「第三話 アジアン・レストランの舞台裏」は英国での、掛け値なしのシット・ジョブ体験記である。
「エヴァ―グリーン・アジア」は、町で唯一のアジアン・フュージョン・レストランだ。フュージョンとは「融合」「溶解」「連合」の意で、つまりいろんなアジア料理が混ざり合って出てくる、ということらしい。
「そうした似非アジア料理のレストランの中でも、『エヴァ―グリーン・アジア』は一線を画していた。こちらはもう、はなからアジア料理であることを拒否しているというか、あえて奇想天外な味つけや組み合わせをすることをアジアン・フュージョンと呼んでいるらしかった。」
それもそのはず、スタッフでアジア人は、主人公しかいなかったのだ。
「揚げ出し豆腐にピーナッツバターソースとレーズンをまぶした前菜とか、たくあんとマンゴーとトリュフの巻きずしとか、日本人のあたしにとってはさっぱり意味不明の料理を出す店だったが、英国の人々は『ナイス』『デリシャス』と言ってそれらを食べていた。」
思わず、英国人大丈夫か、と言いたくなる。
さらにここは、シェフに言い返すことが、許されない職場だった。
「徒弟制度の名残なのかもしれない。英国は日本に比べてリベラルな社会だと思っていたあたしにとって、この軍隊みたいな職場での経験は驚きの連続だった。」
実際にそこで暮らしてみれば、遠くで憧れていたのとは、ずいぶん違うものだ。これは「日本人、スバラシイ」を繰り返した、ラフカディオ・ハーンを例外として、すべてに共通している。
「エヴァ―グリーン・アジア」で出される料理を、「あたし」はオリエンタリズムというよりは、ありえないという意味で、アリエンタリズムと名付けていた。
あるときオーナーが、たった1人のアジア人である主人公を、チャイナドレスを着た案内係にしようとした。
仕事を失いたくない「あたし」には、拒否する権利はない。
「そもそも、日本人だったら着物を着ろというその思考回路が差別的だが、あたしはバーカウンターの上の金の鯱付の金閣寺の屋根みたいなものだった。〔中略〕うちの店にも本物のアジアン・グッズがあるんです。それをひけらかすためにあたしは店内に立たされているのだ。」
現在のブレイディみかこの年齢からすれば、おそらく30年くらい前だろうが、しかし20世紀の末になっても、これである。イギリスはどうしようもなく遅れている、としか思えない。
しかも接客係の「あたし」は、ときに尻を触られるのである。びっくりして、「なにをするんですか!」と問うと、
「バーバリーのトレンチコートを着てカシミアのマフラーを巻いた、いかにも上品な物腰の中年男性は落ち着き払った声で言った。
『何を言っているんだ?……僕が君のような人に触るわけがないだろう』
君のような人ってどういう意味なんだろうと思った。」
階級が厳然たる制度としてある国は、どうしようもなく駄目なんじゃないか、と僕は思う。
この店でもごたごたがあって(そのごたごたの経緯は書く気がしない)、結局スタッフは全員解雇された。
「エヴァ―グリーン・アジア」はオーナーの意向で、回転スシバー「モリモリスシ」に生まれ変わった。まったく性懲りもなく、という言葉しか出てこない。
「シット・ジョブ」だろうか――『私労働小説―負債の重力にあらがって―』(ブレイディみかこ)(1)
これは田中晶子が買ってきた本。ブレイディみかこは最初、僕が読み始めたのだが、途中から妻の方が熱心に読むようになった。
この本は「小説 野生時代」に載った6篇で、どれも面白い。
カバーや帯に、いろいろ能書きが書いてある。
「セクハラ、/パワハラ、カスハラ、人種差別に/事なかれ主義やポジティブ教の上司まで。」
そういう状況で、ただひたすら社会の底辺で働く話だ。
「第一話 ママの呪縛」は、本当によくありそうなスナックで、これは日本にいたころの話。
「ママはいつものぎゃひゃひゃひゃ笑いをした。岸田今日子みたいな青白い顔をして、ちょっと高齢の巫女みたいな取っつきにくい風貌の彼女が、この外見的イメージに合わない笑い方をすると客がウケる。『まったくママは!』とか『品がないんだからあ』とか言って喜ぶのだ。」
そこで働いていれば、女同士のごたごたもあれば、友情に似たものもある。
そんな話のどこが面白いかと言えば、僕にとっては、とにかく懐かしかった。
こういうスナックには、大学のとき以来、入ったことはない。それこそ50年以上昔だ。だからよけいに懐かしかった。
こういうのは、底辺と言えば底辺だけれど、でもそんなに卑下する必要はないんじゃないか、とも思う。
第二話の「失われたセキュリティーを求めて」は、イギリスのスーパーで働く話だ。
そのころ、ブレイディみかことおぼしき主人公は、週に15時間だけ働ける、学生ビザを所持していた。
このスーパーでは、周りの人間はみんな辞めたがっていた。
店長からしてからがそうで、見事に何にもしなかった。
警備員は8時間勤務だったが、本来の業務はまったく放棄していた。
「彼[=警備員]、仏教徒らしいよ」
〔中略〕
「そんなはずないでしょ。だってあの人、エジプト出身だよ?」
「エジプト出身者にも仏教徒はいるでしょ」
「いないよ、あの国はイスラム教」
「でも、この国に来てから仏教徒になったかもしれないし」
「この国だって仏教の国じゃないでしょ」
この辺はうまいと思う。ブレイディみかこも、だんだん作家になってきた。
それはともかく、この店にはモラルというものが、かけらもない。
最後はこうなっている。
「店長はまた事務所から出てこなくなり、店内の万引きも減らなかった。
あたしたちのセキュリティーは失われたままである。」
にわかには信じられない話である。スーパーの仕事が嫌だという者は、もちろんいるだろう。しかし、好きな者もいるはずである。
スーパーの仕事が、「シット・ジョブ」(くそみたいに報われない仕事)とされているのは、イギリスの階級制と関係があるのだろうか。とにかくイギリスでは、スーパーの店員をそういう目で見る。
日本では、テレビにしょっちゅう出ている、「スーパーアキダイ」の社長などを見ていると、とても同じ仕事とは思えない。
スーパーの店員たちは、物価高と戦う最前線の場で、奮闘しているように見える。それは絶対に「シット・ジョブ」ではない。
この本は「小説 野生時代」に載った6篇で、どれも面白い。
カバーや帯に、いろいろ能書きが書いてある。
「セクハラ、/パワハラ、カスハラ、人種差別に/事なかれ主義やポジティブ教の上司まで。」
そういう状況で、ただひたすら社会の底辺で働く話だ。
「第一話 ママの呪縛」は、本当によくありそうなスナックで、これは日本にいたころの話。
「ママはいつものぎゃひゃひゃひゃ笑いをした。岸田今日子みたいな青白い顔をして、ちょっと高齢の巫女みたいな取っつきにくい風貌の彼女が、この外見的イメージに合わない笑い方をすると客がウケる。『まったくママは!』とか『品がないんだからあ』とか言って喜ぶのだ。」
そこで働いていれば、女同士のごたごたもあれば、友情に似たものもある。
そんな話のどこが面白いかと言えば、僕にとっては、とにかく懐かしかった。
こういうスナックには、大学のとき以来、入ったことはない。それこそ50年以上昔だ。だからよけいに懐かしかった。
こういうのは、底辺と言えば底辺だけれど、でもそんなに卑下する必要はないんじゃないか、とも思う。
第二話の「失われたセキュリティーを求めて」は、イギリスのスーパーで働く話だ。
そのころ、ブレイディみかことおぼしき主人公は、週に15時間だけ働ける、学生ビザを所持していた。
このスーパーでは、周りの人間はみんな辞めたがっていた。
店長からしてからがそうで、見事に何にもしなかった。
警備員は8時間勤務だったが、本来の業務はまったく放棄していた。
「彼[=警備員]、仏教徒らしいよ」
〔中略〕
「そんなはずないでしょ。だってあの人、エジプト出身だよ?」
「エジプト出身者にも仏教徒はいるでしょ」
「いないよ、あの国はイスラム教」
「でも、この国に来てから仏教徒になったかもしれないし」
「この国だって仏教の国じゃないでしょ」
この辺はうまいと思う。ブレイディみかこも、だんだん作家になってきた。
それはともかく、この店にはモラルというものが、かけらもない。
