大谷崎をどう読むか――『卍』

これは筒井康隆の『不良老人の文学論』を読んで、読みたくなったのだ。筒井康隆は、谷崎を全部読んだ上で、こんなふうに言う。

「今まで読んだ中でのぼくの一番のお気に入りはというと、これはもうはっきりと『卍』であろう。こんなに複雑な話を饒舌体でもって面白おかしく語ってしまえるというのは天才としか言いようがない。」
 
これは読まなくてはなるまい、と思うじゃないですか。
 
若い人妻、園子は、技芸学校で出会った光子と、禁断の恋に落ちる。一方、奔放な光子は、異性の綿貫とも逢引きを繰り返す。園子は、光子に対する情欲と独占欲に苛まれていく。そこへ園子の夫、柿内が絡んで、最後は園子、柿内、光子が、なんと心中するが、園子だけは生き残る。
 
筒井康隆の言う、「こんなに複雑な話を饒舌体でもって面白おかしく語ってしまえる」というのは、その通りであるが、「面白おかしく語」るというところに、筒井の、実作者としての何とも言えない複雑な保留がある。
 
仮に、現代作家が今のこととして書けば、どろどろした性は全面的に、明け透けに出てくるだろう。それなくしては、地に足がついてないと思わざるを得ない。
 
しかし谷崎が『卍』を書いたときには、これでも小説になったのだ。

『卍』は昭和3年から5年にかけて、断続的に『改造』に掲載された。この時代に性的な話が、どこまで許されるものだったかは、私には分からない。
 
また谷崎が、登場する女と男が、いずれも性的に関係があるのは、当たり前と考えていたかどうか、これも私にはわからない。
 
しかし生々しい性の側面が、描かれていないという点は、間違いないのであり、そのことを考えると、小説は「進歩」したのである、と言えるのではないか。
 
だから谷崎の『卍』は、今では読まれなくなり、それは当たり前のことだ。
 
では『卍』は、全く読むに値しない小説なのだろうか。そこは微妙である。
 
この文庫の解説は、中村光夫が書いている。その言うところを読んでみれば、

「大阪の『良家の奥さん』の『変な色気』を彼女自身の『言葉』または『声』を通して描きだそうとすること、ここに作者が移住後まもなくでありながら全部大阪言葉の小説を書くという大胆な試みをあえてした理由があると思われます。」
 
なるほどそういうことか。

しかし例えば、「先生の御宅い寄せてもらうようになりましてから」という、「先生の御宅い」というのは、おかしい。

「先生の御宅へ」というつもりだが、関西に移り住んで間もない谷崎には、「御宅い」と聞こえたのである。そういうところは、他にもいっぱいある。
 
再び中村光夫の言うところを聞こう。

「ここにこの小説の過渡的な性格が見られるので、当時の潤一郎にとって、関西の人情風俗は、それまでの彼にとって中国や横浜の山の手本牧などと同様に、一種の異国趣味の対象であったことを物語っています。」
 
だから谷崎を、点ではなく線として読まなければならない、と中村は言う。

「関西という土地が、彼にとってたんに好奇心の対象から、血肉化した日本の伝統への眼覚めの契機として、彼の心のなかで熟して行くにつれ、同じ大阪の『良家の奥さん』を描いても、柿内園子のような異常な女性から、蒔岡幸子のように平凡健全な女性に、作者の興味は移って行ったので、潤一郎が青年時代の『恋愛派』の作家から、現在の我国最大の国民作家と云えるような地位に達したのは、この変化によるものです。」
 
谷崎潤一郎の『卍』は、そういうふうに読まなければいけない本なのだ。
 
けれども、私に残された時間を考えれば(といっても、どれだけ残されているかは分からないのだが)、谷崎を、ずっと後をたどって読むことはできない。

(『卍』谷崎潤一郎
 新潮文庫、1951年12月10日初刷、 2012年11月30日第110刷)
posted by 中嶋 廣 at 00:33Comment(0)日記

