しで、とくに朝日のように、みんながエリート面しているところでは、誰が最終責任を取るかということも含めて、大変難しいことなのだ。
オーラル・ヒストリーの力作――『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋)(5)
外岡秀俊は終わりに、朝日新聞をどう変えていったらよいか、ということを話す。
しかしその前に、いま現にある朝日新聞を、こんなふうに見ている。
「鉄の三角形で、自民党と財界と官僚がトライアングルを作ってきたのが戦後の日本です。朝日みたいな組織はある意味でメッセンジャーDNAのように、各中枢に分かれていってそこで情報を取っているわけですから、同じような組織にならないわけがない。その忠実な型を局内に作ってきたという、それは簡単には崩れないと思いますね。」
そういうことも、あるかもしれない。
しかしその前提として、大学の新卒を取るときに、取材する方とされる方とが、同じ穴の狢ということも、あるのではないか。まあ、それを指摘したからといって、どうしようもないのだか。
以下の対話における具体的(?)提案は、僕には何のことだか分かりにくいが、外岡の朝日新聞革新論の核心だと思うので、挙げておく。
「――もう新聞社自体が縮小化しつつあって。
〔外岡〕だからもっと緩やかな集団で、ゲリラ的に取材する記者たちをゆるやかに束ねるような形に組織が変わっていかないと。例えば年次がどうだとか、自分の専門分野がどうだとか、もうそんなことを言っている時代ではない。そんな悠長なときではない。」
そこで2人は、たとえば疑似官僚組織の記者クラブから、記者を引き上げるというようなことを話す。
「考えてみると、イギリスの大手の新聞の政治部の記者なんて数人、いや十人くらいですよ。NYタイムズだって、あんなにすごい新聞作っているけれど、記者の数からいったら数百人くらいですよね。〔中略〕
つまり記者を二千人も抱えなくても、それをできるようになるわけですよ。そうすると官僚型組織をいかに打破するかということを考える必要もなく、組織全体を変えないかぎり生き残れない。」
言うは易く行うは難し、ですな。朝日新聞は全体としては、もうもたないと思う。それは誰でも考えることだ。
「この激変というのは誰もが分かっているはずだし、いま入社している新しい世代というのは、十年後にこの会社があるかどうか分からないという前提で入っているわけですよ。」
でもだから、細胞分裂するように、新しいジャーナリズムを作る人はいるだろう。それがどんな形態と内実を伴っているかは、僕の年齢では、垣間見られるかどうか、微妙なところだ。
このあと外岡は、「天声人語」を書くように言われるが、それは固辞し続けた。
外から見ている分には分からないが、「天声人語」は、花形記者が書く最高の舞台らしい。そこで命を縮めたり、身体を悪くする人がいっぱい出ている。
見解の違いといえばそれまでだが、僕にはそうは思えない。「天声人語」を筆写することで、文章の書き方を覚える、というような教材が、朝日から出ていたことがあるが(ひょっとして今も出ているかもしれない)、悪い冗談としか思えない。
朝日の中で、「天声人語」を書くのが名誉と祭り上げて、それでもって自縄自縛に陥っているとしか思えない。コラムはコラム、出来のいい時もあれば、つまらない時もある。ただそれだけである。
しかしその前に、いま現にある朝日新聞を、こんなふうに見ている。
「鉄の三角形で、自民党と財界と官僚がトライアングルを作ってきたのが戦後の日本です。朝日みたいな組織はある意味でメッセンジャーDNAのように、各中枢に分かれていってそこで情報を取っているわけですから、同じような組織にならないわけがない。その忠実な型を局内に作ってきたという、それは簡単には崩れないと思いますね。」
そういうことも、あるかもしれない。
しかしその前提として、大学の新卒を取るときに、取材する方とされる方とが、同じ穴の狢ということも、あるのではないか。まあ、それを指摘したからといって、どうしようもないのだか。
以下の対話における具体的(?)提案は、僕には何のことだか分かりにくいが、外岡の朝日新聞革新論の核心だと思うので、挙げておく。
「――もう新聞社自体が縮小化しつつあって。
〔外岡〕だからもっと緩やかな集団で、ゲリラ的に取材する記者たちをゆるやかに束ねるような形に組織が変わっていかないと。例えば年次がどうだとか、自分の専門分野がどうだとか、もうそんなことを言っている時代ではない。そんな悠長なときではない。」
そこで2人は、たとえば疑似官僚組織の記者クラブから、記者を引き上げるというようなことを話す。
「考えてみると、イギリスの大手の新聞の政治部の記者なんて数人、いや十人くらいですよ。NYタイムズだって、あんなにすごい新聞作っているけれど、記者の数からいったら数百人くらいですよね。〔中略〕
つまり記者を二千人も抱えなくても、それをできるようになるわけですよ。そうすると官僚型組織をいかに打破するかということを考える必要もなく、組織全体を変えないかぎり生き残れない。」
言うは易く行うは難し、ですな。朝日新聞は全体としては、もうもたないと思う。それは誰でも考えることだ。
「この激変というのは誰もが分かっているはずだし、いま入社している新しい世代というのは、十年後にこの会社があるかどうか分からないという前提で入っているわけですよ。」
でもだから、細胞分裂するように、新しいジャーナリズムを作る人はいるだろう。それがどんな形態と内実を伴っているかは、僕の年齢では、垣間見られるかどうか、微妙なところだ。
このあと外岡は、「天声人語」を書くように言われるが、それは固辞し続けた。
外から見ている分には分からないが、「天声人語」は、花形記者が書く最高の舞台らしい。そこで命を縮めたり、身体を悪くする人がいっぱい出ている。
見解の違いといえばそれまでだが、僕にはそうは思えない。「天声人語」を筆写することで、文章の書き方を覚える、というような教材が、朝日から出ていたことがあるが(ひょっとして今も出ているかもしれない)、悪い冗談としか思えない。
朝日の中で、「天声人語」を書くのが名誉と祭り上げて、それでもって自縄自縛に陥っているとしか思えない。コラムはコラム、出来のいい時もあれば、つまらない時もある。ただそれだけである。
オーラル・ヒストリーの力作――『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋)(4)
安倍晋三と朝日新聞は不倶戴天の敵だった。首相として登場したとき、中川昭一も出てきて、2人には、政治部の記者は取材できなかった。
そのお仲間の財界人、キャノン、パナソニック、JR東海などは、一斉にカラーの全面広告を取り下げた。
「ほかの全国紙は全部載っていて朝日だけ載っていないということが一年くらい続いた。搦め手からも来るし、正面から取材させないし、そういう政権を相手にしなくちゃならないということだったんですね。」
