時事ネタの批評は難しい――『コミュニケーション不全症候群』(3)

ここから中島梓は、彼女自身が創設した「JUNE(ジュネ)小説」、といったジャンルを経由して、まとめに入る。

「JUNE(ジュネ)小説」とは、と言っても、男の子が出てくるホモ小説、という程度のことで、僕にはよくわかりません。
 
こういうホモ小説は、拒食症の少女たちには、現実を拒否するという意味で、親しいものだという。

「JUNE世界のなかでは、不器量であること、肥満、もてないこと、は最大のおそるべき罪である。」
 
なるほど。でもこれは、現実の表層を撫でてみることすらしない、実にくだらない嗜好だ、とは思わないだろうか。

「彼女たちが拒否しているのは、彼女たちがあいそをつかしてしまったこの現実でしかありえないのだ。そしてその、理想化され、清潔に、生活のみにくい側面ややっかいごともなく、老いることも中年のいぎたないオバン、オジンになることもない、時の止間ってしまった宇宙こそ、おタク、拒食症、モラトリアム青年、そういったコミュニケーション不全症候群の男女すべてが共通して恋いもとめる――その方法がさまざまに異なると言うだけで――究極の世界なのである。」
 
言葉で描くと、もっともらしく聞こえるが、そんな世界は、実に退屈だ。しかし30年前、僕はこの文章に、共感していたに違いない。きっとまだ、現実の世界のかけらも、味わってはいないころだ。
 
ただこれに続く文章は、大事なことを言おうとしている。

「彼女たち、彼らの本当に欲しているのは、失われた母の胎内の全能感であるのだということができる。」
 
この「母」は、文字通りの母であって、中島梓は母との関係で、抜き差しならない関係を抱えていた、ということが今岡清の本に出てくる。
 
しかし、それがどういう関係であるのかは、今岡清の本でも、中島梓の本でも、書いてないので分からない。
 
この本の終わりは、こういう一節である。

「大切なのは勇気だけである。――コミュニケーション不全症候群のための処方箋はただそれだけだ。自分を直視すること、自分の苦しみを認識すること。そしてそうするだけの勇気を持ち続けることである。我々がどうやら二十一世紀を迎えることができるためには、我々はただ、ほんのちょっとだけ勇気があればいいのである。」
 
これは、中島梓の自戒の言葉、自分を励ます、ささやかな言葉なのだが、今となってみると、最初の一歩がなかなか踏み出せなくて、必死で自分を鼓舞している若い女性を思い浮かべて、あまりにもいじらしいのである。

(『コミュニケーション不全症候群』中島梓、ちくま文庫、1995年12月4日初刷)
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時事ネタの批評は難しい――『コミュニケーション不全症候群』(2)

おタクの次は、ダイエットである。中島梓は最初この本を、「ダイエット症候群」というタイトルで構想した。

「自分自身かつてはたしかにダイエット症候群であったし、そこからどうにか脱出するのに多大の苦労と年月を要しもし、またいまなお何かの誘因さえあればたちまちもとの木阿弥に戻って発症しかねない私」――しかし、夫の今岡清によれば、これは終生、克服できなかった。
 
だからこの章は、実は欺瞞に基づいて書かれている。それを前提として読んでいくと、相当に痛々しい。

「ダイエットが女性たちに約束している手形はこうである――あなたももし、この社会の『いい子』のメンバーでいたい、社会からかわいがられる優等生でいたいのならば、私のいうことをきいて、私の価値を信じる事だ。体重は軽ければ軽いほど偉いのだ。そしてその唯一絶対の価値のためにはどんな努力でも払わなくてはならない。」
 
こんなことを信じる多数の人が、いるんだろうか。これは、異性にモテる、モテない、という範疇のことではない。

「もしその努力が成功したあかつきには、お前はすべてを手に入れられるだろう。すべての愛情と崇拝と永遠に勝者として社会のもっとも成功したメンバーとして、エリートとしてお前は社会に迎えられるだろう。〔中略〕お前のもっともほしがってやまなかったもののすべてが、ただ『ダイエット』をするだけで。
 このような手形を信じないでいられる少女がいるだろうか。」
 
