すれちがい――『ただの文士ー父、堀田善衞のことー』

娘、百合子が、堀田善衞のことを書く。よくあるタイプの回想録である。
 
でも、面白かった。そして、この作家を読んでこなかったことを、ちょっと後悔した。
 
私は、堀田善衞のものは、『広場の孤独』以外は読んだことがない。もう一作、読んだことがあるような気がするが、はっきりしない。
 
あ、そうだ、小説以外では、岩波新書の『インドで考えたこと』も読んだ。でも、中身は覚えていない。
 
そういえば、『方丈記私記』も読んだことがある、ような気がする。でも、内容は覚えていない。

『広場の孤独』は、駄作と言っては言いすぎだが、あまり感心しなかった。高校か大学のころ読んだもので、だから読むほうもいい加減である。
 
しかし小説を、続けて読もうとは思わなかった。
 
だいだいオビの文章が、「『時間』『インドで考えたこと』『方丈記私記』『ゴヤ』『路上の人』などの作品で知られる堀田善衞」とあって、小説家というには線が細い。というか、文明批評家の色が濃い。
 
しかし、娘の回想録を読んでいると、面白いところもある。
 
まず文壇づきあいのところ。

「吉祥寺の埴谷雄高邸にもよく連れていかれました。当時埴谷家では、しょっちゅうダンスパーティーが開かれていたのです。父、母、私、埴谷夫妻、佐々木基一夫妻、武田泰淳、百合子夫妻と娘の花さん、梅崎春生夫妻等々、飲んで、しゃべって、ダンスに興じていました。」
 
未来社にいた松本昌次さんのことを、書いたばかりなので、中央線沿線の文士の話は、ついつい引き込まれるのである。
 
こういうところが何か所かあるが、それが結節点となって、焦点を絞り込み、そこから逆に、深く広い世界に入っていく、ということはない。

だからその箇所を、私が書き連ねることはしない。

「若き日のヨーロッパへの憧憬。戦中、上海、戦後の日本で考えたこととその経験。アジアや第三世界で考えたこととその経験。そしてようやく鴨長明『方丈記』にたどり着き、ヨーロッパ近世・争乱の時代の『ゴヤ』と付き合い、藤原定家卿に寄り添い、時間と空間という大きな壁を乗り越えつつ、仕事を続けてきたのだと思います。」
 
モンテーニュ(『ミシェル 城館の人』)に至るまでを、総括した文章だが、やっぱり不思議だ。鴨長明であれ、ゴヤであれ、藤原定家であれ、どうして同時代人を避けて、しかも何年にもわたる情熱を傾けて、その人に肉薄できたのか。
 
私は、堀田善衞を読む気はないので、堀田善衞を対象とする、誰か批評家のものを読んでみようと思っても、それもない。

(『ただの文士ー父、堀田善衞のことー』
 堀田百合子、岩波書店、2018年10月12日初刷、11月26日第2刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:29Comment(0)日記

戦後を体現した編集者の死――『いま、言わねばー戦後編集者としてー』ほか(6)

もう一本のコラムは、憲法九条を守るために奮闘している、Aさんという女性を巡ってである。
 
Aさんは九条を守る、ある運動体に所属しており、松本さんは、おおかた30年ほど親しくさせていただいている。

そのAさんが、あるとき安倍首相を取り上げて、「インポテンツの男の子」のようだと表現した。
 
これはAさんが、ある政治学者がそういうふうに表現したのを、「我が意を得たり……安倍を語る時これほど的確な表現はない」と書いたのだ。
 
松本さんは、これにまったく納得できず、抗議の意味の手紙を出した。

「これは相手をメクラ、ツンボといっているのと同じなのです。どんなに我慢できない安倍首相であっても、肉体的欠陥で相手をさげすむ姿勢は、在日朝鮮人にあらん限りのヘイト・スピーチを投げかける連中と、同次元にたつことになります」。
 
するとAさんからは、おっしゃる通り、ヘイト・スピーチと同じ次元に立っていた、自戒します、という返事が来た。
 
それはいいのだが、その返事に、こんなことが書いてあった。

「Aさんは、戦後七〇年、戦争に向かう根っこを断絶できるか、かなりのエネルギーがいるとのべて、『結局は選挙に行かなかった人々の無責任な行為のツケを、今、こうむっていると云う事か』と書いているのです。」
 