知らなかった。朝日にだけ載っていないというのは、他を見比べないとわからないから、個人で取っている分には分からない。しかしえげつないことをするもんだ。
このときの外岡秀俊の態度は見事だった。
「僕が言ったのは『空中戦はやるな』と。『安倍さんを右だとかタカ派だとかいって攻撃するな』ということで、とにかく重心を低くして、暮らしがどうなるかということを徹底的に調べる。」
これはどういうことか。
「要するに年金ですよ。我々は消えた年金がどうなっているかを徹底的に追求した。〔中略〕若者が追いつめられている。医療がズタズタにされている、厚労省関係ですよね。生活保護の世帯もバッシングを受けたりして、弱肉強食の日本版みたいな社会になっている。世界でそれは起きているんだけど、今それが日本の中で吹き荒れているんだから、その風の中でみんながどれだけ苦しい思いをしているのかに焦点を当ててくれ、と言いました。」
本当に腰が据わってる。と同時に、どうなんだろうねえ、安倍晋三のような戦前の亡霊のようなものは、これと正面切って戦わなくていいのかね。しかし現実の戦いとなると、僕には方法が分からない。
朝日新聞に対する徹底的な反省、自己反省もある。
「朝日のあの五階(編集局フロア)にいると、四十代五十代の顔しか見えないから、自分たちで作っているつもりになってるけれど、そうじゃないんだ、新聞を作るのは二十代三十代の記者たちだと、常にそう思うようにしていた。」
そういうものらしい。
「実際にクラブとか総局に行ったら、本当にみんな若いし、生き生きして目も輝いているし、だから、あの築地の独特の雰囲気というか、沈滞したような、あれが新聞じゃないんだということを常に自分に言い聞かせないとまずいなと思っていましたね。」
このあたりは、どういうことを言っているのか、もう一つ分からない。外岡秀俊が編集局長をやっているとき、僕は朝日新聞を取っていた。そのとき紙面が、若くて潑剌とした感じになることは、なかったと思うのだか。
ちなみに朝日新聞から東京新聞に変えたのは、望月衣塑子が首相官邸の記者クラブに入って以降だ。
僕は、安倍首相のときの菅義偉官房長官の、記者クラブの談話発表が、我慢ならなかったのだ。対話を拒否するインタビューとは、どういうことだ! しかも子どもが、その場面を見ているときに! そうか、大人になったら、対話なんか必要ないんだ、そう思うじゃないか。
普通の記者なら、徹底的に菅に食らいついて、談話を取るところだ。ところがそれをするのが、東京新聞の望月衣塑子記者ひとり。そういうわけで、大学を出て以来の朝日を、東京新聞に変えてしまった。
そのお仲間の財界人、キャノン、パナソニック、JR東海などは、一斉にカラーの全面広告を取り下げた。
「ほかの全国紙は全部載っていて朝日だけ載っていないということが一年くらい続いた。搦め手からも来るし、正面から取材させないし、そういう政権を相手にしなくちゃならないということだったんですね。」
知らなかった。朝日にだけ載っていないというのは、他を見比べないとわからないから、個人で取っている分には分からない。しかしえげつないことをするもんだ。
このときの外岡秀俊の態度は見事だった。
「僕が言ったのは『空中戦はやるな』と。『安倍さんを右だとかタカ派だとかいって攻撃するな』ということで、とにかく重心を低くして、暮らしがどうなるかということを徹底的に調べる。」
これはどういうことか。
「要するに年金ですよ。我々は消えた年金がどうなっているかを徹底的に追求した。〔中略〕若者が追いつめられている。医療がズタズタにされている、厚労省関係ですよね。生活保護の世帯もバッシングを受けたりして、弱肉強食の日本版みたいな社会になっている。世界でそれは起きているんだけど、今それが日本の中で吹き荒れているんだから、その風の中でみんながどれだけ苦しい思いをしているのかに焦点を当ててくれ、と言いました。」
本当に腰が据わってる。と同時に、どうなんだろうねえ、安倍晋三のような戦前の亡霊のようなものは、これと正面切って戦わなくていいのかね。しかし現実の戦いとなると、僕には方法が分からない。
朝日新聞に対する徹底的な反省、自己反省もある。
「朝日のあの五階(編集局フロア)にいると、四十代五十代の顔しか見えないから、自分たちで作っているつもりになってるけれど、そうじゃないんだ、新聞を作るのは二十代三十代の記者たちだと、常にそう思うようにしていた。」
そういうものらしい。
「実際にクラブとか総局に行ったら、本当にみんな若いし、生き生きして目も輝いているし、だから、あの築地の独特の雰囲気というか、沈滞したような、あれが新聞じゃないんだということを常に自分に言い聞かせないとまずいなと思っていましたね。」
このあたりは、どういうことを言っているのか、もう一つ分からない。外岡秀俊が編集局長をやっているとき、僕は朝日新聞を取っていた。そのとき紙面が、若くて潑剌とした感じになることは、なかったと思うのだか。
ちなみに朝日新聞から東京新聞に変えたのは、望月衣塑子が首相官邸の記者クラブに入って以降だ。
僕は、安倍首相のときの菅義偉官房長官の、記者クラブの談話発表が、我慢ならなかったのだ。対話を拒否するインタビューとは、どういうことだ! しかも子どもが、その場面を見ているときに! そうか、大人になったら、対話なんか必要ないんだ、そう思うじゃないか。
普通の記者なら、徹底的に菅に食らいついて、談話を取るところだ。ところがそれをするのが、東京新聞の望月衣塑子記者ひとり。そういうわけで、大学を出て以来の朝日を、東京新聞に変えてしまった。
オーラル・ヒストリーの力作――『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋)(3)
記者の責任ということに関しては、外岡秀俊ははっきりしている。
「積極的に飛び込んでいく必要があったのは、二〇一一年の福島第一原発事故の取材です。(四月二十二日に)緊急時避難準備区域になった南相馬市には二万人くらいの人が残っていた。そこから一斉に日本のマスコミが消えた。〔中略〕記者もいない。」
外岡はこのとき朝日を早期退職して、南相馬のことを聞いたのは、5月後半のことだったが、2万人の市民が残されているのに、報道陣が一斉に退去するのは、あってはならないことだと思った。
「結局、政府の指示に逆らうのがこわいんですよ。NHKにしたって同じで、三十キロ圏の外に出て中継して『守っています』というサインを出す。フリーの記者、NHKのEテレビの一部のクルーが取材しただけで、みんなほおかむりしている。あれは報道の真価が問われる事態だったと思います。」
そしてこのまま行くと、どうなるか。
「政府の要請や指示にすべて従っていたら、大本営になっちゃう。」
話は違うが、いまトランプ大統領の下で、世界経済はめちゃくちゃになっている。中でもアメリカが最もひどいらしい。小売り店の凄まじい数が閉店になり、代表的な工業・機械産業が、アメリカを去っている。レイオフの人数もすごい。
