この本について書くのはしんどい。韓国の歴史をほんのわずかでも知っておかないと、これを読むことは難しい。
オビに「2024年 ノーベル文学賞受賞」とあるので、思わず手に取ったが、読み始めても暗中模索、五里霧中なので、「訳者あとがき」から読むことにする。
「〔ハン・ガンは〕『少年が来る』で光州民主化運動(韓国での正式名称。いわゆる「光州事件」)を描いたのに続き、本書は一九四八年に起きた、朝鮮半島の現代史上最大のトラウマというべき済州島四・三事件〔チェジュドよんさんじけん〕(以下、「四・三事件」。なお、韓国では「済州四・三事件」と呼ぶ)をモチーフとしている。」
「光州事件」はもちろん知っている。しかしここを読むまでは、1948年に起きたその事件は知らなかった。韓国の歴史にも韓国文学にも、まったく暗いので、とにかく「訳者あとがき」に沿って進むことにする。
1948年当時、朝鮮半島の南北分断は避けられないものとなり、南だけの単独選挙が、同年5月10日と定められる。
「これに対抗してあくまで南北分断を拒否し、『統一独立と完全な民族解放』をスローガンに掲げ、南労党の若手党員らを中心とする武装隊が四八年四月三日の早朝、武装蜂起を決行した。」
しかし蜂起は済州島だけにとどまり、第1代大統領として李承晩が当選し、8月15日に大韓民国が成立した。
そして「レッド・アイランド」への凄惨な報復がなされる。
「一九四八年十一月には法的根拠もないままに戒厳令が宣布され、『焦土化作戦』が本格化した。放火によって家屋二万戸、約四万棟が焼失、中山間村の九五パーセント以上が灰燼に帰し、住民が大量に虐殺され、約九万人が被災者となった。済州島は文字通り死の島と化した。西青は性暴力を含む凄まじい残虐行為を行い、住民どうしに殺害や密告を強要し、地域のコミュニティをずたずたにした。」
日本も戦争の末期には、「特攻隊」と称して同朋の人間を、ただ無意味に死地に追いやった。しかし「四・三事件」のように、同朋を直接、虐殺することはしていない。
しかも、それだけでは済まなかった。
「一九五〇年に朝鮮戦争が始まると、李承晩大統領は、北朝鮮が侵攻してきた際に呼応する可能性のある人々を『予備検束』し、各地で裁判にもかけずに処刑してしまった。処刑された人々のほとんどは社会主義・共産主義思想などとは縁のない人々だった。」
韓国は、第2次世界大戦が終結してからの方が、大変だったのだ。同一の民族が、半島を挟んで敵対するのだから、当たり前といえは当たり前か。
「済州島の人々は、『アカだと思われるのではないか』『罠にかけられてアカにされるのではないか』という恐怖に囚われて委縮し、保守化し、済州島は長い間、与党の票田といわれつづけた。
一度の例外が、一九六〇年の四・一九革命直後の時期だった。このとき一時的に吹いた民主化の嵐の中で、済州島でも真相究明の動きが見られた。」
そこでようやく、真相が究明されるかと思われたが、そうはならなかった。
「遺族たちの怒りは激越であり、法に背いて多くの人を殺害した者を処断するための特別法制定を求めたが、六一年に朴正熙による軍事クーデターが起こると全国の遺族会の幹部らが拘束され、〔中略〕死刑宣告を受けた人もあった(後に減刑)。」
どんなに明るみに出そうとしても、どこまでも歴史を隠蔽する力がはたらく。こういうのは、どうすればいいんだろう。
「朝鮮民主主義人民共和国もこの事件を南労党の路線の誤りとして退けたため、南北双方の民族団体でこの事件に触れることはきわめて制限されてきた。また体験者たちも真相を口にすることはなかった。」
こうして「四・三事件」は、朝鮮人にとって心の闇、トラウマになった。
本書の2人の女性の、わずか数日間の物語は、ここまで述べてきたことを、背景にしているのである。
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