ただただ、びっくり――『イニシャルはBB―ブリジット・バルドー自伝―』(ブリジット・バルドー、渡辺隆司・訳)(4)

結婚前、ブリジット・バルドーは、ロジェ・ヴァディムの子を妊娠した。

調子が悪いのを心配したママンは、「偉いお医者さま」に診断をお願いした。医者は、ウイルス性黄疸だから、安静にしておくようにと言った。

「このときから、私は医学を信用しなくなった。」
 
バルドーは両親をごまかし、ヴァディムと一緒にスイスに行き、「テーブルの片隅の上で」中絶した。それは大変だった。

「私はちゃんとした手当をしてもらえず、もう少しで死ぬところだったのである。
 私はこの不幸な経験から、妊娠と出産が異常に恐ろしくなってしまった。それで私はずっとそれを拒みつづけてきたし、天からの懲罰であるとも見なしてきたのである。」
 
あらゆる動物に対して、溢れんばかりの愛情を注ぎこむバルドーが、自分の身体で命を育てるのは絶対に嫌だ、それは懲罰であるという。大変な矛盾だが、バルドーはそう考えてはいない。この辺は、直接会って聞いてみたいところだ。
 
ブリジット・バルドーは18歳で、ロジェ・ヴァディムと結婚した。ヴァディムはロシア正教徒だったのだが、週2回、公教要理の授業を受け、カトリック教徒として教会の結婚式に出た。

「後になって私たちは世界じゅうの人々の目に悪徳、エロチシズム、そして善良な人々の気苦労の種を代表していると思われることになったが、教会の椅子におとなしくすわっていたあのときの私たちの姿を思い起こすと、今なお不当だという気がしてならない。」
 
たしかに微笑ましいが、その後のことを考えると、ちょっと無理であろう。
 
そのころバルドーは、映画に出るようになっていた。そしてあるとき、ルネ・クレール監督の『夜の騎士道』に、端役で出ることになった。主演はジェラール・フィリップとミシェル・モルガンである。
 
ルネ・クレールは親切で品があり、バルドーを優しく、かつ厳しく指導した。
 
ミシェル・モルガンは、眺めるだけで、話しかけることもできなかった。バルドーは彼女を前にすると、気後れしてしまった。

「ジェラール・フィリップのほうは、まったく神話の中の人物だった。彼に質問されると、髪の毛の付け根まで真っ赤になった。動揺したり、臆病になったり、狼狽したりすると、私はいつも真っ赤になった。」
 
バルドーはずっと後になっても、有名人が相手だと、たちまち真っ赤になった。自分が有名な女優であることを、忘れてしまうのだ。その位置になじめないのだ。
 
そしてこのとき、一つの教訓を得る。

「〔『夜の騎士道』の〕役はそれほど大したものではなかったが、いい映画で端役を演ずるほうが、悪い映画で主役をやるよりずっといい。」
 
このことを、例えば日本では、何人の役者が自信をもって言えるだろうか。
 
1956年、バルドーはルポルタージュのために、ピカソと会うことになった。

「ああ神様。なんという人、なんという人物だろう。そこにはもうスターの卵など姿も形もなく、半分神様のような男性の前でただただ驚嘆しているばかりの若い女がいただけである。私はふたたび臆病になり、真っ赤になっていた。〔中略〕彼はシンプルで、知的で、すこしばかり無頓着で、そしてすてきに愛らしかった。」
 
この感想だけで、写真入りルポルタージュは、成功したことが分かる。
 
もっともブリジット・バルドーは、「私のポートレートを描いてください」と頼みたいと思ったが、それを言い出す勇気はなかったらしい。

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