理知的な近親相姦譚――『軽薄』(3)

女主人公は甥といるときも冷静である。

「本当はずっと一緒に居たいんだ。彼がそう言って力を込める両腕の中で、ずっと一緒に居ても何一つ良い事なんてないのにと私は思っていた。」
 
なんかもう、さっぱりワヤですなあ。恋に夢中という一時期を除けば、女が男といても、あるいは男が女といても、取り立てていいことは、そんなにない。
 
熱病のような時期を過ぎて、いいことがそんなになくなってからも、ずっと一緒に居たいかどうか。これが、その人を伴侶にしうるかどうかの境目である。
 
仕事についても、「カナ」は、自覚的で明晰な考えを持っている。

「別に私は仕事をしてないと生きていけないというタイプの人間ではない。でも、ワーカホリックの人の気持ちが今は分かる。仕事というのは麻薬のようなものだ。充実感と達成感と金をもたらし、すればするほど人から賞賛される麻薬なんて、ハマらないわけがない。」
 
これもたぶん、日本人に特有のことかと思うが、こういう心根の人たちは大勢いると思う。だから日本の社会からは、残業が無くならないわけだ。
 
次は女優のプロデュースした店のオープニングパーティの前夜、「カナ」は行きたくなくて、考え込んでいる。

「どっと肩が重くなった。私は、この業界には向いていないのかもしれない。これまで何度も思ってきた。でもよく考えてみれば、私はそもそもこの世界に生きながら、人にしても場所にしても学校や仕事にしても、何に対してもしっくりきた事がない。つまり私は、この世界に向いていないのかもしれない。」
 
こういうところを読むと、「カナ」の向こうに、金原ひとみが透けて見える。

「カナ」は最後に、自分に対して本当のことを悟る。私は「全ての人に対して等しく、本質的な部分で向き合わないようにして生きてきた」のである。

「カナ」はこれから離婚して、全てのことに本質的な面で向き合って生きるだろう。その過程が、どんな修羅場を生むかはわからない。それについては、また別の物語が必要になるだろう。
 
最後に「カナ」は、自宅マンションの近くで、「弘斗」の父親に会う。この父親はすべてを知っており、「カナ」は冷静に詳細を話す。
 
父親も冷静で、この人はちょっとスーパーマン、でも感じの悪い人ではない。

そして別れて、自宅に帰るのだが、その途中――。

「一歩一歩足を進める。タクシーに乗ろうかなと思って、いや、徒歩十分だぞと思い直す。でもなかなか近づかない高層マンションを見上げて歩きながら、自分の歩幅の小ささを思い知る。人は一歩ずつしか歩けない。無力感は抱くが、絶望するほどの事ではない。」
 
これは良い文章で、救いを感じる場面だ。

(『軽薄』金原ひとみ、新潮文庫、2018年9月1日初刷)
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理知的な近親相姦譚――『軽薄』(2)

「カナ」と「弘斗」の性的な場面も、臨場感がある。

「右手の真ん中に唾液を垂らし、そこで亀頭を包み込むと、手首を捻って手のひらを滑らせる。彼は大きく息を吸い込んで息を止め、ゆっくりと息を吐き出していく。左手をクリトリスから離し彼の太ももに触れる。口だけで性器を咥えると、彼は僅かに声を上げて私を押しとどめガラス窓に押し付けた。その場に膝をつき、彼は私の両足を持ち上げ舐め始める。ずっとこういう気持ちのいい事をしていられたらいいのにと思う。」
 
本当に、ずっとこういう気持ちのいいことを、していられればいいのに、でも、「気持ちいい」ことは、たいしたことはない。そこからさらに、ギアを上げる。

「彼がクリトリスにキスをする。舐め上げ、軽く歯を立てる。声を上げる私に彼が視線を上げ、また舌で舐め上げる。痛みに近い快感が走り、足の付け根が引きつっていた。入れてと言うと、彼はゴムをつけ、後ろから挿入した。激しく声が上がるのを止められない。窓に手をついて下を向いている私を抱きかかえるように起こし、左手の指を口に二本入れ、右手はクリトリスを探り当てた。膣が何度も痙攣した。」
 
