悪夢ではあるが――『一下級将校の見た帝国陸軍』(6)

もうやめるけど、最後に総括として、これだけは書いておきたい。
 
山本七平は本書終盤に至って、日本軍に対する怒りが爆発し、抑えることができなくなった。

「狂ったように暴力を振るい、『将校を撲り倒すのが唯一の趣味』といわれた師団司令部のK少佐参謀や〔中略〕『敵地へ女をつれこんだ参謀』だけではない。収容所の中には、この種の上級者への怨嗟が文字通りうずまいていた。
 ああいう種類の人たちは結局『軍人』を演じただけで、内実は「から」だったのだ。軍人としての能力は皆無だったのだ。」
 
そりゃあ爆発したくもなろう。山本たち下級将校には、最初から最後まで、いいことは何もなかった。命を落とすか、捕虜になるか。ただただ貧乏くじを引き続けた。

「今にして思えばこれを敷衍したものが日本軍だった。こういう人の気違いじみた暴力と暴言の背後にあるものは、一言でいえば『無敵皇軍』という自画自賛的虚構を、『虚構』だと指摘されまいとする、強弁であり、暴言であり、暴行であり、犠牲の強要である。そして陸軍全体がそうであった。」
 
山本はその陸軍を、別の角度から見直してみる。

「一言でいえば、人間の秩序とは言葉の秩序、言葉による秩序である。陸海を問わず全日本軍の最も大きな特徴、そして人が余り指摘していない特徴は、『言葉を奪った』ことである。日本軍が同胞におかした罪悪のうちの最も大きなものはこれであり、これがあらゆる諸悪の根源であったと私は思う。」
 
さすがは山本七平、聖書の人である。「はじめに言葉ありき」、ところが日本軍は正反対で、「はじめに言葉なし」。以下は抜粋である。

「人から言葉を奪えば、残るものは、動物的攻撃性に基づく暴力的秩序、そうなれば精神とは棍棒にすぎず、その実体は『精神棒』という言葉によく表れている。言葉らしく聞こえるものも、実体は動物の『唸り声』『吠え声』に等しい威嚇だけである。
 他人の言葉を奪えば自らの言葉を失う。従って出てくるのは、八紘一宇とか大東亜共栄圏とかいった、『吠え声』に等しい意味不明のスローガンだけである。こういうスローガンはヤクザが使う『仁義』という言葉と同じである。」

「八紘一宇」「大東亜共栄圏」は、ヤクザの「仁義」と同じものだという。ここまで来ると、もうどうしようもない。山本七平自身が、こういっては悪いが、論を立てることができない。
 
最後に、自分の身近なところまで引っ張ってくる。

「戦局が悪化し、師団長クラスがノイローゼになると、たいていは、大言壮語して一方的に言いまくり、罵詈讒謗をあびせて暴力を振るい、何やら〝超能力的〟雰囲気を振りまく詐欺的人物に依存してしまう。〔中略〕これは軍人だけでなく、会社が倒産するときも同じ。また出版社は倒産しそうになると、必ずこういうタイプの著者に言いまくられてその人の原稿を掲載したり、本にしたりするから面白い。」
 
これは正直、あまり関係はないと思うのだが、山本のような、経験を積んだ人から見ると、よく似ているのだろうか。
 
全体を読み終わって考えるのは、これは負けた方の言い分で、勝った方なら正反対の言葉が出るんだろうか、ということである。
 
もっとも山本によれば、日本軍のような、世界で最も低劣な軍隊が勝つことは、絶対にありえない、ということになるけれど。
 
しかし、たぶん軍隊はどこでも、同じようなものだと思う。結果が負けたから、しかもひどい負け方だったから、徹底的に反省する以外に、どうしようもない。
 
たとえばアメリカは、負けたことがないから、あいかわらず世界のどこかで、戦争をしている。本当に「アメリカ軍の真実」を書けば、つまり『一下級将校の見たアメリカ陸軍』を書けば、わずかな程度の差こそあれ、同じことになりそうな気がする。

(『一下級将校の見た帝国陸軍』山本七平、
 文春文庫、1987年8月10日初刷、2014年8月30日第21刷)

悪夢ではあるが――『一下級将校の見た帝国陸軍』(5)

私はこの本のうち、敵との戦いや、戦術に関するところなどは、このブログには書かないできた。もう一度、その経験が役に立つことは、あり得ないだろうと思ったからである。というより、そう願ったからである。
 