トランプ自身も、YouTubeで見る限り、半分認知症のようだ。しかし日本のテレビや新聞では、そういう報道は出ない。日本の政府はアメリカの政府と、非常にまじめに交渉をしている(ように見える)。
報道が正確なことを知らせなければ、これも形を変えた「大本営発表」になるだろう。テレビ・新聞は毎日、自分で自分の首を絞めている、ということにならねばよいが。
この本では第三者の聞き書きも、途中に挟まれている。比屋根照夫(琉球大学名誉教授)が語る。
「外岡さんの取材は、いわば真正面に切り込んでくるようなもので、新聞記者というより研究者、あるいは言論人的なまなざしというか、表層をなでるのではなく、その社会、対象の背景、歴史、文化をよく調べて、本格的な知性の蓄積で取材活動をやるから、記事も一語一句の文章が切れるんですよ。すっと本質に入ってゆく。」
抽象的な総論ではあるが、とにかく絶賛である。そして続けて具体例を挙げる。
「大田知事の代理署名拒否の前後、太田さんが上京する予定があると、外岡さんはその二、三日前に沖縄に来て、いろんな県民の動きの取材を始める。で、知事が上京する飛行機の隣の席に座って機中、太田さんに質問を投げかけて、羽田に着いたらそのまま沖縄行きの便に乗って戻ってきて取材する。そういうことが何回かありました。」
おお、ザ・新聞記者! と茶化すのは止めて、こういう取材の実際をもっと見せてほしい。しかし自分を語るオーラル・ヒストリーでは、こういうところは無理なのかもしれない。
外岡はロンドンにいるとき、突然、編集局長をやれと言われた。
それは無理だ、「マネジメントはやったことないし、向いているとも思わない。部長もやっていない、デスクすらやったことがない」と言って断ろうとするが、これは業務命令だと言われる。
「一晩、ずいぶん考えました。私は組合もやっていないし、職場委員すらやっていない。今までいろんなことをしてもらって、会社のためには全然やってこなかった。『どうせ局長というのは辞めるのが仕事みたいなところがあるから、それだったら引き受けようか』と覚悟を決めました。」
朝日が非常事態に陥っていたときだ。面白い話だが、「局長というのは辞めるのが仕事」とは、外岡個人の心情か、それとも朝日の中では、それが常識になっていたのか、大変興味深い話だ。
「積極的に飛び込んでいく必要があったのは、二〇一一年の福島第一原発事故の取材です。(四月二十二日に)緊急時避難準備区域になった南相馬市には二万人くらいの人が残っていた。そこから一斉に日本のマスコミが消えた。〔中略〕記者もいない。」
外岡はこのとき朝日を早期退職して、南相馬のことを聞いたのは、5月後半のことだったが、2万人の市民が残されているのに、報道陣が一斉に退去するのは、あってはならないことだと思った。
「結局、政府の指示に逆らうのがこわいんですよ。NHKにしたって同じで、三十キロ圏の外に出て中継して『守っています』というサインを出す。フリーの記者、NHKのEテレビの一部のクルーが取材しただけで、みんなほおかむりしている。あれは報道の真価が問われる事態だったと思います。」
そしてこのまま行くと、どうなるか。
「政府の要請や指示にすべて従っていたら、大本営になっちゃう。」
話は違うが、いまトランプ大統領の下で、世界経済はめちゃくちゃになっている。中でもアメリカが最もひどいらしい。小売り店の凄まじい数が閉店になり、代表的な工業・機械産業が、アメリカを去っている。レイオフの人数もすごい。
トランプ自身も、YouTubeで見る限り、半分認知症のようだ。しかし日本のテレビや新聞では、そういう報道は出ない。日本の政府はアメリカの政府と、非常にまじめに交渉をしている(ように見える)。
報道が正確なことを知らせなければ、これも形を変えた「大本営発表」になるだろう。テレビ・新聞は毎日、自分で自分の首を絞めている、ということにならねばよいが。
この本では第三者の聞き書きも、途中に挟まれている。比屋根照夫(琉球大学名誉教授)が語る。
「外岡さんの取材は、いわば真正面に切り込んでくるようなもので、新聞記者というより研究者、あるいは言論人的なまなざしというか、表層をなでるのではなく、その社会、対象の背景、歴史、文化をよく調べて、本格的な知性の蓄積で取材活動をやるから、記事も一語一句の文章が切れるんですよ。すっと本質に入ってゆく。」
抽象的な総論ではあるが、とにかく絶賛である。そして続けて具体例を挙げる。
「大田知事の代理署名拒否の前後、太田さんが上京する予定があると、外岡さんはその二、三日前に沖縄に来て、いろんな県民の動きの取材を始める。で、知事が上京する飛行機の隣の席に座って機中、太田さんに質問を投げかけて、羽田に着いたらそのまま沖縄行きの便に乗って戻ってきて取材する。そういうことが何回かありました。」
おお、ザ・新聞記者! と茶化すのは止めて、こういう取材の実際をもっと見せてほしい。しかし自分を語るオーラル・ヒストリーでは、こういうところは無理なのかもしれない。
外岡はロンドンにいるとき、突然、編集局長をやれと言われた。
それは無理だ、「マネジメントはやったことないし、向いているとも思わない。部長もやっていない、デスクすらやったことがない」と言って断ろうとするが、これは業務命令だと言われる。
「一晩、ずいぶん考えました。私は組合もやっていないし、職場委員すらやっていない。今までいろんなことをしてもらって、会社のためには全然やってこなかった。『どうせ局長というのは辞めるのが仕事みたいなところがあるから、それだったら引き受けようか』と覚悟を決めました。」
朝日が非常事態に陥っていたときだ。面白い話だが、「局長というのは辞めるのが仕事」とは、外岡個人の心情か、それとも朝日の中では、それが常識になっていたのか、大変興味深い話だ。
オーラル・ヒストリーの力作――『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋)(2)
聞き手の及川が、アメリカは宗教国家であるという側面を取り上げて、宗教右派のカトリックが強力で、同性愛や中絶を認めないが、という問いかけに対して、外岡秀俊も、それはその通りで、「結婚は聖なるもの」という考え方を崩していない、同性愛や性的マイノリティへの嫌悪感は非常に強い、と応える。
その話の流れで、外岡はこういうことを言っている。
「アメリカの宗教は、キリスト教ではないんですよ。大統領が就任式で聖書に手を置いて宣誓しますね。聖書は旧約がユダヤ教で新訳がキリスト教。また『ゴッド・ブレス・アメリカ』という歌にあるゴッド=神とは、イエス=キリストではない。キリスト教とユダヤ教を包括するものとして聖書があるんです。アメリカ人が神を信じているというとき、聖書を信じているのであって、キリスト教ではない。」
へー、そうなのか。ここは面白いところだ。そして、もっと突っ込んで知りたい。
先日死去したローマ教皇フランシスコが、同性愛を認め、女性司祭を認めても、アメリカのカトリックは頑として受け入れないわけだ。
