将棋指し今昔――『将棋指しの腹のうち』(3)

毎年3月はA級順位戦の最終日で、俗に「将棋界の一番長い日」と言われている。これはあるときから、NHKがテレビ放送するようになった。
 
何年前かは忘れたが、これを羽生善治名人、矢内理絵子、先崎学の3人で、朝2時間、夕方2時間、夜10時から深夜2時までの4時間を、生放送することになった。
 
夕方6時までの放送が終わり、3人は死んだようになっていた。
 
私のような門外漢にはわからないが、なにせ10人のリーグ戦だから、5局同時進行で、スタジオには5つの盤を用意し、先崎たちがリードして、「はい次はこの将棋」とやってゆくのである。まあ、死にそうになるのはわかる気がする。
 
先崎と羽生は、夜中の4時間に備えて、「チャコあめみや」で、400グラムくらいのステーキを食べたという。かなり若いときですな。
 
そして10時が来て生放送が始まるのだが、このときから終局まで、先崎たちにカメラのスイッチングが任されたのである。どの画面を放映するかは、先崎と羽生で決めてくれというわけである。

「要は、テレビ側は、指し手が動くところを見せたいのである。指す瞬間を、天井カメラで撮って視聴者に見せたい、しかし、当たり前だが、指した瞬間に画面を切り替えてもときすでに遅しなのである。〔中略〕よってプロである我々が、ここはこの一手だから一分以内には指すだろうとか、ここはしばらく動かないとか、ここは一手進むとセットで三手は動くとか、どこも指しそうもないから大盤横カメでつなごうとか、全部その場で判断することになったのだ。」
 
これは素人でも、大変さがわかろうというものだ。なるほど、「チャコあめみや」の400グラムのステーキに頼りたくもなる。

「普通ならテレビ側がやるのだが、これまで書いたことをよーく考えていただきたい。同じ棋士でないと絶対にできないのである。ちょっとした仕草で指すかどうかを判断するなんてテレビ側の人間に分かるわけがない。指し手の意味ですら分からないわけで、全部こちらでやるよりないのだった。」
 
ふうー、言葉が出ませんぜ。
 
このときは、最後にもう一山ある。「将棋界の一番長い日」が終わって、挑戦者に決まった森内俊之と、名人・羽生善治で、2人並んで名人戦の決意表明をやってくれというのだ。

「これから闘う相手とは出られません」、羽生は敢然と断った。
 
するとNHKのスタッフは、あろうことか、「先崎先生からもお願いしてもらえませんか」と言ってきた。もちろん答えは「絶対に嫌です」。
 
こういう話が、わんさか山盛りになっている。
 
ここからは私の感想。将棋界は、大山・中原の時代を第1期とすると、谷川・羽生の時代が第2期、そして今、藤井聡太の第3期が始まったばかりだ。
 
第1期は大山、升田に象徴されるように、棋士本人たちが、他を圧して偉くなければいけなかった。将棋指しは、まだまともな職業ではなく、棋士全体としては食うや食わずの時代だった。東京にも大阪にも、将棋会館はまだなかった。どちらも大山が奔走して、寄付を募り建てたのである。
 
第2期は谷川に始まる。21歳で名人位を獲得したとき、谷川は「来年まで一年間、名人を預からせていただきます」と言ったのだ。もう自分を偉く見せる必要はなかった。
 
これは羽生も同じだった。羽生は永世7冠を獲ったとき、芭蕉が死ぬ直前に言ったことをもじって、「自分の将棋は、スタートから一、二歩出ただけだ」と言ったのだ。
 
そして第3期。藤井聡太は10度タイトル戦に出て、負けたことがない。こんな人はいない。しかも20歳にして、5冠王である。もはや言葉がない。

その藤井がタイトルを防衛して、最初に言う言葉はいつも、「中盤はよくわかりませんでした。もっと精確であらねば、精度を上げないと」。ただただ反省の弁ばかりである。人間は上へ行けば行くほど謙虚になる、ということを初めて見ることができた。
 
藤井聡太はあと2,3年のうちに、全8冠を取るだろう。それから後は、横綱双葉山の69連勝が、目標になるに違いない。そうしていつの日か、その栄えある記録を抜くことだろう。

(『将棋指しの腹のうち』先崎学、文藝春秋、2020年1月25日初刷)

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