ただ懐かしい――『書評稼業四十年』(3)

それにしても、五木寛之、野坂昭如に象徴される、新しいエンターテインメントが登場する前、北上次郎は、どんなものを読んでいたのだろうか。
 
そこにあるのは、前後する作品の、凄まじい落差である。たとえばその前に、熱中して読んでいた源氏鶏太。北上は、そんなものを熱心に読んでいたことが、信じられないと言う。

「『堂々たる人生』の主人公中部周平は、発表から五十年近くたってみると、信じがたい男といっていい。ヒロインの眼に映る主人公は『男らしい男』なのだが、どう読んでも単純ばかにしか見えないのは辛い。」
 
これは、ただただ笑うしかない。一刀両断、切られて終わりですなあ。

「この『堂々たる人生』は中部周平の勤める玩具会社が資金繰りに困り、その会社の危機を救うために主人公が奮闘する物語だが、真剣に対応すれば必ず道は開ける、というのはたしかに一面の真理かもしれないものの、それしか言わないのでは困ってしまう。」
 
こんなものを、なぜ熱中して読んでいたのだろう、と北上は言う。でもこういう小説が、確かに売れていた時代があった。つまり、娯楽のない時代である。
 
五木・野坂とは別に、空前のミステリーブームというのもあった。

「ほとんど小説を読んだことのない十五歳の少年〔北上次郎のことです〕が、前期の清張作品、たとえば『点と線』や『ゼロの焦点』や『砂の器』、そして梶山李之『黒の試走車』をいきなり読むのだから驚くのは当然だろう。」
 
これは「書評稼業四十年」の、前の段階であるが、それにしても書評家というのも、一朝一夕にはできあがらないものだ。
 
北上次郎はこんなふうに述べている。

「私が書きたかったのは、昭和四十年前後に中間小説誌の黄金時代があったこと、この時期に日本のエンターテインメントの質が飛躍的に向上したこと――この二点である。」
 
僕はこれに、北上次郎の読書欲が最も旺盛だった、十代後期に当たっていたことを、申し添えたい。
 
この本はほかに、書評原稿のギャラの内実が書いてあったりして面白い。

「だいたい一篇三千円から六千円くらい(一部例外もあるが基本)。だから五十篇やると十五万から三十万。それを六社やれば総額が百万から二百万。増減もあるかもしれないが、これが一般的な相場になっているようだ。『理想の仕事』ではあってもそれだけで生活するのは少し辛い。難しいものである。」
 
よく考えてください。全部で、一年間に300本ですよ。「理想の仕事」とはいっても、内実は、本を読む「奴隷」ではないか。
 
もっとも、本だけ読んでいたかった北上次郎としては、理想かもしれないが。
 
一番最後にこういうことが書いてある。

「いちばんいいのは、本を外から見ていることだろう。本を手に取って、これは面白そうだなあと外から見ているときがいちばん幸せである。」
 
それはもう、僕も本当にそうだなあと思う。

(『書評稼業四十年』北上次郎、本の雑誌社、2019年7月30日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:29Comment(0)日記

ただ懐かしい――『書評稼業四十年』(2)

野坂昭如は「小説現代」に、「ああ水銀大軟膏」というのが載っていて、それを読んだのが最初だと、北上次郎は言う。
 
これは「毛虱に悩む若者たちの日々を軽妙に描いたもので、『さらばモスクワ愚連隊』と同時に読むと、あまりのスケールの小ささに脱力するが、逆にそれが新しく見えてくるから不思議であった。」
 
野坂は「小説中央公論」に「エロ事師たち」を書いて、すでに文名は高かった。

これは、田舎の高校生だった僕も読んで、面白いなあと、友だちに宣伝しまくった記憶がある。
 
野坂昭如は、昭和44年7月号の「小説現代」に、「骨餓身峠死人葛」を載せた。
 
これは「近親相姦を主題にした作品で、亡びゆく鉱山の暗さと、卒塔婆に寄生する死人葛の暗い色調が妙にマッチして忘れがたい作品である。……土着的な味わいの短編ではあるのだが、なんだかとてつもなく新しい風がそこにはあったのである。」
 
