並みのキャメラマンじゃない――『誰かが行かねば、道はできない―木村大作と映画の映像―』(木村大作・金澤誠)(3)

『火宅の人』では、深作欣二監督のデフォルメした演出で、1シーンで13発の雷を鳴らしているところがある。木村大作も、これは面白いと思った。

「映画におけるリアリティというのは、実際の10倍やらないと出ないんだ。その場にあるものを、ただそのまま撮っているのは日常であって、映画でそれをやっても面白くないというのが深作さんだよね。それは、黒澤明さんも今村昌平さんも同じで、すごい監督はみんなそういうところがあるよ。」

「すごい監督」に、黒澤明、今村昌平が挙げられているのに注意。この二人と何本も組んだ、録音技師・紅谷愃一のすごさが思い起こされる。

『火宅の人』は、深作欣二が脚本も書いた。

「自分でも手応えがあったと思う。ある意味、深作さんの人生を描いているような内容でもあるからね(笑)。」
 
そうか、そう言うことか。僕は、檀一雄の原作のあまりの下らなさに、映画を観るのをやめたが、そういうことであれば、一度ぜひ見てみたい。

『華の乱』は、タイトルは聞いたことがあるけど、記憶には残ってない。1988公開だから、会社が倒産して、僕はメシが食えずにいた頃だった。いや、京都の法蔵館の東京事務所に移籍したころだったかもしれない。身辺追い込まれている感じがあって、それどころではなかった。

『華の乱』は吉永小百合の与謝野晶子、緒形拳の与謝野鉄幹、松坂慶子の松井須磨子、そして与謝野晶子と恋愛関係になる有島武郎役に、松田優作の配役である。
 
ここでは木村大作と松田優作に、絡み合う因縁の話があるが、それよりもキャメラマンから見た、人種の話が面白い。人種と言っても、もちろん差別に関わる話ではない。
 
深作はこのとき、フランス映画『ブロンテ姉妹』のように撮ってくれといった。

「日本の監督は、よく外国映画の名前を出して『こんな調子でやってくれ』と言うよ。日本人ははだがイエロー。アメリカ映画なら白人と黒人ですよ。そうすると洋画はイエロー過多の色調になる。白人が白人の顔色で出てくる映画なんてないよ。黒人だってイエローか赤みを出さないと、あの黒は出ない。それと同じ調子を日本映画をやったら、どうなると思う?  映画の色調の基準は、肌の色なんだから。それをイエロー過多でやったら、目も当てられないよ。」
 
難しい内容で、助詞も変なところがある。ここは金澤さん、ちょっと混乱しているなと思うが、しかしキャメラマンとしては、もっとも重要なことを語ってると思う。
 
続けて、人の顔を例に挙げて言う。

「面白いもので夏八木勲さんは外国人系なんですよ、肌の色が。緒形拳さんは日本人系。不思議なのは、肌自体が白っぽいとか黄色っぽいということではなくて、にじみ出てくるものが違うんだね。キャメラを覗いていると分かる。だから『洋画っぽい調子は無理なんです』と言ったら、深作さんも分かってくれたよ。」
 
話の道筋はもう一つよく分からない。しかし芯に到達すると、こういうことなんだなあ、ということは分かる。分かるような気がする。
 
この映画で、木村大作はキャメラマンとして、監督の深作欣二の内面まで把握しようとしている。

「俺は深作さんと4本やったけど、この映画のときが一番悩んでいたな。『火宅の人』なんかは、まるで自分のことみたいだからよくわかるんだよ。恋とか愛の場面はいいんだけど、ピクニックに行く場面は悩んで結局1週間かかっている。」
 
この映画、ますます見たくなってきたぞ。

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