これも内容は強烈だが、端正な文章だ。
 
話は逸れるが、一人称の女性の文章で、先のようなことを書くのは、どういうものなのか。主人公が、こんなに冷静に文章にできるなら、性行為に没入していないのではないか、という疑問が湧いてくる。
 
これはこの本だけではなくて、女性が一人称の文体で性行為を書くと、いつも私はそういうところに、微かな疑問を感じてしまう。
 
それはそれとして、甥との近親相姦をしても、「カナ」の世界は壊れない。

「弘斗とのセックスは気持ち良い。でも、それは世界を揺るがすようなものではない。私は、甥と不倫しても壊れない世界に苛立っているのかもしれない。そんな事をしたら世界が変わると思っていたのかもしれない。でも世界は壊れなかった。」
 
では世界が変わるとは、どうすればいいのか。ここで「カナ」は、また考えるのであるが、なかなか出口は見つからない。その間にも脳みそは、溶けて流れていきそうだ。
 
次は姉夫婦が「弘斗」も入れて、「カナ」の家でバースデー・パーティーを開くところ。どちらも親子3人である。

「ここにいるのは二つの家族。両親に息子という家族が二つ。男が四人に女が二人。四十代が三人、三十代が一人、十代が一人、一桁代が一人。どう括っても、私はこの集まりに歪さを感じた。これまで皆で集まった時には感じていなかった歪さの原因は、私がこの中の二人の男とセックスをした事があり、一人を膣から生み出したという、そして姉と私は同じ膣を通って生まれてきたという、そういう下半身の関係性によるものだろうか。」
 
きわどいことを書きながら、しかしそこには、そこはかとない可笑しさが溢れている。背徳的なことを含んでいながら、ついつい小さく笑ってしまう。
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理知的な近親相姦譚――『軽薄』(1)

ときどき無性に、金原ひとみが読みたくなる。この人の文章は、いつも安定している。内容こそ過激で、ぎりぎりの事を書いているときも、その文体は実に安定している。
 
この作品は、女性の一人称で進行して行く。カバー袖に、金原ひとみのポートレートが載っているので、ついこの文体が、私小説であるかのように思えてしまう。
 
主人公の「カナ」は18歳のとき、情のもつれから、恋人に刺されるが、一命をとりとめ、別れてイギリスに行く。そこでスタイリストとして仕事をし、夫と息子を得る。
 
日本に帰ってくると、アメリカから姉一家が帰国し、「カナ」は甥の「弘斗」と再会する。

29歳の「カナ」は、19歳の「弘斗」に激しい愛情を寄せられ、ついに性交をしてしまう。話は近親相姦なのだが、感情のどろっとしたもつれはない。
 
話の筋はそういうことだが、文章は筋以外のもろもろの事柄があって、私はそちらの方にも惹かれる。
 
たとえば、イギリスから日本に帰ってきたばかりのとき――。

「ここにいても喜びがない。私はその言葉を喉の奥に留めた。ゆとり、気楽さ、余裕、いや、何だろう、言葉ではうまく言えないけれど、日本に戻って以来私はあるものを喪失したような気がしている。日本に戻って得たものもたくさんある。でも、その喪失した何かが、自分の中で存在感を増していっている気もするのだ。」
 
最初に指摘された、何だか解らない喪失感、それが徐々に大きくなり、最後に明確な形をとって、終わりを迎える。
 
その間の事柄が、この小説の中身だが、その過程は徹底的に理詰めで、知的なものである。

「カナ」は、一度は死んだつもりでロンドンへ行ったが、言葉の壁や文化の違い、そして有色人種ということで、いわれのない差別を受けた。しかし一年を過ぎるころから、怒りや悲しみを感じなくなった。

