全体の目次のうち、「弘法大師の書」「鎌倉・江ノ島詣で」「盆市」の3編は、横浜、鎌倉、江ノ島が舞台である。
「美保関にて」「日御碕にて」「八重垣神社」「狐」「二つの珍しい祭日」「伯耆から隠岐へ」「幽霊とお化け」の7編は、松江、出雲、隠岐を舞台にしている。
これらは通常の紀行文とは違う。そこにはハーンの哲学的瞑想や、伝説の掘り起こしがあり、異文化としての日本および日本人との出会いと交流が、濃密に描かれている。
しかしとりあえずは、小泉節子の「思い出の記」である。
まず「ヘルン[ハーン]」が、どのように松江に迎えられたか。
「ヘルンは見る物聞く物すべて新しい事ばかりですから、一々深く興に入りまして、何でも書き留めて置くのが、楽しみでした。中学でも師範でも、生徒さんや職員方から、好かれますし、土地の新聞もヘルンの話などを掲げて賞讃しますし、土地の人々は良い教師を得たというので喜びました。『ヘルンさんはこんな辺鄙なところに来るような人でないそうな』などとなかなか評判がよかったのです。」
まずはハーン先生、絶賛である。
ハーンはこんなところに来る人ではない、と言われながら、じつは辺鄙なところほど好きだった、東京よりも、松江がよかったのである。
節子にとって、ハーンはどんな人だったか。
「ヘルンは極正直者でした。微塵も悪い心のない人でした。女よりも優しい親切なところがありました。ただ幼少の時から世の悪者どもにいじめられて泣いて参りましたから、一国者[=頑固]で感情の鋭敏な事は驚く程でした。」
節子は、そういうハーンを好きになったのだ。
この「思い出の記」には、ハーンとあちこち旅したことも書いてある。その大方は、『ばけばけ』で描いてある通りだ。
ハーンと節子はしかし、東京に来る。東京帝国大学で教えるためである。
しかしハーンは、面倒な付き合いを一切避けて、勉学・研究と執筆に勤しんでいたい。
「交際を致しませんのも、偏人のようであったのも、皆美しいとか面白いとかいう事を余り大切に致し過ぎる程に好みますからでした。このために、独りで泣いたり怒ったり喜んだりして全く気ちがいのようにも時々見えたのです。ただこんな想像の世界に住んで書くのが何よりの楽しみでした。」
本当に理想の著者である。
しかし日常を共にする夫婦にとっては、絶えず緊張が漲る。次は、夫婦がどんな会話をしていたか、という点でも興味深い資料だ。
「あなた、自分の部屋の中で、ただ読むと書くばかりです。少し外に自分の好きな遊びして下さい」
「私の好きの遊び、あなたよく知る。ただ思う、と書くとです。書く仕事あれば、私疲れない、と喜ぶです。書く時、皆心配忘れるですから、私に話し下され」
「私、皆話しました。もう話持ちません」
「ですから外に参り、よき物見る、と聞く、と帰るの時、少し私に話し下され。ただ家に本読むばかり、いけません」
よくこれで意思の疎通ができたものだ。あるいはこれでなければ、通じなかったのか。
日常茶飯はこんな具合だ。
「その書くものは、非常な熱心で進みまして、少しでも、その苦心を乱すような事がありますと、当人は大層な苦痛を感じますので、常々戸の明けたてから、廊下の足音や、子供の騒ぎなど、一切ヘルンの耳に入れぬようにと心配致しました。」
素晴らしい。節子は著者にとって、まずは理想の女房である。
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