優雅な書簡集――『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』(外岡秀俊)(2)

あとは順番に読めばいいのだが、どの章も簡単に要約するのは難しい。
 
例えば第2章「情事の終り」。

これは米国のブッシュ政権が、力によるイラク戦争を目指すのに対し、英国のブレア首相は、あくまでも多国籍軍を組織し、外交の力で押していこうとする。
 
結果は、外交の力ではなく、米国の武力が、戦争の開始を告げた。

「二つの世界を隔てる深淵に言葉は呑まれ、戦争が始まりました。G・グリーンの『情事の終り』で、主人公が最後に『神』を発見するように、私たちは『修辞の終り』に、『神』の意志を体現する確信に満ちた人々を見るのかもしれません。」
 
この結び、「『神』の意志を体現する確信に満ちた人々」が、何を指すのかがわからない。
 
そもそも私が、『情事の終り』を読んでいないことが悪いのだが、それにしてもあまりにぶっきらぼう、愛想なしとは思わないだろうか。
 
しょうがない、『情事の終り』を読んでから、この章をもう一度読んでみよう。
 
こういう、意味を取りにくい章が、いくつが続いていく。
 
しかし例えば第9章「血の婚礼」の後半、ベンヤミンを引くところは、ただただ唸らせる。

ベンヤミンは、「より明るい時代が未来に開けるという進歩史観が挫折し、歴史に内在する法則が勝利をもたらすという共産主義のイデオロギーが破綻した時代」に、何を、どう考えるか。

「ベンヤミンはそこに、『敗者の消滅と勝者の生き残り』には還元できない過去を読みとります。つねに失敗と挫折の累積であれ、過去は正邪や適者生存の物差しでは測れない人々の営みの総体であり、私たちはそこから今のようなあり方ではない現在の可能性を、さらには今は想像もつかない未来への構想力を汲み出すことができるのかもしれません。」
 
いや、参った。日々日常の出来事を、情報というかたちで裁断している新聞記者が、ここまで深いところを考えているとは。本当に参りました。
 
この末尾の段落はこうだ。

「イラク戦争は、取り返すことのできない過去です。しかし、取り返しがきかない一点をもって既成事実を正当化するのは精神の怠慢でしょう。遠い歴史の一章となったスペイン内乱を現在の肉体に置き換え続けるガデス、厚い忘却の岩盤からロルカの最後の日々を発掘しようとする人々に、そう教えられます。」

表題に取られた『血の婚礼』は、スペインの劇作家、ガルシア・ロルカの代表的悲劇だが、スペイン内戦のとき射殺されたロルカの墓地は、いまだに不明なのである。「厚い忘却の岩盤からロルカの最後の日々を発掘しようとする人々」が教えるものがある、と著者は言う。
 
この章もしかし、一筋縄ではいかない。省略が効きすぎて、何度か読み返さないと、すんなりとは分からないのである。

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