「それから私は、どんなに不条理な目に遭おうと、どんなにひどい待遇や差別に出会おうと全く心が動かなくなり、『へえ』という一言が頭をよぎるだけになった。」
 
これならよくある、日本人のイギリス体験記なだけである。しかしこのあと、比較して日本が出てくる。

「日本では、そういう国に生きている緊張感から完璧に解放される。ここまで清潔で安全な国は世界中どこにもないだろう。今ある平和を守ろうと過剰に閉鎖的になってしまうのもある意味当然なのかもしれない。でも、温い温いお風呂の中でぼんやりしている内、脳みそが耳から溶け出していくような、そういう浸蝕系の苦しみが、日本の滞在が長くなっていくにつれてどんどん堪え難くなっていく。」
 
なるほど、私にとって日本が心地良い理由が、じつにクリアに述べられている。脳みそが溶けるというところが、なんとも情けない気もするが。
 
このあとも、考察の手は緩めない。

「この、ガス室に僅かずつガスを送り込まれるような蝕みを体感していると、日本に自殺者が多い理由が何となく分かる気がする。次第に生きる気力か蝕まれ、そろそろいいかな、とまるでお風呂から上がるかのように一人静かに死んでいく道を選択する人の気持ちが。生きる目的を、生きる目標を、少しずつ見失ってしまいそうになる。」
 
見事な比較文明批評である。こういう文章を一人称で書くから、「カナ」と金原ひとみが、重なって見えてくるのだ。
 
と同時に、すぐれた作家は、「炭鉱のカナリア」だというのも、とてもよく分かる。
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国会議員にぶちかます――『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』(2)

ここでは和田靜香の問題提起に従い、議論が展開していく。

「私にとって税と社会保障の問題、さらに住宅問題は最も困っている。それこそ不安の根本原因だ。年金も満額給付を望めない私には、ベーシックインカムとベーシックサービスの実現は『死活問題』レベルで必要だと思う。そのための増税なら受け入れる。誰もこぼれ落ちることなく支え合い、生きていくための社会保障をぜひとも作って欲しいと考える。」
 
こういう議論はもちろん議題に上げるべきだし、理想を語るのは必要なことだ。
 
しかし、今の自民党を中心とする政治を見ていると、まるで絵空事である(これはもちろん投票する側に原因がある)。
 
それでも和田靜香の巧みな筆で、すいすい読んでしまうが、この本全体としては、やはり二つのことが、問題の中心になっている。
 
一つは環境問題、もっと詳しく言えば気候変動問題。これも議論の中身に即して言えば、言いたいことはあるが、今はやめる。

もう一つは日本固有のこととして、移民の問題がある。本当は日本固有というわけではなくて、例えば韓国とか中国でも、同じことが問題になっている。ただ日本は平均寿命が突出して長いから、この問題では世界の先頭を走っている。
 
この本では、どちらもかなり丁寧に解説し、和田靜香の問いと、小川淳也の答えも、カチリと噛み合っている。
 
日本の移民問題に関しては、技能実習生を停止し、これを雇用制度に変更しないとどうしようもない。これは一刻も早く実現しないと、いずれ外国からやって来る人は、いなくなるに違いない。
 
それにしても、56歳の和田靜香さんは、この本が売れているみたいで、ほんとによかったね。かりに10万部売れたって、入ってくる印税は、たいしたことはないだろうが、それでもバイトを馘になった身としては、ホッと一息つけるだろう。
 
