「順子ちゃん」と腹の探り合いをするカネの話もある。
「結婚以来五年近くなるが、私は未だ順子ちゃんがいくら貯金を持っているか見せてもらっていない。私は結婚直後に私の貯金はこれだけですと言うて、銀行の通帳を見せたが、順子ちゃんは自分のは見せなかった。金に関してはなかなか抜け目のない女だ。」(10月6日)
長吉はどんな顔をして、この文章を書いたのだろう。通常は、苦笑いをして、となるところだが、長吉は案外、真剣な表情だったような気もする。
またこの頃から、便秘と下痢についての詳しい記述が見られる。
「朝、大便が出ないので、下剤をのむ。ところが、その直後に出る。〔中略〕
夕、谷中銀座へ晩飯のおかずを買いに行く。その帰り道、突然、尻の穴がむずむずして、ズボンの中に下痢ぎみの大便が出てしまう。朝のんだ下剤が正確に効いて来たのだ。不快な惨めな思いで帰宅。風呂場で躯を洗う。順子ちゃんに笑われる。〔中略〕
生きているのが厭になる。」(10月11日)
ここを読んだとき、しばらく呆然とした。
僕は10年前に脳出血になり、半年間、小金井リハビリ病院に入院し、その後、家に帰った。家に帰っても車椅子を覚悟せよ、と言われたのを、かろうじて杖を突いて歩けるようになった。
それでも右半身不随だから、いろいろ困ることはあったが、中でも排便が一番厄介だった。
病院にいたときから、センノシドという下剤を、毎日2錠ずつのむのだが、それでも排便は3,4日に一度、稀には5日に一度、あるだけだった。
それから4,5年たって、排便は2,3日に一度になったが、今度は下痢を起こすようになった。センノシドが効きすぎるのだ。それで排便した日は、この薬を止めた。
それでもたまに、センノシドを飲んだ日には、強烈な下痢をすることがある。僕は便所で糞まみれの下半身を裸にし、いったん外した脚の装具を再びつけて、何とか体を風呂場まで持って行き、そこでまた装具を外し、裸で立ったまま糞便にまみれた下半身を、妻にシャワーで洗ってもらうことになる。
これは長吉が、惨めな思いで風呂場で体を洗うのを「順子ちゃん」に笑われる、どころの話ではない。
病院にいるときは、看護師さんが処理をしてくれた。度々そういうふうになるので、あるとき、生きているのが厭になる、もう死にたくなるというと、看護師のSさんが、そういうことを言ってはだめ、ときつい調子で言った。
あなたは自分の病気が分かっているから、身体は考えているようには動かない、ということが分かっているでしょう。でも奥様にしてみたら、あなたの身体は半分が不自由というだけでも、大変な負担だし、そのうえあなたが排便の処理ができないことは、相当なショックなの。だからあなたが動揺してはだめ、分かった?
看護師さんにはいろいろお世話になったが、このときの注意は、ひときわ印象に残っている。そこでベストセラーになりそうな『排便・排尿大百科』という企画を考えたが、これはまた別の話。
養老孟司先生の『唯脳論』を読むと、脳は全てのことを管理・統御しようとするが、その土台は身体であることを忘れている、と書いてある。
若い頃はそれを読んで、なるほどと感心したが、年を取ってみると、『唯脳論』は若い時だけかかる錯覚または迷妄であることが、いやになるほど分かる。
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