これは消化不良――『大丈夫な人』(カン・ファギル、小山内園子・訳)

カン・ファギル(姜禾吉)の『別の人』は傑作だった。
 
女と男が一人ひとり孤立していて、セックスをしても、誰とも繫がれない、どこにも出口がない。
 
韓国現代文学の極北といった感じで、読んでいても、苦虫を嚙み潰すようで、終始寒々として、実に充実した読書体験だった。
 
これはそれより前に、カン・ファギルの名を国際的に高からしめた短篇集である。
 
となれば、期待するなという方が無理である。収録作品は以下の通り。

  湖――別の人

  二コラ幼稚園――貴い人

  大丈夫な人

  虫たち

  あなたに似た歌

  部屋

  雪だるま

  グル・マリクが記憶していること

  手
              
そういうわけで勇んで読んだのだが、この短篇集はダメだった。
 
僕が個人的に面白く思わないのか、それで消化不良を起こしたのか、それとも、これは習作の類いではなく、作家がはっきり意図して、作り上げたものなのか。
 
ここでは「訳者あとがき」が手がかりになる。

「カン・ファギル作品の特徴の一つは、人間心理を丁寧に読みほどき、ほどいた糸でタペストリーを織り上げるかのごとく、上質のミステリーに仕上げる手腕にある。」
 
なるほどこれは面白そうだ。ところがそれに続いて、こういうことを言う。

「手法として用いられているのが『信頼できない話者』だ。話者の緊張の糸が張りつめるほど、語られる内容は虚実ないまぜになる。」
 
そんなことでは、上質のミステリーにならないじゃないか。

「主人公の不安が主人公への不信になり、やがては読者の不安になる。それこそが作家のねらいである。カン・ファギル作品は、物語の終わりを読者に委ねる『開かれた結末』を取ることが多い」。
 
なにが『開かれた結末』だ。結末を考え抜かないから、締まりのない、だらしない結末になるんじゃないか。いい加減にしなさい!
 
さらに作者はこんなことを言う。

「結末自体より、読んでいる過程の方がより重要だと考えています。〔中略〕読者がともに経験するかたち。登場人物の感情が最高潮に達したとき、物語が終わります。内容の結末よりも感情の結末を強調するのが私の小説の特徴です。」
 
こうまで開き直られたのでは打つ手なしだ、と思わせといて、しかし作家はしたたかだ。『別の人』に続く長編第2作目、『大仏ホテルの幽霊』では、こんなふうになっている。

「実在した『大仏ホテル』を舞台に、霊が住むと噂されるホテルにかろうじて居場所を見つけた四人の男女の人生が描かれている。息もつかせぬ展開と、見事に回収される伏線。あえて『開かれた結末』を選ばなかったという著者の新境地だ。そちらも、一日も早く日本の読者に紹介できればと思う。」
 
そうだろう、そう来なくっちゃ。そういう日がくることを、切に願っている。

(『大丈夫な人』カン・ファギル、小山内園子・訳、白水社、2022年6月5日)

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