ここまで書いていいのか――『対馬の海に沈む』(窪田新之助)(7)

西山義治はJA対馬だけではなく、その上のJA共済連長﨑にも、深く食い込んでいた。西山は「日本一のLA〔=ライフアドバイザー〕」であり、彼を接待するという名目で、JA長﨑の幹部は好き放題、飲み食いすることができた。

「共済連長﨑の上層部は長崎の銅座でよう呑みよった。西山がおらんときでも、表向きは西山を接待することにしていたんです。これは西山本人から聞いた話なので、……。」
 
本人抜きの偽接待でドンチャン騒ぎ、退廃もここに極まれりである。
 
JA対馬の別の関係者によると、JA共済連長﨑こそが、西山の不正を黙認してきた張本人だという。

「西山に、もっとやれ、もっとやれって、けしかけてましたからね。それで西山も、安心して不正ができたんでしょう」
 
西山の共犯者は、幹部だけでも挙げればきりがない。
 
そして同じことは全国でも見られる、と著者は言う。もう一度、「LAの甲子園」を思い出してほしい。

「『総合優績表彰』の受賞者の中には西山以外にも不正な契約を繰り返してきたLAがいるという証言を、私は得ている。たとえば某県の元LAは、実は顧客を騙し、彼らに不利益をもたらす営業をする常習犯だったという。それは、当該JAの執行部だった人物に加え、当該県のほかのJAに勤務していたJAも証言しているところだ。」
 
第二、第三の西山がいるのだ。
 
そこまで突出していない不正は、今もなおある。

「各地のJAの職員からは、自爆営業も不適切な販売もいまだに横行しているという情報が届いている。それらは地域社会の倫理観を退廃させる由々しき事態だ。」
 
だからJAは、JA対馬の事件と合わせて「LAの甲子園」の舞台裏を、検証してみるべきではないか、と著者は言う。
 
しかしすぐ後で、著者自らが、そんなことの難しい理由を語っている。

「日本的なムラ社会の構造は、まさにJAでこそ強固に築かれているように思える。というのも、JAでは縁故採用が基本である。職員や組合員の子弟をはじめ、彼らの学校の後輩や近所の顔なじみといった人たちが就職してくる。とりわけ小世帯のJAであればあるほど、採用する地域が限定され、それまでに付き合いのあった人ばかりが集まりやすい。全国のJAで、ノルマを達成するために、私有財産を投げ出したりすることが日常的かつ一般的に起きていることは、こうした人間関係の濃密さが一因となっているのではないか。」
 
これではJAのどこを取っても、逆境に抵抗して「検証」をすることなど、絵に描いた餅ではないか。
 
西山はとにかく契約者に儲けさせてきた。契約者の家屋が災害に遭ったとき、その被害を実際よりも大きく見積もり、彼らが共済金をずっと多く受け取れるよう、便宜を図ってきたのだ。

取材対象者は語る。

「家が自然災害に遭い、瓦が破損したとする。通常の査定であれば、共済金が一〇万円しか出ない。ところが、西山はそれを五〇万円になるように査定して、お客さんに四〇万円を儲けさせてきた。そうやって一度いい目を見たお客さんは、『あんただったら、また新しい契約に入るよ』という気持ちになるわけだ。西山のやり方はとにかくその繰り返し。」
 
西山が死んだ後も、対馬で彼を悪く言うものはいない。

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