失われた「山荘」を求めて――『富士日記の人びと―武田百合子を探して―』(校條剛)(5)

富士山麓の別荘で暮らしていると、雨の日が多い。この土地の湿気は、乾くことがない。校條さんは雨の日が嫌いだ。

「雨は、冬場には少なくなるが、夏場には長く滞在していると結構雨天の日が多い。梅雨が長引く年などは、いささか気持ちが腐ってくる。秋口にも雨が多いので、四六時中雨に降られて暮らしているように思ってしまう。」
 
予想外だが、山の天気は変わりやすいのだろう。それにしても雨が多いと、気持ちが腐ってくる。

「だから、雨のあと、晴れ間が現われたときの喜びは大きい。まだ濡れている樹々の葉っぱが黄金色に輝きだす瞬間の美しさは得も言われない。これこそが、森林のなかで暮らす歓びの最たるものだろう。」
 
陰気な雨の場面から、転調して明るいところへ出る。その喜びが文章に出ている。
 
校條さんは、雨の日が本当にきらいなのだ。それは理由がある。

「子どものときから、私は雨の日が好きではなかったが、百合子さんと同様、家族や知人、友人の死を数多く体験している身としては、どこにいても雨の日はますます楽しくなくなっている。樹林のなかの雨がさらに寂しいのは、百合子さんと同じである。」
 
校條さんは、家族や友人の死を「数多く体験して」いたのだ。それが同年代と比して、どのくらい多いかは知らない。またそれを聞き出して、多い少ないを言ってみたって、何の意味があるだろう。
 
雨の日に、校條さんは、死者を思い出すことが多い。それだけで十分ではないか。
 
そして再び、百合子さんの日記に戻る。

「泰淳が亡くなった年の夏、一九七六(昭和五十一)年の八月三十日は、雨が降っている日だった。夫が寝ている部屋のコタツに入りながら、『さびしいなあ』と百合子さんが呟くと、『さびしいなんていっちゃいけない!!』と泰淳は語気荒く叱る。いつもは、冗談交じりなのに、夫のその言葉に百合子さんは少し傷つく。だが、このふた月後には、泰淳はこの世の人ではなくなってしまう。体調が思わしくないときに、『さびしい』という言葉が病人には応えたのだ。」
 
この、雨の日をめぐる2ページほどの文章は、百合子さんと校條さんが、共鳴して沈み込んでいき、それを読んでいる私も、すっかり寂しくなってしまう。山の別荘に、こういう日があるとすれば、すばらしい。
 
百合子さんはほぼ毎年、夏になると井伏鱒二の『黒い雨』を読む。校條さんは読んだことがなかった。

「読むべき時期を逃してしまったのだが、『原爆』を扱っているというだけで、『反戦』『平和のありがたさ』などを教育的に教えようとする姿勢を警戒してしまうのだ。」
 
私も『黒い雨』を読んだことがない。校條さんが挙げているのと、同じことを感じる上に、そもそも井伏鱒二を、そんなに面白いと思ったことがない。
 
しかし校條さんは、百合子さんが毎年夏に読み返すのだから、読んでみた。

「やはり、読んでよかった。見たまま、経験したままの事実をほとんど即物的に伝える文章は、教訓にもきれいごとの羅列にも無縁であった。
〔中略〕戦争文学の白眉といってもいい作品に違いない。」

『黒い雨』を、武田百合子が毎夏読み、それを見て急ぎ校條さんが読み、戦争文学の白眉であるという。そうすると2人に続いて、私も読まずにはいられない。

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