そうして外岡の結論は、たとえば北丸雄二のそれと重なる。
「『やっぱりアメリカってすごいな』と思いますね。どんな時でも声を上げる人たちがいる。徹底して戦う。うやむやにしておく日本社会とは違います。エンターテインメントの世界の人たちも、人権とか平等に価値観を置いていて、社会活動をするのが当然のように受け止められている。」
仕事をしていて、楽しい時期が3つあるといった、外岡の言葉を思い出してほしい。
またNYにいて国連の仕事もしている。
「目の前で劇的な瞬間がいくつかありました。ソ連のシェワルナゼ外相が国連でいきなり、ソ連の崩壊を明言して驚きましたね。〔中略〕報道陣がみんな囲みましたよ。シェワルナゼが『ソ連はいくつかの共和国に独立します』と言った。『いつ?』『今日からだ』。みんな予想していなかった。」
歴史が動く瞬間というのは、立ち会っていて、どんな気持ちになるんだろう。
「カンボジア問題でもシアヌークが国連で和平を宣言した。あれも劇的でしたね。目の前で世の中を動かす最大級の世界ニュースが起こる。すごい時期にいさせてもらった、という実感はあります。」
それはそういうしかあるまい。
国連については、こういうことも言っている。
「結論から言えば、私は日本の常任理事国入りは何らかの形で実現すべきだと思っています。というのは、それが最大の安全保障になるからです。攻撃を受けることがなくなる、国益になる。」
なるほど朝日の記者は、そういうふうに考えるのか。
米国に100パーセント追随する国である限り、日本は常任理事国に入らない方がよい、と僕は思う。もしアメリカが戦争をすると言えば、常任理事国に入った日本は、もろ手を挙げて賛成せざるを得ないだろう。
「それが最大の安全保障になる」どころか、もっとも危険な位置に日本を置くことになる。僕はそう思う。
しかしそもそも「国益になる」というような言葉遣いは、僕には到底できない。そんな位置に自分を置いてみたことはない。
それ以上に「国益」という言葉遣いが、自分さえよければというニュアンスを含んでいて、どうにも堪らない。
その話の流れで、外岡はこういうことを言っている。
「アメリカの宗教は、キリスト教ではないんですよ。大統領が就任式で聖書に手を置いて宣誓しますね。聖書は旧約がユダヤ教で新訳がキリスト教。また『ゴッド・ブレス・アメリカ』という歌にあるゴッド=神とは、イエス=キリストではない。キリスト教とユダヤ教を包括するものとして聖書があるんです。アメリカ人が神を信じているというとき、聖書を信じているのであって、キリスト教ではない。」
へー、そうなのか。ここは面白いところだ。そして、もっと突っ込んで知りたい。
先日死去したローマ教皇フランシスコが、同性愛を認め、女性司祭を認めても、アメリカのカトリックは頑として受け入れないわけだ。
そうして外岡の結論は、たとえば北丸雄二のそれと重なる。
「『やっぱりアメリカってすごいな』と思いますね。どんな時でも声を上げる人たちがいる。徹底して戦う。うやむやにしておく日本社会とは違います。エンターテインメントの世界の人たちも、人権とか平等に価値観を置いていて、社会活動をするのが当然のように受け止められている。」
仕事をしていて、楽しい時期が3つあるといった、外岡の言葉を思い出してほしい。
またNYにいて国連の仕事もしている。
「目の前で劇的な瞬間がいくつかありました。ソ連のシェワルナゼ外相が国連でいきなり、ソ連の崩壊を明言して驚きましたね。〔中略〕報道陣がみんな囲みましたよ。シェワルナゼが『ソ連はいくつかの共和国に独立します』と言った。『いつ?』『今日からだ』。みんな予想していなかった。」
歴史が動く瞬間というのは、立ち会っていて、どんな気持ちになるんだろう。
「カンボジア問題でもシアヌークが国連で和平を宣言した。あれも劇的でしたね。目の前で世の中を動かす最大級の世界ニュースが起こる。すごい時期にいさせてもらった、という実感はあります。」
それはそういうしかあるまい。
国連については、こういうことも言っている。
「結論から言えば、私は日本の常任理事国入りは何らかの形で実現すべきだと思っています。というのは、それが最大の安全保障になるからです。攻撃を受けることがなくなる、国益になる。」
なるほど朝日の記者は、そういうふうに考えるのか。
米国に100パーセント追随する国である限り、日本は常任理事国に入らない方がよい、と僕は思う。もしアメリカが戦争をすると言えば、常任理事国に入った日本は、もろ手を挙げて賛成せざるを得ないだろう。
「それが最大の安全保障になる」どころか、もっとも危険な位置に日本を置くことになる。僕はそう思う。
しかしそもそも「国益になる」というような言葉遣いは、僕には到底できない。そんな位置に自分を置いてみたことはない。
それ以上に「国益」という言葉遣いが、自分さえよければというニュアンスを含んでいて、どうにも堪らない。
オーラル・ヒストリーの力作――『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋)(1)
外岡秀俊は1953年に生まれ、2021年に心不全のため死去した。享年68。
東京大学法学部にいるとき、『北帰行』を書き、河出書房の「文藝賞」を受賞した。しかし作家の道は選ばず、卒業すると1977年、朝日新聞に入社、新潟支局に配属された。
これは、そこからさまざまな部署を経て、2011年に朝日新聞社を早期退職するまでを、やはり朝日の記者だった及川智洋が、2年半をかけて聞き書きしたものである。
さらに面白いのは、外岡と仕事をした人に聞き書きをし、それを要所要所に挟み込んであるところだ。それは短いけれども、外岡の人となりの一面を鮮やかに照らし出す。
外岡秀俊は僕と同年生まれ。だから東大の現役学生の「文藝賞」は、クラスでも話題になったはずだが、読んでいない。
周りで読んだという人も、いなかったような気がする。あるいは、僕の周りは文学部ばかりで、法学部の外岡に対するやっかみから、話題にしなかったのか。まあ当時のことは、さすがにもう分からない。
外岡秀俊という名前は、学校を出た後だいぶ経って、みすずのOさんから聞いた。誠実に仕事をする人だという。新潮社のSさんもこの人を買っているということを、人づてに聞いた。Sさんは小説を書かせようとしていた。
2人の編集者が太鼓判を押す人は、まず間違いなく才能のある面白い人である。それで外岡秀俊の書くものはまったく読まないまま、この本を読んだ(朝日新聞の記事は読んだかもしれないが、憶えてはいない〉。
本書は、狭いところでは、朝日の記者たちに読ませたい、先輩にこんな人がいたんだ、ということを伝えたくて、及川智洋はこの本を作っている。だから外部の人間には、分かりにくいところが時々ある。
それでも読んでいると、外岡秀俊の誠実な人柄が、にじみ出るようである。
「――外岡さんのNY時代の記事は書籍化されたものが多く、戦争、国連、アメリカの人と社会、メディアと権力と、八面六臂の仕事ぶりという印象です。