最後はこうなっている。
「店長はまた事務所から出てこなくなり、店内の万引きも減らなかった。
あたしたちのセキュリティーは失われたままである。」
にわかには信じられない話である。スーパーの仕事が嫌だという者は、もちろんいるだろう。しかし、好きな者もいるはずである。
スーパーの仕事が、「シット・ジョブ」(くそみたいに報われない仕事)とされているのは、イギリスの階級制と関係があるのだろうか。とにかくイギリスでは、スーパーの店員をそういう目で見る。
日本では、テレビにしょっちゅう出ている、「スーパーアキダイ」の社長などを見ていると、とても同じ仕事とは思えない。
スーパーの店員たちは、物価高と戦う最前線の場で、奮闘しているように見える。それは絶対に「シット・ジョブ」ではない。
圧倒された――『新編 日本の面影』(ラフカディオ・ハーン、池田雅之・訳)(7)
「日本人の微笑」は、昔はよく言われた。外国人に向かって、どう言っていいのか分からないから、日本人はただ曖昧に笑っているだけ、というものだ。
ハーンのこの文章が書かれたのが1890年。おそらく20世紀後半までは、この風習は残っていたと思う。
20世紀後半になって、東京オリンピックや大阪万博が開催され、徐々に外国人が増えて、21世紀に入ってからは、「日本人の微笑」ということは、言われなくなったのではないか。
今年、2026年の「成人の日」に、新宿区で祝う新成人の内訳は、日本人対外国人がほぼ1:1であった。こういうことを、20世紀のうちに誰が予想しただろう。もはや、言葉がないから微笑を浮かべているだけ、というのでは、まったく済まないところに来てしまった。
しかしこの文章が書かれたころは、「日本人の微笑」は大問題であったのだ。
「日本人は、深刻さに欠けている分だけ、より幸せなのであり、多分現在でも、文明化された世界では最も幸せな国民であると思う。」
うーむ、そうかあ。そういう時代もあったのだなあ、と思う以外にどうしようもない。
「日本人が言うところの『怖い顔』をした外国人たちは、強い侮蔑の口調をもって『日本人の微笑』語る。彼らは『日本人の微笑』が、噓をついている証拠ではないかと怪しんでいるのである。〔中略〕そうして、ほんの少数の鋭い洞察力をもつ人だけが、これは研究に価する謎だと気づくのである。」
とは言っても、これを研究するのは難しい。
「実際のところ、外国人の雇い主と日本人の使用人との間に生ずる軋轢の多くは、この微笑に原因がある。使用人はすべからく厳粛たるべし、を旨とする、英国の伝統を重んじる者ならば誰しも、日本人のボーイが微笑するのを我慢できないであろう。」
ここを読めば、日本人なら誰しも苦笑するだろう。日本人のボーイは、微笑して用事を言いつかる以外に、どんな表情をすればいいのか。
そうしてハーンは個別の事例を研究し、結論らしきものを得る。
「日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。」
しかしこれは両刃の刃なのだ。
「こうした倫理体系は、昔ながらの、儒教の保守主義によって、厳格なものになっており、極端に堅苦しいものの考え方と、個性を犠牲にすることによって、保たれてきたことは事実である。」
その結果、個人の独創性を伸ばしたりはせず、個人の意見や想像力を抑え、当たり障りのない「中庸」にとどまる、という傾向が強い。
「〔しかし〕そうした知的な損失というのも、実際には、日本の社会的な魅力によって、十分に埋め合わせされているからだ。日本人をすこしでも理解した人であれば、それでもやはり、日本人は世界で一番、一緒に暮しやすい国民だという思いが、胸に長く残っているのである。」
ラフカディオ・ハーンは、日本人の最良の友だちだった、という以外に言葉はない。
最後の「さようなら」は、松江を去るときのことを書いたものだ。このときの、生徒とハーン先生との交流は、涙なしには読めない。
その中に「親愛なる生徒諸君へ」という文章があり、こういうところが注目される。
「……天皇や国のために、自らの血を犠牲にすることが求められるかもしれません。しかし、大多数の諸君は、それとは別の道へと進む運命を荷わされており、よほどの国家的危機にでも瀕しない限り、自らの命を犠牲にするようなことはないでしょう。日本では、そんなときはまず来ないだろう、と信じています。」
ハーンの期待を、その後の日本は、裏切ったのである。
ここまで全体を読んだ感想を言えば、ラフカディオ・ハーンは人生をかけて格闘するにふさわしい思想家、文人であり、そのころの日本の情実、思想状況が、どうであったかは、ハーンを通じて見ると、実に興味深いものがある。
(『新編 日本の面影』ラフカディオ・ハーン、池田雅之・訳、
角川文庫、2000年9月25日初刷、2025年11月25日第55刷)
ハーンのこの文章が書かれたのが1890年。おそらく20世紀後半までは、この風習は残っていたと思う。
20世紀後半になって、東京オリンピックや大阪万博が開催され、徐々に外国人が増えて、21世紀に入ってからは、「日本人の微笑」ということは、言われなくなったのではないか。
今年、2026年の「成人の日」に、新宿区で祝う新成人の内訳は、日本人対外国人がほぼ1:1であった。こういうことを、20世紀のうちに誰が予想しただろう。もはや、言葉がないから微笑を浮かべているだけ、というのでは、まったく済まないところに来てしまった。
しかしこの文章が書かれたころは、「日本人の微笑」は大問題であったのだ。
「日本人は、深刻さに欠けている分だけ、より幸せなのであり、多分現在でも、文明化された世界では最も幸せな国民であると思う。」
うーむ、そうかあ。そういう時代もあったのだなあ、と思う以外にどうしようもない。
「日本人が言うところの『怖い顔』をした外国人たちは、強い侮蔑の口調をもって『日本人の微笑』語る。彼らは『日本人の微笑』が、噓をついている証拠ではないかと怪しんでいるのである。〔中略〕そうして、ほんの少数の鋭い洞察力をもつ人だけが、これは研究に価する謎だと気づくのである。」
とは言っても、これを研究するのは難しい。
「実際のところ、外国人の雇い主と日本人の使用人との間に生ずる軋轢の多くは、この微笑に原因がある。使用人はすべからく厳粛たるべし、を旨とする、英国の伝統を重んじる者ならば誰しも、日本人のボーイが微笑するのを我慢できないであろう。」
ここを読めば、日本人なら誰しも苦笑するだろう。日本人のボーイは、微笑して用事を言いつかる以外に、どんな表情をすればいいのか。
そうしてハーンは個別の事例を研究し、結論らしきものを得る。
「日本人のように、幸せに生きていくための秘訣を十分に心得ている人々は、他の文明国にはいない。人生の喜びは、周囲の人たちの幸福にかかっており、そうであるからこそ、無私と忍耐を、われわれのうちに培う必要があるということを、日本人ほど広く一般に理解している国民は、他にあるまい。」
しかしこれは両刃の刃なのだ。
「こうした倫理体系は、昔ながらの、儒教の保守主義によって、厳格なものになっており、極端に堅苦しいものの考え方と、個性を犠牲にすることによって、保たれてきたことは事実である。」
その結果、個人の独創性を伸ばしたりはせず、個人の意見や想像力を抑え、当たり障りのない「中庸」にとどまる、という傾向が強い。
「〔しかし〕そうした知的な損失というのも、実際には、日本の社会的な魅力によって、十分に埋め合わせされているからだ。日本人をすこしでも理解した人であれば、それでもやはり、日本人は世界で一番、一緒に暮しやすい国民だという思いが、胸に長く残っているのである。」
ラフカディオ・ハーンは、日本人の最良の友だちだった、という以外に言葉はない。
最後の「さようなら」は、松江を去るときのことを書いたものだ。このときの、生徒とハーン先生との交流は、涙なしには読めない。
その中に「親愛なる生徒諸君へ」という文章があり、こういうところが注目される。
「……天皇や国のために、自らの血を犠牲にすることが求められるかもしれません。しかし、大多数の諸君は、それとは別の道へと進む運命を荷わされており、よほどの国家的危機にでも瀕しない限り、自らの命を犠牲にするようなことはないでしょう。日本では、そんなときはまず来ないだろう、と信じています。」
