ただただ、びっくり――『イニシャルはBB―ブリジット・バルドー自伝―』(ブリジット・バルドー、渡辺隆司・訳)(6)

ブリジット・バルドーは、人の好き嫌いもはっきりしている。社交界の人々や、いわゆるスノッブたちとの、虚飾に満ちたつきあいよりも、シンプルな人と一緒にいる方を好む。
 
自然と都市との比較でも、実にはっきりしている。

「自然と私との間の距離が広がれば広がるほど、私は居心地が悪くなる。だから私は、都市や、ビルディングや、コンクリート、高い天井や、何階もある家、大きな部屋や、エレベーター、プラスチック、それに電気製品が嫌いなのだ。」
 
つまり脳化社会が嫌いだ。ほとんど養老先生である。
 
バルドーが女優を捨てて、動物愛護に身を転じるのは、ここから緩やかな線を描いてはいるが、しかし一直線である。
 
その前にただ一度、マリリン・モンロ―に会ったときのことを書いておこう。
 
それはイギリス王室のパーティで、エリザベス女王に拝謁したときのことだ。

「私は化粧室〔レイディズ〕で彼女といっしょになった。〔中略〕彼女は鏡に映った自分の姿を眺め、左を向いて微笑み、右を見て微笑した。シャネルの五番の香りがした。私はうっとりして、彼女を眺め、讃嘆していた。」
 
こういうときバルドーは、自分が有名な女優であることを忘れている。相手に対抗心を持ったり、嫉妬に駆られたりすることはない。そこは非常に素直なのだ。

「マリリン・モンロ―と会ったのは、これが最初で最後である。しかし、彼女はわずか三十秒間で私を魅惑してしまった。彼女からは優雅なもろさと、いたずら娘の甘さが発散していた。私は決してこのことを忘れないだろう。」
 
何年か後にモンローが自殺したとき、バルドーは親しい人に去られたようで、苦しみで胸が締めつけられた。このことも、バルドーが女優という職業を、見直す契機になった。
 
1957年の『殿方ご免遊ばせ』(監督・ミシェル・ボアロン、共演・シャルル・ボワイエ、アンリ・ヴィダル)は、ユーモアと機知にあふれたコメディで、大当たりした。

「あまり数多くない私が自慢できる作品の一つである。この成功に刺激されて、私は映画俳優という仕事をもうすこしつづける気になった。」
 
この辺はバルドー自身も、女優という仕事に迷い、揺れている。
 
続いて同じく、1957年の『月夜の宝石』(監督・ロジェ・ヴァディム、共演・アリダ・ヴァリ、スティーヴン・ボイド)は、スペインで、3カ月から4カ月も撮影しなければならなかった。
 
そしてこのとき、ジャン=ルイ・トランティニャンと別れることになる。

「彼の視線が私のそれとからまり、私たちの涙は混じりあった。まったくどうでもいいと思っているつまらない映画のために、最愛の人と別れるなんて、なんと馬鹿げたことだろう。しかし、私は契約書の最後に『以上のごとく相違ありません』として署名していたのだ。」
 
注目すべきは、「まったくどうでもいいと思っているつまらない映画」というところ。共演はアリダ・ヴァリ(『第三の男』)、スティーヴン・ボイド(『真夜中のカーボーイ』)、監督はロジェ・ヴァディム(『素直な悪女』)なのだ。
 
それでもバルドーにとっては、最愛の男と別れることに比べれば、「まったくどうでもいいと思っているつまらない映画」なのである。
 
バルドーは自分が主役をやる映画であっても、常に客観的に映画を評価している。これ以降、彼女の絶賛に値するのは、『真実』(1960年、監督・アンリ=ジョルジュ・クルーゾー)と、『ラムの大通り』(1970年、監督・ロベール・アンリコ、共演・リノ・ヴァンチュラ)くらいのものだ。
 
もっともジャン=リュック・ゴダールの『軽蔑』などは、良い悪いの判断はしていない。
 
いずれにしてもブリジット・バルドーは、自分が女優であると思ったことは、一度もない。この本の何カ所かに、はっきりそう書いている。

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