つまりは、こういうことなのである。本当にAさんは、そういうふうに、思っているのだろうか。

「これは『上から目線』どころか、社会運動者としてのみずからの責任のほかへの転嫁以外の何物でもありません。……自己批判のない運動体は、弱体化するしかありません。」
 
社会正義を押し立てて、運動している人たちには、この手の人が大勢いる。

また別に、М・Tさんは80歳で、八王子駅頭で、民主主義の危機を訴えて、ビラ配りをしている。年齢を考えると、これは本当に頭の下がることである。

しかし、そのビラの終わり近くに、M・Tさんは、こんなことを書いている。

「米軍の事情で天から降ってきたような平和憲法で守られたことが理解できない民度の低い、思考停止族と一緒にすり鉢の底へ行きたくない」(大意)。
 
これもさっきの、自分の意見とは異なる人に、責任を押し付けるのと一緒である。

「ビラなどに関心を示さない、あるいは『五割の沈黙者』に対し、民度の低い思考停止族とは、よくも言えたものです。……このような傲慢な発言をみとめるわけにはいきません。わたしたちに問われるのは、他に責任をなすりつけることではなく、自己批判を恐れず、失敗を直視し、一人でも多くの人びとと連帯する道を歩むことではないでしょうか。」
 
松本昌次さんは、救急車で緊急搬送された後も、死ぬ直前まで、この本のゲラを直していたという。
 
私もそんなふうに死にたい、と思う。

(『いま、言わねばー戦後編集者としてー』松本昌次、一葉社、2019年3月15日初刷)
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戦後を体現した編集者の死――『いま、言わねばー戦後編集者としてー』ほか(5)

最後の『いま、言わねばー戦後編集者としてー』は、松本さんが亡くなった後に出た。
 
そういう意味では遺稿集だが、しかし松本さんから、「最後の本」を作りたいという電話が、一葉社の和田悌二と大道真理子に宛ててあり、会ってみると、収録予定の原稿は、ほとんど用意されていた。
 
本の構成や目次から、書名、体裁、発行部数、定価、販売方法まで、細かく書かれたメモが渡されている。
 
これが、齢91歳、亡くなる一か月前のことだ。

全盛期、年に4,50点作るのが、当たり前の松本さんとしては、90歳を越えようが、亡くなる一か月前であろうが、本に関することは、ゆるがせにできなかった。

「収録原稿は、基本的には二〇一三年から二〇一七年までに『レイバーネット』『ほっととーく』『9条連ニュース』に書かれたものの中から選んでほしいこと、体裁はとにかく簡素に、並製でカバーもオビもつけずに表紙のみにすること、ただし表紙にはルソーの『カーニバルの夕べ』を入れたい、ページ数は二百ページ以内におさめること、などなど、あの独特の丁寧なやさしい文字でびっしりと書き込まれていた。」
 
この本は、松本さんにとって、「最後の本」になることが決まっていた。
 
その最後の本に、初めて、時事ネタを取り上げたのである。

松本さんは、考えてみれば、編集者としては、著者のことなどを取り上げて、それが今現在と切り結んでいても、本の骨格は、「追想」のかたちを取っていた。
 
それが今度は、『いま、言わねば』と題して、身の回りの時事を、正面に据えたのである。

現在の天皇制、靖国問題、護憲と反原発、ヘイト・スピーチ、〝壁〟と村上春樹、トランプ劇場、などなど。
 
松本さんは、91歳で出す最後の本で、今まさに問題になっていることに、正面を切って応えたのだ。
 
ここでは、二つのコラムを取り上げよう。
 
一つは「不都合な過去を帳消しにする安倍首相の演説」である。

「安倍晋三首相の米議会演説に、のっけから岸信介祖父が登場したのには驚いた。しかも『民主主義の原則と理想を確信している』元総理大臣としてである。」
 
岸信介といえば、戦前は満州国で、官僚として頭角を現わし、東条内閣の商工相として、積極的な役割を果たした。

戦後はA級戦犯として投獄されたが、かろうじて一命を永らえ、総理大臣としてよみがえった。そして1960年の、安保条約改定の強行採決を行い、民主主義を踏みにじった。

しかし安倍首相は、傲岸にも、そこを捻じ曲げる。

「歴史認識などどこ吹く風の安倍首相にふさわしく、祖父はまるで生まれながらの民主主義者である……。」
 
これは本当に信じられない。首相にふさわしくない人として、マスコミが、特筆大書して批判すべきことだ。
 
けれども、松本さんの真骨頂は、実はもう一本のコラムにある。
posted by 中嶋 廣 at 16:30Comment(0)日記

戦後を体現した編集者の死――『いま、言わねばー戦後編集者としてー』ほか(4)