ハーンの期待を、その後の日本は、裏切ったのである。
ここまで全体を読んだ感想を言えば、ラフカディオ・ハーンは人生をかけて格闘するにふさわしい思想家、文人であり、そのころの日本の情実、思想状況が、どうであったかは、ハーンを通じて見ると、実に興味深いものがある。
(『新編 日本の面影』ラフカディオ・ハーン、池田雅之・訳、
角川文庫、2000年9月25日初刷、2025年11月25日第55刷)
圧倒された――『新編 日本の面影』(ラフカディオ・ハーン、池田雅之・訳)(6)
「英語教師の日記から」は、松江の尋常中学校と師範学校で教えた話。
ハーンはそこで英語教師「西田千太郎」と会い、さらにはハーンが採用契約を結んだ県知事、「籠手田安定[こてだやすさだ]」と面会する。
このあたりは「ばけばけ」にも詳しく描かれる。特に「西田千太郎」は、ハーンと生徒の英語の橋渡しをするだけでなく、「時間割や教科書について必要なことをすべて教えてくれ、私の机に必要なものを全部取り揃えてくれた」。
また知事とは、日本の古い宗教と習俗、特に神道と出雲の伝統に、関心を持っていることを話すと、知事は「それでは杵築の出雲大社や八重垣神社、熊野大社などの有名な神社に参詣されてはどうか」と申し出た。知事は英語を話さないので、通訳は西田が担った。
ハーンが出雲大社や八重垣神社などを巡るのは、このときの知事との対話が遠因だった。このときも西田が通訳を務めた。
実際に英語を教えるについてはどうか。
「私は今、中学校で三時間の授業をしてきたところだ。日本の男の子に教えるのは、予想していたよりもずっと面白い仕事であることがわかった。どのクラスも、西田が前もって十分に準備しておいてくれたので、私が日本語をまったく知らないにもかかわらず、教える上では何も不都合は生じない。」
ちょっと信じられない話だが、ハーンがそう言っている以上、そうなのだろう。
「少年たちは私が話した場合には、言葉を必ずしも理解できないけれども、私が黒板の上にチョークで書いたものは、何でも理解できる。」
ハーンに、教師としての適性があったということだろう。もちろん、19世紀末の松江の少年たちが、優秀だったこともあるだろうが(でも本当かなあ)。
「中学の生徒たちは、私のことを、〝Sir″とはいわずに〝Teacher″と呼ぶようになり、私を兄貴か何かのように扱いはじめている(私は〝Master″という言葉は嫌いだ。ここ日本では、教師は主人面をする必要は少しもないのだから。」
どうも日本ではないみたいだ。この時代、義務教育は小学校までで、尋常中学校は、すでに選ばれた者であったのは知っているけれど。
ハーンが日本に来た1890年は、教育勅語が発布されたときで、その式典についても記している。
戦後になって教育勅語は、戦前の否定すべきものの象徴として扱われてきたが、この時代には、もちろんそんなことはない。記念の式を記すハーンの記述は、淡々としたものだ。
それよりも、この時代の教育の実相について、やはり信じられないことが書いてある。
「近代日本の教育制度においては、教育はすべて最大限の親切と優しさをもって行われている。教師は文字通り教師(teacher)であって、英語の〝mastety″の意味におけるような支配者ではない。教師は、彼の教え子たちに対し、年上の兄のような立場にある。」
うーん、これは少数の教師ではないだろうか、という疑いを抱かざるを得ない。
もちろん、『路傍の石』の主人公を思いやる先生や、山田太一の『月日の残像』における、西田幾多郎は読むなといった、国語の先生のような例はあるが。
しかしハーン描くところの教師の像は、さらに徹底している。
「教師は、自分の考えを生徒に押しつけようとしたりはしない。教師は、決して頭から叱りつけるようなことはせず、生徒を非難することもめったになく、懲罰を与えるようなことは決してない。日本の教師で生徒を殴る者はいない。もしそのような行為をしたら、その教師はすぐに職を追われるだろう。〔中略〕
実際の話、日本の学校には懲罰というものが存在しない。」
さらに、教師の資質に欠ける者に対しては、生徒から革命的な運動が起きて、その者は学校から放逐される。これに関しては、生徒がしばしばその勢力を濫用してきた、と言われる。
にわかには信じられない。戦前の教育は、ひたすら教育勅語を押し戴く、一言でいえば封建的なものではなかったのか。
近代における教育史は、一度、色眼鏡を取っ払って、つぶさに点検する必要がありそうだ。
ハーンはそこで英語教師「西田千太郎」と会い、さらにはハーンが採用契約を結んだ県知事、「籠手田安定[こてだやすさだ]」と面会する。
このあたりは「ばけばけ」にも詳しく描かれる。特に「西田千太郎」は、ハーンと生徒の英語の橋渡しをするだけでなく、「時間割や教科書について必要なことをすべて教えてくれ、私の机に必要なものを全部取り揃えてくれた」。
また知事とは、日本の古い宗教と習俗、特に神道と出雲の伝統に、関心を持っていることを話すと、知事は「それでは杵築の出雲大社や八重垣神社、熊野大社などの有名な神社に参詣されてはどうか」と申し出た。知事は英語を話さないので、通訳は西田が担った。
ハーンが出雲大社や八重垣神社などを巡るのは、このときの知事との対話が遠因だった。このときも西田が通訳を務めた。
実際に英語を教えるについてはどうか。
「私は今、中学校で三時間の授業をしてきたところだ。日本の男の子に教えるのは、予想していたよりもずっと面白い仕事であることがわかった。どのクラスも、西田が前もって十分に準備しておいてくれたので、私が日本語をまったく知らないにもかかわらず、教える上では何も不都合は生じない。」
ちょっと信じられない話だが、ハーンがそう言っている以上、そうなのだろう。
「少年たちは私が話した場合には、言葉を必ずしも理解できないけれども、私が黒板の上にチョークで書いたものは、何でも理解できる。」
ハーンに、教師としての適性があったということだろう。もちろん、19世紀末の松江の少年たちが、優秀だったこともあるだろうが(でも本当かなあ)。
「中学の生徒たちは、私のことを、〝Sir″とはいわずに〝Teacher″と呼ぶようになり、私を兄貴か何かのように扱いはじめている(私は〝Master″という言葉は嫌いだ。ここ日本では、教師は主人面をする必要は少しもないのだから。」
どうも日本ではないみたいだ。この時代、義務教育は小学校までで、尋常中学校は、すでに選ばれた者であったのは知っているけれど。
ハーンが日本に来た1890年は、教育勅語が発布されたときで、その式典についても記している。
戦後になって教育勅語は、戦前の否定すべきものの象徴として扱われてきたが、この時代には、もちろんそんなことはない。記念の式を記すハーンの記述は、淡々としたものだ。
それよりも、この時代の教育の実相について、やはり信じられないことが書いてある。
「近代日本の教育制度においては、教育はすべて最大限の親切と優しさをもって行われている。教師は文字通り教師(teacher)であって、英語の〝mastety″の意味におけるような支配者ではない。教師は、彼の教え子たちに対し、年上の兄のような立場にある。」
うーん、これは少数の教師ではないだろうか、という疑いを抱かざるを得ない。
もちろん、『路傍の石』の主人公を思いやる先生や、山田太一の『月日の残像』における、西田幾多郎は読むなといった、国語の先生のような例はあるが。
しかしハーン描くところの教師の像は、さらに徹底している。
「教師は、自分の考えを生徒に押しつけようとしたりはしない。教師は、決して頭から叱りつけるようなことはせず、生徒を非難することもめったになく、懲罰を与えるようなことは決してない。日本の教師で生徒を殴る者はいない。もしそのような行為をしたら、その教師はすぐに職を追われるだろう。〔中略〕
実際の話、日本の学校には懲罰というものが存在しない。」
さらに、教師の資質に欠ける者に対しては、生徒から革命的な運動が起きて、その者は学校から放逐される。これに関しては、生徒がしばしばその勢力を濫用してきた、と言われる。
にわかには信じられない。戦前の教育は、ひたすら教育勅語を押し戴く、一言でいえば封建的なものではなかったのか。
近代における教育史は、一度、色眼鏡を取っ払って、つぶさに点検する必要がありそうだ。
圧倒された――『新編 日本の面影』(ラフカディオ・ハーン、池田雅之・訳)(5)
「日本の庭にて」は、ハーン一家が暮らした武家屋敷の話である。この侍屋敷は平屋だが、部屋数は14ほどあり、どの部屋も天井が高く、ゆったりとしている。
「ばけばけ」では、ここにハーンと小泉セツ、そしてセツの両親も同居する。とはいえ14部屋はさすがに多い。武家が、多くの使用人を使っていたことが分かる。
この屋敷の庭は美しく、家の三方向を囲む一続きになっており、縁側の場所によっては、二つの庭を一望できる。
その庭の楽しみを、ここでは味わい尽くす。
まず花、植物から。日本の「生け花」は、西洋人の言うブーケ(花束)などとはまったく異なる。西洋のそれは、「花を生殺しにする卑劣な行為」であり、花の色彩感覚に対する冒瀆である、とハーンは言う。
「日本の古い庭園がどのようなものかを知った後では、イギリスの豪華な庭を思い出すたびに、いったいどれだけの富を費やしてわざわざ自然を壊し、不調和なものを造って何を残そうとしているのか。そんなこともわからずに、ただ富を誇示しているだけではないかと思われたのである。」
日本の庭には花壇がない。日本の庭は一般的には、山水の庭なのである。だから庭園の美を理解するために忘れてならないのは、石の美しさを理解することである。
庭の思想は、さらにその先まで行く。
「昔の偉大な造園家――初めて日本へその技術を紹介し、造園をほとんど秘術の域にまで発展させた仏僧たちは、その造園理論をさらに推し進め、庭の構図の中に道徳的教訓を盛りこんだ。つまり、貞節、信心、敬虔、知足、平静、夫婦の幸福といった抽象観念を庭において表現できると考えたのである。」
現代の個人の庭では、考えるべくもない。これは格の高い寺や、昔の大富豪の庭をそのまま文化施設にしたようなところで、かろうじて見られる。
この武家屋敷には、桜と梅の木がある。その花は美しく、心騒ぐものである。
「梅と桜は、花の美しさではあきらかに対等に比較されるが、日本人は女の外見的な美しさを桜に喩えることはあっても、それを梅に喩えることはない。ところが、女の貞淑さや優しさとなると、それを梅の花には喩えはするが、桜の花には喩えない。」
桜にせよ梅にせよ、それを女性に例えるのは一昔前のことである。現在の日本で、梅や桜に女性を例えても、そんなものは見たくない。そう思いませんか。
ハーンは、その庭に顔を見せる昆虫や動物、池の魚や、鳥まで、そして幽霊といった超自然のものまでも、文献を探索し、広く深く視野に入れている。
しかしハーンの凄いところは、それらすべてがこの先どうなるかを、予見していることである。
「[屋敷の]塀は往来と私とを隔てているだけではない。塀の向こう側では、電信、新聞、汽船といった変わりゆく日本が、唸り声をあげている。しかしこの内側には、すべてに安らぎを与える自然の静けさと十六世紀の夢の数々が、息づいている。大気そのものに古風な趣が漂っており、辺りには目に見えないなにか心地よいものが、ほのかに感じられる。〔中略〕
この庭はもうすべて過去の庭なのだ。」
実に鋭敏な感覚である。これまでに読んだ書物と、全身の皮膚感覚を通して、将来を見ている。
「この家中[かちゅう]屋敷もこの庭も、いずれはすべてが永遠に姿を消してしまうことになるだろう。すでにわが家の庭より広くて立派な庭の多くが、田んぼや竹林に変わっている。そして、長年の懸案であった鉄道が十年を待たずに敷かれることにでもなれば、古風で趣のあったこの出雲の町も大きく拡張され、やがて平凡な一都市へと変貌を遂げることになるであろう。そうすれば、わが家のような土地も工場や製作所の用地として差し出すことになるに違いない。」
日本の庭にいて、その精妙な味わいを尽くし、しかもその庭がどうなるのかを、冷徹に見通している。ラフカディオ・ハーンとは、いったい何者であるか。
「ばけばけ」では、ここにハーンと小泉セツ、そしてセツの両親も同居する。とはいえ14部屋はさすがに多い。武家が、多くの使用人を使っていたことが分かる。
この屋敷の庭は美しく、家の三方向を囲む一続きになっており、縁側の場所によっては、二つの庭を一望できる。
その庭の楽しみを、ここでは味わい尽くす。
まず花、植物から。日本の「生け花」は、西洋人の言うブーケ(花束)などとはまったく異なる。西洋のそれは、「花を生殺しにする卑劣な行為」であり、花の色彩感覚に対する冒瀆である、とハーンは言う。
「日本の古い庭園がどのようなものかを知った後では、イギリスの豪華な庭を思い出すたびに、いったいどれだけの富を費やしてわざわざ自然を壊し、不調和なものを造って何を残そうとしているのか。そんなこともわからずに、ただ富を誇示しているだけではないかと思われたのである。」
日本の庭には花壇がない。日本の庭は一般的には、山水の庭なのである。だから庭園の美を理解するために忘れてならないのは、石の美しさを理解することである。
庭の思想は、さらにその先まで行く。
「昔の偉大な造園家――初めて日本へその技術を紹介し、造園をほとんど秘術の域にまで発展させた仏僧たちは、その造園理論をさらに推し進め、庭の構図の中に道徳的教訓を盛りこんだ。つまり、貞節、信心、敬虔、知足、平静、夫婦の幸福といった抽象観念を庭において表現できると考えたのである。」
現代の個人の庭では、考えるべくもない。これは格の高い寺や、昔の大富豪の庭をそのまま文化施設にしたようなところで、かろうじて見られる。
この武家屋敷には、桜と梅の木がある。その花は美しく、心騒ぐものである。
「梅と桜は、花の美しさではあきらかに対等に比較されるが、日本人は女の外見的な美しさを桜に喩えることはあっても、それを梅に喩えることはない。ところが、女の貞淑さや優しさとなると、それを梅の花には喩えはするが、桜の花には喩えない。」
桜にせよ梅にせよ、それを女性に例えるのは一昔前のことである。現在の日本で、梅や桜に女性を例えても、そんなものは見たくない。そう思いませんか。
ハーンは、その庭に顔を見せる昆虫や動物、池の魚や、鳥まで、そして幽霊といった超自然のものまでも、文献を探索し、広く深く視野に入れている。
しかしハーンの凄いところは、それらすべてがこの先どうなるかを、予見していることである。
「[屋敷の]塀は往来と私とを隔てているだけではない。塀の向こう側では、電信、新聞、汽船といった変わりゆく日本が、唸り声をあげている。しかしこの内側には、すべてに安らぎを与える自然の静けさと十六世紀の夢の数々が、息づいている。大気そのものに古風な趣が漂っており、辺りには目に見えないなにか心地よいものが、ほのかに感じられる。〔中略〕
この庭はもうすべて過去の庭なのだ。」
実に鋭敏な感覚である。これまでに読んだ書物と、全身の皮膚感覚を通して、将来を見ている。
「この家中[かちゅう]屋敷もこの庭も、いずれはすべてが永遠に姿を消してしまうことになるだろう。すでにわが家の庭より広くて立派な庭の多くが、田んぼや竹林に変わっている。そして、長年の懸案であった鉄道が十年を待たずに敷かれることにでもなれば、古風で趣のあったこの出雲の町も大きく拡張され、やがて平凡な一都市へと変貌を遂げることになるであろう。そうすれば、わが家のような土地も工場や製作所の用地として差し出すことになるに違いない。」
日本の庭にいて、その精妙な味わいを尽くし、しかもその庭がどうなるのかを、冷徹に見通している。ラフカディオ・ハーンとは、いったい何者であるか。
圧倒された――『新編 日本の面影』(ラフカディオ・ハーン、池田雅之・訳)(4)
「杵築[きづき]――日本最古の神社」は、出雲大社のこと。そこを訪れ、宮司の千家尊紀[たかのり]の案内で、外国人としては初めての昇殿を果たす。
ラフカディオ・ハーンは、興奮をぐっとこらえで、出雲大社巡りを描いているが、そしてそれはいま読んでも面白いものだが、ここに逐一書くことはしない。
