失われた「山荘」を求めて――『富士日記の人びと―武田百合子を探して―』(校條剛)(3)

ここからはアトランダムにエピソードを引いておく。
 
武田泰淳の山荘のそばに、大岡昇平夫妻も山荘を得た。『富士日記』に登場する大岡昇平は、『成城だより』の大岡からするとなかなか信じられないが、三枚目で笑える話が多い。

校條さんが個人的に興味を持ったのは、次の挿話だ。

「ホラー映画『悪魔のいけにえ』を吉田の映画館で上映していたときのこと。百合子さんよりも、花〔武田夫妻の娘〕が猛烈推薦する。それを真に受けて観に行った大岡は、観始めから気に入らなかったが、とうとう我慢が出来ずに途中で切り上げて出てきたという。『たいへんなものを推薦してくれたな』と百合子さんたちをなじる。」
 
校條さんも『悪魔のいけにえ』で、同じような体験をしている。
 
脚本家の故・田向正健と校條さんは、仕事を離れて付き合いがあった。その田向正健の大のお気に入りが、この映画だった。
 
校條さんは、そのころ上映館はもうなかったので、VHSのテープで観たのだった。

「冒頭、手のひらにカミソリの刃で傷をつけるところから、私はもうイケマセン状態になってしまった。最後までなんとか観たが、そのあとテープは荷物の奥に放り込み、もちろん二度観ることはなくて、とうとう捨ててしまい、疫病神を始末した気分になった。」
 
校條さんは、大岡と同じ感覚を持っていたのだ。

しかしそのあとで、こう書く。

「あの映画にはしぶといファンがいるのである。」
 
ホラーと言えば養老孟司さん。映画ではなく本の方だが、いっときは会えば必ずスティーヴン・キングの話をされていた。
 
あまり熱心に話されるので、そのときは自分も、キングのものを読んでみるのだが、面白いことは面白いが、熱中してつづけて読むというふうにはならなった。

映画も同じである。『キャリー』も『シャイニング』も『ペット・セマタリー』も、ホラー映画としてはそれなりに面白いが、つまりは、それだけのこと。

『悪魔のいけにえ』は観ていない。
 
ホラー映画を観ても、根本は作りものだから、通り一遍の怖さしかないのである。私が本や映画のホラーに熱中しないのは、たぶんそこに原因がある。それはSFの本や映画に、肩入れできないのと同じことだろう。
 
なお、大岡昇平と武田泰淳の初対面については、面白いことがあった、と校條さんは書く。

「最初の出会いは一九五二(昭和二十七)年ごろだろうか。泰淳は鎌倉にも近い片瀬江ノ島に、大岡は鎌倉に住んでいたころだ。大岡は『武田の小説は下手だ』と中村光夫に話していたので、両者が仲違いしないように、中村が間に入って、関係をおだやかな方向に持っていったとどこかで読んだ。」
 
大岡昇平と中村光夫と武田泰淳、三者三様の微妙な肌触り、その違いが、分かるような気がする。作家と批評家、一度登録されれば、一生それで食って行けた時代の話である。
 
校條さんは、軽井沢にいた水上勉のもとに、原稿取りに通ったことがあるという。

「昼間は昼間で大工さんやら何やら、地元の知り合いが顔を出すし、原稿を書こうという夜になると、今度は秘書に来ていた女優さんや銀座のバーのママさんやらが相談ごとを抱えてやってくるという塩梅で、原稿が多少進むのは深夜になってからだった。」
 
いかにも、売れっ子の作家を持っている敏腕編集者という構図だが、校條さんは最後に意外なことを書く。

「こちらは、風呂に入れてもらい、食事をご馳走になって、酒を飲みながら待っているだけのことで、気楽な商売とも見えるだろうが、原稿待ちは人生の無駄だったような気持ちもある。」
 
私は、作家の小説原稿を取ったことがない。最初に入った出版社で、売れっ子の翻訳家の原稿を取ったことがあるだけだ。それは大変だったけれど、若い私には充実した待ち時間だった。
 
それがメインの仕事になり、一生の大半の仕事ということになると、そんなふうに思うものなのだろうか。
 
ところで今も、小説雑誌の編集者は、同じことをしているのだろうか。

失われた「山荘」を求めて――『富士日記の人びと―武田百合子を探して―』(校條剛)(2)

『富士日記』は、武田泰淳の半強制的な勧めで、武田百合子が書き始めたものである。始めたのは1964年7月18日、終わりは、武田夫妻が別荘暮らしに別れを告げる、1976年9月のことで、9日の日付が最終である。
 
そのひと月後に武田泰淳は、癌のため急逝する。
 
校條さんは、『富士日記』が再読、三読に値する作品であることを強調する。

「たとえば一九六六(昭和四十一)年六月九日――

 朝 ごはん、味噌汁(キャベツ、卵)、牛肉、でんぶ、うに。
 ひる お好み焼、スープ。
 夕 ごはん、塩鮭、キャベツバター炒め、茄子とかき玉のおつゆ。
 お汁粉を作って食べた。