もちろんいる。というより、こんなことを、信じる人の方がおかしい、と思わないだろうか。
 
10代後半の思春期は、頭でっかちになりすぎていて、どのみちどこかが、いびつなのだ。自分のことを考えたって分かる。それはしょうがない。
 
それを、人生全般に敷衍して説きおこし、そんなことをしていては大変だぞ、というのは、体のいい脅しである。
 
それが、たんなる脅しではないのは、中島梓自身が、それを信じていたからだ。

「現代社会の選別は私たちをガス室に送りこそしないが、しかし精神的にはまったく変わらない状況に女性たちを置く。〔中略〕
女性、いや、もはや女性だけではない、男性も、この社会の基本原理に従い、この共同幻想に与している個人はすべて、もはや人間であるのではなく、商品として存在しているのにすぎない。それがこの社会に続出しているさまざまな異変、異常の真の原因であるのは、すでに明らかである。」
 
素晴らしい構想力と文章力で、読んだ当座は、まったくその通りと思ったが、30年も経って、憑きものが落ちてしまえば、後には、中島梓の震えて萎れる肩を、遠くに望むばかりだ。
posted by 中嶋 廣 at 15:57Comment(0)日記

時事ネタの批評は難しい――『コミュニケーション不全症候群』(1)

続いて中島梓の『コミュニケーション不全症候群』を読む。これも出た当初は、大変な評判になった。
 
帯の文章が 簡にして要を得ている。

「おタク、ダイエット、少女たちの少年愛趣味、そしてオウム、……すべては一本の糸でつながっている/私の居場所はどこにあるの?」
 
今岡清による、栗本薫/中島梓の追悼、『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』を読んだいまは、そこに書かれた症例が、全部彼女のものであり、最後の「私の居場所はどこにあるの?」が、最終的に彼女のいちばん深いところからの、叫びであったことがわかる。
 
しかし先を急がずに、まずは読んでいこう。

「私がこの本を書きたいと思ったのは、なんといっても、実は私自身が、〔中略〕私がかりそめに『コミュニケーション不全症候群』と名付けてみたようなさまざまな兆候の、いわば代表者のようなものであって、事実このなかに私がこれからいろいろと書いて分析したり考察してみようと思っているいろいろな症状は、ほとんどすべて私自身を見つめていて出てきたものなのである。」
 
実はこの本は、出てすぐの頃に読んでいる。そのときは、非常に面白いけれども、途中がしつこいというか、なかだるみというか、ちょっと辟易した印象が残っている。
 
中島梓が、自分を症例にして、「コミュニケーション不全症候群」を描いたところまではいい。問題は、自分でそれを克服したのかどうか、という点だ。
 
これをすべからく「適応」の問題と考えれば、今岡清によれば、あるところは克服し、あるところは克服できなかった、ということらしい。

それを具体的に、読み込んでいこう。
 
まず最初は「おタク」。

「おタク族は要するに『自分の場所』を現実の物質世界に見出せなかった疎外されそうな個体が、形而上世界のなかに自分のテリトリーを作り上げる事で現実世界の適応のなかにとどまったのである。」
 
