つらい師匠の泣き笑い――『師匠はつらいよ―藤井聡太のいる日常―』(杉本昌隆)(1)

藤井聡太は、変わらず八冠を手にしている。今は伊藤匠七段を挑戦者に迎え、棋王戦を戦っている。
 
第1局は自将棋で引き分け。改めて今週土曜日に、第2局が行なわれる。
 
第1局は藤井の先手だったので、伊藤は引き分けで、よくやったと思われている(先手はわずかに有利だとされる)。伊藤匠七段は藤井と7,8局戦って、まだ勝ったことがないのだ。
 
自将棋は見ていて力が入り、終わった後、何とも煮え切らない思いが残る。そこで、藤井聡太に関する本でも読もうか、となる。
 
これは『週刊文春』に連載中のエッセイを、キリのいいところ、100本でまとめたものだ。
 
杉本八段は、自分の肩書に「藤井聡太八冠の師匠」と付くのに、もう慣れ切っているように見える。
 
しかし杉本も将棋指しである。将棋指しは常に1人で立っている。「藤井の師匠、杉本昌隆」が、半分汚辱にまみれた呼称であることは、誰よりご本人が一番わかっていよう。だから「師匠はつらいよ」なのである。
 
そういうことを前提にして、それでも面白いのである。杉本師匠は、あるところで達観している。
 
たとえば「哀しき大型連休」の章。
 
杉本はいくつかの棋戦に敗退して、結果的に大型連休の様相を呈することになる。

「世間ではちょっと残念がられる飛び石連休だってスケールが違う。二週間休み、対局一日、次の日からまた三週間休み。傍目には殆ど無職である。
 勝率の高い藤井聡太二冠は、絶対に体験できないこの特権。どうだ藤井、これが師匠の底力だ!……ああ空しい。」
 
思わず笑ってしまう。しかしその笑いには、二分の苦虫が嚙みしめられている。
 
次は「ライバルという存在」。豊島将之からストレートで、藤井が竜王位を奪取し、四冠になったころである。

「神から天賦の才を与えられた、小学一年生の聡太少年を観た衝撃。この日が来ることは私には既定路線である。それでも四冠達成は胸にグッとくるものだ。
 実は今回、私は山口県宇部市の現地を訪れていた。夜中に藤井新竜王の部屋を訪れ祝福をする。でも、祝いの言葉より将棋談義が楽しそうな藤井新竜王。こちらも望むところである。時間の経つのも忘れ、いつまでも話し込んだのだった。」
 
結局、この時間が珠玉の宝物だから、藤井の師匠と言われようが、何と言われようが、全て許せるのである。

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