 一見、情緒とは無縁の『もの』の記述に過ぎないが、いや、そのように見えるのだが、嚙みしめて読むと、これらの言葉には、百合子さんの『食べることへの強い興味』が裏打ちされていることに気がつくのだ。」
 
ここら辺りはちょっと苦しい。私は右の例を写したから、思わずどんな味だったろうと、それぞれの料理を舌に転がし想像したが、ただ読んだだけなら、やはり「情緒とは無縁の『もの』の記述」に、過ぎないのではないだろうか。
 
そこで焦点は、実は校條さんの探求そのものに移っていくのである。

「山の別荘は夏場に利用するところだと思っている人が多いだろうが、空気の澄んだ秋の高原の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい。そういうとき、『何ていいところなんだろう』という百合子さんの声が再び聞こえてくるのだ。」
 
ここでも「百合子さんの声」をバックに、メインは校條さんの、秋の高原の筆舌に尽くしがたい素晴らしさが、歌われている点だ。
 
ところで武田泰淳は、どういう作家であったのか。この時代、編集者として名を成した人が、次から次に出てくる。その名前は省略するが、「その他、毎日新聞、岩波書店、筑摩書房、新潮社などの編集者が山荘を訪れてきたり、電報や管理所を通して連絡を寄越したりと、当時の泰淳の売れっ子振りに驚いてしまう。」
 
そういう作家だったのだ。
 
編集者の付き合い方も、現代とはだいぶ違う。

「東京の出版社が電子メールどころか、ファックスもないような状況で電車を使い河口湖駅まで来て、そこからタクシーを使って、あるいは東京からタクシーあるいはハイヤーを雇って、直に山荘に到着して来ている。〔中略〕編集者のほとんどは日帰りで、また東京まで折り返すのである。自動車代もさることながら、作家も編集者もそれだけの時間的に余裕があったわけだ。」
 
これは作家と編集者が、かつての幸福な日々を送った時代であった。即物的な話をすれば、1人の作家が、まず雑誌、そして単行本、現代文学の選集(全集)、作家の個人全集と、1つの作品で4度も稼いでいた時代があったのだ。
 
さらに作家の地位が違う。

「作家は一度作家になると、一生作家でいられた時代でもあった。現代では毎日のように新人がデビューして、古手の作家は定期的にある程度売れる作品を刊行していないと切り捨てられてしまうが、泰淳の時代は一旦、文壇が作家として認めると、その看板が褪せることはまず考えられなかったのである。」
 
作家は尊敬されていた。今では、作家を無条件に尊敬する人は、誰もいない。

失われた「山荘」を求めて――『富士日記の人びと―武田百合子を探して―』(校條剛)(1)

去年の暮れに、田中晶子が大動脈乖離で、5時間の緊急手術を受け、そのまま入院した。

私の方は半身不随で、食事・洗濯・掃除などは一切できないから、朝昼晩と毎日三度、そのためにヘルパーが入った。
 
その少し前、元新潮社の校條剛〔めんじょう・つよし〕さんから、私のブログ宛てにメールをいただいた。
 
それは『飛ぶ夢をしばらく見ない』の回で、校條さんは、山田太一からその原稿を受け取り、『小説新潮』に掲載したのだ。それで懐かしくなって、私にメールを下さった。
 
ところが私は、女房が入院していてそれどころではない。家に入ってくるヘルパーも気を遣うだろうが、三度三度食事を出される私も、そのヘルパーに対して気を遣う。一日をへとへとの思いで送り、校條さんに返事を書かなくてはと思うが、出来ない。
 
返事のメールを書いたのは、年が改まって、1月も下旬になってからであった。
 
そういう話を、元文壇バーのマダム、「アンダンテ」の高江奈津子さんと、メールでしていたら、そう言えば校條さんの『富士日記の人びと―武田百合子を探して―』が出ていて、書店に行ったら最後の1冊が残っていたので、買ったわよ、という話だった。
 
そういう引っ掛かりのある本、つまり因縁のある本は、是非とも読まねばなるまい。
 
そう思って読んだが、これはいかにも編集者の書いた本だった。というと悪口と取る向きもありそうだが、全く違う。むしろ逆である。

うまくは言えないのだが、作家に接近するとき、編集者はその作家の書いたものを、ことさら俎上に載せることはしない。
 
それはそうだ。作家にしてみたら、書いたものをああだこうだ言われることは、たまらない。ちょっと考えればわかる話だが、読者は書いたものを良しとして、ファンになるわけだから、作家と会う際、それを俎上に載せる以外に方法はない。
 