しかし次の小部隊の実際は、書き付けずにはおられない。

「どの小部隊も、さまざまな悩みをかかえていた。まず病人である。マラリア、アメーバ赤痢、慢性の下痢、熱帯潰瘍、極端な栄養失調、脚気、これらはすべての人間がかかっているから病気のうちに入らない。動けるか動けないかだけが、健康・病気の違いである。」
 
77年以前には、こういうことが起こっていたのである。
 
山本七平はこの後、捕虜になる。日米の戦いが終わると、ジャングルに隠れていた住民が出てくる。

「武装解除の場へと向うわれわれに、ジャングルの退避部落から出てきた住民たちは、顔をゆがめて吐き捨てるように言った、『ギリン』(気違いメ)と。だが、われわれも米軍も、この人たちを、未開乃至は野蛮と見なし、無視していた。」
 
殺し合う日米双方が、平和な現地人を、「未開乃至は野蛮」と見なしていたのである。誰が野蛮なんだか。
 
山本七平は捕虜になったが、捕虜にならずに自殺した例も多い。その中には強要された自殺、つまり実際には他殺に等しい場合がある。

「戦場にもさまざまな自殺はあった――もっとも自決と呼ばれていたが。その中には明らかに強要された自殺、言い変えれば強要した人間の他殺、自殺に仮託した純然たる殺人もあった。〔中略〕そして彼らを殺した殺人者『気魄演技』の優等生たちは、何の責任も問われず戦後にも生き、その『演技』によって民衆の喝采をはくしつづけた。」
 
軍隊にあっても、中間管理職はつらいよということだ。でもちょっとひどくはないか。

「『自決という名の明確な他殺』で、糾弾されざる殺人者の名が明らかな例も、決して少なくない。」
 
しかし「自決」であれば、表面上は自殺で完結している。
 
山本は捕虜として1年4か月をおくり、その間に見聞きしたことを書きとめた。

そういう中に最上級の司令官たちの、ご隠居とまごう楽し気な会話があった。彼らは思い出話に花を咲かせたが、それは必ず日本の内地の話に限られた。外地での戦闘行為が、誰かの責任追及になりそうな場合は、無意識のうちにその話題は避けられたようだ。

「この会話を録音して、それがどこの場所でだれが行なった会話かをつげずに人びとに聞かせたら、それらが、陸海空、在留邦人合わせて四十八万余が殺され、ジャングルを腐乱屍体でうめ、上官殺害から友軍同士の糧秣〔りょうまつ〕の奪い合い、殺し合い、果ては人肉食まで惹起した酸鼻の極ともいうべき比島戦の直後に、その指揮官たちによって行われた会話だとは、だれも絶対に信じまい。」
 
そしてこれは、どこでもあったことらしい。

「レイテの最後にも、内地のA級戦犯にも、これとよく似た和気藹々の例がある。その状態は一言で言えば、部下を全滅させ、また日本を破滅させたことより、今、目の前にいる同僚の感情をきずつけず、いまの『和を貴ぶこと』を絶対視するといった態度、というよりむしろ、それ以外には何もかもなくなった感じであった。」
 
これは日本の軍人に限ったことだろうか。人間が自分の能力を超えた瞬間、たいていはこうなるものではないか。見て見ぬふり、ではなくて、目の前にあるのに、あまりに責任が大きすぎ、重すぎて、目に入ってこないのである。

戦争は、どちらかがこうなる。あるいはどちらもこうなる。そういうことではないか。

悪夢ではあるが――『一下級将校の見た帝国陸軍』(4)

話をフィリピンに戻す。とはいうものの、著者がここに挙げている様々なことを、私が抜き書きすることもかなり徒労だ。というかそんなことはしたくない。
 
根本のところを言っておくと、「『思考停止』、結局これが、はじめから終わりまで、帝国陸軍の下級幹部と兵の、常に変わらぬ最後の結論であった。」
 
しかしこれでは、どうしようもない。たとえ最後はそうなるとしても、反省の内実がかけらでもないと、反省する意味がない。

少し具体的に見ていこう。

「〔私が〕納得できない一番大きな点は、上級指揮官の抱く『米軍』像が虚構ではないのか、という疑念である。そしてその虚構に対処するため命令を出すが、現実の打撃の前にその虚構が常にぐらぐらとし、ぐらぐらするたびに決心変更し、そのたびに前の命令を取り消すに等しい新しい命令を出しては、われわれを『奔命に疲らせる』状態にしているのではないか、やっていることはすべて『指揮官の気休め』で、結局すべては無駄ではないのか、という疑念である。」
 
