虚をつく問い――『銃・病原菌・鉄』(上・下)(2)

その問いはもう少し詳しく、さらに巧妙に仕掛けられる。

「現代世界における各社会間の不均衡についての疑問は、つぎのようにいいかえられる。世界の富や権力は、なぜ現在あるような形で分配されてしまったのか? なぜほかの形で分配されなかったのか?」
 
これは難しい。ふつうは、今ある世界を、まず受け入れることから始まって、その歴史なり、風土なりを、つまり過去の歴史を辿ったり、あるいは現在の政治なり、文化なりを、俎上に載せる。
 
今あるそれらを俎上に載せないで、仮定の話を持ってくるのは、非常に難しい。
 
それはたとえば、こんなふうだ。

「たとえば、南北アメリカ大陸の先住民、アフリカ大陸の人びと、そしてオーストラリア大陸のアボリジニが、ヨーロッパ系やアジア系の人びとを殺戮したり、征服したり、絶滅させるようなことが、なぜ起こらなかったのだろうか。」
 
場合によっては、アフリカやオーストラリアの原住民が、ヨーロッパの原住民を、襲ってもよかったじゃないか。しかしそれは、起こらなかった。それはなぜ?
 
これはまったく、考えたこともない問いだ。
 
ジャレド・ダイアモンドは、それに先立って、民族の優劣を知るために、この研究を始めたいと考えたわけではない、ということを、くどいほど述べている。

「私が、居住地域を異にする人間社会の差異について調べようと考えたのは、ある社会が他の社会よりも優れていることを示すためではない。人類社会の歴史において何が起こったのかを理解するために、これらの差異について調べようと考えたのである。」
 
そういうふうに言っているけれども、ここは掘り下げて考える必要がある。

というのは、著者はこんなことも言っているからだ。

「さまざまな民族のかかわりあいの成果である人類社会を形成したのは、征服と疫病と殺戮の歴史だからである。」
 
つまりこれは、こういうことに的を絞った、一万数千年前からの、歴史以前の本なのである。
 
ここは、この本の中では、無条件に前提とされていることだが、はたしてそうか。最後に考えてみたい。
 
それを前提にして、なぜヨーロッパ人は、さまざまな征服を可能にしてきたのか。

それはもちろんヨーロッパで発達した銃であり、伝染病に対する免疫であり、鉄器その他の加工品によるところが大きい。
 
しかし、そういう説明だけで、よいのだろうか。

「アフリカ人やアメリカ先住民ではなく、ヨーロッパ人が銃や病原菌や鉄を持つようになった究極の要因を探求しなければならない。
 ……
 このような究極の要因の説明がなされていないため、人類史を特徴づける大きなパターンはいまだに解明されず、われわれの知識には大きな欠落部分が残されているのだ。」
 
うーん、著者は僕らを、どこへ連れて行こうとするのか。
posted by 中嶋 廣 at 18:54Comment(0)日記

虚をつく問い――『銃・病原菌・鉄』(上・下)(1)

ヤニス・バルファキスの『父が娘に語る経済の話』は、僕には結局、よくわからない本だったけれど、その初めの方に、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を、できれば本書の前に読んでおいてほしい、と書かれていた。

『銃・病原菌・鉄』については、ちょっとばかり因縁がある。

かつて朝日新聞で、2000年から2009年にかけて、ベスト50の本を選んで、発表することにした。題して「ゼロ年代の50冊」。
 
僕は2001年4月から、トランスビューという出版社を始めており、そこでは結構、評判になる本を出していた。
 
例えばこんな本だ。池田晶子『14歳からの哲学ー考えるための教科書ー』、森岡正博『無痛文明論』、島田裕巳『オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのかー』。ほかにもいくつかあった。
 
それで、ちょっと楽しみにしていたが、いよいよ発表になった本を見れば、第1位は『銃・病原菌・鉄』だった。なんだ、つまんない、翻訳本が第1位だぜ。
 
それでヘソを曲げて、この気になる本を、読むのを止めた覚えがある。考えてみれば、ほんとうに馬鹿だね。だからこの機会に、是非読んでおこうと思った。

ちなみに「ゼロ年代の50冊」に入ったのは、トランスビューの中では、松本昌次さんの『わたしの戦後出版史』だけだった。

蛇足を付け加えれば、朝日に対抗して、リブロ・ブックセンターが、やはり同じ試みをした。こちらは『14歳からの哲学』が1位だった。

ちなみに朝日もリブロも、こういう試みは、半分は洒落である。10年間で何十万点もある本から、50点を選ぶのは無理である。

でも本作りの現場にいるときは、そういう洒落っ気も、ないよりはあったほうがいい(というのは意見の分かれるところだが、僕はその方がいいと思う)。

それではさっそく、この魅力的な装丁の本を読んでみよう。

ここで著者は、最初に大きなテーマを掲げる。

「世界のさまざまな民族が、それぞれに異なる歴史の経路をたどったのはなぜだろうか。本書の目的は、この人類史最大の謎を解明することにある。」(「日本語版への序文」)

これは虚を突かれる問いだ。ふつう世界の歴史は、地域ごとに違っていて、当たり前だと思っている。なんとなく、そういうふうに思っている。
 
しかしなぜ、みんな同じように進歩発展してこなかったのか、と問われれば、はて、と立ち止まらざるを得ない。そういう問いの立て方を、してこなかったからだ。
posted by 中嶋 廣 at 18:06Comment(0)日記

テレビには向かない――『噂の女』

これは奥田英朗『罪の轍』の、奥付裏広告の最初に出ていた。『罪の轍』が、まあ面白かったので、つい買ってしまった。
 
奥田英朗の、教科書に載るようなミステリーを、たまに猛烈に読みたくなる。

これは少し前に、テレビのBSでも放映していたもので、一話を見たきり、あとは見なかった。

「噂の女」は中心にいるが、それが背景として、やや後ろに引っ込んでしまう。そういう作りだから、テレビで見せるときには、ひと工夫ないと、テレビ的には物足りない。
 
この本で、「女」のむっちりとした太腿、と書いてあったって、それを字面通り見せても、それだけのこと。

むっちりした太腿の先に、女にどういう役割を負わせるか。いっそ女が前面に出て、悪事の限りを、事細かに描写するという手も、あったかもしれない。

でもそれでは、黒川博行の「後妻業の女」と、区別がつかなくなってしまうか。

これは全部で10篇の連作で、「噂の女」は、あくまでも「噂の女」にとどまり、悪事を働いたようだが、真相はよくわからない。
 
目次を挙げると「中古車販売店の女」「麻雀荘の女」「料理教室の女」「マンションの女」「パチンコの女」「柳ケ瀬の女」「和服の女」「檀家の女」「内偵の女」「スカイツリーの女」の10篇である。
 
いかにも教科書に載っているような、B級タイトルである。

「柳ケ瀬の女」とあるから、地域が特定できるのだけれど、そういうこととは関係なく、地方であれば、どこでもこんなふうではないか、と思わせるような倦怠感に満ちている。
 
これは親から子へ、代々受け継がれていく。

「要するに、母には自立経験と成功体験がないのだ。だから頑張ることもしないし、目標も持たない。一人が怖いから、離婚の選択肢もない。ただテレビの前で一日を過ごし、家族の帰りを待っている。」
 
特に本筋とは関係ないところだが、奥田英朗の、ある人間観が出ている。
 
ここを普遍化すれば、亭主や、その子どもも、みんなこういうふうに描けそうだ。本当に嫌になっちゃうね。
 
でもその、地べたを這うようなところで、「噂の女」は生きている、それもかなり生き生きとして。
 
最後の方で、噂の女、糸井美幸は、亭主を3人殺した疑いで、逮捕されそうになるが、間一髪のところで姿を消す。

「美里は思った。これは糸井美幸の仕業なのではないか。噂を聞いていると、彼女ならやりかねない。と言うより、彼女ならやれそうな気がする。……そうだといいな。そうだといい!
 窓から空を見た。同じ空の下に糸井美幸がいるのかと思ったら、なんだかおかしくなった。」
 
