「ある見習い掃除人の手引書」は、アイルランドのダブリンで、「あたし」が掃除人として働いたときの話だ。
この短篇の題は、ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引き書』から取られている。そう思うと、思わずニヤリとする。
そのころ「あたし」は、自称「詩人」と付き合っていた。とは言っても風来坊の詩人なので、どこで暮らしているかわからない。ときどき無一文になって、至急小切手を送れ、という手紙が届くばかりだった。
そのころ、80年代のアイルランドは、驚くほど貧乏くさかった。
「日本から来たあたしには、『いつの時代なんだよ』と思えるような光景をたくさん見た。そもそも、ここに住むようになってまずびっくりしたのは、ストリートがゴミだらけで、うっかり何かを踏んだり、知らぬ間にぐじょっと濡れていたりして、歩いているだけで靴が汚れることだ。」
ダブリンでは、仕事をしている若者でも、トイレ・シャワー付きの部屋に住んでいる人は、「ブルジョワ」ということだった。
「六〇年代とか七〇年代とかのフォークソングの時代みたいだと思った。恋人が出てくるのを銭湯の前で待っている『神田川』みたいな歌が流行した時代の話ならわかるが、日本の若者に比べてずいぶんとアイルランドの若者は生活水準が低い気がした。」
シャワーも共同だからあまり使わないし、コインランドリー代を節約するために、あまり洗濯もしない。
夕食のサンドウィッチは、薄い食パンにマーガリンを塗って、ポテトチップスを挟んで食べたりしていた。こうすると腹持ちがいい、とのことだった。
まあ、ちょっとビックリですね。かの小説家がダブリンの街を彷徨したのは、腹にたまるものを探し求めていたのか、と思わず見当はずれのことを思いつく。
なにしろ八〇年代の最後の年になっても、アイルランドの若者たちは、電話を持たないのが普通だった。
「あたし」は、英国でも、日本に比べて遅れているな、と思ったことはあったが、アイルランドについては、「プリミティヴ(原始的)」という言葉が、ぴったりだと思った。
そんな中で、「掃除人」の仕事にありつけたのだ。
やっぱり階級差はひどくて、そこは豪壮な邸宅が建ち並ぶ地区だった。
「幅の広い石の階段を上って玄関に辿り着くと、真っ黒な大きなドアの両側に丸くカットされた小さな木の鉢が置かれていて、ドアの上にはアーチ形のガラス窓が埋め込まれていた。ガラスからホールのシャンデリアが透けて見える。」
そういうところだった。
「あたし」の雇い主は、この三階立て邸宅を持っているミセス・マクギネスで、この人も詩人だった。最初にこの人から、掃除をするにあたっての手引書をもらった。それは掃除の仕方が、ものすごく細かく書かれたものだった。
この辺は「注文の多い料理店」を、ちょっと思い起こさせて、シュールな感じがする。
実際に掃除を始めてみると、同居している姪の部屋で、使用済みのコンドームやコカインを見つけたりして、それでも「掃除人の手引書」には、それは元通りにしておけ、とあった。
「あたし」はそのうちに、こういうものはミセス・マクギネスが、わざと見つけるように置いたのだ、と気が付く。
「詩人は、人を言葉で弄び、弄ばれた人間の反応を観察している。そして、相手が思ったような反応を示さないと、深く、恨みがましく傷ついて、痛みに満ちた言葉なんかを紡いでまた詩を書きやがるのだ。」
で、ここも馘になる。
これは、主従関係でいえばシット・ジョブだが、不思議な経験をした掃除人の話、と言えば言えるもので、大変に面白い。
僕はそれよりも、ブレイディみかこが、日本よりも遅れていると、はっきり自覚される英国やアイルランドに、なぜ修猷館高校を出てすぐに留学、というよりも流れてきたのか、そこを知りたいと思った。
この本のタイトルは『私労働小説』というが、自伝ではないという。自伝であるためには、家族を振り切って英国に逃れた、その経緯を書かなくてはいけないのだろう。
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