究極の難問に挑む――『ひとはなぜ戦争をするのか』(2)

人間は、個人の中に、戦争に傾きやすい欲望を持っているのだから、これを個人の側で押さえつけることは難しい。
 
そうすると、それを外側から押さえつける以外に方法はなくなる。

「戦争を確実に防ごうと思えば、皆が一致協力して強大な中央集権的な権力を作り上げ、何か利害の対立が起きたときにはこの権力に裁定を委ねるべきなのです。それしか道がないのです。」
 
それでこの時代は国際連盟をつくったのだが、そういうものでは、いけないのであった。

「この道を進むには、二つの条件が満たされていなければなりません。現実にそのような機関が創設されること、これが一つ。自らの裁定を押し通すのに必要な力を持つこと、これが二つ目です。」
 
国際連盟は2つ目の条件を満たせなかった。次にできた国際連合は、国連軍を持ったけど、これはもっぱらアメリカ主導で、一段高い中央集権的国家連合とはなっていない。
 
けれども次の段階の、まだ見ぬ「メタ国際連合」は、常任理事国の問題を含めて、知恵の絞りどころだ。
 
このあとフロイトは、精神分析の話に沿って、人間そのものを探求していく。そうしてある結論を出す。それは「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない!」ということである。
 
しかし、とフロイトは言う。

「人間の攻撃性を完全に取り除くことが問題なのではありません。人間の攻撃性を戦争という形で発揮させなければよいのです。」
 
こうして「破壊欲動」に対して、反対のエロスを発動させるべく、訴えかければよいことになる。

その方向性は2つ。1つは性的な欲求だけではなく、より広い隣人愛を喚起すること。しかし「言うは易く行うは難し」で、これは簡単なことではない。
 
もう1つは、一体感や帰属意識によって、感情面での結びつきを得られるようにすること。こうした結びつきこそ、人間社会を強力に支えるものなのである。これがつまり、文化の力なのだ。
 
しかしここでフロイトは、「文化の力」なるものに、一点疑問を付している。

「文化が発展していくと、人類が消滅する危険性があります。なぜなら、文化の発展のために、人間の性的な機能がさまざまな形で損なわれてきているからです。今日ですら、文化の洗礼を受けていない人種、文化の発展に取り残された社会階層の人たちが急激に人口を増加させているのに対し、文化を発展させた人々は子どもを産まなくなってきています。」
 
戦争を抑止するために文化を発展させると、それは同時に、肉体のレベルで変化を生じさせ、子どもを産まなくなっているのだ。
 
要するに「ストレートな本能的な欲望に導かれることが少なくなり、本能的な欲望の度合いが弱まってき」たのである。
 
これはこれで面白い問題、というか人類存続に関わる問題だが、今は横道にそれるので、これには触れない。しかしフロイト、さすがである。
 
フロイトの結論は、国連をよりバージョンアップすること、文化の発展を強力に推し進めること、の2点に尽きている。
 
では養老孟司、斎藤環のお二人は、これに対してどう応えるか。

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