気分は爽快、とはいかないけれど、でも、最後に空を見上げるところが出てきて、それはそれで救いになる。

(『噂の女』奥田英朗、新潮文庫、2017年6月1日初刷、2018年2月25日第3刷)
posted by 中嶋 廣 at 15:39Comment(0)日記

50年ぶりのめぐり逢い――『赤毛のアン』(5)

「訳者あとがき」に見る松本侑子さんの、本書に入れ込んでいく力は、すごいものだ。

「私は翻訳を依頼された一九九一年に初めて原書を読み、作中に詩のような古風な一節や芝居の台詞めいた劇的な英文が多いことに驚き、古典からの引用ではないかと考えました。」
 
それでまず名句の出典を記した、マクミランの「引用句事典」などを、海外から船便で取り寄せる。

まだインターネットのない時代の話である。電話回線のパソコン通信で、米国のネットワークにつないで、シェイクスピア全集をフロッピーディスクに入れ、それで『ハムレット』などからの引用を見ている。
 
また、90年代前半の英米では、英訳聖書や英米文学を収めた、CD‐ROMが発売され、これはロンドンなどで集めた。

「そして二年後の一九九三年、作中の英文学と聖書、カナダの衣食住を解説した訳註付きの単行本を集英社から刊行しました。」
 
これは、注釈付き『赤毛のアン』としては、世界で最初のものだったらしい。
 
しかし、松本侑子の超人的な頑張りは、実はこの後である。
 
本が出てからも、出典不明の英文が気にかかり、今度は自分で、デジタルデータを作ろうとする。

「米国ハーバード大学図書館と英国図書館で十九世紀発行の英米詩集を複写し、ロンドンの古書店では百年以上前の詩集を集め、その紙を一枚ずつスキャナで画像データに変換、画像データからアルファベットを拾い出すソフトを使ってテキストデータを作り、引用元を探しました。」
 
まだインターネットが始まる前であり、気が遠くなるような作業である。それを松本侑子は、こんなふうに懐かしんでいる。

「出典が見つかるたびに心がおどり、モンゴメリへの敬愛が増していく調査でした。」
 
作品と作者に惚れ込むとは、こういうことなのだ。
 
惚れ込んだ先には、どういう世界が広がっているか。

「モンゴメリの文章の美しさにも魅了されます。たとえばプリンス・エドワード島のすがすがしい風景描写。たしかに島にはため息のもれるような美しい景色が広がっていますが、それを描き出すモンゴメリの郷土への愛に満ちた装飾的な文体によって、魔法のようなきらめきを帯びています。」
 
魔法のようなきらめきを、文体に帯びているのは、松本侑子さん、あなたの日本語訳だよ、と思わず言いたくなる。

「モンゴメリの文体は、形容詞と副詞が多用される、凝った文法の長文であり、語彙も難しく、児童文学ではありません。モンゴメリの芸術的な文体は、夢のような風景描写と人間の真実をとらえた深みのある心理描写の確かさを支え、文学としての読み応えにつながっているのです。」
 
ここまで、読みに読み込んで翻訳をすると、もはや横のものを縦にするといった翻訳を越えて、松本侑子も、『赤毛のアン』の創作に、一緒に参加しているという、錯覚に陥ってしまう。
 
50年前の村岡花子訳は、たしかに名作だと思ったが、それでも続編は読まなかった。今度の松本侑子訳は、『アンの青春』『アンの愛情』『風柳荘のアン』……と、続けて読むことにする。

(『赤毛のアン』L・M・モンゴメリ、松本侑子・訳
 文春文庫、2019年7月10日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 15:29Comment(0)日記

50年ぶりのめぐり逢い――『赤毛のアン』(4)