大学生がそれをめぐって侃々諤々やり合う。ちょうど今の大学生が、村上春樹を巡ってやり合うようなものだ。
 
しかし北上次郎は、それともちょっと違うのだ。
 
五木寛之に「鳩を撃つ」という短編がある。テレビのディレクターが住む団地に、野性のドバトが現われ、その鳩に夫婦で怯える話だ。
 
北上次郎は「私たちの生活の足もとが揺さぶられる不安がここにはある」という。

「さらばモスクワ愚連隊」や「蒼ざめた馬を見よ」は、その新しさが理解しやすいが、本当に新しいのは、むしろ「鳩を撃つ」の方だったのではないか。そういう気がしていると、北上次郎は言う。

「五木寛之が登場してくる以前にこういう小説はなかったことを考えれば、ここにこそ五木寛之という作家の新しさが秘められていたと思う。」
 
こういう五木論は読んだことがない。五木寛之が、万人に分かりやすい方に行き、ベストセラー作家になる前に、分かれ道があったのだと思う。
 
しかしもちろん、北上次郎はそのころ、批評家の端くれですらない。
 
これは野坂昭如の場合も、同じことだ。

「名作『アメリカひじき』『火垂るの墓』が別冊文藝春秋とオール讀物に載ったのは同年〔昭和42年〕だが、初めて読んだ『ああ水銀大軟膏』、ひまわり〔=喫茶店の名〕で話題になった『骨餓身峠死人葛』、簡易製本した『好色の魂』、野坂昭如に関してはこの三作のほうが個人的には印象深い。」
 
これが、北上次郎の信頼するに足るところだし、いつでも、個人が揺るぎなく立っている。あんまり見栄も切らず、大上段に振りかぶったりもしないけれど、でも、だからこそ信頼できるのだ。
 
それにしても、1960年代後半の「小説新潮」「オール讀物」「小説現代」の部数は、三誌で100万を超えていたと思われるから、すごい時代があったものだ。と、これは北上次郎に追随して思わざるをない。
posted by 中嶋 廣 at 18:07Comment(0)日記

ただ懐かしい――『書評稼業四十年』(1)

書評家・北上次郎は、またの名を「本の雑誌」初代社長、目黒考二、たぶんこちらの方が有名だろう。
 
目黒考二の本も何作か読んだ。『発作的座談会』『いろはかるたの真実』『沢野絵の謎』等々。いずれも本の雑誌社から出ていた。
 
藤代三郎というペンネームでも書いていて、『戒厳令下のチンチロリン』というのを読んだことがある。こちらは情報センター出版局刊。
 
ペンネームは異なっていても、いずれも面白かった。
 
今回は、著者も古希を超えたので、40年余にわたる書評家人生を、振り返ってみようというわけ。
 
著者は学生時代から、「週刊読書人」のミステリー時評を読んできた。

「将来のビジョンも何もなく、錦華公園のそばの喫茶店で怠惰に本を読んでいるだけだったが、可能ならば『週刊読書人』でミステリー時評を書くような人になりたいと考えていた。」
 
そういう人になりたいというのが、著者の夢だった。
 
変わった方だなと思う。そのころ、というのはおよそ50年前、「週刊読書人」はすでに読む人も少なく、ましてやそこで、ミステリー時評が楽しみだというのは、奇特な読者という以外にない。
 
北上次郎はこの後、どんな本を読んでいたか。
 
1976年に「本の雑誌」が創刊されるから、もちろんミステリーは読み続けている。
 
しかしもっと前から、読み続けていたものがある。それは中間小説誌御三家と呼ばれる、「小説新潮」「オール讀物」「小説現代」である。
 
なぜこういうものを、読むようになったかというと、60年代後半に、五木寛之と野坂昭如が登場して、それで20代の人にも読者が広がったのだ。
 
五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」や「蒼ざめた馬を見よ」には、決定的に新しいところがある、と北上次郎は言う。