出雲に生まれて育った人は、どうだか分からないが、私のような戦後生まれの人間は、出雲大社の神事を、外国のことのように見ている。興味深いことはあっても、自分の内側から共感することはない。
ハーンの時代に、出雲大社を頂点の一つとする神道は、どんな位置を占めていたか。
「神道は変わることなく、その勢いも衰えず、もともと誕生したこの国で、今なお優勢を誇り、時とともに、さらに力と威厳とを増してゆくかに思われる。仏教には、膨大な教理と深遠な哲学があり、海のような広大な文学がある。神道には、哲学もなければ、道徳律も、抽象理論もない。ところが、あまりにも実体がないことで、ほかの東洋の信仰ではありえなかったことであるが、西洋の宗教の侵入に抵抗することができたのである。」
ハーンの時代は1890年代前半、まだ日清戦争すら起きていない。この時代の神道は、明治維新政府と一体になってはいるが、まだそれほど、いわば汚れてはいない。
ハーンは絶妙の時期に、日本にやってきたのだ。
「神道を解明するのが[西洋人にとって]難しいのは、つまるところ、西洋における東洋研究者が、その拠り所を文献にのみ頼るからである。つまり、神道の歴史を著した書物や『古事記』『日本書紀』、あるいは「祝詞」、あるいは偉大な国学者である本居や平田の注釈本などに依拠しすぎたせいである。」
本居宣長や平田篤胤に、依拠しすぎてはいけないという。これはかなり大胆な意見ではないか。
「神道の真髄は、書物の中にあるのでもなければ、儀式や戒律の中にあるのでもない。むしろ国民の心の中に生きているのであり、未来永劫滅びることも、古びることもない、最高の信仰心の表れなのである。」
宗教もまた、時代によって変わっていくものなのだ。そういわざるを得ない。
「日本海に沿って」は、伯耆[ほうき]の国を旅したときのこと。伯耆国は鳥取県の中部から西部にかけて。
「日本海に沿って」や、その前の「加賀の潜戸[くけど]」は、紀行文として素晴らしいが、それは直接読んでもらうしかない。
それよりも「日本海に沿って」では、いくつかの伝説が収録されている。
その中の「子捨ての話」が、興味を引く。それはこんな話だ。
出雲の持田の浦という村に、とても貧しい百姓夫婦がいた。女房が赤ん坊を産むたびに、男はとても育てられないと、川に子供を投げ捨てた。女房には、死産だと偽っていた。女の子もあれば男の子もあり、その数は全部で6人に及んだ。
月日が経つうちに、暮らし向きがよくなり、女は7番目の子を産んだ。男は、今度は育ててみるかと思った。
赤ん坊が生まれて5カ月になる、ある夏の夜のことである。
「その夜は、大きな月が出ていてあまりに美しかったので、百姓は思わず声を上げた。
『ああ、今夜は珍しい、ええ夜だ』
すると、赤ん坊が父親の顔を見上げ、大人の口調でこうつぶやいた。
『お父つぁん、わしをしまいに捨てさしたときも、ちょうど今夜のような月夜だったね』
そう言い残すと、その子は同じ年頃の赤ん坊と同じように、ひと言もしゃべらなくなった。
その百姓は僧侶になった。」
これは夏目漱石の、『夢十夜』に出てくる話と、よく似ている。漱石の方は、おぶった子供に罪を指摘され、同時にその子が石臼のように重くなる話だ。
漱石は、百姓が僧侶になるという因果話を、根源的で逃れようのない、原罪の話に作り替えたのだ。私はそう思う。
ラフカディオ・ハーンは、興奮をぐっとこらえで、出雲大社巡りを描いているが、そしてそれはいま読んでも面白いものだが、ここに逐一書くことはしない。
出雲に生まれて育った人は、どうだか分からないが、私のような戦後生まれの人間は、出雲大社の神事を、外国のことのように見ている。興味深いことはあっても、自分の内側から共感することはない。
ハーンの時代に、出雲大社を頂点の一つとする神道は、どんな位置を占めていたか。
「神道は変わることなく、その勢いも衰えず、もともと誕生したこの国で、今なお優勢を誇り、時とともに、さらに力と威厳とを増してゆくかに思われる。仏教には、膨大な教理と深遠な哲学があり、海のような広大な文学がある。神道には、哲学もなければ、道徳律も、抽象理論もない。ところが、あまりにも実体がないことで、ほかの東洋の信仰ではありえなかったことであるが、西洋の宗教の侵入に抵抗することができたのである。」
ハーンの時代は1890年代前半、まだ日清戦争すら起きていない。この時代の神道は、明治維新政府と一体になってはいるが、まだそれほど、いわば汚れてはいない。
ハーンは絶妙の時期に、日本にやってきたのだ。
「神道を解明するのが[西洋人にとって]難しいのは、つまるところ、西洋における東洋研究者が、その拠り所を文献にのみ頼るからである。つまり、神道の歴史を著した書物や『古事記』『日本書紀』、あるいは「祝詞」、あるいは偉大な国学者である本居や平田の注釈本などに依拠しすぎたせいである。」
本居宣長や平田篤胤に、依拠しすぎてはいけないという。これはかなり大胆な意見ではないか。
「神道の真髄は、書物の中にあるのでもなければ、儀式や戒律の中にあるのでもない。むしろ国民の心の中に生きているのであり、未来永劫滅びることも、古びることもない、最高の信仰心の表れなのである。」
宗教もまた、時代によって変わっていくものなのだ。そういわざるを得ない。
「日本海に沿って」は、伯耆[ほうき]の国を旅したときのこと。伯耆国は鳥取県の中部から西部にかけて。
「日本海に沿って」や、その前の「加賀の潜戸[くけど]」は、紀行文として素晴らしいが、それは直接読んでもらうしかない。
それよりも「日本海に沿って」では、いくつかの伝説が収録されている。
その中の「子捨ての話」が、興味を引く。それはこんな話だ。
出雲の持田の浦という村に、とても貧しい百姓夫婦がいた。女房が赤ん坊を産むたびに、男はとても育てられないと、川に子供を投げ捨てた。女房には、死産だと偽っていた。女の子もあれば男の子もあり、その数は全部で6人に及んだ。
月日が経つうちに、暮らし向きがよくなり、女は7番目の子を産んだ。男は、今度は育ててみるかと思った。
赤ん坊が生まれて5カ月になる、ある夏の夜のことである。
「その夜は、大きな月が出ていてあまりに美しかったので、百姓は思わず声を上げた。
『ああ、今夜は珍しい、ええ夜だ』
すると、赤ん坊が父親の顔を見上げ、大人の口調でこうつぶやいた。
『お父つぁん、わしをしまいに捨てさしたときも、ちょうど今夜のような月夜だったね』
そう言い残すと、その子は同じ年頃の赤ん坊と同じように、ひと言もしゃべらなくなった。
その百姓は僧侶になった。」
これは夏目漱石の、『夢十夜』に出てくる話と、よく似ている。漱石の方は、おぶった子供に罪を指摘され、同時にその子が石臼のように重くなる話だ。
漱石は、百姓が僧侶になるという因果話を、根源的で逃れようのない、原罪の話に作り替えたのだ。私はそう思う。
圧倒された――『新編 日本の面影』(ラフカディオ・ハーン、池田雅之・訳)(3)
「盆踊り」は、太平洋岸から日本海岸に抜けて松江に着くまでに、途中の村で盆踊りを見た話である。
車夫の「アキラ」が、都会では見られない、昔の風習の盆踊りだというので、ハーンは浴衣がけのまま、急いで外へ飛び出した。
ここで注意することは、1890年でも、すでに都会では、古式ゆかしい盆踊りは途絶えていたということだ。
そしてそれは、想像を絶する、夢幻の世界にいるような踊りだった。
「踊り子たちは、みんなが一斉に、右足を一歩前に、草履を地面から上げることなく、地面の上を滑るようにして差し出す。と同時に、まるで手を宙に浮かせるかのように、ふわっと両手を右側へ伸ばし、微笑みながらお辞儀をするように頭を下げる。それからまた同じ手の振りと、不思議なお辞儀を繰り返しながら、だした右足を後ろへ下げる。そして今度は、全員が左足を前に出し、左側に半身を翻しながら、先ほどと同じ動きを繰り返す。それからまた一斉に、二歩前に足をすり出し、同時に一度やさしく手を打つ。」
見事な叙述である。初めて見た盆踊りを、ここまで分析的に、リズミカルに描けるものだろうか。
と同時に、私がこれまでに見た、都会における盆踊りとは、まったく違うものだ。
