つらい師匠の泣き笑い――『師匠はつらいよ―藤井聡太のいる日常―』(杉本昌隆)(2)

ここからは例によって、目についたところを。

「棋士の涙」はぐっとくる。もうすでに、多くの将棋ファンが知っている出口若武六段の話。

「叡王戦の第三局は藤井聡太叡王の勝利。タイトル防衛で幕を閉じたが、局後の主役はむしろ挑戦者の出口若武六段であった。
 初の大舞台、終盤のチャンス、一手の逆転、藤井叡王の壁……。感想戦の大盤解説会場で流した涙はファンの心を打つものであった。」
 
出口六段は第3局の終盤、必勝の局面を迎えていたのだ。それが一手のミスで、勝利は手からこぼれ落ちる。将棋では、藤井聡太以外では、実によくあることだ。
 
私はそれまで、出口若武を知らなかった。大盤解説会場で涙したのも、ぐっと来ることは来たが、しかし本来、対戦相手には失礼なことだ。
 
ところが大盤解説会場から戻って、2人で感想戦を始めたとき、印象はがらりと変わった。
 
この27歳の棋士が、20歳の藤井叡王に、ここはどうやるんですか、もしこうしていればどうなりましたか、ということを、実に真摯に問うているのだ。
 
それは明らかに藤井聡太を信頼して、ただ道を乞う人といった感じだった。7歳ほどの年の差は、問題にならなかった。終始、礼儀正しく、教えを乞う若者の姿勢だった。
 
私はいっぺんに出口若武のファンになった。
 
エッセイの後半に、もう1人の泣いた若者が出てくる。この人は、杉本一門だった。

「後に東京大学に進む弟子の一人が奨励会を退会する直前、最後の研究会で対局相手に指名したのが藤井だった。
 規格外の才能を間近で見られる最後の日。一門を去る涙、それを見送る涙、対局中でも止めることなどできない。まだ中学生の藤井奨励会員までもらい泣きしていた。それを陰から見て涙腺が緩む私。」
 
広く知られることでなくとも、人がギリギリのところで闘っていることがある。そしてその相手が、まだ奨励会員の藤井聡太だ、ということに意味がある。
 
一門を去るに当たって、圧倒的で、自分の適わぬ相手であることを、最後に確認して、去っていこうとする。
 
一方、そういうふうに選ばれるのが、自分だという宿命を自覚する藤井聡太。
 
これはどちらにとっても、大きな意味のあることなのだ。
 
最後に、杉本の師匠らしい言葉。

「感情移入の涙、自分のための涙、実際に流すよりは心の中で、というケースが多いだろう。だが人生、嬉しさや悔しさで泣けるうちが花、という気もするのである。」
 
師匠は時に、充実したつらさも味わっているのだ。
 
ところで、杉本昌隆の「師匠」以外のニックネームは、「リフォーム杉本」だ。
 
対局の中終盤、きったはったをやっている際中、突然持ち駒の金銀で、自陣の囲いを修復するのである。これは、負けない気持ちは伝わってくるが、鋭さや華やかさとは無縁である。

しかしこの異名には、生活感が溢れまくっていて、「なかなか良いではないか」と、杉本は気に入っている。

「最大のネックは、これが炸裂しても、勝利には全然近づかないこと。
『杉本さんのリフォームが出た! うへぇ、今日は終電で帰れないな』
 対局相手以外の関係者からは恐れられているようである。」
 
こういうエッセイが、100話入っている。
 
そうして途中に、先崎学との対談、「藤井聡太と羽生善治」も入っている。

(『師匠はつらいよ―藤井聡太のいる日常―』杉本昌隆、
 文藝春秋、2023年6月10日初刷、7月20日第4刷)

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