この本は和田さんが、いわばご本人の存在証明として、書き終えたものだから、売れてほしいと痛切に願う。
 
で、ここからは関係のない話をする。と言っても、本そのものとは関係がある。
 
僕はこれまで、3つのデイサービスに行った。そのうち2つは、今も通っている。
 
そこでは、空いた時間に本を読む人が、ほとんどいない。

その3か所では、たぶん延べ100人くらいの人を見ている。1日の定員は20人くらいだが、3、4年間の人の入れ替わりを考えると、そのくらいの数にはなっていよう。
 
いままで僕のほかに、空いた時間に本を読む人は、男の人が一人だけ。その人は文藝春秋の校閲者だった。他には一人もいない。

デイサービスではみんな時間を持て余している。しかし本は読まない。年とった日本人は、本をまったく読まないのだ。
 
だから『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』も、年寄りは、まず読まないだろう。
 
デイサービスで、全員がぼうっと虚空を見ているとき、おもわず、ここに読者候補がいるではないか、というのは間違いなんだろうねえ。でも、ついついそう思ってしまう。

(『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』
 和田靜香・取材協力、小川淳也、左右社、2021年9月5日初刷、9月10日第2刷)
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国会議員にぶちかます――『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』(1)

これは新聞広告を見たとき、ちょっと面白そうだなと思った。
 
著者のライター・和田靜香は知らないが、取材協力の小川淳也は衆議院議員で、そのあとを追ったドキュメンタリー映画、『なぜ君は総理大臣になれないのか』が評判になっていたからだ(ちなみに僕は、この映画をまだ見ていない)。
 
和田靜香は56歳、単身で都内に暮らす。音楽その他のライターが主たる仕事だが、雑誌が次々に廃刊になり、さまざまなバイト、つまりコンビニ、パン屋、スーパー、おにぎり屋、レストランなどで糊口を凌いできた。
 
ちなみにその時々の時給は、常に最低賃金!(ここを大きく)だった。
 
ところが、2年になろうとしているコロナ禍で、生活そのものが破綻する人が増え、自分もバイトを馘になった。このままでは絶望の淵に立ち尽くし、破綻していくだけだ。
 
そこで『なぜ君は総理大臣になれないのか』の記事を書いた縁で、小川淳也・衆議院議員に、暮らしにまつわる諸々の疑問を、突っ込んで聞いてみた。これはそのドキュメントである。
 
考えてみるとこの本は、小川淳也が和田靜香のインタビューに答えた限りのもので、きつい言い方をすれば、新手の選挙公報ともいえるものである。
 
ただそれに留まっていないのは、和田靜香のライターとしての腕だ。

「私の人生はとりとめがなく、いつも行き当たりばったり。先行きは見通せず不安で、どうしようどうしようとジタバタしてきた。
『ええっと、和田さん、あなたの人生のダメさや不安は、あなた自身の問題じゃないですか? いい年をして、もっと計画的にやるとか、努力されたらいかがでしょう?』
 きっと、そんな風に自己責任を問われるだろう。まったくその通りだけど、世の中そうそううまくは生きられない。〔中略〕私みたいな人があっちにもこっちにもいて、みんな不安で、息もできないよう。」
 
著者はこの位置に立つ。最底辺ではないが、下層階級の庶民だ。
 
そしてコロナ禍の周りを見渡して見る。

「街へ出れば、無料の食料配布に数百人が並び、生理用品が買えない女性に区役所が無料で配ったり、昨日まで普通に働いていた人が仕事も家も失くして路上に寝るとか、日々貧困がアップデートされている。これまでと様相が違うのは、誰もが明日は我が身になり得ること。みんながビクビクして、互いをけん制し合ってるかのよう。」
 
まったくおっしゃる通り。しかし政府は何もしない。いや、何かをしようとしているのだが、それがどこにも届かない。

「なのに、政府は260億円もかけてスカスカで飛沫が飛び散るようなマスクを送りつけてみたり。覚えていますか? お肉券だのお魚券だの迷走した末にやっと10万円を配り、私たちに寄り添うそぶりも見せないままGoToだ、オリンピックだと浮ついてきた。一体なんで、そうなるの?」
 
そこで思い切って、国会議員・小川淳也に直接体当たりで、聞いてみることにしたのだ。
posted by 中嶋 廣 at 14:19Comment(0)日記

転調の激しさ――『極東セレナーデ』(上・下)