これはいかにも、その通りと言っていい。これだけなら、そんなに問題になるはずのことではない。

この時期、「おタク」が急浮上してきたのは、連続幼女殺害犯人の宮﨑勤が、いかにも「おタク」っぽかったからである。
 
一人ぼっちで離れに住み、マンガ、アニメ、TVゲーム、ファミコンなどに囲まれて、現実を忘れ、外へ出れは、四人の幼女を、猟奇的な仕方で殺害した。

「おタク」の行きつく先は、猟奇的な変態殺人者、という道筋を描いて見せたのだ。

「つまりおタクはほんとうの自分の場所を見つけられないという事実から逃避して、かわりに自我を形而上に仮託する構造をつくりあげた人々なのだ。」
 
仮におタクを、そういうふうに規定したとしても、それと「猟奇的な変態殺人者」との距離は、無限に遠い。それは関係ないといってもいいのだ。

今になってみれば、それははっきりとわかる。
posted by 中嶋 廣 at 00:22Comment(0)日記

あの時は、遠く流れて――『ぼくらの時代』

続いて栗本薫の出世作、『ぼくらの時代』を読む。

自称、「《書キタイ》妄執」が、書いたのだが、如何せん、あまりに古すぎる。
 
昭和53年度の江戸川乱歩賞受賞作なのだが、どこをどう読めば面白くなるのか、分からない。
 
学生3人組が、テレビ局を舞台にした、女子高生連続殺人事件を追う、というのは、まあいい。
 
いけないのは、いかにも安手の密室トリックと、連続殺人事件が、実は連続自殺事件だった、というところだ。
 
叙述の仕方も、発表当時は新鮮だったらしい。権田萬治が「解説」に書いている。

「実は、『ぼくらの時代』の面白さの一つは、この独特のさり気ない、ある意味ではユーモラスな語り口にあるのだし、また、通して読むとこの語り口が、一種の叙述のトリックともいうべきものになっていることに気付くはずである。連続殺人事件が一転して予想外の方向に展開して行く意外性はこの叙述のトリックに支えられているといっていいだろう。」
 
ということなのだが、その叙述の一見軽やかな、またときには、軽薄といってもいいところが、いかにも古めかしい気がするのだ。

『ぼくらの時代』は、大江健三郎の『われらの時代』を受けて出てきた、と権田萬治は書いている。
 
大江の小説は、もうほとんど忘れてしまったが、政治的に希望のない世代を扱って、結構ずしんと来るものだった、ような気がする。
 
そういう大情況も、忘れられて久しい。

「新しい意識を持った若者を登場させた推理小説として栗本薫の『ぼくらの時代』の斬新さはやはり衝撃的である。」
 
斬新であった分、古びるのも早かったのである。

(『ぼくらの時代』栗本薫
 講談社文庫、1980年9月15日初刷、1985年5月10日第16刷)
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絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(6)

「私の奥さん」はまた、芝居の世界にも手を出した。栗本薫は、原稿を書きさえすればよかったが、中島梓は、そうではなかった。
 
初めは、脚本を提供するだけだった。
 
それが徐々に、脚本だけではなく、製作、演出、果ては音楽の担当もするようになった。

では、「奥さん」はどうして、芝居に取り憑かれていったのか。

「魅力のひとつは、自分のイメージの中にあった世界が劇場の舞台の上で現実のものとして視覚化され、動き出すことにあったようです。そしてもうひとつは、自分のいるべき場所が確保されること、にもあったのだと私は思います。
 いるべき場所の確保というのは、私の奥さんにとって、とても大きな問題であり続けました。」
 
ここが不思議なところだ。「私の奥さん」はどうしても、本来の居場所を見つけることができなかった。これは本当に不思議なことだ。
 
ベストセラー作家として、押しも押されもしない存在になっても、また子供を得ても、そんなことでは、確たる居場所は、確保できなかったのだ。

「ここは自分がいてよい場所なのか、ここは自分を疎外しているところなのではないか……その思いは絶えず奥さんにつきまとい、作品にもその影響は強く出ています。奥さんは芝居に出会い、自分のいる場所をそこに見つけたように感じたのです。」
 
しかし芝居にのめり込むと、大変である。
 
まず膨大な時間がとられる。最初は子供の世話を、ベビーシッターに任せていたのだが、それでは賄えず、著者が早川書房をやめて、家事を担当することになった。子供に朝ご飯を食べさせ、弁当を持たせて、学校に送り出したのである。
 
しかし「奥さん」の苦闘は、それだけではなかった。製作も担当したので、莫大な借金を背負うことにもなった。
 
そういう家庭環境の変化から、ストレスによって、家の中が次第に荒んでいく。

けれども著者が、「奥さん」から離れていくことはなかった。

「私が感じていた奥さんのイメージは、誰もいないがらんとした広い家のなかで、一人で泣いている赤ん坊でした。そして、私はその赤ん坊を助けなければいけないという強烈な気持ちを持つようになってしまいました。」

とはいえ、夫婦の危機は、かなりのところまで行った。「奥さん」は、真剣に離婚を考えたようだ。

「原因がなんであれ、すぐに泥酔してしまうような夫と、しかも絶えず怒りをかきたてられ平穏な日常を送ることも出来ない夫と暮らさなければいけない理由はないでしょう。奥さんのなかの成熟した大人は、それが正しい選択だと思っていたのではないかと思います。」
 