〔外岡〕何でもやらされる、何でも出来る、記者としてこんなに恵まれた時期はないでしょう。僕の記者生活の中でエキサイティングな時期は、支局、海外、アエラの三つですね。この三つがやりがいもあり、楽しかった。記者としていいポジションだったなと思います。」
3つの中に、東京での朝日新聞記者としてがないことに注意されたい。
次はNYに駐在していたときのこと。
「ホームレスのシェルターもずいぶん取材しましたが、悲惨な状況で、ベトナム帰還兵、黒人の人たちが多かった。〔中略〕
ホームレスがかなりの比率でベトナム帰還兵ということは驚きでした。兵士たちは、国のため、自由主義陣営のために、といって称賛されて送り出され、帰ってきて人殺し呼ばわりされる。送り出される時とのギャップ。これは世界のすべての兵士に起こることですが、帰ってくると非難の中に巻き込まれるという現象がありました。」
こういう事実を、浮かび上がらせる記者は信頼できる。
東京大学法学部にいるとき、『北帰行』を書き、河出書房の「文藝賞」を受賞した。しかし作家の道は選ばず、卒業すると1977年、朝日新聞に入社、新潟支局に配属された。
これは、そこからさまざまな部署を経て、2011年に朝日新聞社を早期退職するまでを、やはり朝日の記者だった及川智洋が、2年半をかけて聞き書きしたものである。
さらに面白いのは、外岡と仕事をした人に聞き書きをし、それを要所要所に挟み込んであるところだ。それは短いけれども、外岡の人となりの一面を鮮やかに照らし出す。
外岡秀俊は僕と同年生まれ。だから東大の現役学生の「文藝賞」は、クラスでも話題になったはずだが、読んでいない。
周りで読んだという人も、いなかったような気がする。あるいは、僕の周りは文学部ばかりで、法学部の外岡に対するやっかみから、話題にしなかったのか。まあ当時のことは、さすがにもう分からない。
外岡秀俊という名前は、学校を出た後だいぶ経って、みすずのOさんから聞いた。誠実に仕事をする人だという。新潮社のSさんもこの人を買っているということを、人づてに聞いた。Sさんは小説を書かせようとしていた。
2人の編集者が太鼓判を押す人は、まず間違いなく才能のある面白い人である。それで外岡秀俊の書くものはまったく読まないまま、この本を読んだ(朝日新聞の記事は読んだかもしれないが、憶えてはいない〉。
本書は、狭いところでは、朝日の記者たちに読ませたい、先輩にこんな人がいたんだ、ということを伝えたくて、及川智洋はこの本を作っている。だから外部の人間には、分かりにくいところが時々ある。
それでも読んでいると、外岡秀俊の誠実な人柄が、にじみ出るようである。
「――外岡さんのNY時代の記事は書籍化されたものが多く、戦争、国連、アメリカの人と社会、メディアと権力と、八面六臂の仕事ぶりという印象です。
〔外岡〕何でもやらされる、何でも出来る、記者としてこんなに恵まれた時期はないでしょう。僕の記者生活の中でエキサイティングな時期は、支局、海外、アエラの三つですね。この三つがやりがいもあり、楽しかった。記者としていいポジションだったなと思います。」
3つの中に、東京での朝日新聞記者としてがないことに注意されたい。
次はNYに駐在していたときのこと。
「ホームレスのシェルターもずいぶん取材しましたが、悲惨な状況で、ベトナム帰還兵、黒人の人たちが多かった。〔中略〕
ホームレスがかなりの比率でベトナム帰還兵ということは驚きでした。兵士たちは、国のため、自由主義陣営のために、といって称賛されて送り出され、帰ってきて人殺し呼ばわりされる。送り出される時とのギャップ。これは世界のすべての兵士に起こることですが、帰ってくると非難の中に巻き込まれるという現象がありました。」
こういう事実を、浮かび上がらせる記者は信頼できる。
昔の名前が懐かしい――『マイトガイは死なず―小林旭回顧録―』(小林旭、取材・構成=鈴木十三)
20代の終わり、新宿の呑み屋「英〔ひで〕」の音頭取りで、編集者を中心に著者や他の酒場のマダムら総勢20人ばかりと、バスを借り切って群馬県の宝川温泉に行った。大露天風呂がある汪泉閣という旅館だった。
往きのバスの中で、カラオケもないのにマイクを手に、小林旭の「恋の山手線」を、小沢書店社長の長谷川郁夫さんが唄った。
小沢書店と言えば、文学を中心とした瀟洒な本づくりで、読書人を唸らせた出版社である。
僕はその落差に呆然とし、たちまち長谷川さんのファンになった。昼は本づくりについて教えを受け(とはいえ僕とは目指すものは違っていたが)、夜は酒場を巡ってカラオケ三昧である。
それで「ギターを持った渡り鳥」や「自動車ショー歌」、「さすらい」、「北帰行」、「惜別の歌」、「北へ」、「ついて来るかい」、「昔の名前で出ています」、「熱き心に」以下、小林旭の歌を覚えた。
この本自体は、どうしようもない本だ。回顧録と言いながら、ウィキペディアに毛の生えた内容で、読んでいて「へー、そうか」という新発見もなければ、膝を打つところもない。
文藝春秋の映画本と言えば、いつもはリキを入れてくるところが、これに限ってはどうもそうではない。
しかし考えてみれば、小林旭の映画といったところで、名画や異色作として挙がってくるのは、わずかなものだ。本人が、「自分が気持ちよくできたのは『仁義なき戦い』シリーズと『青春の門』の二部作(1975年、77年)が最後じゃないかな」という通りである。
それでもずるずると読んでいくと、1959年の『南国土佐を後にして』や『ギターを持った渡り鳥』の頃の、映画館の封切りの様子が浮かんでくる。小学校へ入る前の年の、大阪下町の様子が懐かしい。
母親が「日活なんか観たら、不良になるで。東映にしとき」というので、2軒並んでた映画館の、東映の方にばかり入った。おかげで「多羅尾伴内」や「旗本退屈男」には詳しくなったが、日活の方は全然知らなかった。
ところが『南国土佐を後にして』だけは、封切りで観ているのだ。その頃、小学生未満はタダだった。きっとペギー葉山の歌が聴きたくて、タダで潜り込んだと思うのだ(本当は親が一緒でなければ、子供はタダで観てはいけない)。
もちろん話の筋は、6歳の子供には理解できない。覚えているのは、小林旭が賽の目をきれいに揃えて出すところと、阿波踊りを踊る大通りを、それに紛れて俯瞰で旭が歩くところくらいだ。
僕がこの本を読むのは、小林旭のファンだからではない。小林旭のファンだった、長谷川郁夫さんのファンだったから。今はいないその名を思い浮かべるだけで、限りない郷愁を覚える。
(『マイトガイは死なず―小林旭回顧録―』小林旭、取材・構成=鈴木十三、
文藝春秋、2024年11月10日初刷)
往きのバスの中で、カラオケもないのにマイクを手に、小林旭の「恋の山手線」を、小沢書店社長の長谷川郁夫さんが唄った。
小沢書店と言えば、文学を中心とした瀟洒な本づくりで、読書人を唸らせた出版社である。