あんまり具体的になってないですね。しかしそういうことなのである。
 
もっと卑近な、言うだに口が曲がりそうなこともある。

「戦後の戦犯問題で、形式的には堂々と発令しておきながら、『そういう命令は出していない』と証言したため、『部下に責任を転嫁して助かった卑怯な指揮官』ときめつけられている人は決して少なくない。」
 
ずっとそうだったんだ。安倍晋三元首相の気持ちを忖度するという名目で、上司に言われて改竄した書類を出し、しかし上司は私は知らないとしらばっくれ、しょうがないので責任を執って自殺した官僚がいた。昔も今もまったく同じことをやっている。
 
軍隊で命令が出ても、それを疑う癖がついた。だから「敗戦」と言っても、ジャングルから出ていけなくなった人もいた。小野田少尉などは戦後30年間、戦争を継続していた。

「参謀が口にする、想像に絶する非常識・非現実的な言葉が、単なる放言なのか指示なのか口達命令なのか判断がつかないといったケースは、少しも珍しくなかった。〔中略〕何がゆえに、捕虜を全員射殺せよとの〝ニセ大本営命令〟が出たり、その参謀が〝全部殺せ〟と前線を督励して歩いたあとを副官がいちいち取消して廻るといった騒ぎまで起こる」。
 
ここまで来ると、ちょっとした不条理劇で、現実のこととは思えない。いやむしろ、生命の極限まで追いつめられると、かえってそういう不条理な面が出てくるのか。
 
戦争には一般に、強い精神力が要求される。しかしそういう精神力と、〝強がり演技〟に過ぎない「気魄誇示」とは、本来無関係なはずである。ところがこれが、同じだと見なされる。

「〔「気魄誇示」の〕演出は一つの表現だから、すぐマンネリになる。するとそれを打破すべく誇大表現になり、それがマンネリ化すればさらに誇大になり、その誇大化は中毒患者の麻薬のようにふえていき、まず本人が、それをやらねば精神の安定が得られぬ異常者になっていく。」
 
これは実に厄介だった。自国民を何万人殺そうが、こういう「気魄演技屋」は何の責任も負わず、何の痛痒も感じない。

「司令部との連絡係をやっている将校にとっては、この種の参謀との折衝は、文字通り、神経を消耗しつくし、気が変になって来そうな仕事であった。帝国陸軍の下級将校の多くは、敵よりも、これに苦しめられ、そして戦況がひどくなって現実と演技者のギャップがませばますほど、この苦しみは極限まで加重していった。」
 
敵よりも苦しいもの、それが「参謀」との交渉だった。これは本当に言葉がない。そして「玉砕」にいたる真実がここにある。

悪夢ではあるが――『一下級将校の見た帝国陸軍』(3)

いよいよマニラに着く。そこで山本は呆然とする。「東亜解放」を旗印に、現地の人と一緒になって「血を流しているはずのわれわれは、実は怨嗟の的であったのだ。」
 
中国でも、朝鮮でも、あるいは南方の島々でも、日本軍は現地の人々と戦っていたのだ。それをどうやったら、現地の人と仲良くやっている、と思えたのだろうか。今となっては、この辺のところもよくわからない。
 
問題は日本軍が、「フィリピンという一国を占領し、実質的にこれを統治するつもりが全くなかったということである。〔中略〕一国を占領する、それならばまずその国の兵要地誌はもちろん、歴史・伝統・民俗・言語等々を徹底的に調べて、それぞれの専門家を養成しておくのが順序であろう。」
 
しかし実情はまるで正反対、日本国内では「英語教育禁止」であり、その状況ではフィリピンの公用語、タガログ語が何たるものかは、日本軍の幹部ですらわからなかった。
 
一体、日本軍は何をしに行ったのか。

「中国人は皇軍をもじって蝗軍と言ったそうだが、まさに蝗軍である。そしてイナゴが青いものを食いつくして斃死するように、日本軍も、その殆どが餓死した。アメリカの戦史は短くかつ冷酷にこれを記している。
『尚武集団(比島派遣第十四方面軍)の殆どすべては餓死である』と。」
 
日本軍の顛末はそういうことだ。具体的に見ていく。

「〔フィリピンの〕経済的実情への無知、加うるに相手の文化様式への完全なる無知・無理解、それによって生ずる救いがたい文化的摩擦、それでもなお『アジアという内なる妄想』のみを信じ込み、それしか見えず、それに適合しない者を拒否する態度、東亜の盟主が東亜解放の掛け声をかければ、全員が振るい立って協力するはずだという一人よがり、われわれだけがアジアの先進国だといううぬぼれ――それが重なり重なって、どうにもならない状態を現出した。」
 
