3度目のディドロ――『編集者ディドロ―仲間と歩く『百科全書』の森―』(2)

それにしても、ディドロとは一体何者か。新編集長になった途端、筆禍事件で投獄され、あるところからは地下に潜って仕事をし、図版の剽窃は指摘されるは、およそトラブルは限りなく湧いてくる。

いやになるのが当然ではないか。そこでディドロを耐えさせたものは、「後世を恃む」ということなのか。

この本には、編集長ディドロの生活と仕事の実際、文筆業者と書籍商(=出版社)の相克、商業出版の実態、千差万別の執筆協力者や、予約購読者の実像、ディドロの選んだ図版とは何かなど、読みながら納得と疑問、そして妄想が、とめどなく湧いてくる。

そもそも「地下に潜って」仕事をするとは、どういうことか。

後半の一〇冊を二年間で配布しているが、そしてこれは著者も指摘しているが、縦四〇センチ、横二五センチの巨大な事典が、一巻約四千部、これをどこに置くのか。まさかそれ用に、地下を掘るわけではあるまい。

これは刊行を禁じた側と出す側が、気脈を通じていないと、できないことである。

またロシアのエカテリーナ二世が、発行停止中の『百科全書』を、ロシアで刊行しないかと申し出ている。このときディドロは断っているが、これはどういうことだろうか。

エカテリーナはディドロがお気に入りで、結構な財産も補償している。これは一八世紀のフランスとロシアの関係を、正確に捉えていないとよく分からない。
 
人物に関しては、初期『百科全書』の編集長、グワ・ド・マルヴ神父と、五十歳を超えて執筆陣に参加した、ジョクール騎士が印象に残る。

グワ・ド・マルヴはディドロに先立って、「技芸部分を充実すること」を説いた。先見の明ありのグワだが、金に汚く、また娼婦を買った記録が残ってしまう。それで初期『百科全書』編集長の仕事も、内実は怪しいとされた、陰翳の濃い人物である。

ジョクールはディドロを支え、執筆したのは何と一万七千項目、『百科全書』全体の三分の一に達する。信じられない数である。さらにジョクールは複数の秘書を雇い、報酬は一銭ももらわず、『百科全書』の敵たちですら一目置いていたという。ジョクール騎士、一体どういう人物なのか。
 
とはいえ最大の謎は、ディドロに尽きている。公私ともに細かく事績を追いながら、しかしそれは年譜の上にすぎず、精神的全貌は全く分からない。

いつ投げ出してもおかしくない『百科全書』を、図版の巻も含めてやり遂げたディドロに、著者はこんな言葉を投げかけている。これはルソーとの相克が問題になったところだ。

「この二人の巨人の交流と離反のドラマについては、長い研究の歴史がありますが、事実関係の調査や追究に主眼が置かれるものばかりで、巨人たちが秘めている心のありようの『途方もなさ』のような側面は、いまだまったく解明されていないというのが私の印象です。」

終わりまでを読むと、その「巨人」の精神のとば口あたりも、鷲見洋一は射程に入れている。

(『編集者ディドロ―仲間と歩く『百科全書』の森―』
 鷲見洋一、平凡社、2022年4月25日初刷)

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック