問題の書、または胃痛・嘔吐・下痢・便秘――『癲狂院日乗』(車谷長吉)(2)

車谷長吉の、この世での引っ掛かりは、高橋順子しかない。

「午後、嫁はん、書肆といの仕事で出掛ける。独り言『順子ちゃんがいないと、ほんとに寂しいな、僕。うーん。うーん。』」(4月25日)
 
最後の「うーん。うーん」に、本音が強く出ている。
 
高橋順子が日曜日に、読売新聞に連載していたエッセイが終わる。

「平成奇人伝。私がズボンを穿き忘れて会社へ行った話や、新婚直後に私が、きょうの昼飯は外へ喰いに行こう、と連れ出して、田端銀座の路上でコロッケを立ち食いさせた話など。」(4月26日)
 
からかったつもりか、正気なのか。それにしても高橋順子は、苦しいことも多かったろうが、しかし一面、毎日が面白かったろうな。

「朝、ふとんの中で順子ちゃんと足で小突き合い、つつき合い、じゃれあう。」(4月28日)
 
長吉の愉しみは、「順子ちゃん」だけだ。
 
ところで4月25日の項に、こんなことが出ている。

「高橋隆『犯行』(三田新聞・昭和四十一年十一月二十三日)を読む。何度読んでも、心に沁みる傑作である。私の文学の基いはここにある。」
 
僕は聞いたことのない作品である。これはぜひ読みたい。
 
戻って、再び「順子ちゃん」のこと。

「朝、ふとんの中で順子ちゃんのお乳を愛撫。温かい。発情せず。」(4月29日)
 
だんだん「順子ちゃん」の体にも慣れていく。
 
もちろん乳繰り合っていても、人間を観察する眼は変わらない。
 
高橋順子、53歳。朝起きて、真っ先にクリームを塗り、ヴィタミンEや、精力剤のニンニクの丸薬も飲む。ドライ・アイで眼科に行くし、歯槽膿漏で歯科の治療も受けている。
 
もっと細かい観察もある。

「順子の朝は、毎朝、そういう風にして始まるのだが、そのあと珈琲挽きの箱をギィーギィー鳴らして、珈琲を沸かし、新聞を読む。新聞の途中で必ず便所へ大便をしに行く。その間に珈琲が冷めてしまう。珈琲、新聞、便所、これが順子の朝の三点セットだ。」(同日)
 
別に「順子さん」だけでなく、年配の男女ならごく当たり前の光景だが、改めて長吉の筆にかかると、「順子さん」は中年の女なんだ、という気が強くする。
 
2人は掛け合いの漫才も演じる。

「くうちゃん、あなた饒舌で強欲で因業なのよね。」「なにを言ってるんだ。俺は寡黙で無欲で敬虔な魂の人なんだから。」(5月1日)
 
ひょっとすると長吉の方は、正直なことを言ったのかもしれない。
 
2人の掛け合いは続く。

「朝、順子ちゃんの肩を揉み、お背中をなでなでして上げる。『くうちゃん、やさしいね。』『ああ、今日は日曜日、私の料理当番の日だ。厭だな。出るのは朝から溜息ばかり。』『何だったら、外へ食べに連れて行って下さってもいいのですよ。』『僕、マルがないから。』『くうちゃん、締まり屋ね。痰を吐くんだって、屁をひるんだって惜しいんだから。』お出掛けの好きな女だ。」(5月3日)
 
これがほんとの痴話喧嘩。しかし続けてこうも書いている。

「私の料理当番は週一度だが、普段の順子ちゃんの労苦が思われる。」(同日)
 
ここには、女性は対等に扱いたいという、長吉の本音がある。
 
本音と言えば、こういう女は嫌だという話。

「私方では、朝起きぬけに、嫁はんと互いに『お早うございます。』と言い合う。まあ、これが愛の交歓みたいなものだ。五年前に結婚したが、結婚以前から『愛してる。』などと言うたことは一遍もない。私は愛がどうの糸瓜がどうのと言う女が、大嫌いだ。背中がむずむずする。」(5月4日)

「愛してる」と言う女、または男は、ほんとにいるんだろうか。
 
実は僕は、大学に入ったころに、女と抱き合って「愛してる」と言ったことがある。場所は井の頭公園、女の名前は忘れた。なにしろ50年以上前だ。

言った瞬間、これは嘘だなと、たまらなく白々しい気持ちになり、以後、そういう言葉は使ったことがない。
 
大方の日本人なら、「愛してる」という言葉は使わないと思う。ごく一部の、僕のような人間が、東京に出てきて初めて女と抱き合い、舞い上がってオッチョコチョイにも、そういう言葉を使うんじゃないか。
 
これが女の場合には、よくわからない。長吉も、「愛がどうの糸瓜がどうのと言う女」と書いているから、あるいは女性の中には、そういうのがいたのかもしれない。

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