下向きの視線――『新編 日本の面影 Ⅱ』(ラフカディオ・ハーン、池田雅之・訳)(1)

ラフカディオ・ハーンの『新編 日本の面影』が面白かったので、『Ⅱ』も読むことにした。
 
初めに「訳者あとがき 古き良き日本への旅」から、『Ⅱ』の翻訳成立の事情を書いておく。
 
『新編 日本の面影』は、訳者の予想をはるかに超える注文があった。現在までのところ、2000年に初刷が出て、2025年には第55刷が出ている。この25年間に毎年平均2刷である。信じられない。
 
出版社からは、すぐに続編を依頼されたのだが、『Ⅱ』の刊行は2015年、なんと15年もかかってしまった。
 
その間に担当編集者は3人も変わってしまい、大変申し訳ないことをした、と訳者は述べるが、本当のところは、そうでもないような気がする。
 
私の見るところ、最初の『新編 日本の面影』は、ラフカディオ・ハーンのエッセンスを凝縮し尽くしたので、『Ⅱ』を考えるとき、構想のしようがなかったのだと思う。
 
気を取り直して、別の角度から光を当ててよいと思われるまでに、15年もかかってしまったのだ。
 
まず最初に目次を挙げておく。

  弘法大師の書
  鎌倉・江ノ島詣で
  盆市
  美保関にて
  日御碕[ひのみさき]にて
  八重垣神社
  狐
  二つの珍しい祭日
  伯耆から隠岐へ
  幽霊とお化け
    思い出の記  小泉節子
    ラフカディオ・ハーン略年譜
    訳者あとがき

ここでは何といっても、小泉節子の「思い出の記」が注目されよう。
 
訳者も「この作品は、ハーンの案内書として最も感動的なものである。今日でも、ハーン入門はこの著作からはじまるといってよい」と述べる。
 
ところがオビ表には、そんなことは書いてない。これはあくまでもラフカディオ・ハーンの著書であり、小泉節子の「思い出の記」はその参考資料である、という構えを崩していない。

編集者はオビ表に、「思い出の記」を入れたかったに違いない。ずいぶん説得したはずである。しかしかなわなかった。

訳者の池田雅之、ただものではない。

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