ただもう、びっくりした――『鬼の筆―戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折―』(春日太一)(11)

目次に従えば、この後、橋本忍は『人間革命』『八甲田山』『八つ墓村』と、大作が続いている。
 
それぞれ橋本のシナリオとしては、当たった映画だし、当てるための綿密な下準備もしているが、私は見ていないので省略する。
 
1970年代初め、日本の映画界は壊滅的な状況にあった。60年代に入るころから観客数が減り始め、71年には、あの『羅生門』を作った大映が倒産した。

日活は経営規模を大幅に縮小し、ロマンポルノを始めた。ロマンポルノは、学生のときに観ている。性的な場面さえ入れておけば、かなり自由に撮れるというので、それを逆手にとって何本か名作が生まれ、監督では神代辰巳のような名匠が出た。

さらに逸脱して言えば、日本映画はこのころ、「神代辰巳と深作欣二の時代」が確かにあって、それは外国映画祭の華やかな賞や、一家で観に行く興行収入何億円とは違った世界で、映画がもっと親密で、肌に染み込んでいた時代だった。
 
それはともかく、東宝でも制作部門を別会社にして切り離し、そして、黒澤明が自殺未遂をはかった。
 
惨憺たる中で、大作映画をヒットさせ続けた橋本忍は、このころはひとり別格の存在だった。
 
春日太一は橋本をこんなふうに書く。

「『〔映画は〕やってみなきゃわからない』から『やらない』とはならなかった。むしろ、『わからない』からこそ、燃えた。なぜなら橋本は『映画の賭博者』だから。先がわからないからこそ、賭ける価値がある。それが橋本の根元にあるのだ。」
 
これは橋本が春日太一に、直接その心境を語っている。

「じゃあ、それを作る僕に、当たる自信があったか。実は、何もないよ、そんなもの。やってみなきゃ、わからん。だけども、僕が『やってみなきゃわからん』なんて言ったら、誰もそんなの乗らないよ。だから、いつも強いことを言っていたけど、本人としてもやってみなきゃわからなかったんだよ」。
 
そしていよいよ1982年に、『幻の湖』が公開される。この映画は、『砂の器』『八甲田山』に続く、橋本プロダクションの第3弾であり、東宝の創立50周年記念作品であった。
 
この作品で橋本忍は、原作・脚本・監督・プロデューサーと、すべてを担っていた。

『幻の湖』は、記念作品ということもあり、東宝が製作費を出し、準備段階を含めて長期ロケーションも敢行し、完成までに丸3年かかった。
 
しかしこの映画は、大ゴケにコケた。
 
春日太一は、この映画を徹底的に分析する。これまでに成功したどの映画よりも、この作品について書き尽くそうとする。まるで橋本に、恨みでもあるかのようだ、というのは冗談だが、『幻の湖』がなぜ失敗したか、を読んでいくと、もう結構という感じになる。
 
まず「あらすじ」から入るが、これが4ページを超える長さで、しかも春日太一は、次のように結論づけている。

「何がなんだかよく分からない方もいるかもしれない。
 だが、それで間違いない。実際のところ、筆者もいくら観ても、何がなんだかよく分からない映画なのだから――。そして〔中略〕、橋本自身もよく分からないまま書いていた可能性すらある。」
 
ボロクソである。こんな「あらすじ」を紹介する愚は避けたいので、簡単に1行ですまそう。

「飼い犬を殺された風俗嬢の復讐の物語」である。

春日太一は、この映画を料理し尽くそうとする。たぶん橋本忍があまりに無様だった映画が、この1本だけなので、著者としては、なぜこういうことになったのかを、納得したいのだと思う。
 
これが帯にあった「〝全身脚本家〟驚愕の真実」だな、と思って「あとがき」まで読み進めると、なんと驚愕のどんでん返しは、きれいさっぱり落とされているのだ。

「どのような『どんでん返し』を用意していたのかは、また改めての機会に発表したい。その個所も含め、構成をシンプルにする上で削除したのは『橋本忍と春日太一の対峙』、つまり取材時のドキュメントの場面だ。これが、なかなかにスリリングな状況の連続だったのだが、それは最終的に全て無くした。」
 
そういうことだ。そういう広い意味で、「くんずほぐれつ」をやり、本にするのに12年かかったという。そしてその成果は、十分すぎるほど十分に出ている。

この次はぜひ、謎の「どんでん返し」と、緊張感あふれる「橋本忍と春日太一の対峙」を、本にしてもらいたい。

(『鬼の筆―戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折―』春日太一、
 文藝春秋、2023年11月30日初刷、12月25日第3刷)

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