同じ本を読むのでも、たまにはのんびり小説でも、という気になるときがある。
傍から見れば必死で読んでいても、同じことなのだが、本人にとっては、「たまにはのんびり」というところが大事だ。そういうときには、例えば篠田節子がいい。
『銀婚式』は、2000年前後のサラリーマンの、日々を生きてゆくのに必死なようすが蘇ってきて、自分も法蔵館を辞めてトランスビューを作った、あの頃を思い出してしまった。不安な時期だった。
大手証券会社のニューヨーク本部で、忙しく働いていた「髙澤修平」は、日々生気が失われていく妻とうまくいかなくなり、やがて離婚する。
妻は後に、甲状腺ホルモンが不足する自己免疫疾患であることが分かるが、そのことは、子供と二人、日本に逃げ帰るまで、妻も知らないことだった。
同時に会社も、不景気の波が押し寄せ、破綻する。不況が始まる時期だったなあ。
「髙澤修平」は、その後始末をきちんとやり遂げてから、ニューヨークに別れを告げる。
転職した次のところは、中堅の損害保険会社である。そこでは、コンピューター化の波が業界を襲い、第一線の一人代理店の女性たちと、本社の間で板挟みになり、そこも去ることになる。
次の転職先は、友だちの伝手を頼った「東北国際情報大学」である。ここは仙台市内から、スクールバスで30分という触れ込みだった。これが全体400ページの4分の3を占める。ここからが、本格的に面白くなる。
同僚の老教授が、諭すように言う。
「相手を大学生と思ってはいけませんよ。昔の小学生と考えれば間違いない。この部屋の名称は研究室ですが、我々の仕事から研究が消えて久しい。しかし最近では学問だけでなく、教育もできない。生活指導ですよ、私たちの仕事は。あなたも企業にいらっしゃったのですから、新入社員の方の変化を目のあたりにしてこられたでしょう。」
篠田節子はこういう私立大学を、学生も含めて徹底的に調べて、よく書いている。見事なものだ。
しかし、さらによく書けているのは、勤め先の大学以上に、別れた妻の、女親の老人問題だ。著者はここで、主人公に老人問題まで背負わせる。
離婚したとはいっても、子どもを通して、元女房との付き合いは続いてゆく。実家まで行った「髙澤修平」は、義母が痴呆になっており、体の一部が腐り始めているのを知って、愕然とする。そして元妻を支えなければと思う。
「その日のうちに様々な書類のやりとりが待っていた。
ケアマネージャー、ヘルパー、入浴サービス、介護用レンタル用品、すべてのサービスに関する契約も業者もばらばらだ。それぞれの会社から別の人間がやってきて、それぞれに契約を交わし、口頭で説明をする。整然としているつもりの高澤の頭でも混乱する。」
僕は当事者だから、本当によくわかる。妻が手際よく捌く書類と人を、ただもう混乱しながら見ている。
「なぜ〔元妻の〕由貴子がこうしたサービスを利用するのを拒んだのかわかるような気がする。日々の介護で精魂尽き果てているからこそ、この手続きだけでつまずいてしまう。
ケア・ビジネスの独占を避けるための配慮かもしれないが、煩雑なことおびただしい。きっとこれまで介護に関わったことのない、自分のような男たちが机上で練ったプランに違いないと高澤は思った。」
まったくその通りで、これ以上申し上げることはない。
ただ、この小説の単行本の初出が2011年、それから10年ちょっと経つと、年寄りの爆発的な増加に伴って、今度はサービスをどういうふうに削るかに、力点は移っている。これは恐ろしいことだ。
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