憂国の士となって財務省に挑む――『ザイム真理教』(森永卓郎)(1)

この本は、田中晶子が買ってきて、少し読んでいたそのとき、彼女は救急車で運ばれ、大動脈解離の手術を受け、そのまま入院してしまった。
 
家に残った私は、取るものもとりあえず、ということになった。半身不随、要介護3で、食事の支度も含めて、家事一切ができないから、ヘルパーが来るのを、ひたすら待つことになる。
 
そういう状態になっては、本も落ち着いて読めない。
 
というわけで、田中晶子が読んでいた『ザイム真理教』を読むことにする。
 
オビの表が、「ザイム真理教はいかにして/生まれ、どう国民生活を/破壊してきたのか?」、そしてオビ裏が、「財務省が布教を続けてきた/『財政均衡主義』という教義は、/国民やマスメディアや政治家に/至るまで深く浸透し、国民全体/が洗脳されてしまったのだ!」
 
こりゃあ面白いぞ、とワクワクさせる。

しかし「まえがき」のところで、私にはよくわからない経済政策について書いてある。
 
まず「財政均衡主義」という理念について。前半のところが、財務省の言う、「ザイム真理教」の教義だ。

「財政均衡主義は、政界や財界、学会をはじめ一般国民にまで幅広く、そして深く浸透している。税収の範囲内で財政支出をしなければならないという理念は、われわれの暮らしになぞらえると、至極当然のことだと理解しやすいからだ。
 しかし、国全体の財政、特に自国通貨を持つ国の財政にとって、財政均衡主義は誤っているどころが、大きな弊害をもたらす政策だ。」
 
景気が悪化して、モノやサービスを作れる経済力があるのに、それが売れずに余ったときには、政府が公共事業を増やしたり、減税をして、需要を拡大すべきなのだ、つまり「ザイム真理教」の教義は間違っている、正反対だ、と森永卓郎は言う。
 
そして例にもってくるのが、昔懐かしい教科書で習った、アメリカのニューディール政策だ。1930年代、テネシー川流域総合開発を行ない、大量雇用を実施し、さまざまな需要を喚起して、経済を立て直していった。
 
もう一つ、財政均衡主義は長期的にも間違っている、と著者は言う。

「じつは財政の穴埋めのために発行した国債を日銀が買ったときには、その時点で事実上政府の借金は消えるのだ。」
 
森永さん、信じられないことを言う。そう思いながら、もう少し聞いてみる。

「まず、元本に関しては、10年ごとに日銀に借り換えてもらい、永久に所有し続けてもらう。そうすれば、政府は返済の必要が亡くなる。政府は日銀に国債の利払いをしなければならないが、政府が日銀に支払った利息はごくわずかの日銀の経費を差し引いて、全額国庫納付金として戻ってくるから、実質的な利子負担はない。」
 
なんだかよく分からないなあ。でもとにかく森永さんは、日銀への借金は気にすることはない、と言っているわけだ。

「そんな錬金術のようなことができるのであれば、世界中で税金徴収の必要がなくなるではないかと思われるだろう。もちろん、こうしたやり方には限界がある。やりすぎると高インフレが襲ってくるのだ。ただ、現在の日本では、このやり方での財政資金調達の天井が相当高いことを、アベノミクスが図らずも証明したのだ。」
 
なあんだ、アベノミクスとやらで、出たとこ勝負でやっていたところ、まだもうちょっとゆとりがある、ということらしい。
 
では、その限界はどのあたりにあるか。それは森永さんにもわからないらしい。こりゃあ駄目だ。
 
しかし森永さんは、憂国の士となって、財務省に戦いを挑んでいる(らしい)。

「最近、ネツトの世界では『ザイム真理教』という言葉が頻繁に使われるようになった。財務省は、宗教を通り越して、カルト教団化している。そして、その教義を守る限り、日本経済は転落を続け、国民生活は貧困化する一方になる。」
 
著者の言う、日銀の借金棒引きという経済原理が、よくわからないし、行き過ぎてはいけないという限界が、どの程度までかも分からない。著者にもわからないのだろう、たぶん。
 
しかし国民のために、というのが本気ならば、やはり最後まで目を通す必要はあろう。

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