奇跡の聞き書き――『音が語る、日本映画の黄金時代―映画録音技師の撮影現場60年―』(21)

紅谷さんは、『黒い雨』は今村映画のなかでも、ベスト3に入るという。「昔の今村映画のように変なしつこさがなくて、無駄な部分はスパンと切ってある。押しつけがましいことをなるべく避けて、原作の味わいを活かしたいい作品になった」という。
 
ここを読むと紅谷さんは、今村昌平の映画に対しても、自分の意見をはっきり持っている(今村昌平が亡くなったから言えるのかもしれないが)。

『黒い雨』については、いろんなことをしゃべっているけれども、ここでは特に田中好子のことを取り上げたい。

「紅谷 矢須子が原爆症の不安を感じて鏡をのぞき込み、顔を鏡に近づけていく場面や、入浴中に抜け落ちた自分の髪の毛を見つめる場面など、彼女は鬼気迫る入魂の演技をしています。ああいうところで今村さんは『ああしろ、こうしろ』と細かい指示は出さない。田中好子さんは、ちょっとアドバイスされただけで矢須子になり切っていましたから、すごい女優さんだと思いました。」
 
このオープンセットは2万平方メートルに及び、倒壊した瓦礫をあらわすコンクリートの塊や、黒焦げの路面電車、傾きかけた電柱を持ち込んで、広島の大惨状を再現した。

被爆者として1000人を超すエキストラが参加し、肌がケロイド状になった人や、皮膚が溶けた人を作るために、特殊メイク班が10数人待機した。この市街地の撮影は、1週間続いたという。
 
このロケに入る前日、黒澤明監督の『夢』(90)の依頼が来た。はるか昔、駆け出しのときに『羅生門』に参加したことはあるが、それ以来、黒澤との付き合いは全くなかった。

紅谷さんは、黒澤明が大変苦手だった。

「紅谷 正直、気が重かったです。助手時代に『羅生門』の現場で、怒鳴りまくる黒澤監督を見ていましたし、怖いという印象がいまだに強く残っていて(苦笑)。」
 
いやあ、面白いですね。録音技師として、押しも押されもしない紅谷さんが、『羅生門』で怒鳴りまくっていた黒澤を、いまだに怖い人だと思っていたとは。

「紅谷 実は黒澤監督と会う前に、今村さんに相談したんです。(中略)そうしたら今村さんは『黒澤さんとやれる機会はそんなにないんだから、しんどくてもやった方がいい』と言ってくれました。今村さんの助言もあり、『夢』をやるとほぼ決めたんですが、実際に黒澤さんと会うまでは正直まだ迷いがありました。」
 
本当に怖かったんだねえ。
 
そしていよいよ、黒澤邸訪問である。

「紅谷 すぐに黒澤監督がラフな格好で二階から現れました。(中略)『よく来てくれたね』とグローブのような大きな手で握手されて、二階の応接間へ通されました。
 ソファーに座った黒澤さんが改めて『よろしく頼みます』と言われたので、僕は思わず姿勢を正して『こちらこそよろしくお願いいたします』と挨拶するしかなかった。やはり独特のすごいオーラがあるし、断るなんてとてもできない雰囲気でした。」
 
初対面からオーラを発してたのは、高倉健と黒澤明だけだ。ほかにもそういうことを言う人がいるから、きっと特別だったのだろう。一度会ってみたかった。
 
黒澤監督は仕事を進めながら、紅谷さんの心をがっちり摑んでいく。

「紅谷 僕は黒澤さんがすごく信用できる監督だと思ったんです。音のバランスに関しては、〔ほかの人には相談せず〕『音の問題だから紅谷君を呼んでくれ』と黒澤さんは言ったそうです。自分の中で引っかかっていたことがあったら、音についてはまず僕と直に会って相談したいと。担当者を大切にする監督だと思いました。」

『夢』は、黒澤明が見た夢を基に、「日照り雨」、「桃畑」、「雪あらし」、「トンネル」、「鴉」、「赤富士」、「鬼哭」、「水車のある村」の8篇からなるオムニバス映画である。
 
僕はこの8篇にはたいして興味はないが、紅谷さんが凝らす工夫は、映画館で観てみたい。

「紅谷 大映京都時代に一番下の録音助手で参加した『羅生門』のときの怖い印象が強烈に残っていて、引き受けるかどうかずいぶん迷いましたが、思い切ってやらせてもらって、本当によかったと心の底から思いました。苦労も多い現場でしたが、黒澤監督に大事にしていただきましたし、黒澤監督の映画づくりに対しての純粋な想いに触れて、得難い経験をさせてもらいました。」
 
冗談ではなく、さすが「世界のクロサワ」、数々の監督とやってきた紅谷さんが、黒澤に関しては、ただもう絶賛である。黒澤監督とは、次の『八月の狂詩曲(ラプソディ)』(91)でもコンビを組む。

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック