奇跡の聞き書き――『音が語る、日本映画の黄金時代―映画録音技師の撮影現場60年―』(20)

紅谷さんは87年には、神山征二郎監督の『ハチ公物語』(87)に参加する。これは奥山和由がプロデューサーだったが、まだ経験が浅くて、不安だったようだ。

「紅谷 ラッシュを観たときに奥山さんが、『紅谷さん、これ、商売になりますかね』と聞くので、『どうして?』と言うと、『犬が芝居をしているところが、全体的に音がない』というわけです。指示を出しているところは音を絞っているし、まだ効果音も入っていませんしね。」
 
奥山は不安がっていたけれど、やがて音入れをして、ゼロ号試写を見たときに、走り寄ってきて、「ありがとうございました。これで安心しました」と言われたのを、よく覚えている。
 
映画は大ヒットして、松竹はここから犬の映画を連発していく。

こういうの、見れば面白いんだろうが、よほど暇でも足は向かない。
 
僕はそもそも『ハチ公物語』のような、お約束で泣きが入るような映画は観ない。これは映画に限らず、本でも同じことだ。「号泣」とか「泣く」とかがオビにあれば、そういう本は眼に入れたくもない。
 
この年は続けて蔵原惟繕監督、高倉健主演で『海へ―see you―』(88)の依頼があった。倉本聰の脚本で、蔵原監督としては『栄光への5000キロ』に続くラリー映画だった。
 
フランスロケを行い、1月1日からパリ-ダカール・ラリーを22日間にわたって撮影、2月にはヨーロッパかアフリカで、ラリー場面を再現したドラマ部分を撮影し、3月20日にクランクアップという予定だった。しかしもちろん予定は伸びる。
 
問題山積みだったが、そのおおもとに蔵原監督の健康問題があった。

「紅谷 今回はそれら二本〔『栄光への5000キロ』『憎いあンちくしょう』〕を作っていたときのようなエネルギーと意欲は現場でもあまり感じられませんでしたね。やはり自分の世界に引き寄せられなかったことと、撮影の段取りが思うようにならなかったのが大きかったのでしょう。体調も万全ではなかったようですし。長年の仕事仲間として、この仕事は傍で見ていてつらかったですよ。」
 
監督、というか映画作りは、まず体力というところに尽きている。高倉健の主演映画だったが、興行的には厳しい結果に終わった。
 
この作品が終わった後、いよいよ今村昌平監督の『黒い雨』(89)に参加する。
 
まず脚註を引いておく。

「『黒い雨』(89年5月13日公開)。監督:今村昌平、出演:北村和夫、田中好子。井伏鱒二の小説を原作に、広島で原爆投下時に黒い雨を浴びた女性が、戦後になって被爆後遺症を発病しながら、叔父夫婦の支えによって生きていく姿を清冽に描きだした作品。」
 
これは今までコンビを組んできた黛敏郎が、「思想的なことがネックになって」、駄目になった。それで難航はしたのだが、武満徹が引き受けた。
 
原作の「昭和25年の小畠村」を映像化するために、ロケ地として岡山県の吉永町八塔寺(現・備前市)が選ばれた。

「紅谷 ここには茅葺の民家が全部で一四戸点在していて、水車小屋や小川もある。懐かしい里山の風景が『八塔寺ふるさと村』として、保護されていたんです。映画の主な舞台は、矢須子の叔父・閑間重松(北村和夫)の家で、この家は山奥にあった廃屋を、半年かけて移築しました。さらにこの地区にあった電柱三〇数本を引き抜いて、舗装された道路の上に約四〇トンの砂を敷き詰め、約四〇年前の小畠村を作り上げたんです。」
 
廃屋を半年かけて移築したりして、すごいことをやるものだが、「この地区にあった電柱三〇数本を引き抜いて」、というのは法に引っかからないのかね。というか電柱を引っこ抜かれたら、電気も通らなくて、そこで生活してる人は、困るんじゃないのかね。

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