文学は進歩している、か?――『出世と恋愛―近代文学で読む男と女―』(斎藤美奈子)(3)

細井和喜蔵については、まだ書いておくことがある。そうでないと、僕が是非読んでみたいといった理由が明らかではない。

『奴隷』の最後で、絶望した「三好江治」は自殺を図るが、かろうじて生き延びる。
 
続編の『工場』では、彼は20歳になっている。そして2年後に「林菊枝」に会うのである。

「菊枝は切々と訴える。〈わたしの心は腐っていたのでしょう。どうかしていたのだと思います〉/〈江ちゃん! うちをもう一遍愛してください〉」
 
その後もすったもんだはあるが、2人はやり直そうとする。

「『奴隷』『工場』が、他の青春小説と一線を画しているのは、第一に江治と菊枝互いに体当たりでぶつかっていること、第二に経済の問題が彼らの恋愛や生き死にに深くかかわっていることである。特に菊枝の存在感はこの種の青春小説の中では際だっており、妄想の中で美化されたヒロインとの著しい対比を見せる。」
 
ここでの斎藤美奈子は、からかう様子はまったくない。ただ、読むに値するものとして、この2編を押している。
 
けれども作品がこれからというときに、「菊枝」は肺病で命を落とす。ここでもやはり、「死に急ぐ女たち」の物語なのである。
 
実際の細井和喜蔵は23歳で上京、東京モスリン紡織亀戸工場に勤め、同じ工場の女工、堀としをと、事実婚で所帯を持っている。
 
堀としをは後に『わたしの「女工哀史」』で、こんなふうに回想している。

「〈二人は友情結婚したのですが、なによりありがたく感じたのは、男女は世界中に半分半分生れている。そして男女は同権であるといって、それを実行してくれたことでした〉」
 
細井和喜蔵は堀としをと会ってすぐに、ドイツの社会主義者、ベーベルの『婦人論』を読むよう薦めている。細井は、当時としては珍しいフェミニストであり、だから工場のことを、克明に書き記したのだ。

「過重労働、疾病、事故、過労死……。ありとあらゆる労働問題が凝縮された繊維工場だけれども、この小説を読むと、上司から女工へのセクハラ、レイプ、性暴力の類いがいかに多かったかに気づかされる。和喜蔵はそれにも我慢できなかったのだ。」
 
ここで僕は、この本の隠れたメッセージに気がつく。取り上げられている作品を見たとき、細井和喜蔵『奴隷』以外は、どれも有名なものばかりだ。逆に言うと細井和喜蔵『奴隷』は、明治文学のよほどの愛好家以外は、誰も知らないものだ。

それを何とか知らしめたい。細井和喜蔵は若くして死んだけれど、もし生きていれば、フェミニストの目を持った先駆けの作家として、文学史にその名を残したに違いない。
 
いやもちろん『女工哀史』の著者として名を残したのだが、長く生きていれば、もっと大きな足跡を残したかもしれない。

細井和喜蔵とはそういう人だったのではないか、と斎藤美奈子は言いたいに違いない。

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