『赤毛のアン』は、人物描写も、自然の描写も、実に巧みだ。かなり長い小説だが、一箇所も、だれるところがない。
 
僕はもともと、外国文学で自然描写が出てくると、たいていは想像力がついていかなかった。脳出血を発症してからは、それに拍車がかかった。
 
でも、この本は違うのだ。グリーン・ゲイブルズの四季が、隅々まで、はっきり頭に入ってくる。自然の移り変わりが、目の前に見えてくる。
 
もちろん、何でもないところも、けっして飽きさせない。

「……一連の日課と勉強は愉しく、冬の日々は過ぎていった。アンにとって、一日一日は、一年という首飾りにつないだ金のビーズが糸をすべるように、いつしか過ぎていった。アンは幸福だった。」
 
この見事な呼吸は、松本侑子の翻訳の力も、与かっているだろう。
 
ただ一箇所、これはどうかと思うところがある。

「アンは、もっと気高い動機から、高得点で受かりたいと思っていた。……一番になりたいと思うことは、たとえ荒唐無稽な夢だとしても、馬鹿げているかもしれない。しかし……」
 
この「だとしても」は、おかしくはないだろうか。

ここは、「たとえ荒唐無稽な夢であり、馬鹿げているかもしれない。しかし……」と、続かなくてはいけないところではないか。
 
でもまあ、一カ所くらいは、疑問に思うところが、残っていた方がいいのである。
 
本文が終わると、先ほど挙げた「訳者によるノート」があって、そのサブタイトルは、「『赤毛のアン』の謎とき」となっている。
 
これは編集者の知恵だろう。編集者が力(りき)を入れると、装丁も含めて、本が躍動し、活性化する。
 
最後に松本侑子の、長い「訳者あとがき」が来る。これも本文と、どっこいどっこいで力が入っている。

「モンゴメリは、三十四歳までに少なくとも二百八十六作の短編と二百五十六篇の詩が印刷されたとあります。彼女はカナダで初めて原稿料で生活できた作家であり、三十三歳で初めての本『赤毛のアン』が出る前に、すでに短編作家として旺盛な執筆をしていたのです。」
 
それは全然知らなかった。

『赤毛のアン』は1906年に完成すると、マクミラン社を含む4社に郵送するのだが、いずれも本としては不採用を告げられる。そうして5社目のL・C・ペイジ社で、出版が決まったのである。
 
たしか村岡花子のあとがきでも、何社かで不採用になった話が出てきたが、それはモンゴメリが、たまたま書いたものが、愛着を持てるもので、何社かで没になった後、ようやく日の目を見た、という話だったような気がする。
 
モンゴメリが、カナダで初めて、原稿料で生活していた作家だったなんて、全然知らなかった。
 
それにしても、これを没にした編集者は、当然のことと言えば言えるだろうが、つらいだろうなあ。まあ編集者としては、それだけのものだった、というほかはないのだが。
posted by 中嶋 廣 at 08:51Comment(0)日記

50年ぶりのめぐり逢い――『赤毛のアン』(3)

はじめ、アンは男の子と間違えられて、グリーン・ゲイブルズに連れてこられる。

そのことが分かって、アンがしおたれている場面である。

「マニラはアンに目を向けた。すると子どもの顔が青ざめ、何も言えないままみじめな表情を浮かべているのを見て、情にほだされた――まるで無力な小さな生きものが、一度逃げ出した罠にまたかかったと気づいて、打ちひしがれているような様子をしていた。マリラは良心の呵責にさいなまれた。この訴えを退けたら、死ぬ日までこの子の顔がちらついて、頭から離れないだろう。」
 
マニラは、農家の手伝いになる男の子が欲しかった。そこを、意見を翻して、女の子を受け入れようとする。
 
よくある場面といえばそうなのだが、しかしうまいものだ。
 
そのアンは、いつも空想力全開で、たちまち現実から羽が生えて、想像の世界へ羽ばたいていってしまう。
 
そうした場面を次に。
 
アンは、無二の親友、ダイアナを深く愛していて、このまま大人になると、結婚して別れなければならなくなる、その時が来ることを思うと、どうしようもなくなり、ただただ激しく泣きじゃくるのだった。
 