僕はその落差に呆然とし、たちまち長谷川さんのファンになった。昼は本づくりについて教えを受け(とはいえ僕とは目指すものは違っていたが)、夜は酒場を巡ってカラオケ三昧である。
それで「ギターを持った渡り鳥」や「自動車ショー歌」、「さすらい」、「北帰行」、「惜別の歌」、「北へ」、「ついて来るかい」、「昔の名前で出ています」、「熱き心に」以下、小林旭の歌を覚えた。
この本自体は、どうしようもない本だ。回顧録と言いながら、ウィキペディアに毛の生えた内容で、読んでいて「へー、そうか」という新発見もなければ、膝を打つところもない。
文藝春秋の映画本と言えば、いつもはリキを入れてくるところが、これに限ってはどうもそうではない。
しかし考えてみれば、小林旭の映画といったところで、名画や異色作として挙がってくるのは、わずかなものだ。本人が、「自分が気持ちよくできたのは『仁義なき戦い』シリーズと『青春の門』の二部作(1975年、77年)が最後じゃないかな」という通りである。
それでもずるずると読んでいくと、1959年の『南国土佐を後にして』や『ギターを持った渡り鳥』の頃の、映画館の封切りの様子が浮かんでくる。小学校へ入る前の年の、大阪下町の様子が懐かしい。
母親が「日活なんか観たら、不良になるで。東映にしとき」というので、2軒並んでた映画館の、東映の方にばかり入った。おかげで「多羅尾伴内」や「旗本退屈男」には詳しくなったが、日活の方は全然知らなかった。
ところが『南国土佐を後にして』だけは、封切りで観ているのだ。その頃、小学生未満はタダだった。きっとペギー葉山の歌が聴きたくて、タダで潜り込んだと思うのだ(本当は親が一緒でなければ、子供はタダで観てはいけない)。
もちろん話の筋は、6歳の子供には理解できない。覚えているのは、小林旭が賽の目をきれいに揃えて出すところと、阿波踊りを踊る大通りを、それに紛れて俯瞰で旭が歩くところくらいだ。
僕がこの本を読むのは、小林旭のファンだからではない。小林旭のファンだった、長谷川郁夫さんのファンだったから。今はいないその名を思い浮かべるだけで、限りない郷愁を覚える。
(『マイトガイは死なず―小林旭回顧録―』小林旭、取材・構成=鈴木十三、
文藝春秋、2024年11月10日初刷)
ここまで書いていいのか――『対馬の海に沈む』(窪田新之助)(8)
西山の不正は誰にもわかるものだったので、ある者はJAの上部組織に訴え出た。
JA上対馬支店の西山の元上司、小宮厚實はこう訴える。
「犯罪行為である詐欺を、あろうことか農協職員が持ちかけて多額の共済金を払うという便宜を図り、見返りに新たな契約・増額契約を締結していく。LAには給与規定で支払われる給料以外に共済新契約高に応じた歩合給が支払われる為、第三者に対する利益の供与のみならずこのLA職員は詐欺に該当する。この不正がいまだに表に出てこない外部要因は、被害者がいないからである。」
ここまであからさまに文書で告発されても、しかしどうということもなかった。
「その後一〇年近くにわたって不正が発覚しなかった理由は、JA対馬の役職員や共済連などがその隠蔽に加担してきたことだけではなかった。小宮が〈被害者がいない〉と記しているとおり、西山と島民たちとの共犯関係があったからこそ、問題にすらされなかったのだ。」
小宮の告発はおよそ一〇年間、握りつぶされた。
では今度の西山の死で、すべては明るみに出たのか。
JA対馬不祥事第三者委員会の「調査報告書」や、JA対馬の賞罰委員会による内部資料を見ても、共済の契約者が不正の協力者だとは、どこにも書いてない。
「もちろん、JAがその事実を認識していたとしても、大多数の組合員を批判することは組織の根幹を揺るがすことになるので、できるはずもないのだが……。」
もはや巨大組織の腐った根幹にまで、到達してしまった。
「JA対馬を舞台にした不祥事件はこの国では決して特殊ではないといえる。西山と彼に関係する人たちがはまった陥穽は、きっと私たちの社会の至るところで待ち構えているに違いない。」
そうは言っても、JAグループのような超巨大組織で、人をあらゆる点でがんじがらめにするのは、珍しいだろう。
そう思っていたら、2,3日前の東京新聞に、郵便局員で、2024年に自殺または突然死したのは、表に出てきたのだけでも、5人を数えるとあった。
その記事には、2010年からの自殺または突然死が、ほぼ毎年出ていることが書かれていた。
ゾッとするというか、啞然とするというか。これはほんとのことなのか。「かんぽ生命」の、分かりやすいノルマの話ではないのだ。
おそらく立ち入ってみれば、日本郵政による過酷なノルマがあるのだろう。その記事では、突然死した人は、時間がなくて昼飯も食べられないくらい、疲労していたという。それでもノルマをこなすために、命の限りを尽くして仕事に邁進したのだ。
ひょっとして私が知らないだけで、そういう会社、集団は、どこにでもあるのだろうか。日本人の働き方の、それが標準なのだろうか。それではまるで「収容所群島」ではないか。
なお農協のことでは昨今、コメの異常な高値が問題になっている。政府の方針で備蓄米を拠出することにしたが、それはほとんど出回ってはいないという。
一体どうなっているのか、と記者団に問われて、農水大臣が、関係者の間にはさまざまな意見・思惑もあることだろうし、と我関せずといった答弁をしていた。つまり高値を容認し続けるということだ。
それでコメの異常な値段については、農協が深く絡んでいることが分かった。
(『対馬の海に沈む』窪田新之助、
集英社、2024年12月10日初刷、2025年2月11日第3刷)
JA上対馬支店の西山の元上司、小宮厚實はこう訴える。
「犯罪行為である詐欺を、あろうことか農協職員が持ちかけて多額の共済金を払うという便宜を図り、見返りに新たな契約・増額契約を締結していく。LAには給与規定で支払われる給料以外に共済新契約高に応じた歩合給が支払われる為、第三者に対する利益の供与のみならずこのLA職員は詐欺に該当する。この不正がいまだに表に出てこない外部要因は、被害者がいないからである。」
ここまであからさまに文書で告発されても、しかしどうということもなかった。
「その後一〇年近くにわたって不正が発覚しなかった理由は、JA対馬の役職員や共済連などがその隠蔽に加担してきたことだけではなかった。小宮が〈被害者がいない〉と記しているとおり、西山と島民たちとの共犯関係があったからこそ、問題にすらされなかったのだ。」
小宮の告発はおよそ一〇年間、握りつぶされた。
では今度の西山の死で、すべては明るみに出たのか。
JA対馬不祥事第三者委員会の「調査報告書」や、JA対馬の賞罰委員会による内部資料を見ても、共済の契約者が不正の協力者だとは、どこにも書いてない。
「もちろん、JAがその事実を認識していたとしても、大多数の組合員を批判することは組織の根幹を揺るがすことになるので、できるはずもないのだが……。」
もはや巨大組織の腐った根幹にまで、到達してしまった。
