ただもう、びっくりした――『鬼の筆―戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折―』(春日太一)(10)

1961年、『砂の器』の新聞連載が終わって間もなく、野村芳太郎監督の下で映画の撮影が始まる。それが突然、中止になる。松竹の城戸四郎社長による、トップダウンの命令だった。
 
面白いのは、橋本忍の態度である。すでに脚本を書いた段階で、橋本の仕事は終わっており、その後のことは気にならなかったようだ。あるいは、それを気にしていられないほど、仕事が忙しかったのか。『砂の器』の企画は、一度お蔵入りになったのである。
 
63年に橋本の父、徳治が死病に倒れる。郷里に見舞いに行った橋本に、徳治は2冊の台本を見せて、こう語った。

「『お前の書いた本で読めるのはこの二冊だけだ。読んだ感じでは『切腹』のほうがはるかにホンの出来がいい。でも、好き嫌いから言ったら『砂の器』のほうが好きだ』と。そして最後にこう付け加えた。
『忍よ、これは当たるよ』」。
 
橋本忍は、父の博才に惚れ込んでいた。父はかつて、ある座長が「忠臣蔵」を売り込んできたのに対し、「一人が四十七人斬った話なら面白いけど、四十七人かかって一人のジジイを斬ってどこが面白いんだ」と、その提案を断った。
 
橋本は、その当時の思い出して、こんなふうに語っている。

「僕は非常に感動したの。親父の考え方、正しいと思ったね」。
 
橋本忍は、それから4,5年たって、東宝のプロデューサ―が、「忠臣蔵」を書いてくれと言って来たとき、父の言葉をそっくりそのまま語って、周りを啞然とさせたという。
 
それはともかく、『砂の器』である。

松竹では、一度はお蔵入りしたので、すでに版権は持っていない。

東宝でも、企画を統括する藤本真澄に、「おまえ、頭どうかしているんじゃないか。今時、乞食姿が白い着物を着てあちこち歩き回るって、それが売り物になると思っているのか」、とニベもなく断られる。
 
続いて東映に持ち込むと、今井正監督に呼び出された。

「橋本君、あれはな、やめといたほうがいいよ。客こないよ。これはもうどこへもほかへ持って回らんほうがいいよ。あんたの評判傷つけるだけだよ」。
 
まさに友情ある説得である。
 
橋本は、最後に大映に持ち込んだ。大映は『白い巨塔』で仕事をしている。

ちなみに今日、5月20日のNHK.BSの昼の映画は、『白い巨塔』だった。私がこのブログを書く日に合わせて、NHK.BSが配慮してくれたのだ、――というわけはないが、久しぶりに古い映画の面白さを堪能した。
 
田宮二郎、小川真由美、田村高廣、……。昔の俳優は「スター」だったから、画面に登場するだけで、もう何も喋らなくても、濃厚な雰囲気がある。小川真由美のホステスなんか、たまらないぜ。

こういう雰囲気は、おおむね今の映画にはない。しかしもちろん、今の映画の方が面白い。

この映画は、キネマ旬報・ベストテン1位、毎日映画コンクール(日本映画大賞、監督賞、脚本賞)、ブルーリボン賞(作品賞、脚本賞)、芸術祭賞、モスクワ国際映画祭(銀賞)など、数々の賞を獲った。
 
その橋本忍が、強力に『砂の器』を売り込んできた。大映は一計を案じ、「重役会議にかけるためにペラで三十枚くらいのプロット(あらすじ)を書いてきてほしい」と要求した。
 
橋本忍は、『砂の器』の筋を面白いとは思っておらず、勝負できるのは、「親子が追われて、日本全国を旅する」という一点だけ、というつもりだった。橋本はしばらくして、自ら企画を取り下げた。
 
完全に八方ふさがりに陥った橋本は、ついに自身が運営する「橋本プロダクション」を設立する。すさまじい執念である。ときに1973年のことだった。
 
その後も、なお難局は次々に襲ってくる。それは本を読むと本当に面白い。

そしてついに橋本は、映画『砂の器』の完成にこぎつける。それはしかも、大当たりをとるのだ。
 
日本の映画界の全員が、当たるわけがない、といった映画が、橋本忍の父が予言したごとく、大当たりをとったのだ。
 
ただ、大勢の人が見た中で、小説と映画が違う、という批判が聞かれた。
 
橋本はこんなふうに答えている。

「原作のとおりであるとか、ないとか、そんなことは問題じゃないんだ。原作には目指していたものがある。でも、そこに他の余計なものがくっつき過ぎている。
 たとえば、清張さんも『砂の器』は父子の旅だけを書きたかったんだと思うんだ。〔中略〕その清張さんが途中までしか行けなかったバトンを受け継いで前へ僕が走るんだから、ほかのとこは要らないんだ。」
 
凄まじい自信である。そして最後にこんな言葉がくる。

「原作と同じものを作るんだったら、わざわざ映画を作る必要ないよ」。
 
実際に会えば、圧倒される人だったろう。
 
最後に『砂の器』について、私の感想を記しておく。
 
前半は推理ものとして面白くみられる。しかし橋本忍には申し訳ないが、後半の「父と子の旅」は、あまりに長過ぎて、実に退屈だ。一度見たらもういい、たくさんである。

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック