後の4人は、谷川俊太郎、岩田宏、黒田善夫、吉岡実である。寺山は、谷川俊太郎、黒田善夫、吉岡実はすんなり選んだが、岩田宏を選ぶときに、田村隆一、長谷川龍生、北村太郎を思い浮かべて迷ってしまう。
つまりベストセブンはシャレであるとして、それ以外にも何人かの詩人が、同列、同ランクに入ってくるのだ(そういえばこのブログの最初に、長谷川龍生の「恐山」を引いている)。
そういう詩人たちのいちいちを述べるのは、骨である。ここでは寺山の、「実証不能のいいまわし」という、田村隆一のこんな詩句を挙げておこう。
「ウイスキーを水でわるように
言葉を意味でわるわけにはいかない」
谷川俊太郎と岩田宏については、詩を1篇ずつ引用しているだけだ。谷川については、もう十分すぎるほど書いた、と寺山が言っている。
岩田宏については、この本の別のところで、「神田神保町」という詩を引用している。私はこの詩が好きだ。
「神保町の
交差点の北五百メートル
五十二段の階段を
二十五才の失業者が
思い出の重みにひかれて
ゆるゆる降りて行く
風はタバコの火の粉をとばし
いちどきにオーバーの襟を焼く
風邪や恋の思い出に目がくらみ
手をひろげて失業者はつぶやく
ここ 九段まで見える子の石段で
魔法を待ちわび 魔法はこわれた
あのひとはこなごなにころげおち
街いつぱいに散らばつたかけらを調べに
おれは降りて行く」(抜粋)
これは大学時代に、同級生のFが教えてくれたものだ。Fは今でも詩人である。
私は岩田宏というと、すぐに本名の小笠原豊樹を思い出す。その名前で厖大な翻訳がある。『ウィチャリー家の女』や『さむけ』のリュウ・アーチャーもの、つまりロス・マクドナルドの作品は、この人の翻訳なしには考えられない。小説などもたくさんある。
というふうに、岩田宏論を書こうとすれば、このブログの倍では効かないスペースがいる。
吉岡実は、ここにも引かれている「僧侶」を、学生のころから知っていた。
「四人の僧侶
庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻きあげる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自瀆
一人は女に殺される」(抜粋)
吉岡実は筑摩書房で、少しの間だけ一緒だった。私が入って、筑摩は4か月で倒産し、吉岡さんはすぐに辞められた。考えてみれば、挨拶しかしたことはない。部署が違ったから。もう少し同じ会社にいれば、と思わずにはおられない。
黒田善夫については、暗唱できる詩もなく、思い浮かぶ詩句もない。
さてそこで、このサブタイトルは是か非か、という最初の問いに戻ってくる。
荒川洋治はこう述べる。
「『ユリシーズの不在』とはいったい何だろう。日本人の大多数はギリシア神話に暗い『風土』だから、これは無理。副題の失敗例かと思われる。『ユリシーズ』もわからないうえに『不在』がくると、よりわからないという、ぼくのような人は他にもいるだろう。」
だからサブタイトルとしては、失敗だというのだ。
寺山が一カ所、副題に関連して書いている。
「思えばホーマーの『オデッセウス』は、遠大な記号の世界への冒険を果したものである。彼は直径五〇センチにも足りない書斎のテーブルを無量の大洋と見なすことによって、自分をオデッセウスに化けさせたのだ。」
まあ、なんだか結局は分からない。本文では「オデッセウス」なのに、副題としては英語の「ユリシーズ」になっているのも、なんだかよく分からない。彼の頭の中には、ジェームズ・ジョイスが浮かんでいたのか。
寺山のサブタイトルを、そのまま読めば、「書斎のテーブルを無量の大洋と見なすことによって、自分をオデッセウスに化けさせた」戦後詩人はいない、ということになる。
たしかに『荒地』から『凶区』まで、寺山は集団の戦後詩を、全般的に否定している。
しかしそれなら、谷川俊太郎や吉岡実を称揚したのは、何だったのか。
結局、このサブタイトルはない方がよいか、と問われれば、そんなことはない、と私は思う。『戦後詩』というタイトルだけでは、まったくニュートラルで、どこにも引っ掛かりようがないのだ。
寺山修司は、「ユリシーズの不在」と付けても、誰にも分からないことを、分かっていたのではないか。その上で、渦巻く内面の気持ちを、なんとか伝えたかったのではないか。
(『戦後詩―ユリシーズの不在―』寺山修司、講談社文芸文庫、2013年8月9日初刷)
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