ハーンは、その感想も書いている。
「空を巡る月の下、踊りの輪の真ん中に立っている私は、魔法の輪の中にいるような錯覚を覚えていた。〔中略〕私は、魔法にかけられているのである。幽霊のような手の振り、リズミカルな足の動き、なかでも、美しい袖の軽やかなはためきに、私はすっかり魅了されてしまっていた。幻影のように、音も立たない、なめらかな袖の振れは、あたかも熱帯地方の大きなコウモリが飛んでいるかのようである。いや、夢だとしても、こんな夢はこれまで見たことがない。」
美しい文章だ。高橋治の小説『風の盆恋歌』で有名になった、富山県八尾町の「おわら風の盆」も、このようなものであるか。
「神々の国の首都」は松江の話である。この一篇はどこもみんな挙げたくなるので、かえって挙げづらい。
それでも、印象に残ったところを挙げてみる。
「天神町と平行して、寺の立ち並ぶ寺町がある。その広い通りの東側には寺院がずらりと並んでおり、瓦を載せたがっしりとした塀が続く中、一定の間隔を置いて、立派な門構えが次々に見えてくる。〔中略〕この寺町では、日蓮宗も、真言宗も、禅宗も、天台宗も、更には、出雲では人気のない真宗でさえもが、隣り合わせに仲よく共存している。この出雲で真宗が普及していないというのは、この宗派が、厳格な信者に神道の崇拝を禁じているからである。」
神道における「神々の国の首都」で、仏教のいろんな宗派が受け容れられているのは、神仏習合もここに極まれりである。
しかしその中でも、真宗だけが仏教のみを信仰し、それ以外は難く禁ずるというのも、さすがは親鸞の末裔の感がある。
それでも「寺町」には、真宗の寺院もあるというのだから、まさに日本人の信仰の典型である。
もう一つは風土に関することで、これは松江に限らない。
「日本で見る落日は、熱帯で見るそれとは違う。日本の陽光は夢のように穏やかで、その中にはどぎつい色彩は見られない。〔中略〕素晴らしい日本の染色を見ればわかるように、この民族の色彩や色合いに対する洗練された趣味には、けばけばしいものがなにもない。それは、この国の穏やかな自然が、落ちついた繊細な美しい色彩を帯びているところに、大きく由来しているからではなかろうか。」
それはもう、まったくその通りだと思う。
しかし日本に来て間もないときに、そういうことが言えるのは、ラフカディオ・ハーンは、本当に素晴らしい眼をしている。
車夫の「アキラ」が、都会では見られない、昔の風習の盆踊りだというので、ハーンは浴衣がけのまま、急いで外へ飛び出した。
ここで注意することは、1890年でも、すでに都会では、古式ゆかしい盆踊りは途絶えていたということだ。
そしてそれは、想像を絶する、夢幻の世界にいるような踊りだった。
「踊り子たちは、みんなが一斉に、右足を一歩前に、草履を地面から上げることなく、地面の上を滑るようにして差し出す。と同時に、まるで手を宙に浮かせるかのように、ふわっと両手を右側へ伸ばし、微笑みながらお辞儀をするように頭を下げる。それからまた同じ手の振りと、不思議なお辞儀を繰り返しながら、だした右足を後ろへ下げる。そして今度は、全員が左足を前に出し、左側に半身を翻しながら、先ほどと同じ動きを繰り返す。それからまた一斉に、二歩前に足をすり出し、同時に一度やさしく手を打つ。」
見事な叙述である。初めて見た盆踊りを、ここまで分析的に、リズミカルに描けるものだろうか。
と同時に、私がこれまでに見た、都会における盆踊りとは、まったく違うものだ。
ハーンは、その感想も書いている。
「空を巡る月の下、踊りの輪の真ん中に立っている私は、魔法の輪の中にいるような錯覚を覚えていた。〔中略〕私は、魔法にかけられているのである。幽霊のような手の振り、リズミカルな足の動き、なかでも、美しい袖の軽やかなはためきに、私はすっかり魅了されてしまっていた。幻影のように、音も立たない、なめらかな袖の振れは、あたかも熱帯地方の大きなコウモリが飛んでいるかのようである。いや、夢だとしても、こんな夢はこれまで見たことがない。」
美しい文章だ。高橋治の小説『風の盆恋歌』で有名になった、富山県八尾町の「おわら風の盆」も、このようなものであるか。
「神々の国の首都」は松江の話である。この一篇はどこもみんな挙げたくなるので、かえって挙げづらい。
それでも、印象に残ったところを挙げてみる。
「天神町と平行して、寺の立ち並ぶ寺町がある。その広い通りの東側には寺院がずらりと並んでおり、瓦を載せたがっしりとした塀が続く中、一定の間隔を置いて、立派な門構えが次々に見えてくる。〔中略〕この寺町では、日蓮宗も、真言宗も、禅宗も、天台宗も、更には、出雲では人気のない真宗でさえもが、隣り合わせに仲よく共存している。この出雲で真宗が普及していないというのは、この宗派が、厳格な信者に神道の崇拝を禁じているからである。」
神道における「神々の国の首都」で、仏教のいろんな宗派が受け容れられているのは、神仏習合もここに極まれりである。
しかしその中でも、真宗だけが仏教のみを信仰し、それ以外は難く禁ずるというのも、さすがは親鸞の末裔の感がある。
それでも「寺町」には、真宗の寺院もあるというのだから、まさに日本人の信仰の典型である。
もう一つは風土に関することで、これは松江に限らない。
「日本で見る落日は、熱帯で見るそれとは違う。日本の陽光は夢のように穏やかで、その中にはどぎつい色彩は見られない。〔中略〕素晴らしい日本の染色を見ればわかるように、この民族の色彩や色合いに対する洗練された趣味には、けばけばしいものがなにもない。それは、この国の穏やかな自然が、落ちついた繊細な美しい色彩を帯びているところに、大きく由来しているからではなかろうか。」
それはもう、まったくその通りだと思う。
しかし日本に来て間もないときに、そういうことが言えるのは、ラフカディオ・ハーンは、本当に素晴らしい眼をしている。
圧倒された――『新編 日本の面影』(ラフカディオ・ハーン、池田雅之・訳)(2)
最初に目次を示しておこう。
はじめに
東洋の第一日目
盆踊り
神々の国の首都
杵築[きづき]――日本最古の神社
子供たちの死霊の岩屋で――加賀の潜戸[くけど]
日本海に沿って
日本の庭にて
英語教師の日記から
日本人の微笑
さようなら
ラフカディオ・ハーン略年譜
訳者あとがき
紀行文を柱とした、日本及び日本人論なのだが、全部を読み終えて言えるのは、どの一編を取り上げても見事で、ただただ圧倒される。
印象に残ったところを挙げていこう。
「東洋の第一日目」は、人力車で横浜の外人居留地から、日本の街へ一歩を踏み出したときのことである。
「表意文字が日本人の脳に作り出す印象というのは、退屈な、ただの音声記号であるアルファベットの組み合わせが西洋人の脳に作り出す印象と、同じものではない。日本人にとって、文字とは、生き生きとした絵なのである。表意文字は生きているのだ。それらは語りかけ、訴えてくる。そして、日本の通りの空間には、このように目に呼びかけ、人のように笑ったり、顔をしかめたりする、生きた文字が溢れている。」
もう、絶賛である。
ここまでのところを読んでも、ラフカディオ・ハーンが何者であるかはわからない。しかしおいおい分かってくるのは、ハーンはすでに『古事記』を精読し、また東京のような都会よりも、松江のような鄙びたところを、好むということだ。
街の印象は、次のようにも述べられる。
「初めてこの国を訪れたものは、思わずお伽の国を彷彿としてしまうことだろう。〔中略〕すべてが自分の世界よりもスケールが小さく、優美な世界――人の数も少なく、親切そうで、自分の幸せを祈るかのように、誰もが微笑みかけてくれる世界――すべての動きがゆっくりと柔らかで、声音も静かな世界――大地も生き物も空も、これまで見たことのない、まったくの別世界――そんな世界にいきなり飛び込んだのである。」
西洋人が、日本をお伽の国だというのは、誰もが口を揃えて言うことで、うんざりするかもしれないが、しかし本当のことだ、とハーンは言う。
すべてがもの珍しく、面白く、そしてたいていのものは美しい。「按摩、上下[かみしも]、五百文」という、女の按摩のもの悲しいメロディさえも、この上なく美しい声で、いつまでも心に残る。
