経済学者はいなかった?――『大切なことは言葉にならない―養老孟司の大言論Ⅲ―』

その『大切なことは言葉にならない』を朗読していて、考え込んでしまった。

「生物多様性と採算性」のこういう箇所だ。

「官僚という仕事は、採算がとれているのだろうか。そもそも赤字の垂れ流し、八百兆円という借金を作っているという日本国そのものは『採算がとれている』のだろうか」(今は赤字国債は1千兆円を超えた)。
 
これは前段があって、林野庁の高官が、島根県の国有林の作業道のセミナーで、「不採算な作業なんて、やめてしまえばいいじゃないか」といったことに対して、養老先生が感じたことである。
 
誤解がないように言っておくと、養老さんは、この官僚を批判しているのではない。言ってみれば、赤字黒字の採算のとり方に問題がある。

「採算は合っていなければならない。それは『見える』。しかし国という組織はどうか、ということなのである。『国の採算』は目に見えない。財務省は見えるというかもしれない。でもそこで本当に採算を考えていたのなら、公共の借金がここまで増えるはずがなかった。神風特別攻撃隊に至っては、採算という言葉は使えまい。いったい採算とは何なのか。」
 
ここでは、あらゆることを「経済」問題とすることの是非を、問うているのである。
 
それは大事なことだけれど、そういう「高尚なこと」ではなく、養老先生とは逆に、私は「経済」問題として、官僚や経済学者に問うてみたい。なぜこうも膨大な借金大国になったのか、と。
 
考えてみれば、おかしなことである。日本は第2次大戦後、おおかた80年間、戦争の当事国にならなかった。むしろアメリカの後ろにくっついていって、朝鮮であれ、ヴェトナムであれ、戦争で儲けたくちではないか。自衛隊という憲法的には問題のあるものを、それでも軍事費は1パーセントの枠内に抑えて、「うまい汁を吸ってきた」ではないか。
 
それがどうして、第2次大戦後70余年を経ってみると、世界に冠たる、並ぶもののない借金大国になっているのだ。
 
経済学者によっては、そんなに気に病むことはない、借金しているのは外国に対してではなく、日本国民なのだから、という語り方もある。
 
私が問題にするのは、そうではなく、なぜ日本一国だけが、あえて言えば「先進国」の中で、膨大な借金漬けになったのか、ということなのだ。
 
日本にまともな経済学者はいなかったのか。そんなことをすれば危ない、借金漬けはまずいと、なぜ言わなかったのか。あるいは言ったけれども、政治家が聞かなかったのか。
 
日本の健康保険制度はよくできているとは、外国から帰った人がみな言うことだ。そこに金を使いすぎたのか。
 
あるいは日本人の寿命は、戦後すぐまでは平均50歳だったのが、このごろは男女とも80歳を超えている。女性は世界で1位、男性も2位である。寿命は1年に半年延びている。ここまで長生きさせることに、国家予算を使いすぎたのか。
 
しかし現状の日本人を見れば、貧困率は先進国の中でもかなり高い。これだけ借金をしておいて、国民の2割が貧困だというのはおかしくないか。
 
経済の本はたまに読む。このブログで明らかなように、一念発起して読んでも、どれもまったくピンとこない。私の頭が経済向きではないのだ。
 
しかし大枠を考えずに、株価や投資信託の話をしても、無駄だと思うんだけど。

(『大切なことは言葉にならない―養老孟司の大言論Ⅲ―』
 養老孟司、新潮社、2011年4月30日初刷)

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