「JA対馬を舞台にした不祥事件はこの国では決して特殊ではないといえる。西山と彼に関係する人たちがはまった陥穽は、きっと私たちの社会の至るところで待ち構えているに違いない。」
そうは言っても、JAグループのような超巨大組織で、人をあらゆる点でがんじがらめにするのは、珍しいだろう。
そう思っていたら、2,3日前の東京新聞に、郵便局員で、2024年に自殺または突然死したのは、表に出てきたのだけでも、5人を数えるとあった。
その記事には、2010年からの自殺または突然死が、ほぼ毎年出ていることが書かれていた。
ゾッとするというか、啞然とするというか。これはほんとのことなのか。「かんぽ生命」の、分かりやすいノルマの話ではないのだ。
おそらく立ち入ってみれば、日本郵政による過酷なノルマがあるのだろう。その記事では、突然死した人は、時間がなくて昼飯も食べられないくらい、疲労していたという。それでもノルマをこなすために、命の限りを尽くして仕事に邁進したのだ。
ひょっとして私が知らないだけで、そういう会社、集団は、どこにでもあるのだろうか。日本人の働き方の、それが標準なのだろうか。それではまるで「収容所群島」ではないか。
なお農協のことでは昨今、コメの異常な高値が問題になっている。政府の方針で備蓄米を拠出することにしたが、それはほとんど出回ってはいないという。
一体どうなっているのか、と記者団に問われて、農水大臣が、関係者の間にはさまざまな意見・思惑もあることだろうし、と我関せずといった答弁をしていた。つまり高値を容認し続けるということだ。
それでコメの異常な値段については、農協が深く絡んでいることが分かった。
(『対馬の海に沈む』窪田新之助、
集英社、2024年12月10日初刷、2025年2月11日第3刷)
ここまで書いていいのか――『対馬の海に沈む』(窪田新之助)(7)
西山義治はJA対馬だけではなく、その上のJA共済連長﨑にも、深く食い込んでいた。西山は「日本一のLA〔=ライフアドバイザー〕」であり、彼を接待するという名目で、JA長﨑の幹部は好き放題、飲み食いすることができた。
「共済連長﨑の上層部は長崎の銅座でよう呑みよった。西山がおらんときでも、表向きは西山を接待することにしていたんです。これは西山本人から聞いた話なので、……。」
本人抜きの偽接待でドンチャン騒ぎ、退廃もここに極まれりである。
JA対馬の別の関係者によると、JA共済連長﨑こそが、西山の不正を黙認してきた張本人だという。
「西山に、もっとやれ、もっとやれって、けしかけてましたからね。それで西山も、安心して不正ができたんでしょう」
西山の共犯者は、幹部だけでも挙げればきりがない。
そして同じことは全国でも見られる、と著者は言う。もう一度、「LAの甲子園」を思い出してほしい。
「『総合優績表彰』の受賞者の中には西山以外にも不正な契約を繰り返してきたLAがいるという証言を、私は得ている。たとえば某県の元LAは、実は顧客を騙し、彼らに不利益をもたらす営業をする常習犯だったという。それは、当該JAの執行部だった人物に加え、当該県のほかのJAに勤務していたJAも証言しているところだ。」
第二、第三の西山がいるのだ。
そこまで突出していない不正は、今もなおある。
「各地のJAの職員からは、自爆営業も不適切な販売もいまだに横行しているという情報が届いている。それらは地域社会の倫理観を退廃させる由々しき事態だ。」
だからJAは、JA対馬の事件と合わせて「LAの甲子園」の舞台裏を、検証してみるべきではないか、と著者は言う。
しかしすぐ後で、著者自らが、そんなことの難しい理由を語っている。
「日本的なムラ社会の構造は、まさにJAでこそ強固に築かれているように思える。というのも、JAでは縁故採用が基本である。職員や組合員の子弟をはじめ、彼らの学校の後輩や近所の顔なじみといった人たちが就職してくる。とりわけ小世帯のJAであればあるほど、採用する地域が限定され、それまでに付き合いのあった人ばかりが集まりやすい。全国のJAで、ノルマを達成するために、私有財産を投げ出したりすることが日常的かつ一般的に起きていることは、こうした人間関係の濃密さが一因となっているのではないか。」
これではJAのどこを取っても、逆境に抵抗して「検証」をすることなど、絵に描いた餅ではないか。
西山はとにかく契約者に儲けさせてきた。契約者の家屋が災害に遭ったとき、その被害を実際よりも大きく見積もり、彼らが共済金をずっと多く受け取れるよう、便宜を図ってきたのだ。
取材対象者は語る。
「家が自然災害に遭い、瓦が破損したとする。通常の査定であれば、共済金が一〇万円しか出ない。ところが、西山はそれを五〇万円になるように査定して、お客さんに四〇万円を儲けさせてきた。そうやって一度いい目を見たお客さんは、『あんただったら、また新しい契約に入るよ』という気持ちになるわけだ。西山のやり方はとにかくその繰り返し。」
西山が死んだ後も、対馬で彼を悪く言うものはいない。
「共済連長﨑の上層部は長崎の銅座でよう呑みよった。西山がおらんときでも、表向きは西山を接待することにしていたんです。これは西山本人から聞いた話なので、……。」
本人抜きの偽接待でドンチャン騒ぎ、退廃もここに極まれりである。
JA対馬の別の関係者によると、JA共済連長﨑こそが、西山の不正を黙認してきた張本人だという。
「西山に、もっとやれ、もっとやれって、けしかけてましたからね。それで西山も、安心して不正ができたんでしょう」
西山の共犯者は、幹部だけでも挙げればきりがない。
そして同じことは全国でも見られる、と著者は言う。もう一度、「LAの甲子園」を思い出してほしい。
「『総合優績表彰』の受賞者の中には西山以外にも不正な契約を繰り返してきたLAがいるという証言を、私は得ている。たとえば某県の元LAは、実は顧客を騙し、彼らに不利益をもたらす営業をする常習犯だったという。それは、当該JAの執行部だった人物に加え、当該県のほかのJAに勤務していたJAも証言しているところだ。」
第二、第三の西山がいるのだ。
そこまで突出していない不正は、今もなおある。
「各地のJAの職員からは、自爆営業も不適切な販売もいまだに横行しているという情報が届いている。それらは地域社会の倫理観を退廃させる由々しき事態だ。」
だからJAは、JA対馬の事件と合わせて「LAの甲子園」の舞台裏を、検証してみるべきではないか、と著者は言う。
しかしすぐ後で、著者自らが、そんなことの難しい理由を語っている。
「日本的なムラ社会の構造は、まさにJAでこそ強固に築かれているように思える。というのも、JAでは縁故採用が基本である。職員や組合員の子弟をはじめ、彼らの学校の後輩や近所の顔なじみといった人たちが就職してくる。とりわけ小世帯のJAであればあるほど、採用する地域が限定され、それまでに付き合いのあった人ばかりが集まりやすい。全国のJAで、ノルマを達成するために、私有財産を投げ出したりすることが日常的かつ一般的に起きていることは、こうした人間関係の濃密さが一因となっているのではないか。」
