日米の違い――『愛と差別と友情とLGBTQ+―言葉で闘うアメリカの記録と内在する私たちの正体―』(4)

この本は前半が「1.愛と差別と――言葉で闘うアメリカの記録」、後半が「2.友情とLGBTQ+――内在する私たちの正体」となっている。
 
第1部は、カミングアウトし闘うゲイの、社会的、歴史的な記録であり、第2部は、自分のことを含めて、どちらかと言えば、内向きに「男と男のこと」の話が進んでいく。

とはいっても、アメリカの話題が中心なので、日本の私が見ている分には、対象との距離というか、齟齬がある。
 
その中で「第十四章 ホモソシアル、ホモセクシュアル、MSM」に、自身のゲイに目覚めるところが書いてある。ちなみに「MSM」は、男とセックスをする男のことで、つまりゲイのこと。
 
北丸雄二は、自分がゲイであることに、なかなか馴染めなかった。

「私は日本で与えられるゲイ男性の情報のほとんどいずれにも、自分との同一性を感じられなかった。『それら』の現象が『ゲイ』ならば、私はゲイではなかった。」
 
思春期の中学生のときでも、性的対象に男性を想定して、マスターベーションをしたことはなかったという。
 
これは、ゲイと言ってもいろいろあるものだという、考えてみれば当たり前の話である。
 
しかしそれまでは、画一化されたホモセクシュアルが、世間を覆っていた。

「『真性のホモセクシュアル』とは、(これも「昭和」的なさまざまなテキストにステレオタイプとして描かれていた)『ジメジメとメメしく妬〔ねた〕み嫉〔そね〕み僻〔ひが〕みと嘘とに満ちた、「男」になり損ねた性的倒錯の、変態性欲の男たちのこと』でした。〔中略〕『ホモ』たちはアイデンティティを持っていなかったのです。あったのは自らの性的指向の呼び名だけでした。」
 
実際のゲイを知らなければ、「『男』になり損ねた性的倒錯の、変態性欲の男たち」を、空想の世界で膨らませていくしかない。
 
この本には、そこからさらに性についての話題が、芝居や映画も含めて、深く考察してある。

しかしこの本を読み終わって、正直な気持ちを言えば、「性の話」はゲップが出そうで、もういいという感じだ。タイトルを見れば、「性の話」であるのは当然で、関係ない話が出てくる方がおかしいのだが、それでも、そういう印象を持つのはしょうがない。
 
読んでいるときは、勉強になるし、性的少数者の話だから緊張もするが、全体を読了すれば、もうしばらくは「性の話」は結構、という気になる。
 
もちろん、名コラムニストの北丸雄二に対する信頼は、この本を読んでますます強固なものになった。その点は変わらない。
 
それでも、少数者の性的な話は、精神的に微細なことを推測するしかないので、疲れるものだ。
 
そういうことはあるけれど、「LGBTQ+」の人々に対しては、当たり前のことだが、誠実に、というか真面目に接していきたい。

(『愛と差別と友情とLGBTQ+―言葉で闘うアメリカの記録と内在する私たちの正体―』
 北丸雄二、人々舎、2021年9月10日初刷、2022年2月5日第4刷)

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