それを見たマニラは、びっくりする。

「マニラは、あわてて後ろをむいて、おかしくて引きつる顔を隠そうとした。しかし我慢できず、近くのいすにたおれこむと、どっと吹き出してしまった。思いきり声をあげて珍しいほど大笑いしたので、庭を横切っていたマシューが、ぎくりとして、立ち止まったほどだった。この前、マリラがあんなふうに笑ったのは、いったい、いつのことだったろう。」
 
アンとマリラが生き生きと描かれた場面で、マリラが、この少女を引き取った訳が分かる。
 
アンの想像力はどこまでも延びて、マリラを虜にしてしまう。

「『いいかね、アン・シャーリー』マリラは、やっと笑いがおさまって口がきけるようになると言った。『どうしても苦労の種がいるんなら、お願いだから、もっと手近なところから持ってきておくれ。まあ、確かに、あんたには想像力があるよ、ありすぎですよ』」
 
この最後の一文に、『赤毛のアン』の、物語を推進していく、究極の原動力が秘められている。
 
またアンには、特別な友人・知人が、何人か出てくる。これは、松本侑子の訳語では、「心の同類」と呼ばれるものだ。「心の同類」がいてくれれば、世の中の少々の荒波は、越えてゆける。
 
これは車谷長吉が、人間の「貫目が合う」、と呼ぶところのものだ。長吉は、夫婦は貫目が同じでなければ続けていくのは難しい、と言った。
 
アン・シャーリーなら、「心の同類」でなければ、本当の友だちにはなれない、と言っただろう。アンは、長吉が言った勘所を、よくとらえている。
posted by 中嶋 廣 at 11:03Comment(0)日記

50年ぶりのめぐり逢い――『赤毛のアン』(2)

『赤毛のアン』で鮮明に覚えているのは、アンがマリラに、アンの綴りのことで注文を付ける場面だ。

「『……アンと呼ぶなら、最後にeの地を綴って呼んでくださいね』
 マニラの頰に、また錆びついていたような笑みが浮かんだ。」
 
ここのところはよく覚えている。英語を習い始めてすぐだから、アンには二種類あることが、鮮烈だったのである。

「『そう綴ると、何か違うのかい』
『あら、全然違うわ。その方が、断然、すてきに見えるわ。おばさんは、人の名前を聞いた時、頭の中に、まるで綴りが印刷されたように浮かんでこない? 私はいつもそうよ。ANNではひどく見えるけど、ANNEにすると見違えて上品だわ。……』
 
百年以上前の作品なのに、アンもマリラも、すぐそこにいて話し込んでいるようだ。
 
ここは何カ所か、訳注番号が振ってあり、それは最後に、まとめて出ている。例えばこんな具合だ。

「アン……キリスト教では、聖母マリアの母親アンナの英語名。宗教画では赤い服に緑色のマントの婦人として描かれる。グリーン・ゲイブルズの三人の名は十二使徒マタイ、聖母マリア、マリアの母アンナに由来し、マシュー、マリラ、アンは親子ではなくともキリスト教の愛で結ばれた聖家族と示唆される。」
 
なるほど、背景にそういうキリスト教のバックボーンがあるのか。1世紀前の作品なので、こういうところは、解説なしでは、理解することが難しい。
 
また、アンの綴りに関しては、こんな訳注がついている。

「ANNEにすると見違えて上品……Eの付いたアンはスコットランドのスチュアート王家のアン女王の他、イングランドでも同じ綴りの王女や王妃がいる。」
 
まったく至れり尽くせりだ。こういう註を読むと、本文を読んでいくとき、こちらの目の届く深みが違う。
 
もちろん、かつての村岡花子訳には、付けられていなかったものだ。
 
ただ僕は、右半身が麻痺しているので、本文を読むとき、同時に訳注までは読めない。訳注は訳注で、後でまとめて読むしかない。しかしそれでも、十分に深みがあって、面白い。
posted by 中嶋 廣 at 09:09Comment(0)日記

50年ぶりのめぐり逢い――『赤毛のアン』(1)