「日本の現代エンターテインメントにグローバルな視点を導入したことだ。私たちがどれだけちっぽけな存在であったとしても、世界の一員であることを否応なく感じざるを得ない時代が到来しつつあり、そういう来るべき政治の季節の予見とも言うべきものが、五木寛之の小説にはあった。だから五木寛之の小説にみんなが魅了されたのである。つまり私たちが初めて持ちえた同時代の作家だった。」
 
なるほど五木寛之の小説には、そういう新しさがあったのか。
 
しかし僕は、あまり感心しなかった。五木寛之の小説は、感動するところに乏しかったのだ。
posted by 中嶋 廣 at 18:57Comment(0)日記

編集上の工夫で売れるのか?――『仏教抹殺ーなぜ明治維新は寺院を破壊したのかー』

この文春新書は八幡山の啓文堂で、3か月で5刷になっているのを見て、いわば「吃驚して」買ってしまった。
 
著者の鵜飼秀徳はジャーナリストで、僧侶の顔も持つ。著書に『寺院消滅』『無葬社会』があると聞けば、宗教ジャーナリストとして、第一線で活躍中の人であることが分かる。
 
もっとも僕は、どちらも読んでいない。読まなくてもわかると言えば、傲慢かな。
 
本書は「廃仏毀釈」を取り上げ、それがどんなふうであったか、各地を回って僧侶や郷土史家、学芸員などに、取材して回ったものだ。

「廃仏毀釈」は、明治政府が打ち出した神仏分離令を拡大解釈し、仏教を排撃した事件を扱ったものだ。
 
ただそうはいっても、1870年(明治3)頃から76年(明治9)頃までと、その期間は短い。
 
全体は八章に分かれていて、「新日本紀行・廃仏毀釈の旅」というのが、掛け値なしのところだ。
 
でも「新日本紀行・廃仏毀釈の旅」では、文春新書にはならないだろう。

『仏教抹殺ーなぜ明治維新は寺院を破壊したのかー』とやれば、教科書では一見当たり前のことが、「抹殺」って何のことだ、と興味を覚醒したのではないか。そうとでも考えるよりほかに、考えようがない。

「廃仏毀釈」と一言で片づけるが、その様相は全国各地で異なっている。
 
仏教排撃が盛んだったのは、比叡山、水戸(第一章)、薩摩、長州(第二章)、宮崎(第三章)、松本、苗木(第四章)、隠岐、佐渡(第五章)、伊勢(第六章)、東京(第七章)、奈良、京都(第八章)など。

そしてこれ以外は、神仏分離政策を粛々とやっただけで、特に目立つ事例はない。
 
著者は、「当時行われた仏教迫害というタブーの痕跡を、全国的に現場を歩いて調査した事例はこれまでほとんどない」というが、それは仏教が、もうそれほど人の関心を呼ばなかった、ということではないのか。
 
もちろん僧侶や仏教関係者にとっては、関心のあるテーマだとは思うが、しかし「廃仏毀釈」はそれ自体、強烈なマイナス・イメージを持った言葉だ。できれば僧侶も、口にしたくはあるまい。
 
こういう新書が売れるについては、編集上の工夫で何とでもなるということか。ただただ参りましたというほかはない。

(仏教抹殺ーなぜ明治維新は寺院を破壊したのかー』
 鵜飼秀徳、文春新書、2018年12月20日初刷、2019年3月1日第5刷)
posted by 中嶋 廣 at 08:55Comment(0)日記

教科書通りのミステリー――『罪の轍』

オリンピックの前年、1963年に、北海道から東京に出てきた若い男が、誘拐事件を起こす。
 
これを犯人、警察、山谷で働く若い女の、三点から活写したミステリーである。
 
これには下敷きになった事件がある。1963年3月、東京・下谷で起きた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」である。
 