しかし編集者は違う。作家と読者を分ける境目があるとすれば、編集者はどちら側にいるか。とうぜん作家の側にいて、しかもしばしば作家の家族よりも、著者に近いところにいる。
 
この本の場合、武田百合子はなくなっているのだが、それでも校條さんは、できる限り、彼女を眼前に浮かび上がらせようとする。それが、「武田百合子を探して」というサブタイトルの意味である。
 
校條さんは編集者生活をまっとうし、そのあと京都の大学での教授職も終え、近年セカンドハウスを、『富士日記』の舞台である武田泰淳の山荘の近くに、所有することになった。

「『富士日記』のあの人間臭いドラマがたった二キロ先の樹林帯のなかで展開されていたと知ったときに、私の胸のなかに生まれたのは過ぎ去ってしまった時間を懐かしむ強い哀惜感だった。と同時に、あの生き生きとした幸福な時間をもう一度蘇らせることが出来ないかなという痛切な願いも胸中に湧いてくるのだった。」

「痛切な願い」を、自分が書くことによって、目の前にはっきりと打ち出し、それを読者と共に味わいたい、これは文章を書くための動機の、まさに王道である。
 
しかし時は、休みなく過ぎていく。かつての武田泰淳と百合子の、家族の賑わいや、喜びや悲しみ、おいしいものを食べたときの満足感、木々を透かして降り注ぐ光と、透明な空気の感動的な魅力……、それはもう永遠に取り戻せない。
 
しかし、と校條さんは言う。

「過ぎ去った時間は逆戻し出来るのである。〔中略〕失われた時が蘇るのである。これが、文芸の魔力であり、人間に許された唯一の時間遡行方法である。不思議なことに、事物と人物の形象を物理的に残す映像的なコンテンツにおいては、実は『過去』が鮮明に意識されてしまう。文字という記号の組み合わせが醸し出す『リアリティ』こそが時を超えて『今、そこにあるもの』として認識されるのだ。」
 
さすがは『小説新潮』元編集長、その確固たる姿勢があってこそ、多くの読者を巻き込んでいけるのだ。

モデル家族の最先端――『じい散歩―妻の反乱―』(藤野千夜)

前作の『じい散歩』は面白かった。

明石新平、89歳、妻の英子、88歳。3人の息子たちがいて、長男と3男は同居している。長男は10代からひきこもり。3男は借金を抱えつつも、なお一獲千金を夢見て、親からカネを引き出そうとしている。次男は自称、長女、つまり女性の格好をしたトランスジェンダーで、若い男と近くに暮らしている。
 
今回はその続編。新平も英子も、ともに90歳を超えている。
 
前作の終わりに、妻の英子が倒れ、車椅子での介護が必要になり、新平は前のように、気ままに散歩に行けなくなった。
 
とは言っても、ヘルパーたちの来ている時間に、こっそり散歩したりする。そうでないと、「じい散歩」にならない。
 
しかしそれでも、そのチャンスは少なくなる。その代りに浮上するのは、家族の問題である。
 
前作では僕も一緒になって、椎名町から池袋のあたりを散歩するのが、楽しみだった。

学生の頃、西武池袋線の中村橋や江古田には、日大芸術学部の友だちが何人かいて、その友だちのところへ何泊もして、映画を観たり、麻雀をしたり、喫茶店でただ無意味にだべったり、夜になっても、明け方になっても、日が変わっても遊び続けるのは、本当に面白かった。
 
だから、前作『じい散歩』に出てきた喫茶店やレストランは、懐かしさで涙がこぼれた、といっては言い過ぎになるが、それでもとにかく懐かしかった。
 
今回は明石新平の、終活に向かう諸々の事柄と、妻・英子との死と別れ、そして3人のどうしようもない息子たちとの葛藤が、主たるテーマである。
 
新平は、子どもであっても、最終的には好きに生きろ、と相手を認める父親である。揃いもそろって結婚もせず、長男はひきこもり、次男はトランスジェンダー、3男は山師タイプで、ずっと親から借金をしている。
 
さすがに新平も、俺は甘いから育て方を間違えた、と思わないではないけれど、しかしそんなことを後悔してもしょうがない。結局、自分の生きたいように生きるのが一番だし、それ以外に生きる道はない、と達観している。
 
主人公が達観しているから、面白いと思って読んでいるが、よく考えてみれば、3人の子どもとの関係は、こういう言葉を使ってよければ、かなり悲惨だ。もしこの一家を近くで見ていれば、何とかならんか、と思わないではいられないだろう。
 
しかし、読み進めて終わりまで来れば、案外いまの家庭の一つの典型ではないか、という気もしてくる。
 
自民党が金科玉条お守りにしている、夫婦2人と子ども2人の家庭。夫は外へ働きに出て、妻は専業主婦というのは、日本の歴史の中でも、第2次大戦後に現われた高度成長時代の、特異ケースに過ぎない。
 