けれども、別れるところまではいかなかった。

「たぶん私たちの生活はよるべのない赤ちゃんである奥さんと、それを拾い上げてしまった私という構図が基本にはあったのだといまでも私は思っています。」

「奥さん」は、一人ぼっちで、家の中で泣いている状態には、戻りたくなかったのだ。

「奥さん」を亡くして、時が経つうちに、著者は、「私はなんという人と一緒に暮らしていたのだろう」という思いが、強くなっていく。著者は「奥さん」を、不世出のクリエイターとして、再認識するようになっていく。

「私の奥さんという人は、四百点を超える著作を書き、二十本ものミュージカルに携わり、ミュージカルのための数百曲の曲を作詞・作曲し、没後に四百字詰め原稿用紙にして二万枚以上にものぼる未発表原稿を残した栗本薫・中島梓という存在」だったのだ。
 
その未発表原稿の中に、「ラザロの旅」という一篇があり、そこにこんな言葉が記されている。

「読者がいるから書くんじゃない。註文があるから書くんじゃない。書きたいことがあるから書くのでさえない。そんなつまらぬ理由で書くものか。〔中略〕節操なんかない。恥もない。そんなものがあるのは人間だ、だが私は人間でさえない。私は《書キタイ》という妄執、そのものだ。」
 
やっぱり栗本薫・中島梓のものを、何か続けて、読まないわけにはいかないな。

(『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』今岡清
 早川書房、2019年4月25日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:42Comment(0)日記

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(5)

「私の奥さん」は、「痩せていなければ価値がない」という、メッセージに苦しめられていた。
 
たしか『コミュニケーション不全症候群』を読んだとき、中島梓は、ダイエット地獄を克服したと書いていた。
 
だから、おなじ地獄に直面しつつある、若い女を救うために、あの本を書いたのだということだった。
 
しかし著者によれば、「奥さん」はその後も、「太っていては価値がない」という強迫観念に、責め苛まれていたという。

「闘病生活が始まってからもというよりは、闘病生活が始まったからこそ、問題はより鮮明になってしまったようです。〈健康になって生きていたい〉という生へと向かうエロス、そして〈死ぬことになろうが痩せなければ〉という死へ誘うタナトスが奥さんの心のなかで激烈な闘争を繰り広げることになってしまいました。」
 
そしてその矛盾が、ひいては命取りとなる癌を、引き起こしたのではないか、とまで言う。
 
作家として、どれほど多くの称賛を浴びようと、そうしたプラスの面は、「痩せていなければ無価値」という囁きによって、一瞬のうちにゼロと化すのだ。

「栗本薫という存在が無価値であるなど、まさに狂気の沙汰としか言いようがありません。しかし、その狂気が私の奥さんの一生を苦しめつづけていました。」
 
これは本当に、僕なんかには、分からないことだ。つきあった女性にも、強度の強迫観念としてのダイエットという人は、いなかったと思う。
 
しかしダイエットというのは、言い方を変えれば、「奥さん」が目標に、一番しやすいものだったんじゃないか。
 
そんなことをいっては、いけないのだろうか。

「理性は論理的に物事を考えていたにもかかわらず、やみくもな衝動によって繰り返しそれが打ち砕かれてきたのを私は見つづけてきました。
 私が奥さんとの生活で共に戦って来た敵は、まさにこの狂気、人の理性を狂わせるやみくもな衝動だったのだと思います。」
 
これは、ダイエットだけの話ではないだろう。すべての過剰なものが、相手になっている。
 
そしてこの過剰なものは、それを克服したとすれば、おそらく彼女の創作は、激烈な打撃をこうむっていたに違いない。そこでは、因果は絡めとられ、どうにもならなくなっていたと思う。
posted by 中嶋 廣 at 09:33Comment(0)日記

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(4)