この文章の終わりはこうなっている。
「私は床につくと、夢を見た。夢の中で、多数の不可思議で奇妙な漢字の文句が、私のそばをひとつの方向へ飛んでゆく。看板、襖障子、わらじ履きの男の背中に書かれた白や黒の漢字の群れが、一方向へ飛んでゆくのだ。それは、まるで生き物のようだ。意識があるように見える。その漢字の生き物は、自分の体の一部を動かし、巨大な七節虫[ななふし]のようにうごめいている。」
漢字をナナフシに例えているのが、限りなくおかしい。
はじめに
東洋の第一日目
盆踊り
神々の国の首都
杵築[きづき]――日本最古の神社
子供たちの死霊の岩屋で――加賀の潜戸[くけど]
日本海に沿って
日本の庭にて
英語教師の日記から
日本人の微笑
さようなら
ラフカディオ・ハーン略年譜
訳者あとがき
紀行文を柱とした、日本及び日本人論なのだが、全部を読み終えて言えるのは、どの一編を取り上げても見事で、ただただ圧倒される。
印象に残ったところを挙げていこう。
「東洋の第一日目」は、人力車で横浜の外人居留地から、日本の街へ一歩を踏み出したときのことである。
「表意文字が日本人の脳に作り出す印象というのは、退屈な、ただの音声記号であるアルファベットの組み合わせが西洋人の脳に作り出す印象と、同じものではない。日本人にとって、文字とは、生き生きとした絵なのである。表意文字は生きているのだ。それらは語りかけ、訴えてくる。そして、日本の通りの空間には、このように目に呼びかけ、人のように笑ったり、顔をしかめたりする、生きた文字が溢れている。」
もう、絶賛である。
ここまでのところを読んでも、ラフカディオ・ハーンが何者であるかはわからない。しかしおいおい分かってくるのは、ハーンはすでに『古事記』を精読し、また東京のような都会よりも、松江のような鄙びたところを、好むということだ。
街の印象は、次のようにも述べられる。
「初めてこの国を訪れたものは、思わずお伽の国を彷彿としてしまうことだろう。〔中略〕すべてが自分の世界よりもスケールが小さく、優美な世界――人の数も少なく、親切そうで、自分の幸せを祈るかのように、誰もが微笑みかけてくれる世界――すべての動きがゆっくりと柔らかで、声音も静かな世界――大地も生き物も空も、これまで見たことのない、まったくの別世界――そんな世界にいきなり飛び込んだのである。」
西洋人が、日本をお伽の国だというのは、誰もが口を揃えて言うことで、うんざりするかもしれないが、しかし本当のことだ、とハーンは言う。
すべてがもの珍しく、面白く、そしてたいていのものは美しい。「按摩、上下[かみしも]、五百文」という、女の按摩のもの悲しいメロディさえも、この上なく美しい声で、いつまでも心に残る。
この文章の終わりはこうなっている。
「私は床につくと、夢を見た。夢の中で、多数の不可思議で奇妙な漢字の文句が、私のそばをひとつの方向へ飛んでゆく。看板、襖障子、わらじ履きの男の背中に書かれた白や黒の漢字の群れが、一方向へ飛んでゆくのだ。それは、まるで生き物のようだ。意識があるように見える。その漢字の生き物は、自分の体の一部を動かし、巨大な七節虫[ななふし]のようにうごめいている。」
漢字をナナフシに例えているのが、限りなくおかしい。
圧倒された――『新編 日本の面影』(ラフカディオ・ハーン、池田雅之・訳)(1)
去年の11月から、NHKの朝ドラ「ばけばけ」を見ている。女優の高石あかりよりも、ラフカディオ・ハーン(役の上ではレフカダ・ヘブン)を演じる、トミー・バストウという役者に魅力を感じる。
「ヘブン先生」が登場するまでは、どうということのない、ドラマにもならないドラマで、見る気はなかったのだが、「ヘブン先生」が登場してからは、熱心に見ている。
その「ヘブン先生」は、筋に絡んでくる以外は、ひたすら畳の部屋に座って、書き物をしている。その籠もってものを書く姿勢が、真に迫っていて、実にいい。
このような演出をするに当たっては、ラフカディオ・ハーンが実際に膨大な書き物をしているから、そういう設定にしたのだろう。そう思わざるを得ない。
そこで、彼の著作を見てみることにした。いろいろなところから出版されているが、角川ソフィア文庫の『新編 日本の面影』『新編 日本の面影 Ⅱ』というのがよさそうだ。もちろん最初のものを読んで、面白ければ『Ⅱ』も、というつもりだった。
池田雅之の「訳者あとがき 木霊[こだま]する出雲の地霊とハーンの魂」を見てみよう。
これはラフカディオ・ハーンが、1890年(明治23年)4月4日、日本にやってきて初めて書いた『知られぬ日本の面影』(1894年)の、翻訳のアンソロジーである。
使用したテキストは、ホートン・ミフリン版のハーン全集(全16巻)の2巻本で、合わせて700ページを超える大作である。収録作品も27編に及ぶ。このアンソロジーでは、訳者が選んで11篇に絞ることにした、とある。
問題は、執筆にかけられた時間である。
「この作品集がハーンの日本滞在期間の、どのくらいの時期を扱っているかといえば、来日時の一八九〇年四月四日から松江を去る一八九一年十一月十五日までの一年七ヶ月ということになる。〔中略〕本書におけるハーンの直観的な日本理解の深さと確かさ、そして何よりも文学的感性度の高さを考えてみると、この短い期間にこれだけ大部の一書をものすることができたというのは、ひとつの奇跡としかいいようがないのではなかろうか。」
いかに元新聞記者とはいえ(巻末に略年譜が付いている)、この分量の原稿をこの期間でというのは、奇跡としか言いようがない。だから「ばけばけ」で、「ヘブン先生」がわき目も振らず原稿を書いているのは、十分に意味のあることなのだ。
「はじめに」から見ていこう。ここではラフカディオ・ハーンは、自らの立場を鮮明にしている。
「日本の知識階級は、超自然的なものに関する認識については、はなから過度に侮辱する嫌いがあり、刻下の宗教的な大事となると、完璧に無関心である。〔中略〕彼らにとって、迷信はただの迷信でしかないのだ。迷信と日本人の情緒との関連性などに至っては、まったくもって興味の対象外である。」
時は1890年、「日本の知識階級」は脱亜入欧、欧化一色である。
では「ヘブン先生」が発見した、日本人固有の魅力とはどこにあるのだろうか。
「どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在するのである。その魅力は、喜ばしい昔ながらの慣習、絵のようなあでやかな着物、仏壇や神棚、さらには美しく心温まる先祖崇拝を今なお守っている大衆の中にこそ、見出すことができる。」
知識階級ではなく、庶民、大衆の中にこそ、その魅力が存在するというのは、言ってみれば文化人類学的な態度と言えよう。
そういう姿勢で日本人を見れば、何が浮かび上がってくるか。
「日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ。」
「ヘブン先生」には、みんな優しく接したのだ。それに松江では、外国人をほとんど見たことがなかったろうから、みんな日本人特有の微笑を浮かべて接したことだろう。
このあたり、味わいは違うが、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』とも、共通するものがある。
日本は島国で、異民族との日常の小競り合いがないし、気候はちょっと前までは温暖で、いいところだったのである。
「ヘブン先生」が登場するまでは、どうということのない、ドラマにもならないドラマで、見る気はなかったのだが、「ヘブン先生」が登場してからは、熱心に見ている。
その「ヘブン先生」は、筋に絡んでくる以外は、ひたすら畳の部屋に座って、書き物をしている。その籠もってものを書く姿勢が、真に迫っていて、実にいい。
このような演出をするに当たっては、ラフカディオ・ハーンが実際に膨大な書き物をしているから、そういう設定にしたのだろう。そう思わざるを得ない。
そこで、彼の著作を見てみることにした。いろいろなところから出版されているが、角川ソフィア文庫の『新編 日本の面影』『新編 日本の面影 Ⅱ』というのがよさそうだ。もちろん最初のものを読んで、面白ければ『Ⅱ』も、というつもりだった。
