外岡秀俊は1953年に生まれ、2021年に心不全のため死去した。享年68。
東京大学法学部にいるとき、『北帰行』を書き、河出書房の「文藝賞」を受賞した。しかし作家の道は選ばず、卒業すると1977年、朝日新聞に入社、新潟支局に配属された。
これは、そこからさまざまな部署を経て、2011年に朝日新聞社を早期退職するまでを、やはり朝日の記者だった及川智洋が、2年半をかけて聞き書きしたものである。
さらに面白いのは、外岡と仕事をした人に聞き書きをし、それを要所要所に挟み込んであるところだ。それは短いけれども、外岡の人となりの一面を鮮やかに照らし出す。
外岡秀俊は僕と同年生まれ。だから東大の現役学生の「文藝賞」は、クラスでも話題になったはずだが、読んでいない。
周りで読んだという人も、いなかったような気がする。あるいは、僕の周りは文学部ばかりで、法学部の外岡に対するやっかみから、話題にしなかったのか。まあ当時のことは、さすがにもう分からない。
外岡秀俊という名前は、学校を出た後だいぶ経って、みすずのOさんから聞いた。誠実に仕事をする人だという。新潮社のSさんもこの人を買っているということを、人づてに聞いた。Sさんは小説を書かせようとしていた。
2人の編集者が太鼓判を押す人は、まず間違いなく才能のある面白い人である。それで外岡秀俊の書くものはまったく読まないまま、この本を読んだ(朝日新聞の記事は読んだかもしれないが、憶えてはいない〉。
本書は、狭いところでは、朝日の記者たちに読ませたい、先輩にこんな人がいたんだ、ということを伝えたくて、及川智洋はこの本を作っている。だから外部の人間には、分かりにくいところが時々ある。
それでも読んでいると、外岡秀俊の誠実な人柄が、にじみ出るようである。
「――外岡さんのNY時代の記事は書籍化されたものが多く、戦争、国連、アメリカの人と社会、メディアと権力と、八面六臂の仕事ぶりという印象です。
〔外岡〕何でもやらされる、何でも出来る、記者としてこんなに恵まれた時期はないでしょう。僕の記者生活の中でエキサイティングな時期は、支局、海外、アエラの三つですね。この三つがやりがいもあり、楽しかった。記者としていいポジションだったなと思います。」
3つの中に、東京での朝日新聞記者としてがないことに注意されたい。
次はNYに駐在していたときのこと。
「ホームレスのシェルターもずいぶん取材しましたが、悲惨な状況で、ベトナム帰還兵、黒人の人たちが多かった。〔中略〕
ホームレスがかなりの比率でベトナム帰還兵ということは驚きでした。兵士たちは、国のため、自由主義陣営のために、といって称賛されて送り出され、帰ってきて人殺し呼ばわりされる。送り出される時とのギャップ。これは世界のすべての兵士に起こることですが、帰ってくると非難の中に巻き込まれるという現象がありました。」
こういう事実を、浮かび上がらせる記者は信頼できる。
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