この追悼は、はじめ「奥さん」の手料理のこととか、飼っていたペットのことなどを、ゆるゆると語りながら、気がつくと核心に入っていく。
 
まずは料理の話から。

「奥さん」の癌が末期のころ、著者もまた悪性腫瘍のために、胃の全摘手術をした。
 
さらっと書いているけれど、夫婦そろって癌で手術は大変である。しかし、大変そうなところは、まったく書かない。文章の力点が違うのだ。
 
著者の入院中に、「奥さん」の病状が悪化したため、同じ病棟に入院することになる。その後、入れ替わりに、著者は家に戻った。

「奥さん」が不在の家で、一生懸命料理をした、「奥さん」のことを考える。

「私が入院する直前まで私と義母と息子のために、私が入院してからも義母と息子のために毎日料理をしていたのです。亡くなるひと月ほど前のことでしたから、病勢はかなり進行していました。いつも体のあちこちが痛み、足も腹水がたまってむくみ切っている状態でしたから料理をするのも大変だったはずです。それでも、家族のために料理することをやめようとはしませんでした。」
 
亡くなるひと月前であっても、台所に立ち、家族のために料理をする。これはすごいことだ。

と同時に、「奥さん」の一途な感じ、あるいは過剰な感じがして、料理といえども、ちょっと異様だ。

「奥さん」にとって、料理は小説や作曲と同じくらい、物を作ることであり、それによって、世界と自分が繫がれたのではないか、と著者は言う。
 
しかし、こういう通り一遍のことでは、栗本薫/中島梓の、料理の秘密は、よく分からない。
 
ペットの話も面白い。
 
イグアナ、アカアシガメを皮切りに、モリアオガエル、アカセスジカメ、肉食トカゲのナイルモニター、そのほか金魚、鯉、ザリガニまで、ちょっとした動物園状態である。

「私の奥さんはなんにつけても止め処ないところがあります。小説を書けば全百巻を遥かに超えてけっきょく完結することはありませんでしたし、作曲をすればミュージカルの挿入曲なども入れれば数百曲になります。日常生活でもおなじことで、着物も洋服もバッグもアクセサリーも、ともかくいつのまにか膨大な数になってしまいます。」
 
特にアヒルを飼ったときは、大変だった。「奥さん」のために買ったアヒルは、著者を親とみて、どこへ行くにもついてくる。

「今岡アヒルと名づけられたこのアヒルの可愛いことといったらありません。お風呂に水を張って入れてやると、ピヨピヨと鳴きながらまるでおもちゃのアヒルのような姿で泳いでいます。〔中略〕最初はいちおう反対していた私が、もうこのアヒルが可愛くてたまらなくなってしまいました。」
 
何のことはない、著者も、「奥さん」に負けず劣らず、ペット狂いなのである。

「雌だとわかったので今岡アヒルは今岡アヒ子と名前を改められ、近所の碑文谷公園の池でボートに乗った私たちのまわりをアヒ子が泳いでいるということもありました。」
 
普通は、こんな「散歩」はしない。公園の管理者からも、やめてくれと言われている。やっぱり夫婦そろって、過剰なのだ。

「奥さん」の最期の方で、慰めになったペットは、ストライプド・コーン・スネークというヘビだ。

目がクリクリとしたヘビは、たちまち一家の人気者になったという。まあ、目が切れ長になったヘビは、なかなかいないだろうけど。

「苦しくて体も思うように動かすことの出来なくなっていた奥さんは、ヘビ遊びと称してソファにすわってヘビを自分の体の上に這わせて遊んだりしていました。べつにヘビに向かって奥さんが話しかけるでもなく、もちろんヘビも何の愛想をするでもなくただ腕の上を這いまわり、それを奥さんがちょっと持ち上げたり肩の上に持っていったりして、ヘビは嫌がるでもなく逆らうでもなく静かに這いまわっていました。」
 
普通なら、晩年の作家とペットの、心温まる一場面なのだが、作家の上を静かに這いまわるヘビ、と言うのは、だいたいは怖気を震わせるのではないだろうか。
posted by 中嶋 廣 at 17:42Comment(0)日記

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(3)

「悲哀」の塊は消えたが、「怒り」はその後も、いつまでも居座り続け、機会があれば、激烈な発作を引き起こした。
 
著者は「奥さん」と毎晩のように話し合い、そうして「村のお話」を作ることにする。
 
つまり、悲哀の塊が消滅したのだから、それを手掛かりにして、それぞれ矛盾した行動を取る主体に対して、別の人格を想定し、その全体が一つの村に住んでいる、という物語を作り上げるのだ。
 
