今度は白眉の小説――『両手にトカレフ』(2)

次はカネコフミコの自伝から。カネコフミコは「無籍者」、つまり戸籍がない。一家は都会から田舎へ落ち延びてゆく。

こちらの方も、ブレイディみかこの翻案なので、非常に読みやすく、分かりやすい。

「この村では、朝早く起きて日が暮れるまで誰もがせっせと働き、それ以外の暮らし方はあり得ないのだった。〔中略〕
 だが、それがいくら理想的なものに思えても、それで田舎の貧しさを補えるとは思えなかった。都会のビルディングや着飾った人々が行き来する商店街を知っている人間には、田舎の暮らしはまるで時代をいくつか遡ったような、原始的なものだった。」
 
フミコは都会と田舎をじっくり見比べて、ある結論を下す。

「都会は田舎からいろんなものをだまし取って繁栄しているのではないか。私はそう考えるようになった。朝から晩まで働いて彼らが得たわずかなお金をだまし取るために、都会の人間たちがやってくるからだ。」
 
都会と田舎の関係、まるで養老さんの話のようだ。
 
それにしてもミアが、カネコフミコに共感し、極貧の自分と同じだと思って読んでいる本は、大正時代の本だ。このことをどう考えるか。

現代の英国と、大正時代の日本は、本当にパラレルなんだろうか。もしそうだとすると、英国は、異常だ、狂っているということにならないだろうか。とはいえしかし、日本の方は大丈夫なのか。僕が実情を知らないだけなんじゃないだろうな。
 
次は英国の階級の話。前提として、カネコフミコの親戚が、貧乏育ちのフミコの言葉づかいを嫌っている、というのがある。

「ミアも自分の発音がミドルクラスの子たちと違うことを知っている。レイラやウィル〔=同級生〕のような、単語の最後の音までしっかり発音してゆっくり喋る子たちと自分の話し方は違う。ミアはあんな風に口の中にプラムでもふくんでいるみたいなまろやかな英語は喋らない。〔中略〕
 英国では、こういう風に生まれ育った場所や職業で人の喋り方が分かれていることを『階級』と呼ぶのだが、日本もそうなのだろう。」
 
日本はそうではない(と思う)。英国の労働者階級とそれ以外では、言葉遣いも、ラジオ放送も違うと、昔、加藤周一の本で読んだことがある。

そして日本では、階級は整然と区別されてはおらず、というところから「雑種文化論」が始まるのだった。
 
さてしかし、ミアの話によれば、今も階級は整然と分かれている、というのはどういうことか。

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