幻の大東亜共栄圏、日本の侵略戦争はここに尽きている。
 
問題は、この戦線にあるときに、そしてほとんどが餓死するに至るときに、その手前で、こんなことは間違っている、バカバカしくてやっておれないと、だれ一人言えないことである。
 
あるいは実際には、兵士の中にそういう覚醒した人が、何人もいたのだろうか。山本七平が何人もいたのだろうか。そしてそういう人も、大体は餓死したのだろうか。
 
よくわからないのは、山本にしても、戦線にあるときに、そういうことを考えていたのか、終戦から何年か経って、総括として、そういうことを考えたのか、どっちだろう。
 
もし終戦後に考えたのなら、日本が戦争に負けた意味は、十分すぎるほどあるといえるが。

悪夢ではあるが――『一下級将校の見た帝国陸軍』(2)

山本七平にとっては、入隊後の訓練そのもののすべてが腹立たしい。すべてが何の役にも立たないことだらけだった。これは一体どういうことか。

「それまで何となく感じていた疑惑が、私の中で、しだいに、一つの確信へと固まっていった。それは『日本の陸軍にはアメリカと戦うつもりが全くなかった』という実に奇妙な事実である。」
 
これは山本の痛烈極まる批判であり、皮肉である。アメリカの正体について、全く見当がついていない、どんな見取り図も、一枚もなかったのである。
 
このとき日本にあったのは、なんと日露戦争の体験のみである。訓練の実例として用いられるのは、すべてのモンハンにおける体験だった。それしかなかったのだ。
 
だから演習で想定される戦場は、常に満州とシベリアであり、山本たちが向かう南方のジャングルではなかった。
 
そこで山本七平は考える、なぜこんなことがおこるのか、と。

「私には連隊のすべてが、戦争に対処するよりも、『組織自体の日常的必然』といったもので無目的に〝自転〟しているように見えた。」
 
これは軍隊のことだけではない。「組織自体の日常的必然」は、昔も今も、官僚的世界ではごく普通に見聞きするものだ。その場合に、集団の直接の目的が何であるかは、しばしば忘れられている。
 
著者は昭和19年5月、門司港でフィリピン行きの輸送船に乗る。

この輸送船が地獄船だった。天井が低くて立つことができず、ラッシュアワーの電車以上のひどさで、家畜輸送船以下なのである。

「三千人をつめこめば、三千人用の便所がいる。そのため舷側に木箱のような仮説便所が並び、糞尿は船腹をつたって海に流れ落ちる。だがその数も十分でないから、便所への長蛇の列が切れ目なくつづき、その結果、糞尿の流れが二十四時間つづくから、船自体が糞尿まみれで走っている。」
 
いやどうも、こういうことを言ってはいけないのだが、底が抜けて笑ってしまう。そうとしか言えない。
 
しかも季節は、門司を出てからはほとんど雨で、トイレの順番が来るまでにぐっしょり濡れる。

「濡れた衣服と垢だらけの体と便臭から発散する異様な臭気とむっとする湿気。それはますます船艙内を耐えがたくし、そのため人びとは、呼吸を求めて甲板へと出て行き、〔中略〕『組織の自転』も不可能、軍紀も何もあったものではない。」
 
そしてこういう状態でいると、将来の恐怖を感じなくなる。今の状態に耐えているのが精一杯で、それ以外は思考が停止し、どうでもよくなる。

「〔輸送船の中で〕水の配給・食事の配給・排泄まで行いつつ二週間もたてば、『もし〔アメリカの潜水艦と〕衝突したら……』という恐怖を抱く余裕のある者は、一人もいなくて不思議でない。」
 
山本七平のこの本は、ジャングルをさまよった手記として有名であるが、このままでは戦場へ出ていくまでが大変である。そしていよいよ個人の思考は崩壊していく。

悪夢ではあるが――『一下級将校の見た帝国陸軍』(1)

この本は養老先生の『嫌いなことから、人は学ぶ』の巻末のブックリストに挙げてある。
 
著者の山本七平は、法蔵館東京事務所にいるとき、『季刊仏教』の巻頭対談に出てもらったことがある。相手は吉本隆明であった。
 
藤原成一編集長が立てた企画で、私だったら山本七平は選ばない。『日本人とユダヤ人』は大ベストセラーになったが、私はこういうタイトルは好きではない。ユダヤ人にもいろいろあるし、日本人にもいろいろある。一見、人種で問題は立てられそうだが、その内実はおおむねホラばなしである。
 