小林信彦の小説は、20代まではずいぶん読んだ。それからふっつり読まなくなった。
 
風俗小説のきらいがあり、またその風俗、とくにテレビ番組に、小林の好き嫌いがあって、そこが面白いけれど、ぴたりとは合わなかった。

たとえば、テレビ黎明期におけるシャボン玉ホリデー、どこがそれほど面白いんだ。
 
しかし今回久しぶりに、『極東セレナーデ』を読んで、あまりの面白さに我を忘れた。
 
この小説が朝日新聞夕刊に連載されたのは、1986年1月20日から1987年1月17日まで。

主人公の「朝倉利奈」は、1964年12月生まれの20歳で、短大の英文科を出て、ポルノ雑誌でアルバイトをしている。
 
その雑誌が廃刊になると、そこからはジェットコースター張りに、夢のような仕事が舞い込み、ニューヨークに出かけ、ショービジネス関係の情報を集める。
 
いったいなぜ、そんなことになるのか。日本に帰って、種明かしをするところまでは、いかにもギョーカイ風に軽やかに流れていく。

しかしそこで、チェルノブイリ原発事故が起こる。
 
日本の原子力行政は、ここを正念場と考え、電通を先頭に広告業界とタイアップしながら、一大キャンペーンを巻き起こす。
 
小説の中では、「朝倉利奈」をポスターとパンフレットに起用し、キャッチフレーズはアイドルにふさわしく、「だって――日本の原子力発電は安全なんだもん」で行こうとする。
 
さてこの後、クライマックスで、「朝倉利奈」はどういう行動に出るのか。
 
斎藤美奈子は書いている。

「福島第一原発の事故(二〇一一年)の後、この小説を読み直した私はその先見性にあらためて舌を巻いた。」
 
がらりと転調する後半も良いのだが、前半のギョーカイ小説風のところも、陰翳があってなかなか良い。昔は感じていなかった、コクを感じる。
 
この本の最初に、文化書房のポルノ雑誌、『Cパワー』の編集長、上野直美が出てくる。と思ってたら、『Cパワー』はたちまち廃刊になる。

「『Cパワー』廃刊記念と称して、上野直美と利奈がヤケ酒を飲み始めたのは、新大久保のカフェバーで、それから、大塚、田端、三河島、北千住と飲み歩いた。〔中略〕
 上野直美があれほど歌が好きだとは知らなかった。しかも『バットマンのテーマ』などというわけのわからぬ歌をうたい、私たちはバットマンとロビンなのよ、悪と戦わなきゃ、と利奈に言った。〔中略〕
 最後のバーで『イエロー・サブマリン音頭』を何度もうたった直美は他の客たちの怒りをかって、店を追い出された。夜空の星に向かって、二人で『せーの、お星さまのばか!』と叫んだのは、はっきり覚えている。」
 
こういう編集長は、ある時代までは必ず、どこの出版社にもいた。編集者が意気盛んだったころだ。
 
こういう調子で物語は進んでいくから、チェルノブイリ原発事故が起こった後は、転調のあまりの激しさに、足元がぐらついてくるのだ。
 
これはもう、古典と呼ぶべきだろう。

(『極東セレナーデ』上・下、小林信彦、新潮文庫、
 上、1989年11月25日初刷、1992年11月15日第3刷、 下、1989年11月25日初刷)
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私も珈琲が飲みたくなる――『珈琲が呼ぶ』(2)