中学生になったばかりの一学期に、加古川駅前の下司(げし)書店で、生まれて初めて文庫を買った。

『赤と黒』(スタンダール、小林正・訳)、『月と六ペンス』(モーム、中野好夫・訳)、『赤毛のアン』(モンゴメリ、村岡花子・訳)という組み合わせで、3冊とも新潮文庫だつた。

このとき、なぜ文庫を読もうと思ったのか、どうしてこういう組み合わせになったのかは、わからない。海外文学など、まったく知らない頃だ。
 
そのころ、兵庫・加古川の書店には、文庫といっても、新潮文庫と角川文庫だけが置いてあり、岩波文庫はなかった。岩波は買い切りだったからだろう。角川文庫は、海外のものは少なくて、しかもいま思えば、組みも古かった。
 
きっと中学生になったばかりで、背伸びして文庫を読んでみよう、と思ったのだろう。

その後、狂ったように文庫を読みまくる、といったこともなかった。
 
しかしこのときの3冊は、どれもみな面白かった。

『月と六ペンス』は、ゴーギャンをモデルにした、チャールズ・ストリックランドという画家の性格に、思いきりひねりが効かせてあり、『赤と黒』は、重厚な中にも、ジュリアン・ソレルの一途な情熱が沸騰し、こちらに伝染するようだった。
 
その2冊に比べると、『赤毛のアン』は少女小説だけれども、何というか親しみがあり、グリーン・ゲイブルズのマシューとマリラの兄妹も、まるで生きて、隣りで呼吸しているようだった。
 
アンの数々の失敗も、十代の女の子らしく、最後にギルバートと仲直りし、恋人同士になってゆくのも、いかにも心に沁みる話だった。
 
こんどそれを、松本侑子訳で読もうと思ったのは、カバーにこんな文章が載せられていたからだ。

「笑いと涙の名作は英文学が引用される芸術的な文学だった。お茶会のラズベリー水とカシス酒、スコットランド系アンの民族衣装も原書通りに翻訳。みずみずしく夢のある日本初の全文訳……」
 
帯にはまた、こうも書かれている。

「児童書でも、少女小説でもない/大人の文学」(オビ表)

「全文訳で初めて明らかになる、心豊かな名作の真実」(オビ裏)
 
特に「初めて明らかになる、名作の真実」、というところに痺れてしまった。
 
しかし、とはいっても実は、村岡花子訳は名作だった、という印象を除いて、僕の頭の中では、文章を全然覚えていないのだった。

これは、50年以上昔のことだから、考えてみれば、当たり前のことかもしれない。
posted by 中嶋 廣 at 13:12Comment(0)日記

ちゃんと校閲しなさい!――『夏の栞ー中野重治をおくるー』(4)

佐多稲子はまた、小林多喜二の死にも出会っている。
 
小林多喜二は1933年2月20日に、赤坂の路上で逮捕され、築地警察署で拷問死させられたのである。
 
佐多は小林多喜二に、ほんの数日前に会っていた。

「私なども、その三日前に、料亭の並ぶ赤坂の、小林の逮捕された同じ通りで小林に連絡をとっていたようなつながりにいたから、小林のその死は私の主観を一層尖敏にした。」
 
佐多稲子も戦前の、暗い歴史の表舞台の、中心に存在していたのだ。
 
しかしそれにしても、この引用で、「私の主観を一層尖敏にした」という、「私の主観」は、やはりおかしい。

「牛込柳町のひっそりした片側通りの一軒の二階で、非合法化の活動家たちと落ち合って、小林多喜二の死に黙禱をしたとき、私の胸には、二十一日の夜、阿佐ヶ谷の自宅に戻された小林多喜二の遺体をあらためたときの私自身の感覚と、小林の母、せきさんの痛恨の姿があった。……遺体の両股は紫色に腫れ上っていた。小林の母が多喜二の喉の傷を撫でて『どこ、息詰まった。殺さねえでもいいこと……』と云うとき、母のその息も喘いだ。この黙禱の席にいた六人のうちで、小林の遺体に接したのは勿論私一人であった。」
 