今はそういう典型が成り立たない時代だ。そう思ってこの小説を読めば、主人公の達観は、かなり戯画化してはいるが、そういう意味ではこれもありなのだ、ということが深く納得される。
 
とはいっても読んでいるときは、あれこれ考えずにすいすい読めて、思わず笑いが洩れる。
 
妻の英子が臨終を迎える場面。

「〔次男の建二が〕顔を上げて、新平のほうを見た。
『ねえ、お父さんがキスしたら目が覚めるんじゃない?』
『ふん』
 と新平は笑った。くだらない。揃って九十代半ばの両親になにを言うのだろう。本当に自分はふざけた息子ばかり持ったものだと、新平はしみじみ感心する気持ちになった。」
 
この「しみじみ感心する気持ち」というのが、新平の度量の大きさを示している。
 
そして行きつくところは、どんなときでもこの一点。

「でも、まあ好きに生きればいいさ、本人が幸せならいい」。
 
そういうことである。
 
最後の奥付対向ページに、「初出」は「『小説推理』二〇二二年五月号~二〇二三年八月号」とあって、そのあとに「(二〇二三年五月号除く)」と出ている。
 
これが問題だ。単にその号は、藤野千夜が連載を落としたのか、それとも連載はしたけれども、単行本にするときに、さしさわりがあって落としたのか。
 
もし、さしさわりがあって落としたのなら、ぜひ読みたいものである。

(『じい散歩―妻の反乱―』藤野千夜、双葉社、2023年10月21日初刷)

かくも豊かな疑問――『飛ばないトカゲ―ようこそ! サイエンスの「森」へ―』(小林洋美)(6)

こんなことがあるんだ。2人の人間が10分間、相手の目を見つめ合っていれば、どうなるか。そういう実験である。
 
通常、人は見つめ合ってるといっても、たとえ恋人同士でも、数分間だろう。10分間、見つめ合っていればどうなるか。
 
Caputoは長時間見つめ合っていれば、「幻覚」が生じることを、発見してしまった。2010年代の一連の論文で、それを明らかにしている。

「実験はとても簡単なのだが、結果はすごい。二〇人の参加者全員が何かしらの幻覚を見てしまったのだ。たとえば、相手の顔が自分の顔や知り合いの顔になったり、知らない人の顔や幼児の顔になったり、イヌやネコといった動物の顔やモンスターになったりもしたそうだ。」
 
にわかには信じられない話だ。
 
人は長時間見つめ合っていれば、幻覚が生じる、というようなことが、21世紀になって、初めて明らかにされるとは。
 
そればかりではない。Caputoは、鏡に映った自分の顔の、目を見るだけでも、幻覚が生じることを発見している。
 
著者は驚くとともに、自分の顔を見るだけなら簡単と、試してみることにした。

「窓からの薄ら明かりの中で、鏡に映る自分の目をじっと見たのだ。すると一分もしないうちに顔が動き始めた。最初に鼻と口が消えた。びっくりしてまばたきをしたら、鼻と口は元に戻ったので安心したら、今度は眉毛がぐんぐん伸び出し、メキシコの画家であるフリーダ・カーロのような眉毛になったのだ。そのうち、鼻や口が動き始め、パブロ・ピカソの描く帽子をかぶった女性たちのようないびつな顔になったのである。」
 
著者はさすがにびっくりした。自分の顔は毎日見ているのに、じっと見ていると、こんなふうになるなんて。
 
著者の鼻や口が消えたのは、錯視現象やゲシュタルト崩壊などを使って、説明できそうだが、自分の顔が動物の顔になったり、別の人の顔になったり、モンスターになることは、錯視現象などでは説明できない。

「自己を投影したら顔がモンスターになるというのは、何とも不思議だ」、というのが著者の感想である。

しかし私は、ゾーッとしつつも、逆に納得した面もある。じっと見ていると、人は誰でもモンスターになるというのは、つまり、そういうことではないか。人間の本性はモンスターだ、ということではないか。

ちなみに私は、自分の顔を10分間、鏡で見たりはしない。だってそこに映ったのが、モンスターだなんて、怖すぎるじゃないか。
 
今回ブログで紹介したのは、60余篇のうち、10篇に満たないものだ。それは紙数が限られているというよりは、1テーマわずか3ページで、文章が凝縮されていて、説明するのが難しいからだ。
 
なぜそういう、律儀で端正な文章で書かれているかと言えば、この本は科研費から援助をうけた、と最初に書かれているから。つまりこの本は学術書なのだ。
 
私が編集をしていたのは、もう10年も前のことだ。そのころ、文科省の出す科研費を受けるためには、著者に印税を払ってはいけない、その本で儲けてはいけない、だから部数は絞り込んで、定価は学術書にふさわしく高定価しなくてはいけない、といろいろと注文がついた。
 