「小鳥さえずる春も来る」という表題は、『一杯のコーヒーから』の歌詞から取ったものだ。
 
この歌は服部良一が作曲し、藤浦洸が歌詞をつけた。調子のよい明るい歌で、懐メロだが、気楽に口ずさんできた。
 
それがそうでなくなったのは、片岡義男が発売された時を、書きつけたからだ。
 
この曲が発表されたのは1939年。国民精神総動員運動は1937年に始まっていた。
 
これはもう、日中戦争に勝ち目が無くなって、国中が狂気の世界に入りかけていた頃だ。それでもまだ、1942年のアメリカとの太平洋戦争は始まっていない。

「このような凄惨さのなかで、服部良一も藤浦洸もその日々を生きていた。戦争へと向かう国を、彼らはあらゆるかたちで感じていたはずだ。まったく反対側の世界である『一杯のコーヒーから』は、そのような歌として意図されたものだったのだろうか。明確な意図がなければ、このようにはならないはずだ、と僕は思う。」
 
気軽に口ずさんでる歌に、そういう事情があったのか。しかし世相を考えなければ、あまりに明るい歌だ。いや、そうではない。世相に反逆して、あまりに明るい歌を作ったのだ。
 
結びの一節はこうだ。

「その思いに重なるのは、この歌のレコードがよく無事に発売されたものだ、という驚きだ。『磁極柄まことに不謹慎である』というひと言によって、レコードの販売はもちろん、録音もなにもかも、当局によって禁止された可能性は充分にあった。」

『一杯のコーヒーから』という歌が、世に出てゆくまでに、どういう物語があったのか。空想は尽きない。

「辰巳ヨシヒロ、広瀬正、三島由紀夫」、という長いエッセイの中に一箇所、「僕が最初に喫茶店に入ったのは、一九五七年、十七歳の頃、下北沢のマサコだったと思う」というのがある。
 
このタイトルも、片岡義男の自伝の一片を語って興趣は尽きないのだが、今は内容には触れない。
 
それよりも「マサコ」だ。東大駒場から、井の頭線二駅で下北沢に出て、駅から歩いて五分ほどのところにマサコはあった。
 
学生時代、友だちともよく行ったが、一人でも入った。会社に入ってからは、思う女の人とも行った。それも複数の人と。
 
僕が行かなくなって、しばらくしてママのマサコは亡くなり、喫茶店の「マサコ」も店を閉じた。
 
今はまた、店で働いていた女性が、やはり下北沢の別の場所に、「マサコ」を名乗って店を出しているらしい。
 
マサコは特別な空間だった。そこに思いをやると、ママのマサコと一緒に、今はない、あの独特の雰囲気が蘇ってくる。
 
片岡義男の『珈琲が呼ぶ』は、もう一つ、写真が素晴らしい。どの写真も本文を補うだけでなく、本文と合わせて、独特の立体空間を出現させている。
 
本当はエッセイの大半をしめる、アメリカやイギリスの音楽や文学が、十全に味わえればいいのだが、僕にはそれは無理だ。
 
それでも分かった限りでいうと、とても面白かった。

(『珈琲が呼ぶ』片岡義男
 光文社、2018年1月20日初刷、2019年2月15日第7刷)
posted by 中嶋 廣 at 16:17Comment(0)日記

私も珈琲が飲みたくなる――『珈琲が呼ぶ』(1)

斎藤美奈子の『中古典のすすめ』に、片岡義男『スローなブギにしてくれ』が取り上げられている。しかも〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つ。
 
けれども内容を読むと、とても手が出そうにない。ハードボイルドのオートバイ小説、だから出てくる人物の内面は描かない、あるいは描けない。
 
しかしまったく読まないのもシャクだ。
 
というわけで、最近売れているという、珈琲をめぐるエッセイを読むことにする。
 
それにしても上手な本作りだ。
 
まずオビに唸る。

「なぜ今まで/片岡義男の/珈琲エッセイ本が/なかったのか?」
 
そうだ、なぜなんだろう、と同調したら、もう取り込まれている。
 
なぜ、なかったのか。それは必要なかったから。そう答えればいいのだが、そうはいかない。ポーズをつけて珈琲を飲むなんて、片岡義男らしいじゃないか。読んだことがなくても、ついそう思ってしまう。
 