歴史の教科書で、一行ですまされる、小林多喜二の拷問による死が、突然生々しく迫ってくる。
 
それにしても佐多稲子という人は、人の五生分くらい有為転変を経ながら、なおそういう舞台に、召喚されなければならないのだ。
 
しかしそうであればあるほど、佐多の文章には、注意が払われてしかるべきだろう。もはや、いちいち例を挙げるのはやめるが、『夏の栞』は、後半に行けば行くほど、文章が危うい。
 
おそらく中野重治が死んで、佐多稲子の胸中に甦ったとき、そのとき歴史の中で、二人の関係は、深いところで、ますます微妙なものになったのであろう。
 
校正者はしかし、それを、意味あるものとして、忖度して読んではいけないのではないか。
 
まあ難しいやねえ。表面の、上っ面の意味を、すんなりと通るようにしなければ、当然疑問を出すだろうが、しかし佐多稲子の文章である。
 
しかし私は、ここでもう一段階、多く疑問が出ていたならば、『夏の栞』は、比類ない傑作になったと思うのだ。

(『夏の栞ー中野重治をおくるー』佐多稲子
 新潮社、1983年3月5日初刷、1986年3月15日第16刷)
posted by 中嶋 廣 at 12:14Comment(0)日記

ちゃんと校閲しなさい!――『夏の栞ー中野重治をおくるー』(3)

また、自殺直前の芥川龍之介にからむ話も面白い。
 
芥川と中野重治は交流があり、芥川が求めて中野に会ったのである。

「芥川が自ら求めて中野重治に逢うというのは、中野たちの展開した、階級思想による文学運動についての関心なのだということは、窪川の話などから感じ取っていた。」
 
中野が芥川のもとを訪ねたのは、1927年6月のことである。翌7月には、佐多稲子も、中野や堀辰雄、佐多の夫である窪川鶴次郎とともに、田端の芥川のところに出向いている。

「芥川が私に逢おうとしたのは、七年前に上野池之端の料亭の女中として知っていた女のその後を見ようとしてではなく、自殺未遂をした人間の、今日の顔を見ておこうとしたことだったろう、と、これは芥川の死のあとに私の気づく判断であった。」
 
芥川龍之介が睡眠薬を飲んで自殺するのは、その三日後のことである。
 
ほとんど劇的な場面に遭遇しながら、佐多の文章は、ブレなく、すっくと立っていて、しかも奥が深い。
 
もちろん見るべきところは、細かく見ている。

「白っぽい麻を着た芥川の、私のコップにサイダーをついでくれる手がこきざみに慄えて、芥川の神経の疲労を見るようだったのを覚えている。」
 
自殺する直前の、芥川龍之介がどのようであったか、息を呑むようだ。

もう一つは、中野重治らの同人誌「驢馬」の前に、女給の佐多稲子が登場したとき。このときを十全に語って、余すところがない。

「『驢馬』における私は、私そのものが、経てきた道筋に異常とも多様とも云えるじぐざぐを背負って、彼らの前にあらわれたのでもある。それについて敢えて云えば、私のその複雑さは『驢馬』同人を刺戟しなかったろうか。私として云えば、その過去は、彼らの文学的態度によって受けとめられ、私を救ったものである。その関係の上で、私は彼らを刺戟したと思う。」
 
こういう文体を、何と言えばいいか。佐多稲子は、小学校を途中までしか通わず、その後有為転変あって、結婚し、そして心中し損ね、夫と別れ、女給として、中野重治らの前に現われた。
 
それを、わずか数行の文章に凝縮し、しかもそこには、ほんのりとツヤまである。
 
こういう文章は、まったく見たことがない。ほかの作家の文章と、何が違うのだろうか。少なくとも、自分の置きどころが、違うことだけは確かである。
 
しかし、では、その自分の置き場所が、他とどう違うのかといえば、私にはよく分からない、と答えるしかない。
 
しかしそれでも、「私として云えば、その過去は、……」の、「私として云えば、」は、微妙に安定を書いていると思うが、どうか。
posted by 中嶋 廣 at 08:58Comment(0)日記