第二部の最初の章タイトルは「ドンヒ」。ドンヒは現在、アンジン大学で教師をしており、目下困ったことが起きていることを、彼が主役の文体で語る。
女子学生のキム・イヨンが、みんなでカラオケに行ったとき、先生のドンヒに、ブラジャーのストラップの辺りを、探られたというのだ。
これはドンヒにとっては、信じられないことだった。
「キム・イヨンは典型的なガリ勉タイプだった。彼女は隅に座って友人たちが歌っているのを眺めるだけだった。〔中略〕あんまり静かだから煙たがられているみたいでかえって居心地が悪かった。何かしたほうがいい気がした。だから彼は、どうしたのか知らないが元気を出せ、という意味で、イヨンの背中をポンと叩いた。本当に、ぽん、だった。」
ところが数日後、キム・イヨンはドンヒのセクハラ行為を、学生相談センターに訴えた。
ドンヒは狼狽し、泡を食ってしまった。
「ぽん、と叩いた。
他には何も思い出せなかった。ドンヒの記憶では、それが唯一イヨンに身体接触したアクションだった。」
そのうえドンヒは、日頃からキム・イヨンに、勉強のできる、やる気のある学生だと、目をかけていた。イヨンはよく質問をする生徒で、ドンヒはイヨンの、やる気を以てぶつかってくるのが理解できた。
「大学には、学生に発表をさせておいて後ろで寝ている老教授や、高校と同じように適当に板書をさせる教授、やたらレポート課題ばかり出して何も教える気のない教授がわんさかいた。学生の講義評価が高いのは単に彼らが気前よく単位をくれてやるからだった。」
イヨンが、そんな講義に、不満で押しつぶされそうになっていることは、一目瞭然だった。
だからドンヒは、彼女を気にかけてやったのだ。
「今までしてきたことがすべて水の泡になるのかと思うと、ドンヒは途方に暮れた。なぜこんな状況に巻きこまれたのだろう?」
この章は大事だ。2度目に読んだときに、そう思った。
キム・イヨンは、後にキャンパスの掲示板に、ドンヒがセクハラをし、その責任を取ろうとしないことを告発する。
つまりここでは、作者はどちらにも加担していない。「ドンヒ」の章は、ドンヒが主人公なので、ただ背中をぽんと叩いたのは事実だろう。
しかし、徹底的にセクハラを糾弾するイヨンが、嘘をついているはずがない。
驚くことに、どちらも真実を語っているのだ。つまりここでは、男と女はどこまで行っても、分かり合えることはない。それを象徴する事例なのだ。
ドンヒはまた、直接の上司であるイ・ガンヒョン准教授とも、まずいことになりそうだった。
ドンヒは、フェミニズムの講義は、より多く多彩に行われるべきだと考えていた。
しかし、イ・ガンヒョンの場合だけは違っていた。
「男性は無条件に女性を抑圧する存在、女性は長い間差別されてきた被害者という論理を十二年間同じテキストで、オウムみたいに繰り返し授業するのは暴力だと思っていた。」
イ・ガンヒョンは、とっくに大学を去っていなければいけない人間だ、と彼は思っていた。しかし現実には、彼の上に君臨している。
「彼は彼女のことを心の底から嫌ってはいたが、その政治力には恐れをなしていた。大学院に進学してすぐ、近しくするべき人間はイ・ガンヒョンであることを本能的に察知した。しかしイ・ガンヒョンのほうがドンヒを嫌っていた。彼女は何かというとドンヒを『中途半端なマッチョ』と呼んだ。理解不能だった。彼はイ・ガンヒョンの前でそんな行動をとった覚えがなかった。」
ドンヒもドンヒなら、イ・ガンヒョンもイ・ガンヒョンだ。アンジン大学の「ユーラシア文化コンテンツ学科」には、ろくな教師がいない。そしてそのことは、学生にも分かっている。
ドンヒはセクハラ事件で蟄居して、家でムシャクシャしていた。パソコンを目的もなく操作しているうちに、DVを受けて有名になった女のことを知った。
「『ん? キム・ジナ?』
まさかと思って年齢を確認すると、彼と同い年だった。」
ドンヒは10年以上たって、キム・ジナの名に行き当たった。キム・ジナは、同じ職場の先輩社員に、暴力を受けていたという。
「正直、ドンヒは男の側の気持ちが少しわかる気がした。キム・ジナはドンヒがつきあった中で最悪の女だった。いったい何を考えているかわからず、自分の感情ばかりに夢中で、隣にいる人間がどんな状況かに関心がない。」
付き合いだして4か月たったころ、突然、「これまで一緒に過ごした時間は全部偽物だっただの、一度も幸せだったことはないだの言いだし、滂沱の涙で別れを言ってきたのだ。」
ドンヒにしてみれば、明らかに頭のおかしい女だった。飯も一緒に食い、旅行にも行った、試験勉強にかこつけて親密になったこともある。それが全部、嘘だというのか。
ドンヒは、昔のキム・ジナのことも、今のセクハラのことも、胸の中にたまった憤怒を、書き込みすることで、全部吐き出した。
「キム・ジナは嘘つきだ。真空掃除機みたいなクソ女。@qw1234」
ここまでくれば、この小説が、単純なフェミニズムを扱ったものでないことは、だれの目にも明らかであろう。
では一体、何を扱ったものなのか。
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