堀川惠子さんには会ったことがある。「ムダの会」という編集者、新聞記者、著者の集まる会で、毎年12月に、その年度を代表する本に、「いける本大賞」を出していたことがある。
2013年に『永山則夫―封印された鑑定記録』で、その賞を取ったのが堀川惠子さんで、元講談社の鷲尾賢也さんが、強力に推薦したのを覚えている。
授賞式のパーティーが山の上ホテルであり、そこでお目にかかったのだ。
実際に会ってみると、本の話をしていて、飾るところのまったくない方で、実に気持ちがよかった。
今度の『透析を止めた日』は、夫の林新(はやしあらた)と堀川惠子の夫婦が主人公である。林はNHKの有名なプロデューサーであった。
堀川惠子が林新と結婚するとき、彼はすでに透析を始めて8年が経っていた。
この本は第一部と第二部に分かれていて、第一部は夫が透析をやめて死ぬまで、第二部は透析をめぐる諸問題と、患者たちが透析をやめてから、死に至るまでの過程を描いている。
だから順を追って紹介すればいいのだが、第一部で私は、夫君の人間性に大きな疑問を抱いてしまった。
ということは、堀川惠子の文章に、疑問を抱いたと言ってもいい。
たとえばこんなところ。
「君はどんなテーマでも80点の番組に仕上げる力がある。だがな、80点の番組を量産しても、放送した先から消えていく。来年には誰も覚えちゃいない。視聴者の記憶と歴史に残るのは、100点の番組だけだ。俺のところに90点の番組をもってこい。そうすれば全力で100点まで引き上げてやる。」
うーん、こういうオッサン、嫌ですね。
林新はまた、黒澤明の『椿三十郎』を百回近く見ていた。
「『俺はな、武骨な椿三十郎を人生の手本として生きてきた。今観てもらったように、椿三十郎は女には優しくできん。そういうことはやろうと思ってもできないから、心しておいてくれ』
口調までどこか椿三十郎に似ていて、私は思わず噴き出しそうになるのを必死でこらえた。」
こらえずに噴き出してしまえばよかったのに。こういうオヤジの存在は、本当にたまらない。
林はこうも言う。
「君を使いたいと思うプロデューサーは山ほどいるだろう。だがな、君を育てようと思っているのは俺だけだ。」
これを面と向って言うのだ。もう、ゾワゾワですな。
それに応える堀川惠子の言葉。
「椿三十郎ばりの台詞は、今も私を励ます。仕事の仕方も、彼と出会って根底から覆された。」
つまりこの結婚は、弟子と師匠の契りなのである。そういう人と巡り合って、それはよかったね、というほかない。
とにかく私は、そういう夫婦には近寄りたくないのだ。それにエラソーな人と、偉い人は違う。それはいわば、両極端な位置にいる。
堀川惠子は、テレビ界のディレクターであると同時に、本の方ではノンフィクションの優れた書き手である。ノンフィクションの優れた書き手が、人との関係で、自分を低く置くこと、あるいは人を上下関係において見ることが、あり得るのだろうか。
第一部はそういうわけで、叙述そのものは巧みで、私を引き込むのだが、その根底に共感できない部分が残った。
しかし第二部まで読み終わったとき、このノンフィクションが透析の行く末を切り開く、今のところ唯一のものであることが、よく分かった。
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