『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋)について書いていたら、元みすず書房の尾方邦雄氏から、それに関する資料をいただいた。
『外岡秀俊という……』に登場する「みすずのOさん」は、尾方邦雄さんである。手紙やメールでやり取りしたのだが、その中で私は、外岡秀俊の書くものを読んだことがない、というと、さっそく1冊送ってくれた。
それが『傍観者からの手紙―FROM LONDON 2003-2005―』で、これはみすず書房の編集者、守田省吾氏に宛てて書かれた書簡集だ。
尾方さんは雑誌『みすず』を編集していたので、90年代から外岡秀俊とは縁があったという。『傍観者からの手紙』は守田省吾氏が編集を担当し、尾方さんが装幀を担当した。
みすずの本であるから、カバー裏に内容の説明が入っている。
「2003年3月,イラク戦争前夜,朝日新聞ヨーロッパ総局長としてロンドンにデスクを構えていた著者から,一通の手紙の形式で原稿が送られてきた.〔中略〕
以来,2005年7月のロンドン同時多発テロ事件まで55通.歴史や文学作品というフィルターを通しながら,現場の取材と困難な時局の分析を記した本書は,ひとつの時代のかたちを定着させようとする試みでもある.」
なるほど、そういうことか。そうすると、ある時代を定着させるためには、取材しながら全体としては少し引く、自身をそういう立ち位置におかなければならない。
でも、そんなこと、可能なのか?
そこで一つの工夫としては、足場を歴史・文学作品に求め、また文体も、よくある新聞記者のノンフイクションものとは、まったく違うものにならざるを得ないだろう。
これはたぶん、外岡秀俊にとっては有難いことだったろう。朝日新聞で書くときには、中学生から読めるように、という縛りが掛かっていたのだから。
東大在学中に「北帰行」で、河出の「文藝賞」を受賞した外岡としては、足枷が外れたような開放感だったのではないか。
本文を読んでいこう。第1章は「予告された殺人の記録」、章のタイトルは一重カギだが、本文で作品を指す場合には、二重カギになっている。
これはガルシア=マルケスの小説ではなくて、それを原作とする映画を、外岡は思い浮かべている。
「町のすべての人が、主人公が終末に殺されることを知りながら、何もしない、できない。市民は、衆目の前で行われる殺人の共犯者になります。あるいは、聖なる供犠に不承不承加わり、最後には熱狂の中で陶酔を味わう無辜の民のように、歯車のように冷徹に刻まれる時の流れが、私たちを支配しているかのようです。」
対イラク戦争を、ロンドンにあってこのように描写しても、日本の読者には、というか私にはかなり難しい。
もちろんロンドンで百数十万人の、空前の反戦デモが起きたことは、当然記されている。しかしそれでもなお、こういうふうに文学作品になぞらえることは、日本人にとって分かりにくいのではないか。
この章の末尾に、大事なことが書いてある。
「若い頃オルテガ・イ・ガセーの『傍観者』を愛読しました。当事者にならないことを批評の基準とし、戒めともした碩学を慕って、由なし事を手紙でご報告したいと思います。」
なるほど、そういう意味だったのか。
しかしもしそうだとすると、この本のタイトルは『「傍観者」からの手紙』としなければいけないのではないか。ただ『傍観者からの手紙』としたのでは、たんなる「傍観者」だと思い、手に取られなくなる恐れがある。私が、この時まで手に取らなかったのは、そういう理由からだ。
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