池田雅之の「訳者あとがき 木霊[こだま]する出雲の地霊とハーンの魂」を見てみよう。
これはラフカディオ・ハーンが、1890年(明治23年)4月4日、日本にやってきて初めて書いた『知られぬ日本の面影』(1894年)の、翻訳のアンソロジーである。
使用したテキストは、ホートン・ミフリン版のハーン全集(全16巻)の2巻本で、合わせて700ページを超える大作である。収録作品も27編に及ぶ。このアンソロジーでは、訳者が選んで11篇に絞ることにした、とある。
問題は、執筆にかけられた時間である。
「この作品集がハーンの日本滞在期間の、どのくらいの時期を扱っているかといえば、来日時の一八九〇年四月四日から松江を去る一八九一年十一月十五日までの一年七ヶ月ということになる。〔中略〕本書におけるハーンの直観的な日本理解の深さと確かさ、そして何よりも文学的感性度の高さを考えてみると、この短い期間にこれだけ大部の一書をものすることができたというのは、ひとつの奇跡としかいいようがないのではなかろうか。」
いかに元新聞記者とはいえ(巻末に略年譜が付いている)、この分量の原稿をこの期間でというのは、奇跡としか言いようがない。だから「ばけばけ」で、「ヘブン先生」がわき目も振らず原稿を書いているのは、十分に意味のあることなのだ。
「はじめに」から見ていこう。ここではラフカディオ・ハーンは、自らの立場を鮮明にしている。
「日本の知識階級は、超自然的なものに関する認識については、はなから過度に侮辱する嫌いがあり、刻下の宗教的な大事となると、完璧に無関心である。〔中略〕彼らにとって、迷信はただの迷信でしかないのだ。迷信と日本人の情緒との関連性などに至っては、まったくもって興味の対象外である。」
時は1890年、「日本の知識階級」は脱亜入欧、欧化一色である。
では「ヘブン先生」が発見した、日本人固有の魅力とはどこにあるのだろうか。
「どこの国でもそうであるように、その国の美徳を代表している庶民の中にこそ、その魅力は存在するのである。その魅力は、喜ばしい昔ながらの慣習、絵のようなあでやかな着物、仏壇や神棚、さらには美しく心温まる先祖崇拝を今なお守っている大衆の中にこそ、見出すことができる。」
知識階級ではなく、庶民、大衆の中にこそ、その魅力が存在するというのは、言ってみれば文化人類学的な態度と言えよう。
そういう姿勢で日本人を見れば、何が浮かび上がってくるか。
「日本の生活にも、短所もあれば、愚劣さもある。悪もあれば、残酷さもある。だが、よく見ていけばいくほど、その並外れた善良さ、奇跡的と思えるほどの辛抱強さ、いつも変わることのない慇懃さ、素朴な心、相手をすぐに思いやる察しのよさに、目を見張るばかりだ。」
「ヘブン先生」には、みんな優しく接したのだ。それに松江では、外国人をほとんど見たことがなかったろうから、みんな日本人特有の微笑を浮かべて接したことだろう。
このあたり、味わいは違うが、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』とも、共通するものがある。
日本は島国で、異民族との日常の小競り合いがないし、気候はちょっと前までは温暖で、いいところだったのである。
なんと、面白かった!――『ロシア文学の教室』(奈倉有里)(3)
この本は面白くてするする読めるけども、では僕が、ロシア文学の世界へ踏み込もうとするかというと、ためらわせる理由が2つある。
1つは、今のロシアの状況である。
「ロシアの言論規制はひどい状態だという。近年の状況は悪くなるばかりで、とりわけ戦争を前にした二〇二一年はあらゆる自由なメディアが残された場を次々に奪われていく年だった。」
自由な意見が圧殺される。ついこの前までそうだったのだ。そしてさらに、もっとひどくなっている。
「二〇二二年の開戦とともに弾圧は歯止めがきかなくなり、報道の規制どころか一般市民のスマホの中身を街頭で警官がチェックするなんていうこともおこなわれているらしい。」
そういう国の文学というものを、どういうふうに考えればいいのだろう。強烈な軋轢があってこその文学活動だ、と考えるには、僕はもう力不足である。
もう1つの理由は、ここに挙げられているのは総じて、19世紀の、あえて言えば古い文学だということだ。
だからたとえば、「第二講 プーシキン『盗賊の兄弟』」は、散文ではなくて、「物語詩」である。主題は明快だというが、詩の翻訳を読むとなると、ためらわざるを得ない。
「第八講 ネクラーソフ『ロシアは誰に住みよいか』」も、未完の叙事詩である。農奴解放後、7人の農民が、幸せな人を探して旅をする話だが、面白そうだけれども、これを叙事詩で読むとなると、勘弁してほしい。
さらにもう1つ、奇妙なことがある。18世紀の文学者たちに、女性が1人も入っていないことだ。
ブレイディみかこのジェンダー論ではないが、12人の作家をとりあげて、1人も女性が入っていないとは異様だ。本当に19世紀には、めぼしい作家に、女性はいなかったんだろうか。
もしいなかったとすれば、それこそが歴史上の、論争を呼ぶテーマになるだろう。
最後をこんなふうに、どちらかと言えば否定して終わるのは、書評としては後味がよくない。
ここに挙げてあるので言えば、ドストエフスキー『白夜』、ツルゲーネフ『父と子』、そしてトルストイの『復活』は、僕が読んだ中では、と念を押さずとも、傑作である。
ガルシンは、ここに挙げてあるのは『アッタレア・プリンケプス』だが、「四日間」と「赤い花」は、中学生のころに読んで、忘れられない傑作だった。
またゴーリキーの『どん底』は、読んでみようと思う。現代に、そのままストレートに通じていると思うから。
(『ロシア文学の教室』奈倉有里、文春新書、2024年5月20日初刷)
1つは、今のロシアの状況である。
「ロシアの言論規制はひどい状態だという。近年の状況は悪くなるばかりで、とりわけ戦争を前にした二〇二一年はあらゆる自由なメディアが残された場を次々に奪われていく年だった。」
自由な意見が圧殺される。ついこの前までそうだったのだ。そしてさらに、もっとひどくなっている。
「二〇二二年の開戦とともに弾圧は歯止めがきかなくなり、報道の規制どころか一般市民のスマホの中身を街頭で警官がチェックするなんていうこともおこなわれているらしい。」
そういう国の文学というものを、どういうふうに考えればいいのだろう。強烈な軋轢があってこその文学活動だ、と考えるには、僕はもう力不足である。
もう1つの理由は、ここに挙げられているのは総じて、19世紀の、あえて言えば古い文学だということだ。
だからたとえば、「第二講 プーシキン『盗賊の兄弟』」は、散文ではなくて、「物語詩」である。主題は明快だというが、詩の翻訳を読むとなると、ためらわざるを得ない。
「第八講 ネクラーソフ『ロシアは誰に住みよいか』」も、未完の叙事詩である。農奴解放後、7人の農民が、幸せな人を探して旅をする話だが、面白そうだけれども、これを叙事詩で読むとなると、勘弁してほしい。
さらにもう1つ、奇妙なことがある。18世紀の文学者たちに、女性が1人も入っていないことだ。
ブレイディみかこのジェンダー論ではないが、12人の作家をとりあげて、1人も女性が入っていないとは異様だ。本当に19世紀には、めぼしい作家に、女性はいなかったんだろうか。
もしいなかったとすれば、それこそが歴史上の、論争を呼ぶテーマになるだろう。
最後をこんなふうに、どちらかと言えば否定して終わるのは、書評としては後味がよくない。
ここに挙げてあるので言えば、ドストエフスキー『白夜』、ツルゲーネフ『父と子』、そしてトルストイの『復活』は、僕が読んだ中では、と念を押さずとも、傑作である。
ガルシンは、ここに挙げてあるのは『アッタレア・プリンケプス』だが、「四日間」と「赤い花」は、中学生のころに読んで、忘れられない傑作だった。
またゴーリキーの『どん底』は、読んでみようと思う。現代に、そのままストレートに通じていると思うから。
(『ロシア文学の教室』奈倉有里、文春新書、2024年5月20日初刷)