この2人の対談は初めてなので、きっと評判を呼ぶ、藤原さんはそう期待したのだが、それほどでもなかった。きっと読者が2人に期待するところは、違ったのだろう。

『一下級将校の見た帝国陸軍』は、山本七平が体験したままを描いており、『日本人とユダヤ人』のように、距離をおいて高みから見ているわけではない。
 
まず徴兵を待っている間の気持ち。

「徴兵逃れも、そのさまざまな詐術も、当時は『ある種の常識』であった。その中で最も的確な方法は、役場や区役所の兵事係に多額のワイロを送り、〝特殊技術者〟と登録してもらうこと、いまでいえば一種の脱法的〝裏口脱営〟だということも知っていた。確かに兵役はいやであり、戦場は恐ろしかった。と言ってそういう脱法行為もいやであった。」
 
いかにも素直に書かれているようだが、日本人一般としては、どうだったんだろうか。みんな兵役は嫌だなあと思っていたのか、それともそれは少数だったのか。今は戦争は嫌だ、というのが常識になっているから、そういう書き方しかしないが、実際のところはどうだったんだろう。
 
次は兵役に就く日。

「入営者は、見送りに来てくれた町会や隣組の人びとの激励の辞に答えて挨拶をし、定められたそれぞれの営門へ向かった。〔中略〕見送りの人びとを見るとみな暗い顔、笑いや喜びの表情は皆無で、紋切り型の空虚な言葉以外は、無言であった。心にもないことでも、それを口にすることはできる、しかし表情はその人の心を隠し得ない――特に群衆の個々の顔は。」
 
これは本当だろうか。
 
日米太平洋戦争は1942年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃に始まり、1945年(昭和20年)8月15日に、日本が無条件降伏をして終わった。

しかし戦争の決着は、1943年(昭和17年)6月5日からの、ミッドウェー海戦でついている。日本はこのとき空母4隻と、戦闘機390機を失い、大敗を喫した。あとの3年間は、自分で自分をなぶり殺しにし、それを美辞麗句で飾っただけであった。
 
山本七平が徴兵検査を受けたのは、ちょうどミッドウェー海戦のあたりである。日本は以後、退却を「転進」と言い換えて、国民に嘘をつき続けた。
 
しかしその時の「群衆の個々の顔」は、山本によれば、「みな暗い顔、笑いや喜びの表情は皆無」であったと言う。「大本営発表」で、国民は浮かれていたのではなかったのか。すべて見抜かれていたのか。そうなのか。――どうもよくわからない。
 
私はもちろん、アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』を思い浮かべている。それはブログに書いたとおりだ。
 
たとえばマリヤ・イワーノヴナ・モローゾワは狙撃兵で、もうすぐ18歳になるところだった。ヒットラーがモスクワを占領するなんて、と思うと、矢も楯もたまらず兵士に志願していた。そういう若者はソ連全土から、ものすごい数が来ていた。兵役に取られる前に、志願したのである。
 
日本とはえらい違いである。「見送りの人びとを見るとみな暗い顔、笑いや喜びの表情は皆無で、紋切り型の空虚な言葉以外は、無言であった。」
 
ソ連が日本に戦争を仕掛けたのは、漁夫の利を求めてだけれど、そういうこととは別に、日本はすでにして戦う気がない。これはどういうことだ。

すでに二昔前だが面白い――『編集者T君の謎―将棋業界のゆかいな人びと―』

ときどき発作的に、将棋界のことが読みたくなる。藤井聡汰5冠王と豊島将之九段の王位戦第4局目が、豊島がコロナに罹り延期になった。
 
こちらは、さあ第4局目と、気合を入れて待っていたから、その気合の持って行き場がない。というほどのことはないんだけど、なんとなくガス抜きをしないと、やっぱり困ってしまう。
 
というわけで大崎善生が2002年に、『週刊現代』に連載したコラムを読む。
 
大崎善生は『将棋世界』の編集長を務めていたとき、『聖の青春』を書き、新潮学芸賞を受賞し、作家になった。若くして死んだ村山聖を描いた『聖の青春』は、とてもよかった。これは映画にもなり、それもよかった。