奥田英朗は、その事件とは微妙にズラしながら、犯人の、孤独で、人格的に障害を持った、人となりを描いていく。
 
落合刑事を中心とする警察の描き方も、山谷で宿屋と食堂を営む町井ミキ子の描き方も、それぞれ手慣れたものだ。
 
電話が普及してきたころで、この誘拐劇でも、重要な役割を果たす。それも含めて、小道具や風俗は懐かしいものだ。
 
著者は極力、自分の意見を、表だって表明しない。これは全体が社会派ミステリだから、そういうものだ。
 
それでも、600ページを書き継いでゆけば、本音はチラリと漏れてくる。

「戦後十余年、日本は新興宗教が花盛りだった。駅前で、繁華街で、いつも怪しげな僧侶が経を唱えている。戦争で三百万人も死ねば、誰だって神にすがりたくなるのだろう。」
 
あるいはこんなところ。

「先日も日教組が浅草署に押しかけ、署長は辞職せよと門前でシュプレヒコールを上げていた。学校の教師が、そういう真似をする。すべて戦前の全体主義の反動なのである。」
 
この辺は、奥田英朗の本音が漏れていておかしい。
 
もっともこれは、警察の側から描いた場面なので、そういう側面から、意見を言ったものかもしれない。

でも僕は、著者の本音が、思わず出てきたものだと思う。

この本では、犯人の宇野寛治が、いかにもわびしく寂しいけれど、でも個性豊かに描かれていて、忘れ難い。
 
小学生のとき、継父に、交通事故を装った「当たり屋」をやらされ、その時の、最も大事なことの記憶が抜けている。それは殺人においても、そうなのだ。
 
その記憶を最後に取り戻す。そして言う。

「悪さっていうのは繫がってるんだ。おれが盗みを働くのは、おれだけのせいじゃねえ。おれを作ったのは、オガやオドだべ」。
 
しかしもちろん、自分の罪が、それによって軽減されるとは思っていない。自分は、生まれてこなければよかったのだ。そんなことを思っている。
 
奥田英朗は、『最悪』『邪魔』と読んできて、『無理』で、今度ばかりは底が浅いと思ってやめた。
 
それからまた精神科医・伊良部のシリーズ、『イン・ザ・プール』『空中ブランコ』『町長選挙』を読んで、それ以後、同じシリーズが出ないのでやめた。
 
途中、妻が面白いと言っているので、『ララピポ』を読んだ。これは、荒廃した時代を先取りしていて、とても面白かった。

『罪の轍』は、いってみれば教科書通りのミステリーだが、しかしそういうものも、いろんな読書の合間には欲しくなるのだ。

(『罪の轍』奥田英朗、新潮社、2019年8月20日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 18:38Comment(0)日記

生き物、すべて友達――『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』(4)

小松貴は、生き物と交感する不思議な力がある。たとえば、二ホンリスを観察するときは、追ってはダメだという。リスが頻繁にやってくる場所を見定めたうえで、あらかじめそこで待っていればいい。なるほど。
 
小松先生が、かつてオサムシを観察していたときのことであった。

「ふと何か後ろで気配を感じて、何となく振り向いた。そうしたら、私の尻のすぐ後ろに、二ホンリスが座ってこちらをじっと見つめているではないか。
 ……
 私も驚いたがあちら様もかなり驚いたようで、しかしとっさの事態に何をどうしたらいいのか分からなかったらしい。バツの悪いそぶりを見せつつも、リスはゆっくりそこから歩いて離れ、道脇の草むらに消えていった。」
 
