荒川洋治の書評集というよりは、読書遍歴を、いくぶん詩のような文章で綴ったみすずの本である。
編集は尾方邦雄氏。オビは、僕なら苦労するところだが、尾方さんなら、さほど苦労はしないのだろうか。これは聞いてみたい気がする。
オビ表。
「『いい本にはいつも新しい世界がある。あとからわかる、不思議なこともある。だからいい本はこれからも、いい本である。』真剣に面白い、充実の近作46編。」
これは、どこか一節を抜こうと決めたら(こう決断することが難しいが〉、あとは比較的簡単と思う。
みすずの本は、カバー裏が踏み込んだ解説になっている。ここが、比較的高い定価を納得させるかどうかで、編集者の腕試しというところがある。
「これまで多くの読者と高い評価に支えられてきた散文集シリーズ.『忘れられる過去』(講談社エッセイ賞),『過去をもつ人』(毎日出版文化賞書評賞)につらなる本書もまた,ぶれない著者の発見と指摘に,読む者は胸を突かれ,思念の方位を示される.そのありがたみは変わらない.」(抜粋)
こういう書き方がしてあると、ファンにとってはたまらない。とくに「そのありがたみは変わらない」とあれば、いちど手に取った本を、棚に戻すことは難しい。これは本の呼び水というよりは、いくぶん宗教の勧誘に近い。
以下は気になったところや、感心したところ。
「美の要点」の章は、色川武大のエッセイ、『うらおもて人生録』を取り上げる。
「『大勢の他人のことを想う』ことは容易ではないが、それ以前に、『大勢の他人のことを想う』という視点そのものが、通常の人の人生では存在しない。でももしそれがあるとしたら、そこには普段見えることのない、いいものがあるのだ。自分を忘れるほどの新しくて楽しい世界が、そこから開かれていくのだと思う。あらためて色川武大の思考のすばらしさに思いを凝らしたい。」
こういうところが、荒川洋治の素晴らしさだ。「『大勢の他人のことを想う』という視点そのものが、通常の人の人生では存在しない」というところに、僕は気がつかなかった。
『うらおもて人生録』は文章の密度が高く、人間について、新しい発見をしながら読み進むので、大変時間がかかる、という。
こういうのは、日本の人生論にはなく、荒川洋治はアメリカの作家、シャーウッド・アンダーソンの『ワインズバーグ、オハイオ』を思い出したりする。
「〔『ワインズバーグ、オハイオ』は〕一つの町のなかで生きる人たちの孤独な、でもそれぞれに大切な人生を映し出したもので、二二編の短編は一つ一つがすばらしい重みをもつので、とてもひといきには読めない。だがそらおそろしいほどの感動をおぼえる名作だ。色川武大のエッセイは、アンダーソンの短編を思わせる。そんなはるか遠い例しか思いつかないほど、色川武大の文章は特別なものだ。」
「そらおそろしいほどの感動」を呼ぶ『ワインズバーグ、オハイオ』は、何種類か翻訳があって、手を出しそびれていた。荒川洋治のこういう文章を経験したら、読まずに済ますことは難しい。
この記事へのトラックバック
この記事へのコメント