『編集者T君の謎』は週刊誌のコラム集だから、ただ笑っていればよく、そこにちょっぴり考えさせるものがあれば、言うことはない。そしてこれは、言うことのない本なのだ。

「讃美歌ひびく千駄ケ谷」とくれば、パウロ加藤一二三、千駄ケ谷の将棋会館で、試合の合間を縫って、いつも賛美歌を歌っていた。
 
加藤は相手のいない休憩時間などに、相手側に回って考える、という癖がある。あるとき休憩時間に先崎学が見ていると、加藤は例によって相手の方に立ち、盤をにらみつけていた。

「5分、10分。静かにそして真剣に。さてはてどんな局面なのだろうかと先崎は近づいていった。そしてひっくり返りそうになった。
 加藤が睨んでいたその局面はまったくの先後同型だったからである。つまり、どっちから見てもまったく同じなのだ。」
 
ふふふ、まったく可笑しいねえ。でも加藤ならさもありなん、と素人にも思わせる。先後同型であるということが、すでに深遠な謎を含んでいる。――と、そんなことはないか。よくわかりません。
 
森内俊之の「振り駒実験」も面白い。森内と言えば、テレビで見ていると、いかにも実直そうで、「永世名人」の称号を持っているにもかかわらず、誰に対しても謙虚で、まったく飾り気がない。
 
その森内が、こんなことをやっている。

「数年前、先手、後手を決める振り駒に疑問を持った森内が自宅で何千回も実際に駒を振ってみて、その確率を確かめたという話を聞いたことがある。森内の統計によると、歩が表になる確率の方が高いそうである。」
 
疑問があれば、自分で確かめてみずにはおれない、それが森内俊之。そうでなくては羽生より先に、永世名人になることはできない。そんな気がする。
 
将棋界には、名うての飛行機嫌いが何人かいる。森雞二もそのうちの1人だ。そうして森の場合は仕方がないともいえる。

「森さんは東南アジアの方で乗っていた飛行機のエンジンが火を噴いているのを見て、それからいやになったという。」
 
これは言葉がない。よく生きて帰れたものだ。
 
あるとき将棋会館に立ち寄った升田幸三に、羽生が7冠を獲ったときの、谷川との将棋の解説をしてもらった。大崎は、一語も聞き逃すまいと、緊張の極である。

「よろよろと現れた老升田は盤の前に座り細かい解説は一切せずに、ギョロリと目を光らせてこう言い放った。
『谷川、羽生、未だなり』」
 
これも言葉がありません。
 
末尾は「これでいいのか将棋界」。ちょうど二昔前、将棋界は行き詰まっていたのだ。

「残念ながら将棋プロの戦いは見る側にとってどんどん緊迫感のないものになってしまった。〔中略〕順位戦ですら、何だか官僚の出世争いを見ているような気分になる。よくないとわかっていても、棋士たちが決めるから変えられない。そういう自己矛盾から一日も早く抜け出す日がくることを願っている。」
 
あまた天才のいる中に、藤井聡太という一人の大天才が出現し、風景はがらりと変わった。今は藤井聡太にあやかろうと、将棋を知らない人たちが、タイトル戦のおやつに群がっている時代なのだ。

(『編集者T君の謎―将棋業界のゆかいな人びと―』
 大崎善生、講談社文庫、2006年7月14日初刷)

ものは言いよう――『なぜ世界は存在しないのか』(2)

前回、最初に宇宙を前提にする人には、小世界がばらばらに入ってはこないだろう、と書いたら、少し先でマルクス・ガブリエルはこんな反論をしている。

「宇宙は、物理学の対象領域ないし研究領域にほかならない以上、けっしてすべてではない、と。ほかのあらゆる科学と同じく、物理学にも、自らの研究対象でないものはいっさい見えません。だから宇宙は、世界全体よりも小さい。宇宙は全体の一部分にすぎないのであって、全体そのものではありません。」
 
ここは「世界」と「宇宙」の用語にこだわっていて、なるほどそう言えるのかもしれない。しかし逆に、「世界」という語の「曖昧な全体性」を仮定すれば、最初からどんな議論も意味は無くなってしまう、とは言えないだろうか。

「Ⅱ 存在するとはどのようなことか」では、著者はこの章題の問いに対して、「何かが意味の場に現われているという状態、それが存在するということである」と答える。
 
具体的に考えてみよう、と著者は言う。

「草原にいる一頭のサイを考えてみましょう。このサイは、このサイは、たしかに存在しています。〔中略〕このサイが草原に立っているという状態、このサイが草原と言う意味の場に属しているという状態、この状態こそ、当のサイが存在しているということにほかなりません。」
 
