またも教科書のような小説――『歌われなかった海賊へ』(逢坂冬馬)(2)

時は1944年のドイツ。ヴェルナー・シュトックハウゼンに、若いレオンハルトが言う。

「ひとつ、エーデルヴァイス海賊団は高邁な理想を持たない。ただ自分たちの好きなようにいきる。ひとつ、エーデルヴァイス海賊団は助け合わない。何が起きても自分で責任を取る」。
 
ただし、と若い女性、エルフリーデが、笑いながら付け加える。

「それでも、私たちは組織だよ」。
 
そういう、組織の弊害をできるだけ取り去った組織が、戦争状態にあるとき、稀に存在しうる。
 
1930年代後半、スペイン市民戦争のときの、カタロニアにおけるPOUMがそうだった。「マルクス主義統一労働者党」と名前は厳めしいが、アナーキストの集団だった。
 
ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』には、POUMの印象的な場面がある。
 
軍隊だから、命令を出す方と、命じられる方がある。このとき、命令される方が納得しない限り、命令は遂行されない。実に非効率だが、闘う者全員が、納得して闘っていた。
 
ジョージ・オーウェルは、このアナーキストの軍隊に感動している。
 
当然、内からはスペインのフランコ総統の軍隊、外からはソ連の一国社会主義者、スターリンによって、アナーキストの革命は潰された。

もちろん戦争のときには、非人間的な組織が圧倒的に増える。ドイツのナチ政権、ロシアのスターリン体制、日本の天皇制下の軍隊……、ろくなもんじゃない。
 
ともかく、エーデルヴァイス海賊団は、ナチ党に熾烈な戦いを挑んだ。

「活動は散発的で、同じ場所を続けて狙わず、忘れた頃に不意を突いておこなうのが鉄則だった。ナチ党が呼ぶところの『少年徒党集団』に対する弾圧は全国的に熾烈を極め、ケルンでは同じ『エーデルヴァイス海賊団』を名乗るグループの数名が裁判を経ずに縛り首になったが、これまでがそうだったように、弾圧が強化されるたびに、ナチスを憎む少年たちは自分たちの活動に熱中していった。」
 
こういうのは、どのように考えればいいのだろう。日本では、ついぞお目にかかることのなかった、ティーンエージャーによる抵抗運動。ドイツではそれが盛んだったと言うけれど、それをどの程度のものとしてよいか、正直雲を摑むような話だ。
 
事態はここから急激に動く。片田舎の町に、鉄道を延長する話があり、普通の人が乗らないその鉄道が、どういうものであるかが分からないのだ。

「終点駅の先に何があるのか、という疑問だけではない。周囲に目を配ると、皆、作業の合間の休息を堪能していた。不況にあえいでいた地域住民たち。その表情が活気付いていた。〔中略〕だが、外国人捕虜たちは、その休息を与えられることもなく、枕木の加工作業を続けていた。」
 
ヴェルナーが、嫌な感じがすると言ったとき、延長された線路の先には、強制収容所がまっていた。
 
この町の人たちも、終点の先にあるものは、何となくわかっていた。ただ景気が良くなれば、それ以上のことは頭から追い払い、見ないことにしたのだ。
 
それは戦後に意味を持つことになる。私たちは、捕虜を抹殺する強制収容所のことなど、知らなかったのだ、と。

「ナチスは収容所に入れる人たちに色のついた下向き三角形を与えることで、彼らを記号のように扱っていた。犯罪者は黒、共産主義者は赤、宗教的異端は紫、そして同性愛者はピンク。もしもその者がユダヤ人であれば、上向きの黄色い三角形が重ねられ、ダビデの星の形となる。」
 
ナチスは徹底的に人を差別した。もちろんナチスだけではない、アメリカも、他のヨーロッパの国々も、日本も、皆そうである。

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