昔の名前が懐かしい――『マイトガイは死なず―小林旭回顧録―』(小林旭、取材・構成=鈴木十三)

20代の終わり、新宿の呑み屋「英〔ひで〕」の音頭取りで、編集者を中心に著者や他の酒場のマダムら総勢20人ばかりと、バスを借り切って群馬県の宝川温泉に行った。大露天風呂がある汪泉閣という旅館だった。
 
往きのバスの中で、カラオケもないのにマイクを手に、小林旭の「恋の山手線」を、小沢書店社長の長谷川郁夫さんが唄った。
 
小沢書店と言えば、文学を中心とした瀟洒な本づくりで、読書人を唸らせた出版社である。
 
僕はその落差に呆然とし、たちまち長谷川さんのファンになった。昼は本づくりについて教えを受け(とはいえ僕とは目指すものは違っていたが)、夜は酒場を巡ってカラオケ三昧である。
 
それで「ギターを持った渡り鳥」や「自動車ショー歌」、「さすらい」、「北帰行」、「惜別の歌」、「北へ」、「ついて来るかい」、「昔の名前で出ています」、「熱き心に」以下、小林旭の歌を覚えた。
 
この本自体は、どうしようもない本だ。回顧録と言いながら、ウィキペディアに毛の生えた内容で、読んでいて「へー、そうか」という新発見もなければ、膝を打つところもない。
 
文藝春秋の映画本と言えば、いつもはリキを入れてくるところが、これに限ってはどうもそうではない。
 
しかし考えてみれば、小林旭の映画といったところで、名画や異色作として挙がってくるのは、わずかなものだ。本人が、「自分が気持ちよくできたのは『仁義なき戦い』シリーズと『青春の門』の二部作(1975年、77年)が最後じゃないかな」という通りである。
 
それでもずるずると読んでいくと、1959年の『南国土佐を後にして』や『ギターを持った渡り鳥』の頃の、映画館の封切りの様子が浮かんでくる。小学校へ入る前の年の、大阪下町の様子が懐かしい。
 
母親が「日活なんか観たら、不良になるで。東映にしとき」というので、2軒並んでた映画館の、東映の方にばかり入った。おかげで「多羅尾伴内」や「旗本退屈男」には詳しくなったが、日活の方は全然知らなかった。
 
ところが『南国土佐を後にして』だけは、封切りで観ているのだ。その頃、小学生未満はタダだった。きっとペギー葉山の歌が聴きたくて、タダで潜り込んだと思うのだ(本当は親が一緒でなければ、子供はタダで観てはいけない)。
 
もちろん話の筋は、6歳の子供には理解できない。覚えているのは、小林旭が賽の目をきれいに揃えて出すところと、阿波踊りを踊る大通りを、それに紛れて俯瞰で旭が歩くところくらいだ。
 
僕がこの本を読むのは、小林旭のファンだからではない。小林旭のファンだった、長谷川郁夫さんのファンだったから。今はいないその名を思い浮かべるだけで、限りない郷愁を覚える。

(『マイトガイは死なず―小林旭回顧録―』小林旭、取材・構成=鈴木十三、
 文藝春秋、2024年11月10日初刷)

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