オーラル・ヒストリーの力作――『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋)(4)

安倍晋三と朝日新聞は不倶戴天の敵だった。首相として登場したとき、中川昭一も出てきて、2人には、政治部の記者は取材できなかった。
 
そのお仲間の財界人、キャノン、パナソニック、JR東海などは、一斉にカラーの全面広告を取り下げた。

「ほかの全国紙は全部載っていて朝日だけ載っていないということが一年くらい続いた。搦め手からも来るし、正面から取材させないし、そういう政権を相手にしなくちゃならないということだったんですね。」
 
知らなかった。朝日にだけ載っていないというのは、他を見比べないとわからないから、個人で取っている分には分からない。しかしえげつないことをするもんだ。
 
このときの外岡秀俊の態度は見事だった。

「僕が言ったのは『空中戦はやるな』と。『安倍さんを右だとかタカ派だとかいって攻撃するな』ということで、とにかく重心を低くして、暮らしがどうなるかということを徹底的に調べる。」
 
これはどういうことか。

「要するに年金ですよ。我々は消えた年金がどうなっているかを徹底的に追求した。〔中略〕若者が追いつめられている。医療がズタズタにされている、厚労省関係ですよね。生活保護の世帯もバッシングを受けたりして、弱肉強食の日本版みたいな社会になっている。世界でそれは起きているんだけど、今それが日本の中で吹き荒れているんだから、その風の中でみんながどれだけ苦しい思いをしているのかに焦点を当ててくれ、と言いました。」
 
本当に腰が据わってる。と同時に、どうなんだろうねえ、安倍晋三のような戦前の亡霊のようなものは、これと正面切って戦わなくていいのかね。しかし現実の戦いとなると、僕には方法が分からない。
 
朝日新聞に対する徹底的な反省、自己反省もある。

「朝日のあの五階(編集局フロア)にいると、四十代五十代の顔しか見えないから、自分たちで作っているつもりになってるけれど、そうじゃないんだ、新聞を作るのは二十代三十代の記者たちだと、常にそう思うようにしていた。」
 
そういうものらしい。

「実際にクラブとか総局に行ったら、本当にみんな若いし、生き生きして目も輝いているし、だから、あの築地の独特の雰囲気というか、沈滞したような、あれが新聞じゃないんだということを常に自分に言い聞かせないとまずいなと思っていましたね。」
 
このあたりは、どういうことを言っているのか、もう一つ分からない。外岡秀俊が編集局長をやっているとき、僕は朝日新聞を取っていた。そのとき紙面が、若くて潑剌とした感じになることは、なかったと思うのだか。
 
ちなみに朝日新聞から東京新聞に変えたのは、望月衣塑子が首相官邸の記者クラブに入って以降だ。

僕は、安倍首相のときの菅義偉官房長官の、記者クラブの談話発表が、我慢ならなかったのだ。対話を拒否するインタビューとは、どういうことだ! しかも子どもが、その場面を見ているときに! そうか、大人になったら、対話なんか必要ないんだ、そう思うじゃないか。
 
普通の記者なら、徹底的に菅に食らいついて、談話を取るところだ。ところがそれをするのが、東京新聞の望月衣塑子記者ひとり。そういうわけで、大学を出て以来の朝日を、東京新聞に変えてしまった。

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