最初にこの論争に火を点けたのは、花田清輝だった。

「花田さんの吉本さんへの批判というのは、大雑把にまとめるならば、『戦争協力詩を書いた前世代の詩人たちを個人の名において糾弾するのではなく、時代と関連させつつ、戦後の芸術運動を高揚させることで全体として乗り越えるべきだ』というものでした。」

もともと花田清輝は、芸術運動や思想運動は、論争や対立によって発展するものだ、と考えていた。だから、方法としての「論争」を、非常に重視していた。

しかし吉本隆明は、それとは少し違っていた。

「吉本さんの世代はそれこそ戦場で死ぬことしか目前の選択肢がなかった。だから吉本さんの戦争協力者に対する反発や恨みというものは、花田さんの想像も及ばないほど根深いものだったと思います。」

吉本隆明の姿勢は、芸術運動や思想運動の、全体的な発展よりも、個人的な自力の思想の構築に、比重があるのだ。

「だから相手に勝つか負けるかの世界なのですね。ともかくいわれるように『自立』の思想家ですから、論争においてもいかにみずからの主張が正しいかということが先にくるわけです。」

そういうわけで、自立する思想家、吉本隆明の言語論である『言語にとって美とはなにか』や、国家論である『共同幻想論』は、たいへん優れたものだが、それを私たちが受け取って、そこからどのような実作や芸術につなげていくか、を考えるとき、はたと困惑せざるを得ない。

これらは、吉本が個人として確立した「記念碑的理論」であり、そこから何かを受け取って、つないでゆくことは、できないのではないか。

だから吉本隆明は、「失礼な言い方かもしれませんが、よく言われるように『知の巨人』として『吉本隆明自立思想記念館』に永久に保存される方だと思います。」

これは、かなり強烈な、吉本に対する批判である。

一方、花田清輝という思想家は、文章を書いたときから、その理論というようなものはなくて、めいめいが、実作や芸術運動に生かす以外に、花田の思想を読み取ることはできない。

松本さんはその結果、『芸術的抵抗と挫折』と『抒情の論理』の二冊の本を作ったあと、吉本隆明とは、「永いお訣れ」をすることになったのである。
 
松本さんの、吉本隆明に対する批判は、総括すると、次のようなものであった。

「『知の巨人』『思想界の巨人』と周囲からもてはやされた半世紀余の吉本さんの道程を、私は無念に思いかえす。それは残念ながら、日本資本主義の高度成長を総体的には補完・擁護するものとなったのではなかったか。」
 
晩年にさしかかったころの、吉本隆明の『マス・イメージ論』や、『ハイ・イメージ論 Ⅰ・Ⅱ』を思い浮かべながら、私は、本当にそうだなあと、この言葉を嚙みしめている。
posted by 中嶋 廣 at 12:05Comment(0)日記

戦後を体現した編集者の死――『いま、言わねばー戦後編集者としてー』ほか(3)

こういうことは、やっても許されることなんだろうか。

もちろん「花田清輝・埴谷雄高 冥界対論記録抄」とあって、最初から、架空対談なのは分かっている。でも、しかし、やっぱりいいんだろうか。

いくら、花田清輝の本を「十七、八冊」作り、埴谷雄高の本を「評論集二十一冊、対話集十二冊」作ったとしても、二人を冥界で会わせ、談論風発、好きにしゃべらせるというのは、並みの編集者ではできない。というか、松本さん以外には、できないことだ。

この『戦後編集者雑文抄』は、おおむね、21世紀に書かれた文章を収める。

今になって、この本を読めば、編集者・松本昌次さんが、いかに多くの優れた人を、結びつけたかを思い知らされて、目くるめく思いがしよう。

出版界が毎日毎日、新刊を出しながら、実際には荒涼たる風景の中で、呆然と佇んでいるとき、松本さんの世界は、じつに豊穣なのだ。今世紀に入って、荒涼のなかで、ほとんど何も残らなくなったとき、ただひとり松本さんだけが、小説家や詩人、政治学者や女優を華麗に結びつけた。

たとえば、宮本常一と、雑誌『民話』を語ったところ。

「民話だけでものは考えられない、芸術や思想といったものも含めて考えなければならないなどと思っていたんですね。日本では知識人の考えていることと民衆の動向はいつも離ればなれです。だからわたしはそれらを出会わせたいし、『民話』をそういった場にしてみたいなどと考えていたんです。(中略)『民話』には花田清輝さんや埴谷雄高さんや丸山眞男さんといった方々が登場しています(のちに、藤田省三、廣末保、谷川雁、日高六郎、吉本隆明さんなどの方がたにも執筆してもらっています。)」