この話はたしか前著にも、詳しく出ていた。
 
リスは追うのではなくて、近づいてくるのを待てばいい、という小松先生の話だが、普通はそんなことをしても、一生近づいては来ないって。
 
リスの「バツの悪いそぶりを見せつつも」というところが、何とも言えない。
 
ほかにもアリの写真が、1ページに3枚入っており、1枚はクロオオアリで、九州以北の日本各地で普通に見られるものだ。
 
次の写真も、同じようにアリと見えるものだが、これはアリそっくりなハエトリグモである。
 
3枚目もアリ以外の何ものでもないが、これはアリそっくりなカマキリの幼虫である。
 
こういうのを見ると、もう本当に、ただただ息をのむ。
 
最終章の末尾に、昆虫学者は如何にして「新種」を発見するか、という話が載っている。これは実際のところを知れば、ちょっとため息が出る。

「今までその分類群の中にどんな種が発見されているのかを知るために、その分類群内でこれまで知られている種の記載論文をすべて入手して、読み込む。そうして、この分類群においてはこういう形態的特徴を持った奴だけが知られているのだ、ということを頭に入れておけば、もしどこかで明らかに自分の専門とする分類群の種なのに、その特徴に合致しないような種を見つけた時に『これは新種だな?』と察知できるのである。」
 
これだけでも気が遠くなるが、実はすべてを読むだけではすまない。
 
読んだ上で、実物の「タイプ標本」を見ておく必要があるが、じつはこの「タイプ標本」が、世界中に散らばっているのだ。
 
著者はここでは、アリヅカコオロギの「タイプ標本」を求めて、パリの自然史博物館に通ったときのことを語る。

「もちろん、夕食は明るいうちにその辺のスーパーで買い込んだ粗末なパンのみ。フランス料理など一口だに味わう機会はなかった。
 そして陰鬱な夜が明ければ、私は博物館へとまた向かう。あの、防腐剤の臭気に満ちた部屋の片隅で、コオロギの干物が私を待っているのであった。」
 
とにかく著者は、「タイプ標本」の写真を撮りまくるのだ。

目くるめく昆虫の世界に分け入って、案内していく小松先生は、また人知れず、超人的な努力をする人だったのだ。

(『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』
 小松貴、新潮社、2018年4月25日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:24Comment(0)日記

生き物、すべて友達――『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』(3)

「ダマしたい虫、ダマされたい人 Ⅰ」の章では、「私の行きつけの裏山」で、擬態して越冬中の、ホソミオツネントンボを観察する。これは、広大な枯れ野で見つけることは、困難を極める。枯れ枝に擬態して、まったく動かないからだ。
 
もちろん小松先生は、それを見破る。

「私はトンボをじっくり観察してみた。奴は枝をしっかりと脚で摑んだまま、その場から一歩も動かなかった。一見、生命の覇気が全く感じられず、死んでいるようにも見えた。しかし、こちらが顔を近づけると、トンボはその場から逃げない代わりに体を僅かに斜めに傾けて見せた。敵が寄ってきた時、彼らはこのように相手側から見た時に少しでも自分がトンボの姿に見えないような角度に体を倒すのだ。」
 
実に微細な擬態だが、しかし著者は、そのわずかな間合いを感知する。

「こうして越冬昆虫達を相手に鍛錬し、向上させた『隠蔽解除能力』は、フィールドから『左右対称のもの』『明らかにその場の景色になじまないもの』を見抜くのに抜群の威力を発揮する。それゆえ、私は擬態昆虫の総本山たる熱帯のジャングルなどへ行っても、枝そっくりなナナフシや樹皮そっくりなウンカなど並み居る刺客どもの擬態技を、次々に見破ることが出来るのだ。」
 
こういうことをやるのは、ほかの昆虫学者にはいるのかね。

もし何人か、こういうことに長けた人がいるのであれば、ぜひテレビチャンピオンとして出てほしいものだ、というのは半分は冗談だが、最後に著者はこういうふうに言うのだった。

