記者の責任ということに関しては、外岡秀俊ははっきりしている。
「積極的に飛び込んでいく必要があったのは、二〇一一年の福島第一原発事故の取材です。(四月二十二日に)緊急時避難準備区域になった南相馬市には二万人くらいの人が残っていた。そこから一斉に日本のマスコミが消えた。〔中略〕記者もいない。」
外岡はこのとき朝日を早期退職して、南相馬のことを聞いたのは、5月後半のことだったが、2万人の市民が残されているのに、報道陣が一斉に退去するのは、あってはならないことだと思った。
「結局、政府の指示に逆らうのがこわいんですよ。NHKにしたって同じで、三十キロ圏の外に出て中継して『守っています』というサインを出す。フリーの記者、NHKのEテレビの一部のクルーが取材しただけで、みんなほおかむりしている。あれは報道の真価が問われる事態だったと思います。」
そしてこのまま行くと、どうなるか。
「政府の要請や指示にすべて従っていたら、大本営になっちゃう。」
話は違うが、いまトランプ大統領の下で、世界経済はめちゃくちゃになっている。中でもアメリカが最もひどいらしい。小売り店の凄まじい数が閉店になり、代表的な工業・機械産業が、アメリカを去っている。レイオフの人数もすごい。
トランプ自身も、YouTubeで見る限り、半分認知症のようだ。しかし日本のテレビや新聞では、そういう報道は出ない。日本の政府はアメリカの政府と、非常にまじめに交渉をしている(ように見える)。
報道が正確なことを知らせなければ、これも形を変えた「大本営発表」になるだろう。テレビ・新聞は毎日、自分で自分の首を絞めている、ということにならねばよいが。
この本では第三者の聞き書きも、途中に挟まれている。比屋根照夫(琉球大学名誉教授)が語る。
「外岡さんの取材は、いわば真正面に切り込んでくるようなもので、新聞記者というより研究者、あるいは言論人的なまなざしというか、表層をなでるのではなく、その社会、対象の背景、歴史、文化をよく調べて、本格的な知性の蓄積で取材活動をやるから、記事も一語一句の文章が切れるんですよ。すっと本質に入ってゆく。」
抽象的な総論ではあるが、とにかく絶賛である。そして続けて具体例を挙げる。
「大田知事の代理署名拒否の前後、太田さんが上京する予定があると、外岡さんはその二、三日前に沖縄に来て、いろんな県民の動きの取材を始める。で、知事が上京する飛行機の隣の席に座って機中、太田さんに質問を投げかけて、羽田に着いたらそのまま沖縄行きの便に乗って戻ってきて取材する。そういうことが何回かありました。」
おお、ザ・新聞記者! と茶化すのは止めて、こういう取材の実際をもっと見せてほしい。しかし自分を語るオーラル・ヒストリーでは、こういうところは無理なのかもしれない。
外岡はロンドンにいるとき、突然、編集局長をやれと言われた。
それは無理だ、「マネジメントはやったことないし、向いているとも思わない。部長もやっていない、デスクすらやったことがない」と言って断ろうとするが、これは業務命令だと言われる。
「一晩、ずいぶん考えました。私は組合もやっていないし、職場委員すらやっていない。今までいろんなことをしてもらって、会社のためには全然やってこなかった。『どうせ局長というのは辞めるのが仕事みたいなところがあるから、それだったら引き受けようか』と覚悟を決めました。」
朝日が非常事態に陥っていたときだ。面白い話だが、「局長というのは辞めるのが仕事」とは、外岡個人の心情か、それとも朝日の中では、それが常識になっていたのか、大変興味深い話だ。
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