たぶんその辺りは、変わっていないだろう。だからこの本は、とり・みきの面白い装幀にもかかわらず、カッチリした文章で書かれており、並製・224ページにしては、びっくりするくらい高い定価(2750円)がついているのだ。

しかしもちろん、高定価の価値は十分にある。

(『飛ばないトカゲ―ようこそ! サイエンスの「森」へ―』
 小林洋美、東京大学出版会、2022年2月21日初刷)

かくも豊かな疑問――『飛ばないトカゲ―ようこそ! サイエンスの「森」へ―』(小林洋美)(5)

オスのキリン同士が向かい合って、あるいは並んで、頭を打ちつけ合う動作が、「スパーリング」であると、「キリンの首が風を切る音」に紹介されている。
 
このインパクトある行動は、1958年に紹介されて以降、たびたび報告されている。

「首の長さだけで二メートル、首から頭の重さだけで一〇〇キロを超える。この長くて重たい首を(文字通り)ぶんぶん振り回して頭部の角を相手の体に打ちつける様は、もはやしなやかで強大なムチのたとえを通り越してシュールでさえある」。
 
しかしこれは、定量的な観測がなされていなかった。
 
そこで、南アフリカのモガラクウェナ川保護区で、キリン31頭のスパーリングを計測した。
 
1頭が頭部を相手に打ちつけ、相手もやり返したら、スパーリングと定義した結果、118回のスパーリングを観測した。
 
このスパーリングで、ケガをしたキリンはいなかったという。どうやらこれは儀式、それも格付の儀式らしく思われる。

「若いオスどうしのスパーリングは時間あたりの打撃数が多く、持続時間は短い。一方、成熟オスのスパーリングは互いに首を打ちつけるのではなく、首を押しつけ合うだけのことが多かった。」
 
そこから、儀式らしく思われる、という見方が出てくる。

「スパーリングには一種の順位確認行動の側面がありそうだが、そこには『規範』のようなものが存在し、儀式化されているようにすら見える。」
 
著者の最後のオチは、こういうものだ。

「いつか現地で、スパーリング中のキリンの首が風を切る音を聴いてみたい。といっても、そんな音を想像してみただけで、本当に音がするのかはわからない。」
 
その音はヒューか、ビューか、またはドサリか、いずれにしても、しごくまっとうな感想だ。
 
私の疑問は、そういうところにはない。そうではなくて、スパーリングというインパクトある行動は、なぜ1958年に、初めて紹介されたのか、ということだ。
 
キリンが、いつの時代からいるのか、ヒトとの付き合いがあるのかは知らない。たぶん1000年や2000年といった、比較的新しい時代のことではあるまい。
 
そのキリンのスパーリングが、1958年に初めて紹介されたのだ。これをどう考えればよいのか。
 
大まかに言って、3つの可能性が考えられる。
 
1つは、キリンのスパーリングが1958年に、とは言わないまでも、20世紀も後半になって、突如現われたというもの。

キリンが突然、顔をぶつけ合うようになった。だから科学者は、びっくりして論文に書いたのだ。これはまあ、可能性がゼロとは言わないまでも、限りなく小さい。
 
2つ目は、どんな人だか知らないが、キリン博士が出て、ヴェールに包まれたキリンの、昔からあるスパーリングを発見したというもの。
 
3つ目は、第2次世界大戦の終結から10年ちょっとで、復興の兆しが見え、人びとの目が社会から、自然にも向けられるようになった、というもの。
 
この時期の全世界とは言わないまでも、欧米の自然科学系の論文を、全体的に大まかに読めば、そのことが証明できるのに、私にはそんな時間はないから非常に残念だ(!)。

かくも豊かな疑問――『飛ばないトカゲ―ようこそ! サイエンスの「森」へ―』(小林洋美)(4)

次の「時間の化石」は面白い、と書きながら、いつも同じ導入だなと反省する。考えてみれば難しいものは飛ばして、面白いものに限り紹介しているのだから、こういう導入は必要ないともいえる。
 
最初は2本足で歩くワニである。

「韓国南部の晋州層から、白亜紀前期(一億一〇〇〇万年前)の後足だけの足跡化石が報告された。体長三メートルのワニ類が二足歩行をしていた足跡だという。現生のたとえばアメリカワニは四足歩行で、左右の足跡は約八センチ離れているが、この白亜紀の足跡は左右の間隔がマイナス二センチ、つまり一方の足を他方の足の前に出して『モンローウォークのように』歩いていたらしい。」
 
ウソだ、と反射的に私は思った。マリリン・モンローのように、お尻をぷりぷりさせながら、2本足で立つワニ、それはもうワニとは別種の生き物、ワニリンかなんかに違いない。
 
