奇跡の聞き書き――『音が語る、日本映画の黄金時代―映画録音技師の撮影現場60年―』(16)

81年の最初の作品は、熊井啓監督の『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』(81)だった。50歳の紅谷さんが、スタッフの中ではもっとも若手だった。これは俳優座映画放送の自主製作映画である。
 
事件が起きたのは1940年代だが、紅谷さんはこれを全部、同時録音で録った。

「紅谷 努力すればなんとか同時録音でやれると思いました。当時と八〇年代では街ノイズが全然違いますが、ロングで漏れる音はOKにして、直近で聞こえてくる車の音などは、車止めをしました。」
 
ここで「車止め」という言葉が出てくる。これは以後、同時録音の際には極めて重要になる。
 
とはいえ完全には、街のノイズは消せない。

「紅谷 だからカットが終わった瞬間の判断が必要なんです。ダビングでどんな処理をすれば、そのとき録った音が使えるか。あるいは使えないかという決断を、監督のカットがかかったときにこちらは決めていなくてはいけない。もう一回いくなら、なぜそうするかの説明をしなくてはいけませんからね。」
 
非常に高度な判断力が必要で、具体的なところは分からないものの、思わず唸ってしまう。
 
次に続いて、相米慎二監督の『セーラー服と機関銃』(81)に参加する。例の、どこから聞こえて来るのか分からない、薬師丸ひろ子の「カ・イ・カ・ン」という言葉である。
 
僕は映画館では見ていない。しかし紅谷さんの話は面白い。

「紅谷 これはサウンドデザインをかなり考えました。相米は正面からバカ正直に解釈して音を作ってもダメなんです。かなり外したところから考えていかないと、『何やってるんだ』という顔をする(笑)。こっちが考え抜いて、ちょっとひねくれた発想をしないと納得しない監督なんです。」
 
長廻しの相米慎二は、ひねくれた発想をしないとダメである、と。

「紅谷 向こうが一つアイデアを持っていたら、こちらはその三倍くらいのアイデアを持っていて、こういう手もあるぞと提示していくことが必要なんです。言ってみれば監督が食いつく音を、こちらがどれだけ用意できるか。それがサウンドデザインしていくときには大切なんです。そういう意味では、作業中は監督との闘いですよ。」
 
しかしそれは単純な戦いではない。紅谷さんがそういうことができるのは、相米監督の映像に力があるからだ。「画に力があるから、音で遊べるんですよ。」
 
この映画は12月19日から公開され、配給収入23億円で、この年の第1位のヒットだった。
 
その次に森谷司郎の『海峡』(82)が始まる。青函トンネルを貫通させるまでの苦闘を描いた作品で、主演は高倉健、吉永小百合。
 
これを同時録音でやるというのは、考えられないことだ。強風吹きすさぶ竜飛岬、青函トンネルの中の工事現場、そのたびにどれほどの苦労があったか。これはどうしても、本文(全体で9ページ)を読んでほしいが、そこからいくつかを引いておく。

「紅谷 小高い丘の墓地に行って、健さん、森繁さん、小百合が話すところ。あそこも海から丘へと吹き上がってくる風が強いんです。それで大道具の西田君に頼んで、杭を五、六本持ってきてもらってね。これを地面に一メートル間隔で打ち込んで、杭に毛布を釘で打ちつけて、五メートル幅の幕のように張ったんです。これによって人物に直接当たる海からの強風をカットしたんですよ。(中略)それでセリフを録ってみたら、ときどきマイクに当たる風は感じましたが、風自体が穏やかになってセリフは使用に耐えられる音が取れました。」
 
それでも、俳優の体が持って行かれそうなくらい、風は強かったという。

「紅谷 僕自身も風でよろけて、這いつくばって作業していました(笑)。健さんは森繁さんのベルトにチェーンを巻いて、それを健さんが引っ張って森繁さんをガードしていました。」
 
僕は、役者というのはそれふうの動作をして、セリフをしゃべっていればいいと思っていた。まさか、どんなに困難な状況になっても、それを観客に察知されずに、しれっとセリフが言えるのが俳優というものだとは。
 
あるとき、セットで雪を降らせながら、健さんと吉永小百合の、長い1シーン1カットの芝居を撮った。テストのときはよかったのだが、本番でかすかに雑音が入った。カットがかかった瞬間、紅谷さんが「もう一回行ってくれ」というと、森谷監督は「こんないい芝居、二度とはいけない!」と返す。

緊張で、現場は一瞬静まり返った。そこで健さんが、「やりましょう」と言ったという。紅谷さんにとって、これは本当にうれしいことだった。

「紅谷 要はそこでものが言えるか言えないか。監督に『もう一度』というのは、人によっては度胸がいるんですよ。それはある種のかけひきでもあるんです。僕は撮影現場の同時録音は戦場だっていつも言っていますけれど、要は相手が監督だろうが誰だろうが、押すか引くかなんです。」

「相手が監督だろうが誰だろうが」は、凄みのあるセリフである。
 
撮影が終わり、東洋現像所でゼロ号試写を観たとき、森谷史郎は、紅谷さんに抱きついて、「あなたには、いろいろ付き合いのある監督がいるだろう。今村昌平さんや浦山桐郎さんとかね。できればその次に、俺の名前を加えてくれないか」と言ったという。
 
その瞬間、紅谷さんは、現場で頑張ってきたことが報われた気がした。

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