私もついつい言いたくなる——『中古典のすすめ』(8)

盛田昭夫・石原慎太郎の『「NO」と言える日本』は、もう取り上げるのはやめようかと思っていた。
 
しかし著者が調子に乗りまくり、出版社が後押しすると、こんな本ができてしまう、という典型として上げておく。
 
1989年、竹下登政権の時代、アメリカは製造業の不振で、貿易赤字と財政赤字に苦しんでいた。対日感情は悪化し、激しいジャパン・バッシングが起こった。

しかしバブル景気に沸く日本は、アメリカの反感など、日本が一流になった証拠で、たいしたことではないと考えていた。まだGAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)が、一社もなかったころの話である。

「そういう時代の産物だと思うと、『「NO」と言える日本』はまことにおもしろい、というか恥ずかしい本である。大言壮語というか傲岸不遜というか、二人とも吹きまくっており、『人間、増長するとこうなります』という見本のようだ。」
 
斎藤美奈子の★は〈名作度〉〈使える度〉ともに1つだが、ここでは藤井聡太の常に謙虚なたたずまいを見習うのがよかろう、と一言付け加えて、ともに無星としたい。(あるいは藤井に習うことが、高尚すぎて無理だとすれば、吉本新喜劇でMr.オクレが舞台から下がるときのセリフ、「ア~ホ~」を進呈したい。)
 
司馬遼太郎『この国のかたち』は、私には読めなかった。『この国のかたち』だけではなく、司馬遼の小説、『竜馬がゆく』や『菜の花の沖』も読めない。5ページも読むと、もういけない。
 
とにかく床屋政談が、エッセイでも小説でも頻繁に出てくるが、そして著者は得々とそれを語るが、噴飯もの以外の何ものでもない。

その文体もまた、目の粗い花崗岩のようで、まことにウンザリする。

もうそろそろ全国の書店で、潮が引くように、一斉に返品の洪水になっているだろう。斎藤美奈子は〈名作度〉〈使える度〉ともに★1つだが、もちろん無星、できればここに取り上げるのもやめてほしい。
 
全部の本について読んでくると、1990年代のものがあまりに寂しい。『この国のかたち』、『清貧の思想』、『マディソン郡の橋』の3本ではどうにもならない。
 
年代的に近くなれば、選ぶのが難しくなる、というのならわかるが、90年代以降、じつはろくな本がないから、というのではどうしようもない。だからいま私は、どちらかといえば新刊に軸足を置いて、書評を書いているのだ。
 
それはともかく、この本は役に立った。とりあえず『橋のない川』住井すゑ、『感傷旅行』田辺聖子、『あゝ野麦峠』山本茂実、『極東セレナーデ』小林信彦、そして片岡義男の新刊エッセイを読んでみよう。
 
最後に斎藤美奈子は、「あとがき」にかいている。

「単行本化するにあたり、結局ほとんど本を読み直し、原稿も書き直すことになった。一四年の間に世の中は進み、同じ本でも二〇一〇年に読んだのと、二〇二〇年に読むのとでは、気分がやっぱり違うのだ。」
 
そうなのである。だから縁がないと思っていた、『橋のない川』や『あゝ野麦峠』も、読もうと思ったのだ。

(『中古典のすすめ』斎藤美奈子、紀伊國屋書店、2020年9月10日初刷)

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