「私に見破れぬ擬態はない。」
 
とはいうものの、擬態する虫は多くの場合、自分が何に擬態しているか、よくわかってはいないという。

「ダマしたい虫、ダマされたい人 Ⅱ」では、その問題を扱う。
 
擬態は、僕のような素人にはたまらなく面白い。でも、ちょっと待ってよ。

「ここまで私は文章中において、軽々しく擬態擬態と連呼してきた。しかし実のところ、人間の目から見てある生物が何かに似せているように思えても、それが本当に擬態している(つまり自然下でそれを捕食している立場の天敵をちゃんと騙せている)ことを実験的に証明するのはとても難しいのである。」
 
なるほど、言われてみれば、これはコロンブスの卵だ。

素人は、というのは僕のようなのは、擬態と言われれば、なるほど自然は精妙なものだと、簡単にコロリと感動してしまう。
 
しかし、理屈を立てて考えていけば、一筋縄ではいかなくなる。

「巨大ガとして有名なヨナグニサンの前翅の縁には、黄色い部分があり、これがヘビの横顔そっくりだとも言われる。このヘビを見せ付けて、天敵の鳥を追い払うのだという俗説が、しばしば蘊蓄本の類にも書かれている。しかし、この話に関しても誰かが実際に本物の鳥を使い、統計にかけられる程の例数を観察の上検証したことではない。個人的には、これも人間が単に擬態していると思い込みたい故の『作られた擬態』に過ぎないと思う。そうであった方が、物語として面白いからだ。」
 
こうなると素人には、わからないというほかはない。
 
しかしこの擬態については、人間の自然観を変えるほど、面白い問題だと思う。
posted by 中嶋 廣 at 17:45Comment(0)日記

生き物、すべて友達――『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』(2)

小松貴の生き物の本は、僕にはすべて、あっと驚く初見だから、紹介するとすれば、丸まる一冊、引用するほかなくなる。
 
それではしようがないので、ともかくアトランダムにいくつか紹介したい。
 
小松先生には、好きな虫がいて、一つは眼の退化した虫、もう一つは翅(はね)の退化した虫だ。これは理由などなくて、どうしようもなく惹きつけられるという(なんというヘンな趣味!)。
 
眼のない虫、翅の退化した虫、といわれても、普通は何も浮かばないだろう。少なくとも、僕は何にも思い浮かばない。
 
小松貴はここでは、シャクガ科のうち、フユシャクと呼ばれるものを取り上げる。
 
シャクガ科のガは、幼虫が尺取虫として知られ、そのうち一部の種は、寒冷期に限って活動する。それで俗にフユシャクと呼ばれ、日本には30種前後がいる。
 
このフユシャクは、メスに限り翅が退化(!)している。
 
ここには写真が載せられていて、チャバネフユエダシャクのオスとメスが出ている。
 
オスの方は、翅を広げてとまる、いかにも黄色っぽいガであるのに対し、メスの方は、メリハリのある白地に黒のまだら模様、そしてメスには、翅が全くない。
 
このメスは、「まるでミニチュアのホルスタインだ。何も知らない人がこの2匹の昆虫を見たら、間違っても同種の夫婦だなんて思う訳がない。」
 
この辺はぜひ写真を見てほしい。あっと驚くこと、疑いなしである。

言い忘れたが本書には、痒い所に手が届くように、実にふんだんに貴重な写真が入っている。
 
小松先生はまた、昆虫の匂いの点でも、独特の偏った好みがある。

「ゴミムシの仲間は危険を感じると異臭を放って敵を遠ざけるが、アオゴミムシ類は俗に『クレゾール臭』と称される、まるで正露丸のような薬品臭を出す。幼い頃、私はこの特徴的な異臭を放つアオゴミムシ類を好まなかった。しかし、今はむしろこの臭いが嗅ぎたくて仕方なく、しばらく嗅がないでいると禁断症状が現れるまでに至っている。」
 
だいたい僕なんか、昆虫の臭いというものに、はっきりしたイメージを持っていない。そうか、「クレゾール臭」か。なんとなく、臭ってきたぞ。だんだん気持ちが悪くなってきた。                
posted by 中嶋 廣 at 09:43Comment(0)日記

