初めてブリジット・バルドーに逢ったとき、ロジェ・ヴァディムはどんな印象を受けたか。
「ブリジッドに会ったとき私が注意を惹かれたのはバレエで言う『姿勢』、彼女の身ごなしだった。反った上体。堂々とした首の構え。そして彼女がものを見るときの見方。眺めはしても見ることのできない人間は多い。」
最後の一文に思わず唸る。ブリジット・バルドーの稀有な視線、それを見逃さないロジェ・ヴァディム。
とはいえ女は15、男は19で逢って、結婚を約束するのは珍しい。その約束を3年間、持ち続けるのはもっと珍しい。
そのころ、サン=ジェルマン=デ=プレに出没していたヴァディムは、有名無名とり混ぜて、どんな人間と付き合っていたか。
「ジャン・コクトー、ジャック・プレヴェール、ボリス・ヴィアン、ジャン・ジュネがいた。さらにコレット、エディット・ピアフ、モーリス・シュヴァリエ、サルトル、カミュ、アンドレ・ジッド、サルヴァドール・ダリ、舞台や映画のスターたちを、私は知っていた。」
サン=ジェルマン=デ=プレは、パリの中の特異な村だった。それにしても、圧倒される面々だ。もちろん大方は、まだ無名だったろうが。
そこでは次々に新しい風景、風俗が生まれた。
「界隈に新しいスタイルを与え、地下クラブを発案したのは、クリスティアン・マルカンやミシェル・ドゥ・レや私といった若者たち、ジュリエット・グレコやアナベルといった娘たちだった」。
その指す人名を見れば、「若者たち」や「娘たち」といった言葉が、読み手の胸に染み入る。本当に今は昔だったのだ。
ヴァディムは言う。
「『ディスコテック(ディスコ)』という言葉を作ったのは私だった。あるジャーナリストが我々に『実存主義者』という名前をつけた。〔中略〕
ジャン=ポール・サルトルの哲学に基づいた政治的なあるいは知的な姿勢というよりは、一つの生活形式であり無政府状態の一つの温和な形態であった。」
そう言えば、黒づくめで歌うジュリエット・グレコは、「実存主義の女王(またはミューズ)」と呼ばれたりした。
ロジェ・ヴァディムとブリジット・バルドーは10代で、この一時期のサン=ジェルマン=デ=プレに出没したのだ。
バルドーとの3度目のセックスのとき、彼女が聞くので、ヴァディムは、これで100パーセント女になった、と言った。
「ブリジットは両手を打ち合わせて窓のところへ飛んでいって、窓を開け放った。『わたしは、一人前の女なんだわ!』通りを歩いている人々に向かって彼女はこう叫び、人々はこちらを見上げてぽかんとしていた。
興奮したあまりに彼女はある小さなことを忘れていたのだ。ブリジットは素裸だった。」
僕は思わず『伊豆の踊子』の1シーン、踊り子が湯浴みから上がって、主人公の学生に素裸のまま手を振るところを思い出した。
しかし後年、バルドーは悩むことになる。
「同時に複数の男の愛人であることをブリジットはいつも悩んだ。体と気持の動きに従いながら貞淑であるという矛盾を、ブリジットはどうしても克服できなかった。」
これはできなくて当たり前、できる人がいたら会わせてほしい。ヴァディムなら、克服できたのか。
しかし次の指摘は大事だ。
15歳のブリジット・バルドーは、映画を通じて、同時代の人々に大きな衝撃をもたらすことになる。
「神のお告げとか魔法の鏡でそのことを知らされていたならきっと彼女は震えあがって、女優になろうとはしなかったと思う。」
ヴァディムはそういう眼を持っていたから、バルドーは離婚しても、彼が死ぬまで親密にしたのだと思う。
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント