奇跡の聞き書き――『音が語る、日本映画の黄金時代―映画録音技師の撮影現場60年―』(18)

紅谷さんは、『楢山節考』と並行しながら、蔵原惟繕監督の『南極物語』(83)にも参加している。しかし、こんなことが可能なのか。
 
通常は不可能だが、仕上げを担当して、音に関する総責任者になってほしい、と言われたのである。具体的には、海外ロケの機材の準備や、ロケに連れていく録音担当の人選など、また『楢山節考』の手が空いているときには、『南極物語』を手伝ってほしいと言われた。
 
紅谷さんは、だから82年は、山の中では『楢山節考』を録り、平地に降りてくると『南極物語』を担当していた。
 
この映画は高倉健が主演で、南極観測隊が南極に置いてきた樺太犬と、奇跡の再会を果たす実話である。
 
この映画で紅谷さんは、夏目雅子と初めて会った。京都のロケバスで少し話したが、感じのいい、素敵な女優さんだったと述べている。

『南極物語』は配給収入59億円、興行収入では110億円と、これまでの日本映画の興行記録を塗り替えた。
 
続いて83年には降旗康夫監督、高倉健主演で『居酒屋兆治』(83)に参加している。降旗監督とは初めてである。
 
降旗監督は音に関しては、何も言わない人だった。紅谷さんは今村監督たちとやってきて、意見を出されるのに慣れている。何も言わないと、かえって何を考えているのかわからなくて、とっつきにくい人だと思っていた。
 
その印象が、変わった瞬間がある。大原麗子の嫁いだ先の牧場が、家事で焼ける場面があり、これはスタッフみんなが緊張し、バタつくところだ。

「紅谷 ところが降旗監督は冷静に構えていて、『はい、火をつけてください。キャメラ、スタート。演技を始めてください。Bキャメラを回してください』と各パートが動き出すタイミングの指示を電子メガホンで的確に出していって、これが見事だったんです。その冷静な指示の仕方は印象に残りました。」
 
スタッフが降旗監督についていくのが、よく分かったという。

『居酒屋兆治』は、実は音を録るうえでは、非常に困難な状況であった。

「紅谷 英治が営む居酒屋『兆治』はカウンターだけの小さな店で、客は横に並んで好き勝手に話すんです。狭いといってもL字型のカウンターの端から端まではそれなりの距離がありますから、あちこちでしゃべられると声を録るのが大変で。セリフの邪魔をしてはいけないし、片側の声だけ録って、反対側の声をパントマイムで芝居をしてもらうというわけにもいかない。店内は雑然としていても、ちゃんと俳優のセリフを聴かせなくてはいけないので、技術的に苦労するんですよ。だからマイクを常時三、四本用意して、しゃべる俳優の順番を観ながらマイクを切り変えてやっていきました。」
 
具体的なことは分からないが、かなり高度な判断力が必要だったと思う。

客も、『居酒屋兆治』の映画ポスターを描いた山藤章二や、伊丹十三など個性派がいた。

僕は珍しくこの映画を、封切りではないが映画館で観ている。どうしてかというと、新宿の酒場の女将が音頭を取って、著者と編集者で宝川温泉に旅行をした。著者は山口瞳、古井由吉、常盤新平、編集者は福武書店『海燕』の寺田博編集長、小沢書店の長谷川郁夫社長などが主だったところで、その旅行中に山口瞳の『居酒屋兆治』が話題になった。みんな恐ろしく面白そうに話す。

僕は小説は読んでいたものの、映画は観てなくて、帰ってしばらくして、映画館で観た。とてもよかった、と言いたいところだが、まあそういうものだろう。大原麗子が可憐だった。
 
僕は結婚し、やがて国立に住むようになり、『居酒屋兆治』の原型の、山口瞳が通った「文蔵(ぶんぞう)」にも、たまに行った。店の構えや店内も朴訥で、いい店だった。亭主とおかみさんでやっていたが、おかみさんが癌で亡くなって、店を閉めた。
 
そういえば、宝川温泉で飲んで騒いだ人たちも、名前を挙げた人は、今は一人もいない。

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