生き物、すべて友達――『昆虫学者はやめられないー裏山の奇人、徘徊の記ー』(1)

これは抜群に面白い本だ。
 
小松貴の本は『裏山の奇人ー野にたゆたう博物学ー』を、2014年に書評したことがある。これもとても面白い本だった。
 
僕はこの年の11月に、脳出血で倒れたので、ひょっとすると〝前世〟における、最後の書評本かもしれない。
 
それはともかく、のっけから人を食った話が出てくる。

「フィールドにおいてカエルは、虫と違って知的な駆け引きが出来る格好の遊び相手となる(虫も虫で面白い観察対象だが)。虫に比べて外見が人に似ていて親しみを持ちやすい、というのもあるかもしれない。」

「虫に比べて外見が人に似ていて」というところ、何とも言えません。著者の頭の中では、こういうふうになっているのだろう。
 
たしかに「あらゆる脊椎動物を骨格標本にした時、骨の通った尾がないのは人を含む高等なサル、鳥類、そしてカエルだけなのだ」、ということらしい。骨格標本にしたとき、人とカエルは近いところにある、らしい。

小松先生の本は、ほとんど聞いたこともないような生き物ばかりが出てくる。たとえば、チビゴミムシの仲間。

「これらは共通して、体色が薄くて赤っぽい、そして複眼が退化して視力を持たないという形態的特徴を持つため、『メクラチビゴミムシ』と呼ばれている。彼らは目が機能しない代わりに、長い触角と数本の細長い体毛を持っており、これで周りの物体の存在を感知しながら暗闇を疾走する。」
 
地下に潜んで、闇の中を疾駆する、とはいえ「メクラ」で「チビ」の「ゴミムシ」。名づけのときに、もう少し何とかならんかったんかい。

「たまたまゴミムシという甲虫の分類群の中に、小型種からなるチビゴミムシというサブ分類群があり、さらにその内訳に眼のないメクラチビゴミムシという仲間がいるというだけの話に過ぎない。」
 
なるほど、よくわかりました。要するに、人と交わって社会生活をする上で、忖度したり遠慮したりするということは、昆虫を相手にしている限りは、必要ないということですね。それはそれで、かえって気持ちのいいことなのかも。

でも日本だけで、400種くらいいるチビゴミムシのうち、眼のないメクラチビゴミムシ類は、おそらく300種以上はいて、しかもその全種が、なんと日本にしかいない。
 
おお、これは国花や国鳥に倣って言えば、まるで日本の「国虫」ではないか、とこれは僕の独断。
 
しかもメクラチビゴミムシは、「1地域・1メクラチビゴミムシ」を原則にしている。

「おそらく、遠い昔には日本の地下水脈はもっと単純な流れで、この流れに沿って今日よりずっと少ない種数のメクラチビゴミムシが広域に住んでいたのだと思う。それが、その後の地殻変動に伴い、地下水脈が重ねて分断され、メクラチビゴミムシともども孤立化していった。」
 
そうして各地域で代替わりし、それぞれの地域で、独自の種へと分かれていったのだ。
 
だからこういうことが言える。

「ウスケメクラチビゴミムシという(他意がないとはいえ、メクラチビゴミの上に、さらに薄毛とは!)種が大分県の東海岸沿いにいるが、これに極めてよく似た近縁種が、豊後水道を挟んだ対岸たる愛媛県の海岸沿いにいる。そのため、かつて九州の北東部と四国の西部が地続きだったということが明瞭に理解できる。」
 
なるほど、そういう推理が成り立つわけか。

そして著者は、結論としてこういうふうに言う。

「地下性生物は、生ける歴史書と呼んでも過言ではなかろう。」

「メクラ」で「チビ」の「ゴミムシ」は、「生ける歴史書」でもあったのだ。ま、参りました。
posted by 中嶋 廣 at 09:44Comment(0)日記