正直なところ、この話の内容はよく分からない。2人で話し合って、と言うのだから、やっぱり精神分析的対話が、基本にあるのだろう。

試しに「村のお話」の冒頭を、読んでみよう。

「夜はもうとっぷりとふけてまいりましたよ。
 あちらのおうちもこちらのおうちも電気が消えて、みんなねんねのお時間です。
 大きなお蔵のおうちの一階では、ケチの人が金庫の前におふとんをしきましてくーくーねんねをしております。
 お二階では記録の人がパソコンや電卓や、メモ用紙や万歩計や血圧計にかこまれまして、やっぱりくーくーねんねをしておりますよ。」
 
うーん、こういうのはどういうふうに、判断すればいいのだろう。少なくとも、対等の男と女が話している、という感じはしない。僕の場合には、こういう女性は勘弁してほしい。

さらにもっと言えば、「村のお話」の文体も含めて、少々寒気がする。
 
それはさておき、途中をとばして、もう少し先まで読んでみよう。

「柿の木ではおサルさんがハンモックでくーくーねんねをしておりまして、むしかごでは本末転倒虫がやっぱりねんねをしております。
そうしてそうしてシキワラでは、あかちゃんあずさがきもよきもよのねんねですよ。
 なにしろなにしろシキワラには、ひつじさんもおりますし、とんよう君もおりますし、とんた君もおりますよ。もちろんもちろんちびひつじさんもおりまして、なかよしなかよしのバクさんもおります。」
 
いちいちの言葉の説明はしない。また解説してある言葉もあるが、そのままにしてある言葉もある。
 
しかし、どちらにしても、ちょっとゾッとしないだろうか。
 
終わりは、こんなふうだ。

「そうしてそうして、おめめくりくりのミニひつじさんは、いのししさんやティラノ君と一緒にあずさをしんぱいしんぱいと見ておりますよ。
 なにしろなにしろ、みんなみんなあずさがだいすきだいすきで、みんながあずさを、おだいじおだいじいたしますからね。
 シキワラとっても気持ちよく、あかちゃんあずさはきもよきもよのねんねですよ。」
 
これを毎日ものがたって、眠りにつくとすれば、大人の就眠儀式としては、異様な感じがする。
 
著者も、「驚かれたばかりでなく、幼児退行を見て取って不気味に思われたり」すると思うけれど、「栗本薫・中島梓という社会的な存在は『村のお話』によって安心して眠ることの出来る私の奥さんの中に存在していたの」だという。
 
男と女は、性愛において、睦みごとにおいては、どんなに極端なことをしても、かまわないと言えば言える。

僕はこういうのはごめんだが、しかしこの男女は、この組み合わせでなければ、あの状況を突破できなかった、と言えるだろう。まことに、世界中でただ一組のカップルであった、と言える。

これは、「奥さん」の癌の闘病が、始まったころの話である。
posted by 中嶋 廣 at 00:10Comment(0)日記

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(2)

あるとき「奥さん」が、小説のアイディアについて、話しを始めた。著者は、「奥さん」の言った具体的な内容は忘れたが、その結果は、今に至るも忘れられないという。

「私はちょっとした感想のようなことを口にしました。ところが奥さんは、まだまったく形をとっていない、少しふれたら壊れてしまうものがなにか言われたことで消えていってしまったというのです。私は感想を聞かれたのかと思って返事をしたのですが、奥さんはどうも独り言のように思い浮んだことを口にしただけだったようです。」
 
小説家が小説のアイディアを口にする。そこに別の人間が口をはさむ。その結果、アイディアは雲散霧消したというのだ。
 
もちろん小説家によって、まったく違った反応をするだろう。栗本薫の場合は、そういうタイプの作家だった、ということだ。
 
そして、ここから先が著者の面白いところだ。

「それ以来、奥さんがそうしたことを口にしたときにはどう返事をするか細心の注意を払うようになったのですが、これは編集者だった私にとってとても貴重な経験でした。そのことがあってから、奥さんに対してだけではなく、ほかの作家と話すときにも、壊れやすい状態になっているかどうかを見きわめる習慣がついたのです。」
 