『民話』という雑誌を、「民話」だけではものは考えられない、と考え、そのような場にしたのだ。

編集者が、持てる力を十全に伸ばし、しかもそれを、のびのびとやっているのを見るのは、今となっては、夢のまた夢である。
 
しかしこの本には、ただ懐かしいことばかりが、書かれているのではない。

たとえば、「花田清輝ー吉本隆明論争」。これは、じつは今だからこそ、決着をつけてよいと思われる。

そして決着をつけるには、二人の生涯を見てきた松本さんをおいて、ほかにないのだ。

松本さんは、1954年、花田清輝の『アヴァンギャルド芸術』を皮切りに、編集者としての生活を始めた。

一方、吉本隆明の最初の出版物、『芸術的抵抗と挫折』と『抒情の論理』(ともに1959年)も編集している。

松本さんは、埴谷・花田といった世代と、吉本は一緒になって、戦後の文学運動を進めていくものだと思っていた。

ところが、そうはならなかったのである。
posted by 中嶋 廣 at 08:46Comment(0)日記

戦後を体現した編集者の死――『いま、言わねばー戦後編集者としてー』ほか(2)

鷲尾さんは、「聞き書きのはじめに」でこう書いている。

「丸山眞男『現代政治の思想と行動』をはじめ、戦後社会に絶対な影響を与えた埴谷雄高、花田清輝、藤田省三、廣末保、木下順二、平野謙、富士正晴、井上光晴、上野英信、橋川文三などの多くの著作を手がけた編集者として、松本昌次さんは伝説的・神話的存在である(ご自身はこの言い方を強固に忌避されるが)。」
 
本当に、なぜこんなことが、できたんだろう。未来社の編集部は原則的に、西谷能雄社長と松本さんの二人。西谷社長は目が悪いので、細かい実務は、松本さんおひとりである。
 
それで1年間に、40~50冊(!)、作っている。そのどれもが、名著である。もちろん初校、再校、三校まで取っているのだ。まったく考えられないことだ。
 
それで、もう参りましたという意味で、「戦後の名著の多くはこの人の手になるものだった」、と言われたりした。
 
とにかく、2年間にわたる『わたしの戦後出版史』の仕事は、インタビューと、その後の酒席も含めて、じつに面白かった。

この本は、朝日新聞が2000~09年に、読むべき本を選んだ、「ゼロ年代の50冊」の一冊に選ばれている。
 
その後、2014年に、鷲尾賢也さんが、脳出血により急逝された。
 
鷲尾さんは「現代思想の冒険者たち」(全31巻)や、「日本の歴史」(全26巻)を企画し、書き下ろしシリーズ「選書メチエ」を創刊された。
 
また小高賢のペンネームで、何冊も歌集があり、そのうちの1冊、『本所両国』は若山牧水賞を受賞している。
 
鷲尾さんの死は、私には、いろいろな意味で後ろ盾を失い、打撃だった。

松本昌次さんにとっても、頭を殴られるような大打撃で、しばらくは電話で話していても、なぜ鷲尾さんは死んだのだろうねえ、という嘆き節一辺倒だった。まさか、松本さんよりも、鷲尾さんの方が、先に行くとは。

『戦後編集者雑文抄ー追憶の影ー』は、先に一葉社から出ている『戦後文学と編集者』(1994年)、『戦後出版と編集者』(2001年)に続くものだ。
 
この本は一度、このブログに取り上げたけれど、今度は松本昌次さんの生涯のうち、最晩年の本という意味で取り上げるので、重複はあるかもしれないけれど、恐れずにやってみる。
 
この本は、松本さんが、出版の仕事を通じて知り合った著者や編集者たちを、追悼した文章を多く集める。
 
だから、サブタイトルに、「追憶の影」と記されている。
 
登場するのは、花田清輝、長谷川四郎、島尾敏雄、木下順二、秋元松代、竹内好、西郷信綱、小林昇、武井昭夫、吉本隆明、久保栄、中野重治、などなど。

これは、いつもの回想と思っていると、のっけから、ちょっと度肝を抜かれることになる。最初に「花田清輝・埴谷雄高」の対談があるが、これがなんと、架空対談なのである。つまり松本さんの創作なのだ。
posted by 中嶋 廣 at 12:26Comment(0)日記