そして著者は言う。

「存在するとは、たんにごく一般的に世界のなかに現われていることではありません。世界をなすさまざまな領域のひとつのなかに現われていること、存在するとはこういうことです。」
 
ガブリエル、大丈夫かね。仮にサイを思い浮かべるとして、それがアフリカの草原、またはそれに類する世界を、まったく切り離して、思い浮かべられるものだろうか。「たんにごく一般的に世界のなかに現われている」、というのは一体どんな状態か、逆に聞いてみたいものである。
 
このあと、ポストモダン思想は、なぜ現実を捉えることに失敗したのか、それを超える「新しい実在論」へ、と話は進んでいく。しかしこのブログの読者を、そこまで付き合わせるのはやめておこう。そこは私が信用していないから。
 
いくつかの前提を認めれば、そこを起点にして話は始まる。公理を前提にすれば、定理が積み重なって、数学の物語が始まる。しかしその公理が、いくら断定的に言われても、真であるか偽であるかが、私にはわからない。結局、「哲学」の書物はどれも閉じていて、どこかで閉鎖世界を抜け出してはこないのだ。
 
斎藤幸平が『未来への大分岐――資本主義の終わりか、人間の終焉か?』で、マルクス・ガブリエルと対談したのは、考えてみれば不思議なことである。この本のサブタイトル、「資本主義の終わりか、人間の終焉か?」には、およそ関係がない。そう思いませんか。
 
蛇足を一つ。マルクス・ガブリエルがこういうことを書いている。

「おそらくどんな犬も、考えるということ自体については考えません。」それは人間にだけ与えられた特権なのだ。――仮にそうであるにしても、証明できないことは、黙って口を慎んだ方がよいと思うがどうか。

(『なぜ世界は存在しないのか』マルクス・ガブリエル、
 清水一浩・訳、講談社、2018年1月11日初刷、2月6日第3刷)

ものは言いよう――『なぜ世界は存在しないのか』(1)

これは『未来への大分岐――資本主義の終わりか、人間の終焉か?』を読んで、マルクス・ガブリエルというドイツの哲学者がちょっと面白そうだ、だけどその対談では細かいところまではよく分からない、というので評判の本を読んでみた。

『未来への大分岐』は、斎藤幸平が相手になって、マイケル・ハート、マルクス・ガブリエル、ポール・メイソンと、個別に対談する。
 
マイケル・ハートは政治学者で、アントニオ・ネグリとの共著、『〈帝国〉』で話題になった。

ポール・メイソンは経済ジャーナリストで、資本主義は情報テクノロジーによって崩壊すると主張する。『ポストキャピタリズム』で、次なる経済社会への移行を予言した。
 
マルクス・ガブリエルは本書で著名になった。この本の名前は知っていたけれど、最年少でボン大学の教授になったり、書名がこけおどし臭くて敬遠していた。
 
しかし斎藤幸平との対談を読むと、非常に明晰で分かりやすい。

「概念が間違っていたら、人種差別や不平等、民主主義の危機や資本主義の暴走といった現実的な問題の解決に向けた取り組みを始めることなどできません。現代が困難な時代である理由のひとつは、ここにあります。」
 
そうだったのか。だから私の頭は、脳出血のせいもあるけど、しばらく考えていると、ごちゃごちゃして何が何だかわからなくなったのだな。
 
と思って読んだけど、やっぱりダメでした。このブログでは、なぜ私は「哲学」がダメなのかを考えてみたい(あまり真面目じゃないから、そのつもりで読んでください)。

「形而上学は、この世界全体についての理論を展開しようとする試みであると定義できます。形而上学が説明すべきことは、現実に世界がどのように存在しているのかであって、わたしたちにとって世界がどのように見えるのか、わたしたちにたいして世界がどのように現われるのかではありません。」
 
ものは言いよう。僕はどっちでもいいと思うよ。
 
しかもそのさい明らかなのは、「世界=現実に成立していることがらの総体」という等式から、われわれ人間が抹消されている、ということなのである。そんなばかなと思うけど、かりにそうしておいて読み進めてみる。

「小世界は、現実には互いに関係することなく、たんに並んで存在しているにすぎません。つまり数多くの小世界は存在していても、それらのすべてを包摂するひとつの世界は存在していません。」
 
これも視点の問題ではないかと思う。マルクス・ガブリエルには、ばらばらに並んでいる小世界がまず迫ってくるが、最初にたとえば宇宙全体から入っていく人には、そんなことはない。

