ただただ、びっくり――『イニシャルはBB―ブリジット・バルドー自伝―』(ブリジット・バルドー、渡辺隆司・訳)(5)

『素直な悪女』(1956年)はブリジット・バルドーの、決定的な転換点となった映画である。
 
そして私生活においても、相手役のジャン=ルイ・トランティニャンと、燃え上がるような恋をする。
 
その時までに、ロジェ・ヴァディムとの間は、兄と妹のようになっていた。だから親愛の情は強く持っていたが、恋人ではなくなっていた。
 
ふつう夫婦は、一般にそういう変化をたどって、お互いに肉親であるという、成熟した関係を作ってゆくものだ。しかしバルドーには、そういう機会はなかった。

「私はジャン=ルイに対してすべてを燃やしつくすような熱情を感じていたのである。内気で、地味だが、まじめで、注意深く、穏やかで、力強く、深みがある彼は、私とはまったく違っており、私よりはるかに優れていた。
 私はまっしぐらに彼の目の中、生活の中に飛び込んでいった。」
 
ブリジット・バルドーの恋は、いつもこの型を取る。相手に、尊敬できる点を認めるのだ。大して尊敬できない場合には、比較的早くに情熱が覚める。
 
しかしとにかく、誰かそういう人が近くにいないと、自分を支えることはできないのだ。バルドーはそれを、小さいとき母に愛されなかったため、としている。

しかしこのときから、映画界を引退するまで、絶えず記者やカメラマンに追いかけられ続けることを思えば、誰か心の通じ合った人と一緒にいなければ、耐えることはできなかったろう。
 
それよりも、バルドーがジャン=ルイ・トランティニャンと片時も離れないのを、監督のロジェ・ヴァディムは、どんなつもりで見ていたのか。

「ヴァディムにとって、私たちにラブシーンの演技指導するのはつらいことだったろう。〔中略〕みんなは自分たちの眼前で展開しているこの小事件について、からかい、非難し、嘲笑し、こそこそ噂していた。」
 
つまりヴァディムは、「寝取られ男」なのである。そういう中で、ブリジット・バルドー主演の映画を撮り切るのは、並の人間にできることではない。
 
バルドーは翌年、ロジェ・ヴァディムと離婚した。ジャン=ルイ・トランティニャンも、結婚していたのだが離婚した。2人は真剣だったのだ。

映画の『素直な悪女』は、『カイエ・デュ・シネマ』のフランソワ・トリュフォーを筆頭に、酷評された。

「テーマの安易さ、俳優の選択が批判された。〔中略〕私は容赦なくこき下ろされた。話し方は間延びし、発音も不明瞭というわけだ。ポール・ルブーはもっとあからさまで、私の容姿はまるで若い女中そのままで品がなく、話し方は無学な者特有の愚かさを示していると言っていた。」
 
バルドーは、自分のことについても、これだけ冷静に書けるのだ。自分は本物の女優ではない、という自覚があってのことと思うが、それにしても素晴らしい女性だ。
 
もっともヴァディム監督は酷評を聞いて、頭を搔きむしるほど絶望していた。

「もはや外国でヒットすることを願うしかなかった。『予言者、郷里にいれられず』である。」
 
思わず、ブリジット、うまい、と声が出る。
 
そしてある日、アメリカで、『素直な悪女』が途方もないほどヒットしている、という知らせが入ってくる。

「批評家たちは口をそろえて絶賛し、私は突如として大西洋の向こうでもっとも有名なフランス女となった。
 映画は何十万ドルものお金をもたらし〔中略〕、ヴァディムはここ十年間で最高の映画監督とみなされ、私は一夜にして『ナンバーワン・スター』『フランスのセクシーなお転婆娘〔フレンチ・セックス・キトン〕』等々となっていた。」
 
アメリカで大ヒットということは、世界中で大ヒットする、ということである。
 
しかしブリジット・バルドーは、なおも自分を見つめることをやめない。

「こうした大騒ぎには奇妙な気分にさせられた。信じられないほど素晴らしかったが、同時に、恐ろしくもあった。それは予期せぬおとぎ話であり、気分も体調もよくするが、怖くもさせ、心臓を締めつけた。危険で魅惑的な渦巻きのはじまりだったのである。」
 
バルドーは、驚くほど冷静だった。

「そうした現象がすべてうわべだけで、脆弱な、運次第の、そして何よりもばかばかしいものだと熟知していたからである。」
 
一度本当に、会ってみたい。

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