戦後を体現した編集者の死――『いま、言わねばー戦後編集者としてー』ほか(1)

松本昌次さんが亡くなった。2019年1月15日。享年91歳。

その晩年の姿を、著書を通して、書いておきたい。
 
ここでは、私が編集をした『わたしの戦後出版史』(トランスビュー、2008年)と、それ以後に出た『戦後編集者雑文抄ー追憶の影ー』(一葉社、2016年)、そして遺稿集、とは言っても松本さんの眼の行き届いた、『いま、言わねばー戦後編集者としてー』(一葉社、2019年)について書く。

『わたしの戦後出版史』は、元講談社の重役、鷲尾賢也氏の企画だった。
 
それをまず、トランスビューにいた、私のところへ持ってこられ、単行本として必ず出すことを前提に、その前に、朝日新聞の月刊誌『論座』に連載することにした。
 
松本昌次さんは1953年、未来社に入った。それから30年を経て、自身で創業した影書房に移るまで、超人的な活躍ぶりで、戦後出版史の重厚な、また今となっては、華麗な部分を、担い続けた。

戦後30年は、未来社のような小出版社が、縦横無尽に活躍できたのである。もちろんそれは、松本昌次さんという、稀代の編集者がいてこそであるが。

鷲尾さんは、松本さんに話を聞くのに、元講談社重役である自分と、小学館重役で小学館クリエイティブ社長の上野明雄さんの二人を、聞き役に立てた。

朝日新聞出版部の担当者は、中島美奈さんであった(このころはまだ、朝日新聞出版社というかたちで、出版は独立してはいなかった)。

鷲尾さんの企画案は、実に周到なものだった。松本さんの未来社での話を聞くのに、元講談社と小学館の大立者が、聞き役としてそろい、それを朝日新聞の『論座』に載せる。そうして単行本は、トランスビューという、最も小さな出版社から出す。

聞き書きは、2005年10月から2年間、16回に及んだ。それを『論座』に、21回に分けて連載した。

企画というのは、こういうふうに作るんだ、という見本だった。

松本さんへの聞き書きは、6時から9時くらいまで。丁々発止で伺い、それが終わると場所を変え、酒を挟んで、出版について思うところを、腹蔵なく語り合った。

そういうときの、松本昌次さん、鷲尾賢也さん、上野明雄さんのやりとりは、歯に衣(きぬ)着せぬどころではなく、はらはらして、実に面白く、スリリングであった。

中島美奈さんと私は、注意深く一言も聞き逃すまいと、ただ耳を澄ませていた。
posted by 中嶋 廣 at 12:07Comment(0)日記

貫目が足りない――『あちらにいる鬼』

著者の井上荒野は、井上光晴の娘である。
 
父、井上光晴は、瀬戸内寂聴と不倫の関係にあった。正確には、得度した寂聴ではなく、瀬戸内晴美のときである。
 
井上光晴の妻、つまり著者の母は、すぐにそういう関係に気づく。
 
その三者を描いた小説である。

帯の表には、「小説家の父、美しい母、そして瀬戸内寂聴をモデルに、〈書くこと〉と情愛によって貫かれた三人の〈特別な関係〉を長女である著者が描き切る、正真正銘の問題作」とあるが、それほどのことはない。
 
娘である井上荒野が、父母を含む、三者三様の心理を描いたところは、なかなかすごいものだとは思うが、それにしては、父の井上光晴が、とっかえひっかえ女とやるだけの、昔はよくいたセクハラ親父で、それに耐えている母も、子供がいるからしようがないだけの、つまらない女だ。
 
もちろん、母を近くで見ていた著者にとっては、違うだろうが。実物を見ていない私にとっては、やはり、つまらない女だ。
 
そういう意味では、瀬戸内晴美から、得度して寂聴となった女性だけは、描いていて、描き甲斐があっただろう。
 
しかし著者には悪いが、女と男は相見互い、車谷長吉の言葉を借りれば、男女は貫目が合って、ドラマが起こる。その意味では、どの人物も、はっきり言って、貫目が足りなくて、うんざりだ。あるいは、低いところで、貫目が合っている。
 
著者にとっては、自分の親のことだから、苦しくても、書かずにはいられなかっただろう。
 
そういうものを、ついおもしろそうだと、引っかかる私が悪い。
 
けれども、直木賞をもらった『ホテルローヤル』、「正真正銘の問題作」である『あちらにいる鬼』と続けて読んで、これではもう、どうしようもないと思うのは、やはり小説は、何かが欠けてきていて、終わりつつあるジャンルなんじゃないか。
 