これではJAのどこを取っても、逆境に抵抗して「検証」をすることなど、絵に描いた餅ではないか。
西山はとにかく契約者に儲けさせてきた。契約者の家屋が災害に遭ったとき、その被害を実際よりも大きく見積もり、彼らが共済金をずっと多く受け取れるよう、便宜を図ってきたのだ。
取材対象者は語る。
「家が自然災害に遭い、瓦が破損したとする。通常の査定であれば、共済金が一〇万円しか出ない。ところが、西山はそれを五〇万円になるように査定して、お客さんに四〇万円を儲けさせてきた。そうやって一度いい目を見たお客さんは、『あんただったら、また新しい契約に入るよ』という気持ちになるわけだ。西山のやり方はとにかくその繰り返し。」
西山が死んだ後も、対馬で彼を悪く言うものはいない。
ここまで書いていいのか――『対馬の海に沈む』(窪田新之助)(6)
JAが職員に課しているノルマは、共済商品の他にもたくさんあって、それを読んでいくと嘔吐しそうになる(この本を読んだ後、JAグループに就職しようという人間はいないだろう)。
どんなノルマがあるか。
「信用事業では、年金口座の開設や貯金の獲得、投資信託の販売など。
経済事業では、ジュースや茶、JA全農が扱う通念のカタログギフト『旬鮮倶楽部』の販売など。」
それはまだまだある。著者がかつて勤めていた、JAグループが発行する『日本農業新聞』と、「家の光協会」が発行する3誌、つまり『家の光』と『地上』(JAの役職員向け)、『ちゃぐりん』(小学生向け)である。
JAは職員に、3誌の中から購読する雑誌を選ばせている。ただJAによっては、職員に複数部を割り当て、中には10部の購読ノルマを課しているところもある。
「そうしたJAの職員の一人が私の取材に、『何部もあっても仕方ないので、みんなすぐに捨ててしまう。だから、みんなで『ごみの光』と揶揄しています』と辛辣に語ったことがある。」
物品販売のノルマから、『ごみ(!)の光』まで、年間では相当の持ち出しになる。これでは家計を苦しめるだけだし、家庭内不和の原因にもなる、という話もよく聞いた。
JA対馬は支店ごとに、貯金獲得のノルマを課していた。金融機関としての大きさを、貯金額で示したかったのである。
西山はこれを楽々とこなした。共済事業で自然災害の被害を捏造することで、上対馬支店の借名口座と借用口座に、巨額の金が入ってきたからである。
また貯金残高のノルマを達成できない職員には、西山が管理する口座から、その職員の口座に、必要な額を期日までに振り込んでいた。
取材先の1人が明かす。
「職員自身の貯金もノルマにカウントされるけんね。たとえば、西山の口座から一二月二五日に、三〇〇〇万円がボンッて感じで、職員の口座に入ってくる。年が明けて数日したら、今度はその職員の口座から三〇〇〇万円が西山の口座に戻される。要は年末の一瞬だけでも目標額に達したら、ノルマとしてカウントされるから、そうしてるだけ。」
もうどうしようもない。しかもこれも驚くべきことに、支店が暗黙のうちに認めたやり方なのである。
それなら、死んだ西山一人がやっていた訳ではあるまい。今でも毎年、JAのどこかでやっているだろう。
西山は購買事業においても、凄まじい実績を上げた。共済の払戻金を原資にした、そのやり方を細かく上げることはしないが、しかし長年にわたる不正の手口を、JAの組織が気づかないはずはない。
「JA対馬の関係者が続ける。
『農協としても、西山の不正に薄々気づいてはいた。ただ、対馬農協には被害がないし、西山はノルマをこなしてくれる。だから誰も口に出さんかったのよ』」
特定の被害者のいない犯罪、これが西山の犯罪行為の意味だから、みんな見て見ぬふりをし、そして犯罪に加担して行ったのである。
たとえば、借名口座や借用口座を利用した共済絡みの金を、西山が不正に引き出す際には、一部の職員たちが出金伝票を代筆した。口座の名義人ごとに、代筆する職員が割り振られていた。完全な集団犯罪である。
そして職員が通帳・印鑑を預かる借用口座は、いまだに他のJAでも横行している、と著者は言う。
どんなノルマがあるか。
「信用事業では、年金口座の開設や貯金の獲得、投資信託の販売など。
経済事業では、ジュースや茶、JA全農が扱う通念のカタログギフト『旬鮮倶楽部』の販売など。」
それはまだまだある。著者がかつて勤めていた、JAグループが発行する『日本農業新聞』と、「家の光協会」が発行する3誌、つまり『家の光』と『地上』(JAの役職員向け)、『ちゃぐりん』(小学生向け)である。
JAは職員に、3誌の中から購読する雑誌を選ばせている。ただJAによっては、職員に複数部を割り当て、中には10部の購読ノルマを課しているところもある。
「そうしたJAの職員の一人が私の取材に、『何部もあっても仕方ないので、みんなすぐに捨ててしまう。だから、みんなで『ごみの光』と揶揄しています』と辛辣に語ったことがある。」
物品販売のノルマから、『ごみ(!)の光』まで、年間では相当の持ち出しになる。これでは家計を苦しめるだけだし、家庭内不和の原因にもなる、という話もよく聞いた。
JA対馬は支店ごとに、貯金獲得のノルマを課していた。金融機関としての大きさを、貯金額で示したかったのである。
西山はこれを楽々とこなした。共済事業で自然災害の被害を捏造することで、上対馬支店の借名口座と借用口座に、巨額の金が入ってきたからである。
また貯金残高のノルマを達成できない職員には、西山が管理する口座から、その職員の口座に、必要な額を期日までに振り込んでいた。
取材先の1人が明かす。
「職員自身の貯金もノルマにカウントされるけんね。たとえば、西山の口座から一二月二五日に、三〇〇〇万円がボンッて感じで、職員の口座に入ってくる。年が明けて数日したら、今度はその職員の口座から三〇〇〇万円が西山の口座に戻される。要は年末の一瞬だけでも目標額に達したら、ノルマとしてカウントされるから、そうしてるだけ。」
もうどうしようもない。しかもこれも驚くべきことに、支店が暗黙のうちに認めたやり方なのである。
それなら、死んだ西山一人がやっていた訳ではあるまい。今でも毎年、JAのどこかでやっているだろう。
西山は購買事業においても、凄まじい実績を上げた。共済の払戻金を原資にした、そのやり方を細かく上げることはしないが、しかし長年にわたる不正の手口を、JAの組織が気づかないはずはない。
「JA対馬の関係者が続ける。
『農協としても、西山の不正に薄々気づいてはいた。ただ、対馬農協には被害がないし、西山はノルマをこなしてくれる。だから誰も口に出さんかったのよ』」
特定の被害者のいない犯罪、これが西山の犯罪行為の意味だから、みんな見て見ぬふりをし、そして犯罪に加担して行ったのである。
たとえば、借名口座や借用口座を利用した共済絡みの金を、西山が不正に引き出す際には、一部の職員たちが出金伝票を代筆した。口座の名義人ごとに、代筆する職員が割り振られていた。完全な集団犯罪である。
そして職員が通帳・印鑑を預かる借用口座は、いまだに他のJAでも横行している、と著者は言う。