僕は、編集者仲間と会っていたころも、こういう話になったことはない。

小説の編集者も何人もいたが、作家が独り言をいうとき、「壊れやすい状態になっているかどうかを見きわめ」た編集者は、いないんじゃないか。
 
あるいは、僕が小説の編集者ではないので、そういう話はしなかっただけだろうか。
 
どちらにしても、著者が第一級の編集者であることは、よく分かる。

「奥さん」にはときどき、狂気の発作が襲いかかった。その狂気は、あるときは怒りであり、あるときは悲哀の衝動であった。
 
この二種類のうち、悲哀は、あるときから全く姿を消した。

「いまだにその時のことは鮮明に覚えているのですが、リビングルームのソファに座って話しているときのことでした。奥さんが悲哀の衝動にとらわれて自分の悲しみを訴えている様子を見ていて、もしかしたら訴えているのは奥さんそのものではなく、奥さんのなかで悲哀を一手に引き受けている存在があって、それが悲しみを訴えているのではないだろうかという気がしたのです。」
 
これは、素晴らしい精神分析の記録だ。

「そこで奥さんにではなく、その悲哀の感情を相手に『あなたの悲しみはよくわかりますよ』というようなことを話しかけたのです。するとその人格が、自分は理解されたという様子を見せました。〔中略〕そして、それからというもの、悲しい塊は二度と姿を現さなくなったのです。」
 
愛は、夫婦の愛は、ときに奇蹟を生むことがある。当人同士は、自然の流れとして、こういうところに落ち着いたとしても、それを横から見ていれば、奇蹟としか言いようがない。
 
悲哀の感情に人格を認め、それにお引き取り願うなんて、もう言葉がない。

しかし「怒り」は、そうではなかった。
posted by 中嶋 廣 at 17:31Comment(0)日記

絶品の追悼!――『世界でいちばん不幸で、いちばん幸福な少女』(1)

栗本薫/中島梓は、2009年5月26日に亡くなった。

これは、彼女を「奥さん」にした、今岡清の追悼の記。
 
今岡は早川書房の編集者として、栗本薫/中島梓に会い、すでに結婚していたのだが、別れて、栗本薫/中島梓と一緒になり、のち早川書房を退職して、天狼プロダクションの社長になった。
 
この本は、夫婦のことを書いたものだが、僕なんかとは、追悼の文体も、取り上げる題材も、極端に違う。
 
え、お前が追悼を書いたのかって、書きましたよ。講談社の鷲尾賢也さんとか、影書房の松本昌次さんとか。
 
それはともかく、著者はまず最初に、「生活を共にし、個人的な記憶に満ちた私の奥さんを栗本薫・中島梓として書くことはできません」と言う。

そのかわりに、「奥さん」または「私の奥さん」という呼び名で、統一したいという。
 
著者・作家を女房にしたとき、相手をどう呼ぶかは、けっこう難しい。「妻」でも「女房」でもなく、「奥さん」と呼ぶのは、そういう関係にあった、ということだ。
 
この「そういう関係」は、読んでいくにつれて、明らかになる。
 
タイトルの意味は、次のようなことだ。

「ことさら意識することなくペン先から、後にはキーボードから文章が奔流のように流れ出て、小説の世界を思うがままにあやつっていく全能感に満ち溢れているその様子は、まさしく世界でいちばん幸せとしか言いようがありませんでした。」
 
これが、「世界でいちばん幸福な少女」の意味。
 
それに対してまったく逆の、苦しみ悶える女性がいる。

「一方で文学賞を受賞し、多くのベストセラーを出して作家として成功したことは、少女にとっての幸せではありませんでした。精神を病み、自分自身を認めることが出来ず、摂食障害も抱えていた奥さんにとっては生きていることそのものが苦行でもありました。しかも幸福と不幸のどちらも少女のもの、大人になることのない少女の持つ幸、不幸なのでした。」
 
むかし読んだ中島梓の、『コミュニケーション不全症候群』を思い出す。

もう昔のことなので、ほとんどうろ覚えだが、「大人になることのない少女」の摂食障害や過食症、拒食症に至るダイエットの話が出てくる。

「私の奥さんは自分がそうした存在であることに気づいていなかったようでしたが、次第に自分自身が病んでいると気づき、そこから抜け出そうともがき苦しんでいたのです。」

これが、「世界でいちばん不幸な少女」の意味だ。

そしてこれは、中島梓自身の話だったのだ。 
posted by 中嶋 廣 at 00:18Comment(0)日記