そこは、何とかならんのか。
 
読んでいるうちに、考えてもみなかったところに出たり、あるいは、想像もできないところを、闇に迷って深く深く進む、といったことは、もう小説世界では、経験できないんだろうか。
 
そういうことを、漠然と考えていると、やっぱり村上春樹しかいないんじゃないか、と思えてくる。

(『あちらにいる鬼』井上荒野、
 朝日新聞出版、2019年2月28日初刷、4月30日第4刷)
posted by 中嶋 廣 at 11:40Comment(0)日記

救いはほとんどない――『ホテルローヤル』

これは六年前の、桜木紫乃の直木賞受賞作。このごろ、こういうものはめったに読まない。出版界の、たいていは貧すれば鈍する世界が、透けて見えるからである。
 
けれども東京新聞には、この本は文庫になってからも、着実に売り上げを伸ばし、もうそろそろ、100万部に手が届きそうだ、という話が出ていた。
 
それならちょっと面白そう、と思うではないか。
 
で、読んでみたが、読み終わって、「底辺」に蠢(うごめ)く、倦怠感溢れる男女の営みが、これでもかこれでもかとばかりに、ゲップとともに出そうで、閉口した。
 
まあ潰れた、連れ込みホテルが、舞台なんだから、しょうがないとも言えるが。
 
全部で7つの連作短編を収める。

そのうちの、住職の妻が檀家に性的な奉仕をする、「本日開店」には、こういう文章がある。

「野菜を洗う水の冷たさが肘から二の腕、胸元から腹へと伝わる。冷たさはやがて幹子の中心部に届き、綿の花がはじけるようにポンと開いた。」
 
性的なものと、台所仕事を重ねていて、うまいものだが、もうこういう上手さは、私は願い下げにしたい。
 
ここに出てくる男女は、だれも明日を信じてない。昨日と同じ今日があり、今日と同じ明日がある。そこには、どんな希望もない。
 
けれども全編の中で、「バブルバス」という話に、本当に一カ所だけ、微笑ましいところがある。

「『お前、もう風呂に入ったのか』
『うん。泡はなくなっちゃってたけど。汗、流しておいでよ』
起きあがった真一も、少しふらつきながらバスルームに消えた。シャワーの音が響いてくる。明るい場所で夫の裸を見るのも悪くなかった。ふたりとも等しく年を重ねていることがわかる。それはそれで、幸福なことに違いなかった。」
 
全編中で、救いはここだけだった。
 
そういえば、桜木紫乃はこの時期か、あるいは前後して、東京新聞に連載小説を持っていたな。そういう時は、心して書評を読まなくては。

(『ホテルローヤル』桜木紫乃、集英社、2013年1月10日初刷、7月30日第4刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:35Comment(0)日記

今度はノンフィクション――『奴隷労働ーベトナム人技能実習生の実態ー』(5)

もっと、ぞっとするのは、2017年までの8年間に、技能実習生、174人が、死亡していることだ。

日本で働くために、日本語を学び、渡航費用として莫大な借金を抱え、そうして来日したところ、職場でハラスメントや、いじめ、暴力に遭い、しかし転職は、表立ってはできない。これが今の、日本の状況だ。

そのとき、20代の技能実習生は、どこまで追いつめられるのであろうか。そこから「死」の淵までは、あまり距離がないような気がする。

技能実習生は、日本人にとっては、「ひとりの人間」である前に、「一個の労働力」でしかないのだ。

政治家は、票にならないものは、無視してかまわない。けれども、外国人を低賃金で雇う労働市場は、もう完全に、日本の中に形成されている。

この本では、さらに取材を進めて、技能実習生の制度は、やめてしまっても良い、という意見も存在する。

去年の秋に、法改正があって、技能実習生は場合によっては、日本に定住することができ、家族も呼べるようになった。

しかしそれでも、労働環境が変わらなければ、ということは、ある程度の転職が認められなければ、虐げられている技能実習生としては、同じことだと思う。

この問題は、日本の労働人口の激減問題とも、直接リンクする。安倍首相が、憲法などもてあそんではいられない、として、大急ぎで、こちらの法律を改正した意味が、分かるのである。

(『奴隷労働ーベトナム人技能実習生の実態ー』
 巣内尚子、発行・花伝社、発売・共栄書房、2019年3月20日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:13Comment(0)日記