同じ年齢だ――『成城だより』(大岡昇平)(2)

大岡昇平はテレビも好きで、よく見ている。

「八時、テレビにて『三年B組金八先生』を見る。テーマソング『贈る言葉』を武田鉄矢扮するところの先生自ら歌う。シンガー・ソングライターの新手なり。受験日、妊娠女子生徒出産重なり、面長短軀の日本的先生、活躍す。〔中略〕人気上昇、同時間の退屈な刑事番組『太陽にほえろ』を食いつつあるのは目出たし。」(2月15日)
 
もちろん最後の、『太陽にほえろ』云々というのが留飲が下がる。

といっても、私はどちらも見てないが。金曜日夜8時半に、毎週テレビを見ている20代後半の男というのは、ちょっと考えられない。
 
3月6日は71度目の誕生日。大岡は35歳のとき戦争に行った。そのころは、こんなに長く生きられるとは思っていなかった。考えてみれば、戦後も同じ35年も生きたことになる。
 
この日は、心に浮かぶことが多くなる。

「戦争に行った人間は、なんとなく畳の上で死ねないような気がしているものなれど、すでに手足の力なく、眼くらみ、心臓鼓動とどこおり、よろよろ歩きの老残の身となっては、畳の上ならぬ病院の、酸素テントの中なる死、確実となった。」(3月6日)
 
病院の中で四方八方、管に巻かれた死と対になるのは、南方ジャングルの、あるいはシベリア酷寒の死である。
 
戦友たちはそこで戦死、または病死、あるいはこれが最も多いが、飢死にしている。そういう背景をもった、大岡の予想する病院内の死とは、どういうものか。

そういう「安全な死」を死んでも、いいものだろうか。大岡はそういうふうに考えていた、と私は妄想する。
 
大岡の思いは溢れてくる。

「老人は一九三〇年代の不景気と、終戦後の耐乏生活の経験あれば、どんな事態が来ても堪うる自信あれども、資本家共が軍備を拡張し、兵器輸出によって、利潤を確保しようと狂奔するさまに、拍手を送る手合いの発生には驚くほかなし。」(同)
 
政治家や経済人がまことしやかに分析し、日本の位置を確認して軍備を持たねば、などというが、底の底にはこういうことがある。それが世界中そうなんだから始末に悪い。
 
誕生日の最後は、そういう日にふさわしく、内省で締めくくる。

「われ少年時はおとなしい子供だったそうだが、思春期よりなぜか口論を好み、ケンカした人間、ざっとの見つもりにて三十人を越ゆ。そのうち仲なおりせるは、七、八人なり。幸い近頃ぼけにて、近きことより忘れつつあり、そのうちケンカはみな忘れ、おとなしい子供に戻って成仏できるか。もって七十一度目の誕生日の希望とすべし。」(同)
 
いやあ、可笑しい。大岡だって、喧嘩っ早いのは性分、そんなことは望むべくもない、と分かっているに違いない。
 
その舌の根も乾かぬうちに、雑誌が贈られてきて憤慨す。

「『文学という〝制度〟に引導を渡す』ごときたわ言も『批評という制度』の中にては通用す。『あらゆる出口は入口なり』の如き逆説横行して、似而非〔えせ〕問題の無限増殖を来せるに注意すべし。」(3月9日)
 
これはひところ、批評家がどっちを向いても、「制度、制度」とがなり立てるので、頭に来たものだ。しかしこれも、肝心の文芸批評が滅んでしまい、がなり立てる声も消滅してしまった。
 
ところで、こういう調子で、『成城だより』のいちいちに反応していったのでは、キリがない。

いや、もともとこのブログは、私にとって、不自由な言語の脳のリハビリというつもりなのだから、キリなく反応していってもいいのだが、テキストが大岡昇平の繰り言では、それを取り上げるのは、老いの繰り言に対する繰り言になってしまう。
 
それはさすがに、認知症と紙一重になってしまうので、ここでやめておきたい。
 
なお巻末に『成城だより』の書評が2本、載っている。
 
このうち小林信彦のものは、優れている。

「『成城だより』は、自閉と猫なで声と偽善におおわれたある時代の文壇に、風を通した記録として、後世、読まれることになるだろう。」
 
その価値をずばりと衝いている。
 
もう一方の三島由紀夫のものは、大言壮語、ただ空疎なだけだ。

(『成城だより』大岡昇平、中公文庫、2019年8月25日初刷)

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