著者だって、「どうしたってマリリンと重ね」て想像すると、思わず身もだえしそうになる、と書いている。
 
すると今度は、海底に固着するウミユリの化石の論文が出た。

「Gorzelakらは、現生ウミユリは危険が迫ると腕を自切すること、切れた腕はトカゲのしっぽのように動き、海底に独特な放射状の模様を作ることを発見した。さらに、これと同じ模様が、米国ユタ州で発掘された三畳紀前期(二億五〇〇〇万年前)のウミユリ化石の周囲にあったのだ。」
 
ウミユリが、トカゲのしっぽのごとく腕を切るのも、びっくりだが、その切った腕を、2億5000万年前の化石として発見したというのが、もっとびっくりである。
 
これを読んだ著者の感想。

「自切してうごめいたウミユリの腕の生痕! 一体誰が食べようとしたのだろう?」
 
疑問はそっちの方向へ行くんかい。
 
と思っていたら、今度は米国ニューメキシコ州で、更新世後期(1万1000年前)のヒトの足跡が見つかった。
 
これは保存状態が良く、90個の足跡が、北向きと南向きにならんでいる。同一人物が往って還ったものかもしれない。

北向きのときは、子供を連れているようだった。並んだ子供の足跡が、ときに欠けているのは、ときどき子供を抱き上げたのではないか、と想像される。
 
興味深いのは、北向きの足跡を踏んで横切ったマンモスとオオナマケモノの足跡であり、しかもヒトの南向きの足跡は、さらにそれらを踏んでいたのである。ヒトと獣の戦いは、一触即発だったわけである。

「足跡が迷いなく一直線に続いていることから、馴れ知った目的地を目指し、肉食獣を警戒しながら早足で歩いたのだろう。オオナマケモノはヒトの足跡付近で歩き回り、後足だけの箇所もあることから、上体を起こしてヒトの存在やにおいを確認していたのではないか。一方、マンモスの足跡にはヒトを気にするような行動は見られなかったという。」
 
まるで昨日見てきたような光景だ。4歳くらいの子どもと若い父親が、ときどき抱っこしながら、北にまっすぐ歩いて行く。帰りは一人だ。その間、運が悪ければ肉食獣に出くわす。1万1000年前の日常では、よくあったことなのだろう。
 
論文を読んだ著者は、ずうっとずうっと昔のことを、ありありと思い浮かべる。

「はるか昔のワニが、ウミユリが、ヒトが、過ごした時間の経過を目の当たりにするというのは、何か呆然としてくる。」
 
と同時に、何万年も前の一瞬一瞬が、限りなくいとおしくなる。

かくも豊かな疑問――『飛ばないトカゲ―ようこそ! サイエンスの「森」へ―』(小林洋美)(3)

次は、本の題名になっている「飛ばないトカゲ」である。
 
Donihueらは、ハリケーンの本場、カリブ海の小島で、アノールトカゲの一種、サザンバハマズアノールを観測した。
 
たまたま2つのハリケーンが続けて上陸したので、「ハリケーンによる影響や回復について調べるまたとない機会だ」と考えたのである。
 
つまり「飛ばないトカゲ」というのは、「ハリケーンでは飛ばないトカゲ」、という意味なのだ。

「生き残り個体の体は小さく、体の大きさに比べて指先のパッドが大きく、前肢が長く、逆に後肢が短いことがわかった。この形態は枝にしがみつく能力と関係があるのかもしれないと考え、サザン四七匹に風を当て、観察した(図・動画)。」
 
トカゲがしがみついている図と、章タイトルの下にQRコードが載っていて、ケータイでトカゲがしがみついているのが分かる。本の世界も変わったものだ。
 
そうして得た結論は、次のようである。

「指先のパッドが大きく、前肢が長く後肢が短く、体サイズが小さい個体は、強風に耐えられる形態なのかもしれず、ハリケーンという極端な気象が自然淘汰を起こした初めての証拠かもしれない。」

「証拠かもしれない」と、断定口調ではなく、仮説にとどめておくのがいい。
 
末尾の一段は、考えさせる。

「『唯一生き残ることができるのは変化できる者である』とか、誰かが進化論の誤用をまき散らして開き直っているのを横目で見つつ、私はトカゲを見つめて考えたい。形態の多様性と環境要因(今回はハリケーン)との相互作用がもたらす変化。これこそが自然淘汰だなあ、と改めて思う。」
 
自然淘汰の意味は、そういうことなのだ。

次の「お尻に目」は面白い。
 
トラやライオンやヒョウは、待ち伏せタイプの狩り、つまり背後から獲物を襲う。そこでJordanらは、農場のウシのお尻に、目と、クロス(×印)と、何もしてないもの、3種類を用意して、ライオンとヒョウに襲わせた(3種のウシの、お尻の図版が出ている)。
 
実験の行程が細かく出ているが、使ったウシの数がすごい。およそ2000頭である。

「その結果、目を描かれたウシは一頭も襲われなかった。クロスを描かれたウシは四頭ライオンに襲われ、処理なしのウシはライオンに一四頭、ヒョウに一頭襲われた。目を描かれたウシはクロスや処理なしのウシよりも有意に襲われにくかったのだ。さらに、クロスを描かれたウシは処理なしのウシよりも有意に襲われなかった。」
 この「有意に」というのがよくわからなくて、意味深である。どのくらいの割合であれば、「有意に」というのが使えるのだろうか。
 
それはともかく、背後から獲物を襲う動物に対して、後ろに目があるとどうなるか、と考えはするけども、実際に確かめてみるのは、さすが自然科学者だ。
 
しかしながら、この「お尻に目」を、どういうふうに考えるかが問題だ。

「奇妙に目立つクロスや目がお尻にあることで、ライオンは狩りをやめたのではないか、さらにそれが目模様ならば、『獲物に見つかった=狩りをやめる』と『だませた』ことでそのウシは襲われなかったのではないかと、Jordanらは考えている。」
 
ウシのお尻に目があった、あるはずのないところにあった、それでびっくりしてウシを襲わなかった、と考えるか、後ろにある目で、襲いかかる動物を、本当に見た、と考えるか。
 
これは目を模造品とするか、本物の目とするかで、まったく違った結論になる。結局、ライオンに聞いてみなければ分からないことだ。
 
最後にオチが付いている。
 
夫が買ってきた漫画、『ゴールデンカムイ』に、「おばけ川」という民話が出てくる。

「『化け物が出るという川のほとりで、男は魚を焼いていた。遠くで音がして足音が近づいてきたので、服を脱ぎ、尻に焚き火の炭で大きな目を描き、化け物の来るほうに尻を向けて股下からのぞいた。すると化け物は逃げていった』という話だった。〔中略〕ちょうど今回の論文を紹介しようと思っていたところだったので驚いた。」
 
これは図版として、漫画の1コマが載っている。もちろん尻まくりして、尻に目球を描いてあるところだ。

かくも豊かな疑問――『飛ばないトカゲ―ようこそ! サイエンスの「森」へ―』(小林洋美)(2)

なにしろ3ページに1テーマだから、それを次々に紹介すればいいのだが、文章があまりに凝縮され過ぎていて、その要約が難しい。
 
たとえば「雨のにおい」と題するエッセイ。

「『雨のにおいは何のにおい?』という問いは、アリストテレスの頃からあった。さらに、『雨のにおいはどうやって空中にただようのか』も謎なのだ。」
 
実に魅力的な問いである。
 
Joungら科学者たちは、土の上に水滴を落とし、それを高速度カメラで600回も撮影し、ある仮説を得た。

「水滴が土に落ちて、ぺしゃんこになってから中央が盛り上がる。すると土と水滴の境界に気泡ができる。水が土に吸収されると、土の小孔に閉じ込められていた空気が排出されて気泡が大きくなり、それが水滴の表面に到達すると、破裂してエアロゾルが飛び散ることがわかった。」
 
図版もついている。水滴が地面に着地してから、エアロゾルが分散するまでが、時間の経過を追って図になっている。

「さらに、土壌の物質や細菌はエアロゾルに内包されて飛び、この細菌は一時間も生きていたという。雨が降ると土のにおい成分や細菌がエアロゾルになって空中に舞う。これが雨のにおいなのだとJoungらは考えている。」
 
いちおう謎は解けた、と見える。
 
しかし本物の科学者は、追及の手を緩めない。

雨のにおいは複雑で、単品ではない。代表的なのが、カビに似たコロニーを作る放線菌のストレプトマイセス属である。

「『カビくさい!』というあのにおいで、雨が降ると空中にただようが、『なぜこんなにおいを出すのか』がこれまた謎なのだ。」
 
これはもっともなようでいて、まっとうな疑問ではない。雨上がりのカビ臭いにおいとは、人間にとってそう思うだけで、他の生物にとっては、なんでもないものかもしれない。それは分からない。
 
しかし西洋の自然科学者は、神になり代わって考えるのだ。ひょっとすると、このにおいに惹きつけられる生物が、いるのかもしれない、と。
 
そこでストレプトマイセス属を餌にして罠を仕掛けると、なんと小型の節足動物であるトビムシが捕まったのだ。

「ストレプトマイセス属が生成するストレプトマイシンやカナマイシンなどの抗生物質は、動物によっては毒として働くが、トビムシは解毒できるらしく、ストレプトマイセス属を食べるのだ。トビムシがストレプトマイセス属のコロニーの一部を食べると、トビムシの体に芽胞がつく。さらに芽胞はトビムシに食べられても消化されず、どこか排泄された場所で新たなコロニーになる。」
 
雨のカビ臭いにおいには、ちゃんと目的があり、それを立派に果たしている菌がいるのだ。もっともトビムシが、人間と同じように、あの雨のカビ臭いにおいを、感じているかどうかは分からない。