ついでにオビ裏は「ああ、珈琲が飲みたくなる。」オビの裏表が、微妙に対になっている。こういうオビは芸である。
 
最初は「一杯のコーヒーが百円になるまで」。

コンビニの淹れたての珈琲が、今は100円であるのに対し、よく行った都心のホテルは当時、860円くらい、今なら1100円くらいにはなっただろうか。

「およそ考えられることすべてを考えて百円になったコンビニの淹れたてコーヒーと、従業員の誰もがなにひとつ考えていないコーヒーとのあいだに、千円を越える格差のあるコーヒーが、東京には存在している。」
 
面白いですね。よく考えると、「従業員の誰もがなにひとつ考えていないコーヒー」は、ちょっとおかしいのだけれど、しかし幕切れが鮮やかなので、ついなるほどと笑ってしまう。

「スマート珈琲店へいくときには、御池から寺町通りを下りていく」。(「去年の夏にもお見かけしたわね」)
 
伝説の女優謙歌手が、小さい頃に、京都のその喫茶店に、しばしば来ていたという。

「とんでもない遠い過去のなかで、僕と美空ひばりとの時空間がほんの一瞬だけ交錯する想像の場所が、その席だから。十三、四歳の美空ひばりがホットケーキを食べたのは、その席だった、と僕は信じている。」
 
これは優れたエッセイである。その最後の場面――。

「京都で撮影があるたびに、美空ひばりがお母さんとふたりでスマート珈琲店へ来て、ホットケーキを食べたのは歴史的な事実だ。それ以外の部分、つまり僕が関係してくる部分は、僕が何年もかけて想像のなかに作ったフィクションだと、重ねて書いておく。」
 
本当にこれは優れたエッセイである。そして、この水準のものが何本も並んでいる。
 
次の「ミロンガとラドリオを、ほんの数歩ではしごする」は、神保町裏通りの喫茶店、ミロンガとラドリオが、それぞれ1ページのカラー写真に収まっていて、限りなく懐かしい。
 
他にも、お茶の水の駅の並びの喫茶店「穂高」や、「画翠レモン」の2階がカフェだったという話が出てきて、これはもう懐かしいではすまない。さかのぼって、じっと考えていくと、胸の奥をかきむしられるような気がする。
posted by 中嶋 廣 at 09:11Comment(0)日記

