究極の読書――『霧中の読書』(荒川洋治)(2)

「現象のなかの作品」の章に、さらに見出しを立てて、その一つに「活字の別れ」という節がある。
 
活字離れというのではなく、印刷の方法が変わってきたことを、述べたものだ。
 
活字は鉛と錫とアンチモンの合金で、それを文選工が拾って、版を作っていく。明治から昭和まで、活版印刷は続いたが、写植文字が登場し、1970年前後から、オフセットへの転換が始まった。今では活版で刷るところは、ほとんどない。

「活版印刷では凹凸面が、じかに用紙と接する。オフセットは、インキをブラケットという樹脂・ゴム製の転写ローラーにいったん移して紙に転写するので、版と用紙がじかに触れない。紙に、文字がくいこむのが活版。立体感がある。刷られた文字に格調がある。オフセットではそれがないので紙面の印象は平板。」
 
だから70年代の初めは、オフセットは見劣りがしたが、今はそれほどでもない、と荒川洋治は言うが、僕は最初から大して気にならなかった。本を物神として扱う熱意が、著者に比べて、薄いのだろう。
 
それよりも、手書き原稿から、パソコンによる原稿作りに変わって、劇的な変化が起きた。

「活版は、一つ一つの活字を職人たちが拾って組み上げるので、書き手も、手間をかけさせてはいけないと思い、正しいことばでしっかり、まちがいなく書こうと、多少とも気を引き締めたものだ。いまはパソコンの画面のなかでつくり、訂正や差し替えも容易。他人の介在がないので気軽になり、文章もかるく書いてしまう面がある。書く量も増大した。」
 
これを、何ともしょうがないことだ、としてよいのだろうか。
 
その結果、作家を取り巻く環境が変わった。存在感が軽くなった分だけ、「作家さん」と呼ばれるようになった。「作家さん」は、勝手口から入る「御用聞き」と似ている。夏目漱石や森鷗外を、「作家さん」とは呼ばない。井伏鱒二や大岡昇平も、「作家さん」とは呼ぶまい。これは僕の意見である。

「活字の別れ」はまだ続く。

『そうかもしれない』の耕治人などは、最後まで活版であった。

以下は僕の補足。『そうかもしれない』は、認知症になった妻を、老人ホームに尋ねていくと、妻は対面しても何も言わない。介護職員が見かねて、旦那様ですよと言うと、少したってボソッと呟く、『そうかもしれない』、と。まったく唸るような見事さだ。
 
再び荒川洋治の言葉。

「〔耕治人たちの〕共通点は寡作であること、少数だが一定程度の読者をもったこと、その著作が美術品のようなものであることを読者も願ったこと。活版にふさわしい人たちだった。結城信一、島村利正、耕治人はそれぞれ特色のある文学を熟成させ、昭和後期に亡くなった。活版文化と共に生きた人たちだ。彼らのような作家はその同世代でも稀少だ。」
 
同じ世代でも「稀少」だったのだから、今はもういない。
 
そういうふうになると、究極、本はどうなるか。

「すべてがオフセットの時代になると、書物に対する気持ちがうすまる。本という『物』を見つめることで、内容のよさ、文章の美しさだけではなく、『物』が生まれるまでにかかわる人たちの工夫や努力、多くの人の存在の手触りを感じるなど、さまざまなことがわかって意識が広くなる。そうしたことがないと書物はただの情報の容物になってしまう。」
 
紙の本と、パソコン・データーで読むのとが違うのは、つまりそういうことだ。
 
しかしこれは作り手の話。キンドルでなければ読むことができない、という人がいるのも事実だ。本の内容、つまり情報が、さまざまなかたちで人に手渡されるのは、喜ぶべきことではないか。
 
僕はそう思うが、読み手の側に立ったときの、荒川洋治の意見は知らない。

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