「ストレプトマイセス属は、トビムシをにおいでおびき寄せ、乗り物にする。エアロゾルにも乗って遠くに飛んでいく。トビムシで地上を、エアロゾルで空中を移動する菌なのだ。」
 
だからと言って、「トビムシをにおいでおびき寄せ」るのかどうかは、分からない。
 
それにしても、自然はどこまでも精緻なものだ。

かくも豊かな疑問――『飛ばないトカゲ―ようこそ! サイエンスの「森」へ―』(小林洋美)(1)

女性が書く自然科学の本は面白い。郡司芽久の『キリン解剖記』も、田島木綿子の『海獣学者、クジラを解剖する。』も、今思い返してもわくわくする読書体験だった。
 
今度は『飛ばないトカゲ』である。もともとトカゲは飛ばないから、何を言っているのか分からない。そこがまた面白いところだ。
 
と思っていたら、これはトカゲの本ではなくて、自然科学の、ほんとに短いエッセイを集めた本だった。サブタイトルの「ようこそ! サイエンスの『森』へ」が、本の構成をそのまま語っている。
 
がっかりだなあ。でも定価2750円もする本だから、読まないわけにはいかない。

そう思って読んでいくと、なんと、これはこれでめちゃくちゃ面白いのだ。
 
最初に書いておくと、挿画・題字・本文イラストは、漫画家のとり・みきが描いている。編集者も、これが面白さ満載であることを伝えたくて、読者に直接わからせるべく、とり・みきを起用したのだ。あるいは著者から出た意見かもしれない。
 
この本は二部からなっていて、Ⅰ部は「論文の森の『イグ!』」、Ⅱ部は「続・モアイの白目」という題である。

「イグ!」は、イグ・ノーベル賞のイグで、要するに「イグ・ノーベル賞を取りそうな論文」をエッセイのタネにして、東大出版会のPR誌『UP』で紹介したものである。
 
なぜそんなことをしたかというと、著者の小林洋美は、『眼科ケア』という雑誌に、「モアイの白目」というタイトルで連載を持っており、それを書籍化して東大出版会から出したところ、それが好評だったので、『UP』でも同じ形式で始めたのだ。
 
すると第Ⅱ部の「続・モアイの白目」は、もうわかるだろう。『眼科ケア』で引き続き連載しているものを収録したのだ。
 
まず最初は「シマシマ作戦」。シマウマのシマは何のためにあるのか。

「研究者たちはシマウマの縞模様に一五〇年以上も前から魅了され、その機能について議論し続けてきたのだから。白黒の縞模様は天敵の目をくらますのだ、社会的なやりとりに使われるのだ、白色と黒色部分の温度差により気流が生じ体温が下がるのだ、虫に刺されにくいのだ、と。」
 
ここを読んで、私は考え込んでしまった。150年以上も前から、というのは、たぶんその頃から、シマウマの縞模様は何のため、という論文が現われたのだろう。
 
考えてみれば、暇なことだ。自然科学の人は、150年以上も前から、こんなことを考えていたのだ。
 
と同時に、シマウマの縞模様は何のためにあるのだろうと、その目的を考えずにはおかない、ということが面白い。
 
これは、神様が目的があって作った、とする考え方であろう。だいたいシマウマが、自分でデザインして作ったのではない以上、誰かが目的があって、作ったに違いないのだ。
 
そういう考え方があるとして、一方に、何も考えない、つまりシマシマの動物はいっぱいいたのだけども、全部滅びてシマウマだけが残った、とする考え方もある。ここでは神は、必ずしも出てこなければならないということはない。
 
自然科学は西洋のものだから、神を前提にして、色々な目的を、ああでもない、こうでもない、と考えずにはおかない。
 
そして150年以上の研究から、どうやらこれは、「虫に刺されにくい」という可能性が、いちばん有力だとわかってきた。

「シマウマの体毛は短く薄く、毛部分の厚みは二ミリに満たない。一方、ツェツェバエやアブの針の長さは三ミリ以上あるので、シマウマは簡単に刺されてしまいそうなのだが、シマウマは他の哺乳類よりも病気にならないし、ツェツェバエの体液からもシマウマの血液は発見されにくいのだ。これはシマシマ効果かもしれない。」
 
そういう研究が2010年代に出た。
 
すると別の研究者らが、それを受けて、こういう実験をした。

「アブ対策として黒ウシに白色塗料で島を描いたのだ。塗料のにおいが影響する可能性もあるので、別の黒ウシには黒色塗料で縞を書いた。すると、白色塗料で縞模様になった黒ウシにアブがとまった回数は、何もしていない黒ウシや黒色塗料の黒ウシの半分以下だったのだ。シマシマ効果、すごいなあ。」

そしてシマシマに塗った、牛の図版まで出ている。 

面白いですねえ。しかもこれが、3ページのエッセイに収まっている。見事というほかない。