「これは、数多くの小世界がひとつの世界にたいする多様な視点〔パースペクティヴ〕にすぎないということでは断じてありません。むしろ数多くの小世界だけが――まさしくそれらだけが――存在しているということにほかなりません。」
 
著者はひとまとまりの全体を考えず、あくまで小世界に固執する。そこはいいとして(本当はよくないけども)、それを前提に話は展開するかというと、どうもそうではない。あくまでも、どこまで行っても、ものは言いようのレベルである。

「厳密に言えば、わたしはあらゆる世界像に異議を申し立てることになるでしょう。世界が存在しない以上、世界についてのどんな像も結ぶことなどできないはずだからです。」
 
著者は、最初に自分が置いた前提に、足を取られている。明らかにそうなっているが、哲学をする人の何人かは、呆れたことに、最初に置いた前提に足をすくわれるのが、たまらなく好きなのだ。

朝日新聞の没落――『朝日新聞政治部』(4)

この本には書いてないけれど、新聞社が隠している「押し紙」の問題がある。
 
新聞社の各販売店には、購買部数以上の数が搬入される(そしてそれは、こっそり捨てられる)。これが「押し紙」である。各新聞社は発行部数を競っており、販売店に納入した部数が、すなわち発行部数になる。そこは広告取りの要になり、新聞本社の経営基盤そのものをかたちづくる。そこで部数の水増しである、「押し紙」問題が起こる。

新聞社の「押し紙」の数は、一説によると発行部数の3割だという。仮に朝日の2021年の「押し紙」の部数を引くと、およそ300万部強になる。
 
新聞はこのままの形では、10年は持つまいと思っていたけれど、とんでもない、あと5年がいいところだ。
 
また別にこの本を読んでいて、いくつかの点が書かれていないことにも、強烈な違和感を覚えた。

『朝日新聞政治部』という本には、例えば私が政治問題だと思える、化石燃料消費による地球温暖化の問題は1行も出てこない。
 
それは科学部の問題だと言われそうだけど、そんなことはない。科学部で現象面は解説できるだろうが、この問題は政治問題とする以外に、解決する道はない。少し考えて見れば分かることだ。これは政党間の国内問題、つまり「コップの中の嵐」ではない。
 
また日本政府は、「移民」は相変わらずシャットアウトしている。移民ではなく、外国からくる労働者も、権利は極端に制限されている。外国人はある年月、労働を提供すれば原則、故国に帰らなければならない(ただしこれは刻々制度が変わっている)。
 
これは日本人の出生率と、合わせて考えるべき事柄だが、それを政治の場で考えている人はいない。
 
日本では現在、年間約80万人が生まれるが、年平均3万人ずつ、出生率は減少している。あとどのくらいで日本人が生まれなくなるかは、割り算してみれば簡単にわかる。
 
移民の問題は、日本人の出生率の低減と、リンクして考えなければいけない。しかしこの話も、考えている政治家がいるのかいないのか、著者が日々仕事をしている政治の場では出てこない。
 
1000兆円を超える赤字国債の話も、ついに見て見ぬふりだ。それは経済部の話、ではないだろう。これこそ差し迫った政治の話ではないか。

かつて、日銀は政府の子会社みたいなものだから、どれだけ借金してもいいんだ、と言った愚かな総理大臣がいたが、バカ言ってんじゃないよ。
 
もっとも全体がシャットダウンして、お金も国債も紙屑になったとき、政治家は情報操作によって、別のものに売り抜けられるのかな。これは70数年前の終戦時に、一度経験していることだから、その知恵を、たとえば爺さん政治家に、伝授してもらっているかもしれない。
 
どちらにしても、いくつか挙げただけでも、朝日新聞政治部は、耐久力が限界に来ていたと思わざるを得ない。
 
そういう点では、著者が関わった「特別報道部」体制は、将来につながる道であったと思う。もう一度思い返してみよう。①記者クラブに属さず、②記者の持ち場がなく、③固定した紙面がなく、④組織の垣根がなく、⑤記事を書くノルマがない。
 
これが前面に出てくると、今の新聞とは少しイメージが変わるけど、受け手としての取材に追われないからこそ、私が挙げた切迫した大きな問題も、取り上げられるかもしれない。しかしその後、「特別報道部」は廃部になった。
 
鮫島浩は朝日を辞めた後、今はウェブで「SAMEJIMA TIMES」を運営している。

(『朝日新聞政治部』鮫島浩、講談社、2022年5月25日初刷、6月10日第3刷)