これは名作!――『うたかた』

田辺聖子の名作、とまではいかなくとも、せめていい作品が読みたい。それで女房に推薦されたのが、これだった。

「うたかた」、良かったねえ。文句なしに名作だった。
 
街のチンピラが、正体不明の女に恋をした。あちこち連れ回すのだが、女は嬉々としてついてくる。
 
神戸を中心として、夜の街の猥雑な喧騒が、圧倒的な筆致で迫ってくる。
 
ジャン=ポール・ベルモンドが死んで、追悼で放映した『勝手にしやがれ』を思い出しちまった。あちらがパリなら、こちらは神戸だ。そしてどちらの恋も成就しない。
 
最後に女に向かって、「お前は最低だ」というのがパリ篇なら、神戸篇は「だまれ、ドすべた」と怒りに震えながら、静かに言う。
 
しかし、最後の一文はこうだ。

「人間なんてうたかたみたいなもんだ、――ただ、恋したときだけ、その思いが人間自身より、生きているようだ。」
 
この本には他に、「大阪の水」「虹」「突然の到着」「私の愛したマリリン・モンロウ」が入っている。

「大阪の水」は、東京から大阪に、長期の出張で来ている男と、深い関係を結ぶ女の話。男は結婚したいと言うが、女はそういう気にならない。
 
これを推し進めれば、ある種の自立した女の典型になったに違いない。
 
男は焦れて、別の女と結婚するという。女は、男といるときは愉しかったけれど、「結婚だけが勘定やあらへん」という。

「人間、自分にいちばんええように生きな、あかんわなア。あの人はあの人で生きたらええのやわ。」
 
いや、実に格好いいね。大阪の女とは思えない、というと差別と偏見にひっかかるかな。

「愁嘆場になるところを、すっと身をかわすそのタイミング」が、この女の素晴らしいところだ。
 
それほど綺麗でもなく、口数も少ない、地味な女、それが読み進むにつれて、輝きを増す。
 
大阪弁の女は嫌いだが、この短篇の女はよかった。

「虹」は、脚の悪い少女、つまり田辺聖子の自伝的小説。これも掛け値なしの名作である。

「わたしはごく幼いときから侮辱に敏感な、ふるえる魂をかたく抱いて大きくなったのだ。小学校へ通うようになっても、足はよくなるどころか、ますますひどくなる。」
 
率直な文章を武器に、どこまでも突き進む。

「そのころのわたしは人々の視線を、おのれの視線で防ごうとしていたのだと思う。わたしは年齢にふさわしからぬ鋭さで、ハッタと通りすがりの人々の眼をねめつけていくのだ。たち止まってふりかえる人々には、憤怒で身をふるわせるのだ。傲慢と卑屈は体臭のようにわたしのからだにしみつき、わたしは自分のよりどころを求めるためにやみくもに勉強した。」

「虹」は『文芸大阪』に、昭和32年に出た。これは田辺聖子の処女作である。これが、一番ではないかと思う。

(『うたかた』田辺聖子
 講談社文庫、1980年1月15日初刷、1989年7月20日第13刷)
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どう読めばいいのか?――『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)』

斎藤美奈子が『中古典のすすめ』に、〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つで推奨していたものだ。
 
先にも書いたように、田辺聖子とは不幸な出会いがあって、これが見直す最後のチャンスと見た。
 
しかしダメだった。
 
ある時期、共産党は、日本の知識人にとって踏み石だった。この党は戦争中も節を曲げず、信念を通したのだ。戦後、すべての価値観が崩れ去った後、ただ一つ脚光を浴びたのが日本共産党だった。

野間宏『暗い絵』、柴田翔『されど われらが日々――』から、倉橋由美子『パルタイ』まで、文学者はそのとき目の前にある、「共産党」という課題と格闘した。
 
そして1964年に、田辺聖子の『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)』が現れて、「共産党」に最後のダメ出しをした。これはなんと、芥川賞まで取ってしまった。
 
当時、女主人公は37歳、今ならバリバリのキャリアウーマンだが、この当時は完全な「オールドミス」。それがはるか年下の「党員」と恋に落ちた。
 
けれども「党員」の話す言葉がわからない。

プレハーノフって何なの? 弁証法的唯物論は、唯物論的弁証法とどう違うの? トロツキストっていいほう、わるいほう?
 
最初から予想される通り、この恋はドタバタの末に雲散霧消する。
 
これだけ読むと、きつい批判を含んだ佳編、という気がするだろう。
 
ところがこれがダメなのだ。
 
およそ女主人公を始めとして、恋人の党員、主人公と寝る羽目になる若い放送作家、そのた諸々の誰一人として、生きていないのだ。すべてが戯画化されており、余りのバカバカしさに、読み続けるのが苦痛だった。
 
これは「新潮現代文学」というシリーズの一冊で、「田辺聖子」が一人で収められている。ほかに「休暇は終った」「びっくりハウス」「ムジナ鍋」「文車日記」が収録されているが、巻頭の『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)』を読んだだけで、他は推して知るべし、読む気がしない。
 
斎藤美奈子は〈名作度〉★2つ、〈使える度〉★3つ、としたけれど正気かね。
 
と思っていたら、『うたかた』というのは、とてもよかったよ、と横から田中晶子の合いの手が入った。
 
そうだよな、こんな駄作を量産していれば、とっくに名前が消えているはずだもの、よし、それでは次に『うたかた』を読んでみよう。

(『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)・休暇は終った』、田辺聖子、
 新潮社、1979年3月10日初刷)
posted by 中嶋 廣 at 09:51Comment(0)日記